マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第15巻 2020年7月31日
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第15巻を掲載する。次回の第16巻は8月7日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。
<公害問題が深刻化していた1970年(昭和45年)、山本伸一は、大手出版社の依頼に応じて寄稿し、問題解決のための道筋を示す>
彼(伸一=編集部注)は、公害を克服するうえで、「生命の尊厳」の哲学が必要であることは言うまでもないが、その内実の厳しい検証こそが、最も大切であると述べた。
なぜなら、「生命の尊厳」は、これまでに、誰もが口にしてきたことであるからだ。
さらに、あくなき環境支配を促した独善的な思想のなかにさえ、「生命の尊厳」という発想があるからだ。いや、その誤った“人間生命の尊厳観”こそ、無制限な自然の破壊と汚染を生んだ元凶にほかならないのだ。なればこそ、伸一は記していった。
「自然を、人間に征服されるべきものとし、いくら破壊され、犠牲にされてもかまわぬとする“ヒューマニズム”は、実は、人間のエゴイズムであって、かえって人間の生存を危うくする“アンチ・ヒューマニズム”にほかならない。真のヒューマニズムは、人間と自然との調和、もっと端的に言えば、人間と、それを取り巻く環境としての自然とは、一体なのだという視点に立った“ヒューマニズム”であるべきである」
本来、人間もまた一つの生物であり、大自然をつくり上げている悠久の生命の環の、一部分にすぎない。
その環は、生命が幾重にも連なり合った生命の連鎖であって、一つが壊されれば全体が変調をきたし、一カ所に毒物が混入されれば、全体が汚染されてしまうのだ。また、人間が無限と思い込んできた、自然の恩恵も、実は有限であり、地球という“宇宙船”の貯蔵物質にすぎない。
そうした視点をもたない、“独善的なヒューマニズム”に支えられた人類文明は、自然の再生産の能力を遥かに上回る消費を続け、自然を破壊し、汚染して、生命的な自然のメカニズムそのものを破壊しているのだ。
(「蘇生」の章、26~28ページ)
<72年(同47年)7月、「滝山祭」のため創価大学の滝山寮を訪れた伸一は、人生の哲学を語る>
「うらやましいな。ぼくも、こんなところで、思う存分、本を読んで、勉強したいな」
会長としての執務の合間を縫うようにして、会員の激励に飛び回らなくてはならない伸一にとって、それは、率直な心境であった。(中略)
伸一は言った。
「寮生活は、何かと窮屈で、煩わしい面もあるかもしれない。しかし、やがて、その寮生活が、人生の貴重な財産になるよ。
実はオックスフォード大学を訪問した時、案内してくれた教授に、『この大学のことを知りたければ、学生寮に行ってください。それも突然に』と言われたんだ。(中略)
寮に行き、四階の部屋を訪問すると、十九歳だという二人の学生がいた。『何が一番、お困りですか』と尋ねると、そのうちの一人が、『ぼくが勉強しようとすると彼が遊び始めるし、彼が勉強している時は、ぼくが遊びたくなることです』と言うんだよ。
私は、『それは社会に出た時に、どうやって人と対応していくのかという人間学を学ぶ、大事な訓練なんです』と言ったんだ。彼は、納得していたよ。君たちも、同じ思いでいるんだろうね」
居合わせた寮生は、笑いながら頷いた。
自分の直面した事柄から、未来への積極的な意味を見いだし、何かを学び取っていく――そこに逆境をも人生の飛躍台へと転ずる哲学がある。
また、その生き方を貫くなかに、価値創造の実践があることを、伸一は語りたかったのである。
(「創価大学」の章、187~188ページ)
<74年(同49年)5月、創価大学を訪れた伸一は、就職活動に臨む学生たちに、その心構えを指導する>
伸一は、学生たちの就職に対する考え方を正しておかなければならないと思った。
「世の中に安定している会社なんて、一つもありません。社会が激動しているんだから。
日々激戦に勝ち抜くために、どの会社も必死です。発展している会社は常に商品開発や機構改革などを行い、真剣に企業努力をしています。
たとえば、食品会社にしても、医薬品の分野に進出したり、生き残りをかけて、懸命に工夫、研究し、活路を開いているんです。
どの業界も、食うか、食われるかの戦いです。
昨日まで、順調であっても、今日、どうなるかわからないのが、現実なんです。
大会社に入っても、別会社への出向もあれば、人員整理もある。また、倒産することだってあるでしょう。
だから、“この会社に入れば安心だ。将来の生活が保障された”などと考えるのは間違いです。(中略)
就職する限りは、どんな仕事でもやろうと、腹を決めることです」(中略)
皆、頷きながら話を聞いていた。
「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。
その時に、自分の希望と違う職場だから仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。敗北です。
就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩がいて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。
しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」
(「創価大学」の章、258~261ページ)
<71年(同46年)6月6日、先師・牧口常三郎の生誕百年に際し、伸一はその源流を確認しつつ、仏法者の使命を明らかにする>
牧口常三郎が推進した創価教育学会の運動は、日蓮仏法をもって、人びとの実生活上に最大価値を創造し、民衆の幸福と社会の繁栄を築き上げることを目的としていた。
日蓮仏法の最たる特徴は、「広宣流布の宗教」ということにある。
つまり、妙法という生命の大法を世界に弘め、全民衆の幸福と平和を実現するために生きよ。それこそが、この世に生を受けた使命であり、そこに自身の幸福の道がある――との教えである。
したがって、自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。
大聖人は「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せである。
ゆえに、唱題と折伏が、仏道修行の両輪となるのだ。
そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ――それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(同31ページ)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。
現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。
(「開花」の章、303~304ページ)
1971年(昭和46年)4月2日、開学した創価大学に伸一は一対のブロンズ像を寄贈。そこには創価大学生の永遠の指針となる言葉が刻まれている。
◇
学生らが見守るなか、二つの像を覆っていた白い布が、順番に取り払われていった。見事なブロンズ像が姿を現した。
像の高さは、それぞれ、台座を除いて四メートルほどで、作者はフランスの彫刻家アレクサンドル・ファルギエールである。
向かって右側は、髭をたくわえた鍛冶職人と、腕を高くかざした天使の像であった。鍛冶職人の目は鋭く、信念の炎を燃え上がらせているようでもある。この像の台座には、「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」との、伸一の言葉が刻まれていた。
現代の社会には、楽をすることが得であるかのような風潮があるが、それは不幸だというのが伸一の結論であり、信念であった。
苦労を避け、面白おかしく生きることは、一時的には、よいように思えるかもしれない。
しかし、結局は自身を軟弱にし、敗北させるだけである。
労苦なくしては歓喜もない。また、人間形成もありえない。苦労に苦労を重ね、自らの使命を果たしゆくなかでこそ、自分自身が磨かれ、真実の人生の価値が生まれることを、伸一は、最愛の創大生たちに知ってもらいたかったのだ。
そして、左側は、片膝をつき、未来を見すえるように彼方に目をやる若き印刷工と、翼を広げ、ラッパを吹き鳴らす天使の像である。台座には、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」と、刻まれていた。学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。
人びとの幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためであるといってもよい。
ましてや、創価大学は多くの民衆の真心によって実現した大学である。
それだけに、創大生には、その学問の目的を、断じて忘れないでほしかったのである。
いずれの言葉も、伸一が創価大学の出発にあたって、考え抜いた末の指針であった。
(「創価大学」の章、121~122ページ)
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