毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

1・26「SGIの日」 1975年1月26日、グアム

2023年01月26日 | 妙法

きょう1・26「SGIの日」 1975年1月26日、グアム 池田先生の指導を動画で2023年1月26日

3:59

 きょう1月26日は「SGI(創価学会インタナショナル)の日」。
 
 1975年の同日、グアムの国際貿易センタービルに世界51カ国・地域の代表158人が集ってSGIが発足し、48周年となる。池田大作先生は記念の随筆を寄せた。
 
 あわせて、発足式となった第1回世界平和会議での池田先生の指導(一部抜粋)を動画で紹介する。


きょう「大阪事件」無罪判決の日

2023年01月25日 | 妙法

きょう「大阪事件」無罪判決の日2023年1月25日

  • 戦いは絶対に負けたらあかん!

 きょう25日は「大阪事件」の無罪判決が出された「民衆勝利の日」。1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は不当逮捕・勾留された。その後の法廷闘争は4年半、公判は84回を数えた。「大阪事件」を通して、関西に刻まれた「負けじ魂」は今、世界の模範と輝く。ここでは、その広布史を不敗の原点とする友のドラマを紹介する。

最終陳述での叫び

 国の重要文化財であり、大阪のシンボルの一つでもある中之島の大阪市中央公会堂。1957年(昭和32年)7月17日、同公会堂で「大阪大会」が行われた。
 その2週間前の7月3日、池田先生は事実無根の公職選挙法違反の容疑で、不当逮捕される。検事は取り調べで、“罪を認めなければ戸田会長を逮捕する”と恫喝した。池田先生は、恩師と学会を守るため、法廷闘争で潔白を証明すると決断した。
 17日に出獄した先生は、大阪大会で烈々と宣言した。“最後は信心しきったものが必ず勝つ!”。この師子吼は、関西同志の永遠の誓いともなった。
 同年10月18日から、大阪地方裁判所で裁判が開始。84回の公判で、先生は23回、出廷している。
 61年(同36年)12月16日、最終陳述が行われた。先生は「選挙を行うのは憲法に保障された国民の権利であり、義務であります。われわれが選挙運動をやってなぜ悪いか」と堂々と訴えた。
 閉廷後、そばに寄ってきた公判担当の検事には、こう強調した。
 「民主主義が続く限り、私たちは正々堂々と行動し、絶対に勝っていきます」

「大阪事件」無罪判決の日である1月25日は「北大阪総県の日」。同総県の男子部、池田華陽会、学生部のメンバーが大阪市中央公会堂の前で(1月15日) 
「大阪事件」無罪判決の日である1月25日は「北大阪総県の日」。同総県の男子部、池田華陽会、学生部のメンバーが大阪市中央公会堂の前で(1月15日) 
北区
「勝って泣く」の誓い

 大阪市中央公会堂、大阪地方裁判所は、どちらも大阪市北区に立つ。
 池田先生が勾留された大阪拘置所もかつて、北区にあった。だからこそ、友は「無罪判決」に至るまでの歴史と、そこにとどめられた精神をひときわ大切にする。
 梅原悦子さんも、その一人だ。54年(同29年)、4歳の時に家族で入会。56年(同31年)の「大阪の戦い」では、母・國重睦子さん(故人)と共に、池田先生の早朝の御書講義に参加したこともある。
 「大阪の戦い」の折、睦子さんのもとに先生から激励のはがきが届いた。以来、「負けて泣くより、勝って泣く」が睦子さんの誓いとなる。
 だが57年(同32年)4月、参議院大阪地方区の補欠選挙で、学会が推薦する候補者が落選。さらに、同年7月3日、池田先生が事実無根の容疑で逮捕された。睦子さんの頬を、悔し涙が濡らした。
 それでも、睦子さんは一歩も引かなかった。2週間後の17日、娘と一緒に大阪大会に参加。当時、まだ7歳だった梅原さんは、公会堂までどのように行き、どう帰宅したのかすら記憶にない。
 ただ、幼いながらも強烈に印象に残ったことがある。公会堂周辺に集った大勢の大人たちが皆、スピーカーから流れる音声に、真剣に耳を傾けていた姿だ。
 梅原さんが「大阪大会」の背景を知ったのは後のこと。その歴史を知れば知るほど、あの日、大人たちがなぜ、大雨に打たれながらも、その場から離れようとしなかったのかが理解できた。
 梅原さんは、母の「勝って泣く」との誓いを自らの信条とした。母は長年、茶道と生け花を地域で教え、友好の輪を広げてきた。その道に、梅原さんも続いた。
 「大阪事件」の判決日の前日である62年(同37年)1月24日、大阪市中央公会堂で関西女子部の幹部会が開催された。席上、関西の新本部の建設計画が発表された。過去と今を重ねつつ、梅原さんは力を込めた。
 「関西池田記念大講堂の計画が進む今、常勝関西の新たな歴史を開く戦いに勝利し、自身の人間革命の実証を地域に示していきます」

都島区
がむしゃらに広布一筋

 北区に隣接する都島区。ここにも、師の足跡が刻まれている。56年(同31年)の「大阪の戦い」の折、池田先生は幾度も同区を訪れた。
 激戦の最中、同区の友を励まし、模造紙に「大勝」としたためた。またある時には、座談会に出席。新来者22人のうち、20人が入会した。
 同区の柏木良子さん(故人)は、大阪大会に参加した数カ月後、長男の邦彦さんが脳性小児まひを患った。
 良子さんは長男を背負い、仏法対話に歩いた。罵声を浴びせられても、信心の確信が揺らぐことはなかった。
 60年(同35年)には、夫が経営する印刷会社が倒産。家族5人、四畳半一間のアパート暮らしが始まった。良子さんは宿命の嵐にも、負けじ魂を燃やして立ち向かった。
 邦彦さんは体調がいい時、座談会に参加。精いっぱい生きる姿が地域の友に勇気を送った。母の慈愛に包まれ、39歳で新たな生へと旅立った。
 長女の横山瑞枝さんは、信心に懸命に励む母の背中を見てきた。「母は広布一筋に、がむしゃらに戦う人でした」
 その母に触発され、瑞枝さんも「100%以上の戦いをしないと、納得できないようになりました」と笑う。「5・3」へ、200人との対話を目標に、都島を奔走する。
 次男の柏木清宏さんは学生部の時、座談会で行った「大阪大会」の劇で、山本伸一の役を担った。
 参加者が皆、感動の面持ちだった。その方々の姿を通して、「大阪大会」が自分が思った以上に、大切な歴史であることを胸に刻んだ。
 真珠腫性中耳炎や咽頭がんなど、数々の病を乗り越えてきた。3年前には心筋梗塞で緊急手術。その宿命も信心で勝ち越えた。
 柏木さんは語る。
 「2026年秋に完成予定の『関西池田記念大講堂』は都島区内に建ちます。だからこそ、私たちが負けるわけにはいきません。断じて凱歌の歴史を築きます!」
 それは、わが地域を愛し、幸の連帯を広げる、都島の全同志の誓いである。

1957年7月17日、大阪市中央公会堂で行われた「大阪大会」。約2万人の同志が集い、“戦いは負けたらあかん!”との「関西魂」が燃え上がった
1957年7月17日、大阪市中央公会堂で行われた「大阪大会」。約2万人の同志が集い、“戦いは負けたらあかん!”との「関西魂」が燃え上がった
東成区
「私は一生涯 祈りをおくります」

 大阪市東成区の井上正子さんは幼少の時、父親の河野正三さん(故人)が事業に失敗。54年(同29年)7月、一家で信心を始めた。
 大阪支部が1万1111世帯の弘教という「不滅の金字塔」を打ち立てた56年(同31年)5月、正三さんも弘教を実らせている。
 正三さんは「大阪大会」にも参加。師を心のど真ん中に置いた父の生き方を、井上さんも継いだ。
 81年(同56年)、井上さんは夫の邁さんと結婚し、東成の地へ。翌82年(同57年)5月4日、関西文化会館での東成区の「5・3」記念勤行会に、池田先生が出席。その場に夫婦で集った。
 この年、東成区の同志は、年頭から怒濤の勢いで対話に奔走。4月にはブロック1の弘教を達成し、全関西をリードする拡大を成し遂げた。その喜びの中で、師を迎えた。
 勤行会には当初、先生の出席予定はなかった。それが急遽の変更となったのだ。
 先生は「ぜひ一目でも、皆さんにご挨拶をと思い、来させていただきました」と語り、勤行・唱題の実践の意義を強調した。
 勤行会から10年後の92年(平成4年)、井上さんは区婦人部長の任命を受けた。そして翌93年(同5年)11月、関西国際友好会館(現・東成文化会館)で、師との生涯の原点を刻んだ。
 25日、同会館を訪問した先生は、関西最高会議(26日)、関西栄光総会(27日)、関西広布功労者の懇親会(28日)に出席。29日、岡山へ出発する前に、井上さんをはじめ、東成区の代表の友が会館に集った。
 先生は館内で記念のカメラに納まると、同会館訪問の間に、当時の本紙に連載されていた小説『新・人間革命』第1巻「錦秋」の章の執筆が進んだことを紹介した。
 井上さんは「東成で書かれたのは、差別について言及されている場面でした。“私たち東成のメンバーが、創価の人権闘争に立ち上がろう”と決意しました」と述懐する。
 師への感謝を胸に、東成の隅から隅まで歩いた。友と会い、互いに励まし合った。その“戦い”は今も続く。
 先生はかつて、東成の友に万感の思いを寄せた。
 「尊き わが佛子である
  皆様に 私は一生涯
  祈りをおくります。
  同志の心は
  美しく永遠なり」

1989年10月、池田先生ご夫妻が大阪・東成区の関西国際友好会館(当時)を訪問。この折、先生は「臆病であったり、名聞名利に流された弱い心では、人々を守ることはできない。強盛な信心で、心美しく、たくましきリーダーに」と関西の友に望んだ                                                                        
1989年10月、池田先生ご夫妻が大阪・東成区の関西国際友好会館(当時)を訪問。この折、先生は「臆病であったり、名聞名利に流された弱い心では、人々を守ることはできない。強盛な信心で、心美しく、たくましきリーダーに」と関西の友に望んだ                                                                        
城東区
一人も残らず福運と長寿の人生を

 「私は『大阪大会』には参加していませんが、その精神は広布拡大の戦いの中で、先輩方から骨身に染みるほど、何度も教わってきました」――大阪市城東区の達城良明さんは、そう語る。
 小学3年生の時、交通事故に遭った。2週間ほど意識を失った。目が覚めた時、最初に耳に入ってきたのは、母の題目の声だった。
 “母の祈りに救われた”。信心の力を実感し、学会の庭で自らを鍛え、育んできた。
 原点は、78年(昭和53年)10月11日、池田先生が出席して、豊中市の関西戸田記念講堂で開催された「城東区総会」。この時、達城さんは壇上役員の任務に就いていた。
 総会は「熱原の法難」700年の意義をとどめていた。席上、先生は語った。
 「広布のために尽くすことは、自分自身のために尽くすことでもある。また、その自分に連なる一家が、楽しく無事安穏の人生を送っていくためのものでもある」
 「広布の前進も、大河の時代に入った今日においては、一人の犠牲者もなく、一人も残らず福運と長寿の人生を勝ち取っていくことが大切であり、それが私の心からの祈りであり、願いである」
 さらに、御書の「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)を、自らの魂とし、最高に充実した人生を送ることを訴えた。
 師の全幅の信頼は、城東中に歓喜を広げた。師が総会で拝した「開目抄」の一節の暗唱運動が起こった。一人一人が、御文を「自らの魂」にする挑戦を開始した。
 その戦いが花開いたのは、5年後の83年(同58年)。この年、城東の友は関西を牽引する対話拡大を達成。以来、師弟共戦の誉れの歴史をつづってきた。
 達城さんは決意する。
 「昨年、関西池田記念大講堂の基本構想が発表された喜びを前進の力として、青年を先頭に、新たな常勝の金字塔を打ち立てていきます」

我らは信心の王者なり

 北、都島、東成、城東の4総区からなる北大阪総県。
 88年(同63年)1月2日、池田先生は60歳の誕生日を迎えたその日、一枚の色紙に揮毫した。
 「信心の王者 北大阪」
 以来、35星霜。今、北大阪のあの地、この地で、痛快な広布勝利のドラマが始まっている。友は「我らは信心の王者なり」との誇りで進む。
 先生は語っている。
 「一念の力は無限だ! 一念の力は偉大だ! 『断じて勝つ』。この執念が強いほうが勝つ。心で勝ったものが勝つ。信心の王者こそ、絶対不敗の勝利者なのである」

1988年1月2日、池田先生は色紙に「信心の王者 北大阪」と揮毫した
1988年1月2日、池田先生は色紙に「信心の王者 北大阪」と揮毫した
 

勇気・忍耐・団結で進め!

2023年01月23日 | 妙法

VOD新番組に収録された池田先生の指針――勇気・忍耐・団結で進め!2023年1月23日

  • 立正安国の道を貫く三代の師弟
  • 御聖訓 たゆむ心があってはならない

 池田先生のスピーチを収録した新番組「電光石火の行動で勝利へ前進!」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、2007年3月に行われた新時代第5回本部幹部会でのスピーチである。「青年・凱歌の年」のスタートを勢いよく切り、新たな広布の峰へ勇躍して進む友への指針として、その要旨を掲載する。※VOD番組の時間は10分、番組コード=AB16。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません。

2007年3月に行われた新時代第5回本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)
2007年3月に行われた新時代第5回本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)

 きょうは、よく晴れた。
 きょうの晴天は、完勝の5月3日への、希望の瑞相であると申し上げたい。
 わが創価学会は、何の力で勝ってきたか。
 「勇気」である。
 そして「忍耐」である。「団結」である。この三つで学会は勝ってきた。これを忘れてはならない。
 勇気。忍耐。そして互いが仲良く団結して、守り合っていくことだ。
 日蓮大聖人は「異体同心」と仰せである。信心を根本とした団結こそ、御書に仰せのとおりの姿なのである。
 今、学会は日本をはじめ全世界に、広宣流布の「創価の旗」を、にぎやかに振り始めている。
 これほど発展するとは、だれも、わからなかった。
 本当にすばらしく、尊いことだ。荘厳なことである。
 創価学会は、皆さま方の正しき信心、大いなる勇気、そして誠実と努力によって、この時代に大勝利の歴史を刻むことができた。われらは、栄光の5月3日を目指して、威風も堂々と進みたい。
 この佳き日を、勝利、勝利の万歳を皆で朗らかに叫んで迎えましょう!
 ともあれ私は、皆さま方のご健康とご多幸を真剣に祈っている。自分だけの願いではない。皆のことを心から祈っていくのがリーダーだ。その決心を貫き通していかねばならない。
 とくに、会合の会場を提供してくださっている方々を最大に大切にし、そのご恩に対して、厚く御礼を申し上げていただきたい。
 その心がある限り、学会は発展する。

学会創立100周年の2030年へ、飛躍を誓う第12回本部幹部会。席上、2007年3月の新時代第5回本部幹部会での池田先生のスピーチが上映された(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
学会創立100周年の2030年へ、飛躍を誓う第12回本部幹部会。席上、2007年3月の新時代第5回本部幹部会での池田先生のスピーチが上映された(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
スピードで勝て

 文永11年(1274年)の3月8日――。佐渡流罪中の日蓮大聖人のもとに、幕府からの赦免状が届いた。生きては帰れないと言われた、2年半に及ぶ佐渡流罪を、大聖人は厳然と勝ち越えて、鎌倉に戻られたのである。
 赦免状が届いた後、大聖人は、3月13日には佐渡の一谷を出発され、26日には鎌倉に到着された。
 そして4月8日には、幕府の権力者・平左衛門尉に対面され、峻厳に諫暁なされた。赦免状が届いてから、1カ月後のことだった。
 大事なのは、行動である。スピードである。
 大聖人は、電光石火で行動を起こされた。学会も、電光石火だから勝った。スピードがあったから勝った。
 師匠である戸田先生の指導を、私は弟子として、そのとおりに実行した。
 だからこそ先生は、「大作を見ろ。ここに真実の学会がある。私の精神がある」とまで言ってくださった。
 大聖人は後に、平左衛門尉に諫暁した御心境を、こう記しておられる。
 「国を助けたいために申すことを、これほどまでに怨まれるのであるから、佐渡流罪が許された時、佐渡の国からどのような山中・海辺にもまぎれて入るべきであったが、このことを今一度、平左衛門尉に言い聞かせて、蒙古が日本国に攻めてきた時、幸いにも生き残る衆生を助けようと鎌倉に上ったのである」(全1461・新1958、通解)
 大聖人は、ただただ民衆の幸福のため、権力の魔性に、真っ向から立ち向かわれた。
 この、御本仏の大精神を忘れてはならない。
 これが、「正義の声」であり、「真実の勇気」であり、「正しい人生」である。私たちも、これで行こう!
 私は、すべてを、この御聖訓の心のとおりにやってきた。
 大聖人の歩まれた大道に、まっすぐに連なり、立正安国を進めているのが、創価の三代の師弟である。そして、誉れの皆さま方である。
 平左衛門尉との対面を終えられた後、大聖人は、池上兄弟に仰せになられた。
 「強盛に歯を食いしばって、たゆむ心があってはならない。たとえば、日蓮が平左衛門尉のところで、堂々と振る舞い、正義を言い切ったように、少しも恐れる心があってはならない」(全1084・新1475、通解)
 この御文のままに生きぬくことが、大聖人に正しく直結する究極の信心であり、学会精神であると訴えたいのだ。

第12回本部幹部会で披露された音楽隊・創価ルネサンスバンガードの演奏と演技(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
第12回本部幹部会で披露された音楽隊・創価ルネサンスバンガードの演奏と演技(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
真の勇者とは

 ここで、東西の英知の言葉を贈りたい。
 古代ギリシャの大詩人ホメロスは、傑作『イリアス』に綴っている。
 「アカイアの勇士たち、そこで、敵が攻めてくるのを待っていてはいかん。ひとりひとり、相手をさだめて向かって行くんだ」(『完訳 イリアス』小野塚友吉訳、風濤社)
 われらの言論戦も、その根本は折伏精神である。戦いは、受け身になっては、絶対、勝てない。最後まで攻めぬいたほうが勝ちである。
 日蓮大聖人は「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(全502・新600)と記しておられる。
 攻めて攻めぬけ!――大聖人の教えどおり、また戸田先生の指導どおり戦ったから、学会は勝った。これを忘れてはならない。
 さらに、ホメロスの名作『イリアス』から。ある人物が勇者に向かって言う。
 「おぬしは剛勇の武将、敵に向かっては一歩も退かず、怯んだ仲間を見れば、必ず声をかけて勇気づける。ぜひ、これからも逢う者には声をかけてやってもらいたい」(前掲『完訳 イリアス』)
 青年部の諸君も、正義のためには、先頭に立って、「邪悪な敵」と戦いぬいていく人であってもらいたい。
 そして、誠実に行動する同志には、どんなときも、「励ましの声」を贈り続ける、真実の勇者に育っていただきたいのである。

音楽隊・創価グロリア吹奏楽団と鼓笛隊・創価シャイニングスピリッツによる記念演奏も(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
音楽隊・創価グロリア吹奏楽団と鼓笛隊・創価シャイニングスピリッツによる記念演奏も(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
なすべきこと

 話題は変わるが、私が20代のころ、親しくお会いした作家に、長編小説『徳川家康』で有名な山岡荘八氏がいる。後に、山岡氏は、この縁を大切にされ、小説『高杉晋作』を「聖教新聞」に2年4カ月にわたり連載してくださったのである。(=『山岡荘八歴史文庫 高杉晋作』〈講談社〉に収められている。以下、同書から引用)
 この小説のなかで、晋作は言う。
 「元気を出せ!」「躓いたからといって落胆せぬこと。ただちに次の策を立てて進むばかりだ」
 広宣流布の戦いにあっても、たとえ何があろうと、落胆する必要などない。動いた分だけ、祈った分だけ、福運は積まれているのである。
 大事なのは次だ。前へ進むことだ――これを合言葉としていきたい。
 また、幕末の思想家・佐久間象山と晋作の対話のなかで、象山が次のように言う場面がある。
 「何もせぬものには何もできぬ」
 これが結論である。
 私たちは、広宣流布の勝利のために、きょうも「なすべきこと」を厳然となしていこう!
 そのたゆみなき積み重ねによってのみ、「勝利」の扉は開かれるのであり、これほど尊い生き方はないのである。
 こう強く申し上げて、私のスピーチを終わります。
 ありがとう!

第12回本部幹部会の会場となった巣鴨の東京戸田記念講堂に掲げられた記念パネル
第12回本部幹部会の会場となった巣鴨の東京戸田記念講堂に掲げられた記念パネル

グアム池田平和文化会館が誕生 

2023年01月22日 | 妙法

グアム池田平和文化会館が誕生 池田先生が祝福のメッセージ2023年1月22日

  • 大歓喜の開館式 原田会長ら訪問団、全米リーダーがグアムの友と
SGIの永遠の源流たる、グアムの創価家族に栄光あれ!――開館式第2部の参加者が、原田会長、谷川主任副会長と共に記念のカメラに(グアム池田平和文化会館で)
SGIの永遠の源流たる、グアムの創価家族に栄光あれ!――開館式第2部の参加者が、原田会長、谷川主任副会長と共に記念のカメラに(グアム池田平和文化会館で)

 【グアム】アメリカSGI(創価学会インタナショナル)のグアム池田平和文化会館の開館式が21日、タムニン市の同会館で晴れやかに行われた。これには原田会長、谷川主任副会長ら訪問団と同SGIの全米リーダーらが、グアムの同志と共に出席。ローデス・A・レオン・ゲレロ準州知事が宣言書、グアム準州議会が決議書を贈り、同会館の誕生を祝福した。池田大作先生はメッセージを寄せ、我らは朗らかな地球民族の大船として、恐れなく世界広布の大航路を開きゆこうと呼びかけた。(記事=田代貞治、写真=吉橋正勝)

グアム池田平和文化会館の開館式。原田会長(左から6人目)、ゲレロ知事(同7人目)が、地元行政、建設関係者、アメリカSGIの代表らとテープカット
グアム池田平和文化会館の開館式。原田会長(左から6人目)、ゲレロ知事(同7人目)が、地元行政、建設関係者、アメリカSGIの代表らとテープカット
ITCビルに程近い公園に立っていた「SGI発足記念碑」を、新会館の前庭に移設。原田会長を中心に除幕式を行った
ITCビルに程近い公園に立っていた「SGI発足記念碑」を、新会館の前庭に移設。原田会長を中心に除幕式を行った

 式典の中で「ビバ! SGI!」との祝福のかけ声が響くと、会場の熱気は最高潮に達した。続いて、池田先生のメッセージの全文を刻んだ銘板が除幕され、ひときわ大きな拍手が湧いた。

 銘板の脇にはタッチパネルがあり、中国語、韓国語、日本語、スペイン語でメッセージを読める。今後も言語が増える予定だ。

開館式に池田先生が贈ったメッセージを刻んだ銘板を見る友。銘板の脇には、多言語に対応したタッチパネルが
開館式に池田先生が贈ったメッセージを刻んだ銘板を見る友。銘板の脇には、多言語に対応したタッチパネルが

 この法城を、あらゆる人々が集える場所に――館内の随所に、深い願いと配慮があふれている。

SGI発足の会議が開かれた国際貿易センタービルに隣接

 会館の隣の敷地には国際貿易センター(ITC)ビルが立つ。1975年1月26日、ここに51カ国・地域の代表158人が集まりSGIが発足。その会長に就いた池田先生は「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください」と呼びかけた。

 以来48年、仏法を基調とした平和・文化・教育の連帯は192カ国・地域に拡大。世界広布の誓いをとどめる新会館は、SGIの原点の地に誕生した。

第1回世界平和会議でスピーチを行う池田先生。この席上、SGIが発足した(1975年1月26日、グアムの国際貿易センタービルで)
第1回世界平和会議でスピーチを行う池田先生。この席上、SGIが発足した(1975年1月26日、グアムの国際貿易センタービルで)
SGIが発足した国際貿易センタービル(奥の白い建物)に隣接するグアム池田平和文化会館。地区部長のジョン・テッタオタオさんは、開館式の後、「建設が進む様子を見るたびに涙が流れました。待ちに待った新会館が誕生し、夢のようです」と語った©Dong Won Lee/content creator/KLARA M
SGIが発足した国際貿易センタービル(奥の白い建物)に隣接するグアム池田平和文化会館。地区部長のジョン・テッタオタオさんは、開館式の後、「建設が進む様子を見るたびに涙が流れました。待ちに待った新会館が誕生し、夢のようです」と語った©Dong Won Lee/content creator/KLARA M
「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を……」との池田先生の言葉を刻んだ銘板が、会館の入場口の手前に設置された
「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を……」との池田先生の言葉を刻んだ銘板が、会館の入場口の手前に設置された

 グアム池田平和文化会館は、多くの車が行き交う大通りに面している。グアムとサイパンを使命の舞台とする、アメリカ・マリアナ本部の中心拠点だ。

 隣接するITCビルには行政の諸機関が入っており、“ITCの隣”と伝えれば、グアムに住む人々は、すぐに分かるという。

 同本部では昨年秋から対話キャンペーンを進め、開館式までに1181人に励ましの語らいを拡大。大歓喜の中で当日を迎えた。

 前進の原動力は、師への報恩の心だ。

 マサツグ・ナカムラ本部長とキャシー・アレグリア婦人部本部長は「池田先生は、戦争の悲惨な経験を刻んだグアムに光を当て、最も苦しんだ人が最も幸せになれることを教えてくださいました」と。だからこそ「何としても先生の大恩に報いたい」と声をそろえる。

 新しい青年も、力強く立ち上がる。

 男子部のレナード・ジョン・ベントゥーラさんは今月、御本尊を受持した。

 悩みに沈み、人生の道を模索する中、アメリカSGIが発信する音声番組に出あい、信心の体験談を次々に聴いた。「自分もこういう生き方をしたい」。SGIのウェブページを通じてメッセージを送り、マリアナ本部のピーター・パトリック・サラス男子部本部長とつながった。地区の婦人部に励ましを受けつつ、題目を唱える中で人生が変わっていく実感を得た。今回の開館式でも、はつらつと運営役員を務めた。

 どこまでも朗らかなスクラムで前進するグアムの友。2年後のSGI発足50周年へ、“源流の地”から新たな旭日が昇りゆく!

空と海を染め上げる日の出。グアムはアメリカで“最初に一日が始まる地”として知られる(19日、タガチャンビーチで)
空と海を染め上げる日の出。グアムはアメリカで“最初に一日が始まる地”として知られる(19日、タガチャンビーチで)
SGIの平和貢献たたえ ゲレロ知事、準州議会が顕彰

 開館式第1部には、ゲレロ知事をはじめ、政治、教育、文化などグアムの各界から多数の来賓が出席した。

 グアム大学のアニタ・ボルジャ・エンリケズ上級副総長は「この会館には、平和と友情、多様な文化を尊ぶ心が輝いています。この場に参加でき、本当に感動しました」と語っていた。

マリアナ本部の友が集った開館式第2部。1975年の世界平和会議で運営役員を務め、グアムで長年、学会活動をしたロバート・アールベックさんは、カリフォルニアから参加。SGI発足50周年へ、さらに強き信心で進みたいと語った
マリアナ本部の友が集った開館式第2部。1975年の世界平和会議で運営役員を務め、グアムで長年、学会活動をしたロバート・アールベックさんは、カリフォルニアから参加。SGI発足50周年へ、さらに強き信心で進みたいと語った

 続く開館式第2部には、マリアナ本部のメンバーらが参加した。その中には、カリフォルニアやフロリダなどから訪れた、グアムに縁のある懐かしい同志の姿も。待ちに待った新会館の誕生を、皆でハグを交わし、心ゆくまで語り、互いに喜び合った。

吹き抜けのエントランスホールで、グアムの伝統のダンスが披露され、最後に「ビバ! SGI!」のかけ声が。参加者が大拍手で応える
吹き抜けのエントランスホールで、グアムの伝統のダンスが披露され、最後に「ビバ! SGI!」のかけ声が。参加者が大拍手で応える

 アレグリア婦人部本部長のあいさつの後、谷川主任副会長は、SGIの源流の地に集い合えた喜びを胸に、SGI発足50周年、学会創立100周年へ、今日から新たな決意で出発しようと訴えた。

 原田会長は、戦争の歴史を刻むグアムを平和の発信地にすべく、この地でSGIを発足した池田先生の深い思いに言及。発足以来48年にわたる先生の不惜身命の闘争で、絢爛たる世界広布の時代が開かれたと語った。さらに、広宣流布の勝利の鍵は異体同心の団結にあると強調。どこよりも仲良く、グアムから人類に希望を送りゆく前進をと呼びかけた。

 なお、グアム池田平和文化会館の開館式に合わせ、グアム準州議会は、来る26日のSGI発足の日と、池田先生ご夫妻の世界平和への貢献をたたえる「決議書」を授与した。

 また、ゲレロ知事は、池田先生がグアムから平和建設に出発した歴史とともに、「地域社会に貢献し、人類共通の課題に向かって自らの可能性の実現へと努力する」SGIメンバーをたたえ、「宣言書」を贈った。

「創価三代会長の木」(上)、「池田大作SGI会長の木」と命名されたホンコン・オーキッドツリーが、会館の前庭に植えられている
「創価三代会長の木」(上)、「池田大作SGI会長の木」と命名されたホンコン・オーキッドツリーが、会館の前庭に植えられている
アメリカ代表者会議も原田会長と
開館式当日、アメリカSGIの代表者会議が行われ、原田会長、谷川主任副会長が励ました。その参加者が記念撮影を(グアム池田平和文化会館で)
開館式当日、アメリカSGIの代表者会議が行われ、原田会長、谷川主任副会長が励ました。その参加者が記念撮影を(グアム池田平和文化会館で)

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ

2023年01月18日 | 妙法

〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 わが地域を愛する2023年1月18日

  • 信頼と友情の花を咲かせる先駆者に

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は、地域広布へ駆ける同志に贈る言葉です。

「幸福の責任者」と立つ

 「地域広布」の第一歩は、誰がなんといおうが、自分が「一人立つ」ことだ。数世帯の小さな集落でも、マンションの同じフロアでも、あるいは地区やブロックのなかでもよい、「自分が地域の幸福の責任者である」との使命感に立つことだ。
  
 この「一人立つ」決意なくしては、エンジンなしに車を動かすようなものだ。
  
 「御義口伝」には「此を去って彼に行くには非ざるなり」(全781・新1086)と仰せである。広布の「使命の道場」とは、他のどこかではなく、自分が今いるこの場所なのである。
  
 (『池田大作全集』第133巻、365ページ)
  

自身を守る“近所の絆”

 日蓮大聖人は、「立正安国論」で、「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(全31・新44)と仰せであられる。
  
 「四表」とは、東西南北の四方を指す。自分の周りの地域・社会であり、広くは世界をも包む。ゆえに「四表の静謐」とは、地域の安穏であり、さらには世界の平和といってよい。
  
 “近所の絆”を尊び、近隣の方々の健康と幸福を祈念していくことから、互いの心の扉は開かれる。地域の繁栄と幸福への深い祈りは、「一身の安堵」――すなわち自身の幸福につながり、わが身に返ってくることは必然の法則だ。
  
 (『随筆 出発の光』、108ページ)
  

足元から道は開かれる

 「足下を掘れ、そこに泉あり」という言葉が、私は好きである。
  
 足元が大切である。一つ一つ目標を明快にして、着実にていねいに取り組んでいく。その積み重ねのなかにしか道は開けない。小さなことを決しておろそかにしてはならない。
  
 (『池田大作全集』第82巻、241ページ)
  

近隣こそ広布の最前線

 いずこの地であれ、ご近所の方々と、地域の方々と、本当に胸襟を開いて仲良く暮らせたら、どれほど幸福か。それは万人の願望ではないだろうか。
  
 日蓮大聖人は、一人の門下に対して、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(全1467・新1953)と励まされている。
  
 私どもの身近なところでは、向こう三軒両隣が「其の国」にあたろうか。わが近隣こそ、御本仏から任された広宣流布の最前線といえる。
  
 (『池田大作全集』第133巻、328ページ)
  

香港総合文化センターの近隣の女性と語らう池田先生(1997年2月)。96年5月に同センターはオープン。近所に、いつもバケツを持って掃除をしている女性がいた。「すいませんね。お騒がせしています」と声をかける先生。すると女性は「いえいえ、賑やかなほうがいいですよ」と笑顔になった。以来、先生は、センターを訪れるたび交流を重ね、友好の花を咲かせた
香港総合文化センターの近隣の女性と語らう池田先生(1997年2月)。96年5月に同センターはオープン。近所に、いつもバケツを持って掃除をしている女性がいた。「すいませんね。お騒がせしています」と声をかける先生。すると女性は「いえいえ、賑やかなほうがいいですよ」と笑顔になった。以来、先生は、センターを訪れるたび交流を重ね、友好の花を咲かせた
今いる場所で活躍を!

 他の場所ではない。今、自分がいるところを「本有常住」の世界ととらえ、豊かで幸福に満ちた「常寂光土」のごとき地域をつくりあげていくことである。そこに、それぞれの地域で活躍する妙法の友の使命がある。
  
 わが地域を心から愛し誇りとしながら、地域に最大に貢献していこう――こう決めて前進していく人こそ、人生に確かな「幸福」と「広宣流布」の歴史を築くことができる。そして地域に、多くの友と多くの福運の花を咲かせゆくことができるにちがいない。
  
 (『池田大作全集』第73巻、302ページ)
  

そこにしかない輝く宝

 「ローカル」という言葉には、「特有の」という意味がある。いずこにも、その地にしかない特有の歴史があり、文化があり、誇りがある。哲学があり、希望がある。
  
 「地方」とは、その土地の無数の宝がちりばめられて輝く、「地宝」ともいえようか。わが郷土が宝土であり、そこで共に生きる隣人が宝の人となるのだ。
  
 (『随筆 対話の大道』、238ページ)
  

深い縁で巡り合った仲

 人間関係には、顔を合わせる関係、あいさつを交わす関係等々、さまざまな次元がある。その中でも、互いに励まし合い、助け合いながら向上していく絆こそ、人間世界の華であろう。
  
 「御義口伝」には、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(全769・新1071)と明かされている。
  
 地域に尽くせば、地域の方々から守られる。深い縁があればこそ、近隣同士として巡り合った仲であることを銘記したい。
  
 (『随筆 出発の光』、115ページ)
  

まず自分が行動起こす

 広宣流布とは、他の誰かが、どこか遠くで進めるものではない。それでは観念論にすぎない。
  
 まず、自分が、一人の友と信頼を深めることだ。
  
 自分が、近隣を大事にすることだ。
  
 自分が、地域の繁栄を祈り、行動することだ。
  
 (『池田大作全集』第133巻、45ページ)
  

環境でなく心で決まる

 どうすれば、地域に正義を打ち立て、信頼と友情の花園を広げていけるのか。
  
 策ではない。根本は祈りである。忍耐強い行動である。
  
 そして自らが、郷土を愛し、友人たちの幸福を願ってやまぬ、人間主義の第一人者として立つ以外にない。
  
 問うべきは、環境でなく、自分自身の心だ。
  
 (『池田大作全集』第132巻、273ページ)