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小説「新・人間革命」学習のために 第15巻

2020年07月31日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第15巻  2020年7月31日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第15巻を掲載する。次回の第16巻は8月7日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 

人と自然の調和目指す哲学を
 

 <公害問題が深刻化していた1970年(昭和45年)、山本伸一は、大手出版社の依頼に応じて寄稿し、問題解決のための道筋を示す>
 
 彼(伸一=編集部注)は、公害を克服するうえで、「生命の尊厳」の哲学が必要であることは言うまでもないが、その内実の厳しい検証こそが、最も大切であると述べた。
 
 なぜなら、「生命の尊厳」は、これまでに、誰もが口にしてきたことであるからだ。
 
 さらに、あくなき環境支配を促した独善的な思想のなかにさえ、「生命の尊厳」という発想があるからだ。いや、その誤った“人間生命の尊厳観”こそ、無制限な自然の破壊と汚染を生んだ元凶にほかならないのだ。なればこそ、伸一は記していった。
 
 「自然を、人間に征服されるべきものとし、いくら破壊され、犠牲にされてもかまわぬとする“ヒューマニズム”は、実は、人間のエゴイズムであって、かえって人間の生存を危うくする“アンチ・ヒューマニズム”にほかならない。真のヒューマニズムは、人間と自然との調和、もっと端的に言えば、人間と、それを取り巻く環境としての自然とは、一体なのだという視点に立った“ヒューマニズム”であるべきである」
 
 本来、人間もまた一つの生物であり、大自然をつくり上げている悠久の生命の環の、一部分にすぎない。
 
 その環は、生命が幾重にも連なり合った生命の連鎖であって、一つが壊されれば全体が変調をきたし、一カ所に毒物が混入されれば、全体が汚染されてしまうのだ。また、人間が無限と思い込んできた、自然の恩恵も、実は有限であり、地球という“宇宙船”の貯蔵物質にすぎない。
 
 そうした視点をもたない、“独善的なヒューマニズム”に支えられた人類文明は、自然の再生産の能力を遥かに上回る消費を続け、自然を破壊し、汚染して、生命的な自然のメカニズムそのものを破壊しているのだ。
 
 (「蘇生」の章、26~28ページ)
 


 

逆境も飛躍へと転ずる生き方
 

 <72年(同47年)7月、「滝山祭」のため創価大学の滝山寮を訪れた伸一は、人生の哲学を語る>
 
 「うらやましいな。ぼくも、こんなところで、思う存分、本を読んで、勉強したいな」
 
 会長としての執務の合間を縫うようにして、会員の激励に飛び回らなくてはならない伸一にとって、それは、率直な心境であった。(中略)
 
 伸一は言った。
 
 「寮生活は、何かと窮屈で、煩わしい面もあるかもしれない。しかし、やがて、その寮生活が、人生の貴重な財産になるよ。
 
 実はオックスフォード大学を訪問した時、案内してくれた教授に、『この大学のことを知りたければ、学生寮に行ってください。それも突然に』と言われたんだ。(中略)
 
 寮に行き、四階の部屋を訪問すると、十九歳だという二人の学生がいた。『何が一番、お困りですか』と尋ねると、そのうちの一人が、『ぼくが勉強しようとすると彼が遊び始めるし、彼が勉強している時は、ぼくが遊びたくなることです』と言うんだよ。
 
 私は、『それは社会に出た時に、どうやって人と対応していくのかという人間学を学ぶ、大事な訓練なんです』と言ったんだ。彼は、納得していたよ。君たちも、同じ思いでいるんだろうね」
 
 居合わせた寮生は、笑いながら頷いた。
 
 自分の直面した事柄から、未来への積極的な意味を見いだし、何かを学び取っていく――そこに逆境をも人生の飛躍台へと転ずる哲学がある。
 
 また、その生き方を貫くなかに、価値創造の実践があることを、伸一は語りたかったのである。
 
 (「創価大学」の章、187~188ページ)
 


 

職場は自身の「人間修行」の場
 

 <74年(同49年)5月、創価大学を訪れた伸一は、就職活動に臨む学生たちに、その心構えを指導する>
 
 伸一は、学生たちの就職に対する考え方を正しておかなければならないと思った。
 
 「世の中に安定している会社なんて、一つもありません。社会が激動しているんだから。
 
 日々激戦に勝ち抜くために、どの会社も必死です。発展している会社は常に商品開発や機構改革などを行い、真剣に企業努力をしています。
 
 たとえば、食品会社にしても、医薬品の分野に進出したり、生き残りをかけて、懸命に工夫、研究し、活路を開いているんです。
 
 どの業界も、食うか、食われるかの戦いです。
 
 昨日まで、順調であっても、今日、どうなるかわからないのが、現実なんです。
 
 大会社に入っても、別会社への出向もあれば、人員整理もある。また、倒産することだってあるでしょう。
 
 だから、“この会社に入れば安心だ。将来の生活が保障された”などと考えるのは間違いです。(中略)
 
 就職する限りは、どんな仕事でもやろうと、腹を決めることです」(中略)

 皆、頷きながら話を聞いていた。
 
 「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。
 
 その時に、自分の希望と違う職場だから仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。敗北です。
 
 就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩がいて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。
 
 しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」
 
 (「創価大学」の章、258~261ページ)
 


 

「安国」は仏法者の社会的使命
 

 <71年(同46年)6月6日、先師・牧口常三郎の生誕百年に際し、伸一はその源流を確認しつつ、仏法者の使命を明らかにする>
 
 牧口常三郎が推進した創価教育学会の運動は、日蓮仏法をもって、人びとの実生活上に最大価値を創造し、民衆の幸福と社会の繁栄を築き上げることを目的としていた。
 
 日蓮仏法の最たる特徴は、「広宣流布の宗教」ということにある。
 
 つまり、妙法という生命の大法を世界に弘め、全民衆の幸福と平和を実現するために生きよ。それこそが、この世に生を受けた使命であり、そこに自身の幸福の道がある――との教えである。
 
 したがって、自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。
 
 大聖人は「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せである。
 
 ゆえに、唱題と折伏が、仏道修行の両輪となるのだ。
 
 そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
 
 「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
 
 正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ――それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
 
 一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
 
 大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(同31ページ)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。
 
 現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。
 
 (「開花」の章、303~304ページ)
 


 

一対のブロンズ像

 1971年(昭和46年)4月2日、開学した創価大学に伸一は一対のブロンズ像を寄贈。そこには創価大学生の永遠の指針となる言葉が刻まれている。
 
 ◇ 
 
 学生らが見守るなか、二つの像を覆っていた白い布が、順番に取り払われていった。見事なブロンズ像が姿を現した。
 
 像の高さは、それぞれ、台座を除いて四メートルほどで、作者はフランスの彫刻家アレクサンドル・ファルギエールである。

 

創価大学にあるブロンズ像「天使と鍛冶屋」
創価大学にあるブロンズ像「天使と鍛冶屋」
 

 向かって右側は、髭をたくわえた鍛冶職人と、腕を高くかざした天使の像であった。鍛冶職人の目は鋭く、信念の炎を燃え上がらせているようでもある。この像の台座には、「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」との、伸一の言葉が刻まれていた。
 
 現代の社会には、楽をすることが得であるかのような風潮があるが、それは不幸だというのが伸一の結論であり、信念であった。
 
 苦労を避け、面白おかしく生きることは、一時的には、よいように思えるかもしれない。
 
 しかし、結局は自身を軟弱にし、敗北させるだけである。
 
 労苦なくしては歓喜もない。また、人間形成もありえない。苦労に苦労を重ね、自らの使命を果たしゆくなかでこそ、自分自身が磨かれ、真実の人生の価値が生まれることを、伸一は、最愛の創大生たちに知ってもらいたかったのだ。

 

創価大学にあるブロンズ像「天使と印刷工」
創価大学にあるブロンズ像「天使と印刷工」
 

 そして、左側は、片膝をつき、未来を見すえるように彼方に目をやる若き印刷工と、翼を広げ、ラッパを吹き鳴らす天使の像である。台座には、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」と、刻まれていた。学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。
 
 人びとの幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためであるといってもよい。
 
 ましてや、創価大学は多くの民衆の真心によって実現した大学である。
 
 それだけに、創大生には、その学問の目的を、断じて忘れないでほしかったのである。
 
 いずれの言葉も、伸一が創価大学の出発にあたって、考え抜いた末の指針であった。
 (「創価大学」の章、121~122ページ)

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第15巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。
 
 第15巻「解説編」はこちら


きょう「女子部結成記念日」―

2020年07月19日 | 妙法

きょう「女子部結成記念日」――全員が幸福の人生を 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし 2020年7月19日

 【写真の説明】赤、白、黄色……。ハイビスカスの花が、鮮やかに咲き誇る。先月27日、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
 アメリカのハワイ州では州花、マレーシアでは国花に指定され、“偉大な花”とたたえられるハイビスカス。見る人に希望と安らぎを与える。
 きょう7月19日は、“創価の花”である女子部の結成記念日。池田先生はつづった。「広宣流布に生きゆく創価の乙女の命それ自体が、最も明るい『太陽』であり、最も浄らかな『蓮華』である。すなわち『華陽』そのものの生命なのである」
 ハイビスカスの花言葉に「常に新しい美」と。さあ華陽姉妹と共に、新たな人間革命のドラマをつづり、信頼と友情の花を咲かせていこう。
 

 
池田先生の言葉

 女性の声が朗らかに響き、
 女性の智慧が
 伸びやかに発揮される。
 そこにこそ、
 人類の文明の光はある。
 今、私と妻の
 何より心弾む喜びは、
 日本中、世界中で、
 花の女子部が
 潑剌と躍動して、
 平和と幸福の連帯を
 広げてくれていることだ。
  
 勇気ある信心の乙女が
 一人立ち上がれば、
 そこから
 希望が生まれ、
 喜びが生まれる。
 家庭でも、
 職場でも、
 地域でも、
 聡明な
 福徳の女性がいれば、
 未来へ
 確かな繁栄の陽光が
 輝いていくのだ。
  
 幸福は遠くに
 求めるものではない。
 自分自身の
 生命のなかにあることを
 知らなければならない。
 青春時代に、
 この一点を深く深く
 確信できるかどうかで、
 人生の幸・不幸、
 そして
 勝敗は決まるのだ。
  
 どうしたら、
 女子部が
 自信をもって力を発揮し、
 伸び伸びと
 進んでいけるか――
 皆が心を尽くし、
 智慧を出すのだ。
 女子部を守り、
 皆で応援していきたい。
 広布の門を
 開いてくれるのは、
 この方々しかいない。
  
 わが女子部の一人一人が、
 今を生き抜き、
 現在「この時」に
 勝利することが、
 一生を決定し、
 未来永遠の勝利を
 決定づけていくのだ。
 幸福の博士!
 日本一の女子部、万歳!
 悔いなき青春を!
 一人ももれなく
 幸福の人生を!


第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」

2020年07月17日 | 妙法

第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第11回「不敗の原点 大阪大会」2020年7月17日

1957年(昭和32年)7月17日の「大阪大会」で池田先生が師子吼(大阪市中央公会堂で)
1957年(昭和32年)7月17日の「大阪大会」で池田先生が師子吼(大阪市中央公会堂で)
1957年(昭和32年)7月17日の「大阪大会」で池田先生が師子吼(大阪市中央公会堂で)

 1957年(昭和32年)7月17日、大阪・中之島の大阪市中央公会堂で歴史的な集いが行われた。池田大作先生の不当逮捕に抗議する「大阪大会」である。場内は満員となり、場外に1万数千人の同志があふれた。

 同年4月、参院大阪地方区補欠選挙の支援活動において、熱心さのあまり、選挙違反をした会員が出た。それを学会の組織的犯行と一方的に見なした大阪府警が、支援の責任者であった池田先生を逮捕。7月3日のことだった。

 15日間の勾留の末に、7月17日正午すぎ、先生は釈放され、大阪拘置所を出た。東京から駆け付けた戸田城聖先生をただちに伊丹空港で迎え、午後6時からの大阪大会に臨んだ。開会からまもなく、猛烈な雨が降り、雷鳴が轟いた。会場を取り囲んだ同志は、特設スピーカーから流れる登壇者の声を、身じろぎもせずに聞いていた。

 「大阪大会」で実際に使われたマイク

「大阪大会」で実際に使われたマイク
 

 いよいよ池田先生が登壇。第一声が終わると大拍手の中、戸田先生が立ち上がり、自ら愛弟子のためにコップに水を注ぐ。

 「最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」

 池田先生の師子吼に、会場を揺るがす大拍手が再び鳴り響いた。

 雨と涙の中で参加者は誓った。“そうや! 戦いは負けたらあかん!”“これからは全ての戦いに信心で勝つ!”

 終了後、先生は会場の外に出て、雨に打たれて聴いていた同志のために、音楽隊の演奏に合わせて何度も学会歌の指揮を執った。

 

1991年(平成3年)の7・17「大阪の日」記念幹部会を祝し、池田先生が贈った和歌。「七月の おお十七日の 炎をば 君の胸にも あなたの胸にも 合掌」と万感の思いを込めて
1991年(平成3年)の7・17「大阪の日」記念幹部会を祝し、池田先生が贈った和歌。「七月の おお十七日の 炎をば 君の胸にも あなたの胸にも 合掌」と万感の思いを込めて
 

  以来、約4年半続いた裁判闘争を経て、1962年(同37年)1月25日、大阪地裁の無罪判決を勝ち取る。そして2月8日、エジプトのカイロで「控訴なし」の報を聞くのである。

 ――池田先生は1991年(平成3年)7月17日に行われた大阪幹部会に和歌を寄せた。

 「七月の おお十七日の
   炎をば 君の胸にも
    あなたの胸にも 合掌」

 「7・17」が巡り来るたびに、関西の友は常勝不敗の闘魂をたぎらせ、世界の同志が立正安国の誓いを新たにする。先生が証明した“信心しきったものが最後に必ず勝つ”との信念こそ、永遠に光る学会魂である。

 

「常勝の空」特別映像

 「大阪大会」から21年となる1978年(昭和53年)7月17日、関西の歌「常勝の空」(山本伸一作詞)が発表されました。このたび「7・17」を記念し、関西吹奏楽団・関西男声合唱団が「常勝の空」を演奏・合唱した特別映像を制作。こちらからご覧いただけます。


小説「新・人間革命」に学ぶ 第21巻 御書編  2020年7月15日

2020年07月15日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第21巻 御書編  2020年7月15日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
絵・間瀬健治
 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第21巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。
  

一人立つ勇者のスクラム
【御文】
 

 一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし(御書816ページ、御講聞書)

【通解】

 全世界に広宣流布することは、間違いないことである。

 

【小説の場面から】
 

 平和の太陽は昇った。
 世界広宣流布の新しき幕は上がった。
  
 一九七五年(昭和五十年)一月二十六日――。(中略)
  
 この日、世界五十一カ国・地域のメンバーの代表百五十八人がグアムの国際貿易センタービルに集い、第一回「世界平和会議」を開催。席上、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGI(創価学会インタナショナル)が結成されたのである。
  
 そして、全参加者の総意として懇請され、山本伸一がSGI会長に就任したのだ。
  
 「生命の世紀」へ、「平和の世紀」へ、歴史の歯車は、大きく回り始めたのである。
  
 世界の恒久平和を実現するには、一切衆生に尊極無上の「仏」の生命を見いだす仏法の生命尊厳の哲理を、万人万物を慈しむ慈悲の精神を、人びとの胸中に打ち立てなければならない。それが広宣流布である。(中略)
  
 しかし、それは、ただ待っていればできるということではない。“この御本仏の御言葉を、虚妄にしてなるものか!”という弟子たちの必死の闘争があってこそ、広宣流布の大伸展はあるのだ。(中略)
  
 グアムに集った代表は、いずれも各国のリーダーであり、広宣流布をわが使命として立ち上がった闘士たちであった。創価の先駆者であった。
  
 その一人立った勇者たちが、スクラムを組み、SGIという世界を結ぶ平和の長城の建設に立ち上がったのである。
(「SGI」の章、7~9ページ)
  
  

今まで以上に力を尽くす
 
【御文】

 魔競はずは正法と知るべからず(御書1087ページ、兄弟抄)

【通解】

 魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であると考えてはならない。

 

【小説の場面から】
 

 <1975年(昭和50年)5月3日、山本伸一は、会長就任15周年を記念する式典でスピーチする>
  
 「長い広宣流布の旅路にあっては、雨の日も、嵐の日もあるでしょう。戦いに勝つこともあれば、負けて悔し涙をのむこともあるでしょう。しかし、勝ったからといって、驕って、虚勢を張るようなことがあってはならないし、負けたからといって、卑屈になる必要もありません。
  
 何があろうが、堂々と、また、淡々と、朗らかに、共々に使命の道を進んでまいろうではありませんか!
  
 前進が加速すればするほど、風も強くなるのは道理であります。したがって、ますます発展しゆく創価学会に、さまざまな試練が待ち受けているのは当然であります。
  
 “まさか!”と思うような、予想外の大難も必ずあるでしょう。だからこそ、日蓮大聖人は『魔競はずは正法と知るべからず』と仰せなんです」
  
 未来を予見するかのような言葉であった。
  
 「私は、いかなる事態になろうとも、情勢がどう変わろうとも、今までの十倍、二十倍、三十倍、五十倍と力を尽くし、皆さんを、創価学会を守り抜いてまいります。それが会長です。皆さんのために会長がいるのだと、私は心を定めております。何があろうとも、どんな困難に遭遇しようと、私は皆さんを守るために、一歩でも、二歩でも、前進するのだと決めて、力の限り戦います」
(「共鳴音」の章、235~236ページ)
  
  

 
  

ここにフォーカス 手遅れにならないうちに
 

 「共鳴音」の章に、山本伸一が、ローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士と語らう場面が描かれています。
  
 1972年(昭和47年)、ローマクラブは、資源の有限性を警告したリポート『成長の限界』を発表。それにより、ローマクラブの名は世界で知られるようになりました。
  
 ペッチェイ博士は、食糧不足や資源の枯渇、環境汚染など、人類が抱える危機を乗り越えるためには、人間自身のエゴの克服が必要と指摘し、「人間性革命」を提唱しました。その博士が、伸一との対談を通して、より根源的な「人間革命」の必要性を主張するようになります。
  
 両者の語らいは5度に及び、往復書簡も交えた内容は、対談集『21世紀への警鐘』(邦題)に結実。その最後は、ペッチェイ博士の次の言葉で締めくくられています。
  
 「人間革命こそが、新しい進路の選択と、人類の幸運の回復を可能にする積極的な行動の鍵なのであり、したがって、われわれは人間革命を推進すべく、力の及ぶかぎりあらゆる手を尽くさなければなりません――手遅れにならないうちに」
  
 社会は感染症の流行や気候変動に伴う大規模災害など、多くの困難に直面しています。自他共の幸福の実現を祈り、自身の人間革命に挑戦するのは、「今」なのです。

 

 

 

男子部ライブ講義 特別企画第2弾が配信中 男子部ライブ講義 特別企画第2弾が配信中 2020年7月15日

 「男子部LIVE講義」のスピンオフ企画(派生作品)の第2弾――「世界一ウケたい教学~学会員がよく使う言葉編~」が、動画投稿サイト「YouTube」(限定公開)で配信されている。
 
 大津男子部教学部長とお笑いコンビ「オシエルズ」によるトーク番組で“学会員がよく使う言葉”三つを通して、仏法の思想や信心の姿勢を楽しく学ぶ。ここでは「『戦い』ってなに?」をテーマに語り合った要旨を紹介する。(動画はこちら。7月31日まで視聴可能)
 

 

大津男子部教学部長
大津男子部教学部長
 

 オシエルズの矢島さんと野村さんは、勤行・唱題について語り合う中で、信心も仕事も「戦い」であると捉える学会員の姿勢に気付く。「戦い」なのであれば、果たして誰と戦っているのか……。二人の素朴な疑問に対し、大津男子部教学部長が御書を通して一緒に意味を考えていく――。

オシエルズ・矢島ノブ雄さん
オシエルズ・矢島ノブ雄さん
 

 大津 勤行・唱題も、友人に仏法を語るのも、全て「戦い」です。それは「自分との戦い」だと思います。御書に「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(1088ページ)とあります。自分の心に振り回されてはいけないということです。
 
 野村 人間って、少しの縁に触れて、喜怒哀楽がコロコロ変わりますよね。
 
 大津 自分の心の弱さに負けない生き方が大切ではないでしょうか。仕事でも、家庭でも、将来の夢でも、全部「自分への挑戦」ですよね。
 
 矢島 自分の弱さに負けないための「心の師」が信心なんですね!
 
 大津 御書に「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(384ページ)とあります。
 
 野村 考え方一つ違うだけで、幸せの感じ方も変わるということですね。
 
 大津 そうです。でも感じ方だけではないんです。環境をもよりよく変えていこうというのが学会員の生き方です。その根本が「自分が成長する」ことです。
 
 矢島 自分に負けないために成長することを「戦い」と言っているわけですね。
 
 大津 池田先生は「『最も難しい勝利』とは何か。それは『自分に勝つ』こと以外にない」と言われています。人と競い合うような場面でも、結局は自分が成長するかどうかだと思います。自分に負けない力を生み出すのが信心です。
 
 矢島 自分に勝つことが一番難しいのか! ということは……(続く)。

 

 そして3人は、「戦い」とは自分の弱さに負けないことであり、その先に成長も、幸福もあるということを学んでいく――。
 番組ではほかに、「『意味がある』ってなに?」「『守られた!』ってなに?」をテーマに、学会員の生き方について学ぶ。

 

 【プロフィル】 オシエルズ 大学院で「教育と笑い」を研究していた矢島ノブ雄が、知的障がい者らに即興演劇(インプロビゼーション)を教えていた野村真之介に声を掛け、2013年に結成。「人を傷つけない笑い」を追求しつつ、教育と笑いを融合させたキレと優しさのある漫才で、人気急上昇中。本年2月には「第11回若者力大賞『ユースリーダー賞』」を受賞。


池田先生の会長就任60周年「記念映像上映会」

2020年07月14日 | 妙法

池田先生の会長就任60周年「記念映像上映会」を各地で開催  2020年7月14日

池田先生の第3代会長就任60周年の記念映像から
池田先生の第3代会長就任60周年の記念映像から
 池田大作先生の第3代会長就任60周年の「記念映像上映会」が、10日から始まった。

 
 新型コロナウイルスの感染防止に万全の対策を取りながら、各地の会館等で順次、開かれる(開催日時・単位・参加人数は各県・区で決定)。
 
 記念映像のタイトルは「指揮は われにと――不滅の第三代会長就任式」。今回、初めて公開される貴重な写真や音声などもあり、第2代会長・戸田城聖先生の後を継ぎ、一人立たれた池田先生の真情と広布伸展の軌跡に迫る。
 
 創立90周年の「11・18」へ、師の闘争に連なる実践を約し合い、新たな出発を切る契機となろう。
 

 

恩師の遺言“一歩も退くな!”
 

 1960年(昭和35年)5月3日、東京・両国の日大講堂――。
 恩師・戸田先生が逝いて2年。全学会員が待ちに待ったその日が訪れた。
 初夏の陽気に包まれる中、全国の代表約2万人が集い、池田先生の第3代会長就任式が挙行されたのである。
 
 「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
 
 青年会長による広布誓願の大師子吼。瞬間、大鉄傘を揺るがす雷鳴のような拍手が沸き上がった。
 
 先生は続けた。“恩師の七回忌までに、300万世帯を成し遂げたい”と。
 そして、学会歌「威風堂々の歌」が響き渡り、歴史的な式典は幕を閉じた。
 
 以来、池田先生は全国・全世界を駆け巡り、折伏の大旋風を起こした。池田門下の弟子たちは「一歩前進」を合言葉に、師弟共戦の闘争で続いた。
 
 62年(同37年)11月、学会は目標を上回るスピードで300万世帯の弘教を成就。会長就任10周年を迎える70年(同45年)1月には、755万7777世帯に。恩師の時代の実に10倍の陣容へと発展を遂げた。
 
 同年4月、戸田先生の十三回忌法要で、池田先生は「750万世帯の達成」を恩師に報告。“「一歩も退くな!」との戸田先生の遺言を強く胸に刻み、勇気凜々、再びの前進を”と訴えた。
 
 本年は、池田先生の会長就任から60周年の大佳節。“恩師への誓いを果たさん”と決然と立ち上がった先生の闘争に連なり、今再び、我ら池田門下の師弟誓願の大行進を開始する時である。
 民衆の幸福と安穏のために! 世界の平和と前進のために!
 


 

師弟の大行進を今再び
 

 上映会では、記念映像に先立って、原田会長の指導の動画が流された。
 
 会長は、コロナ禍の中、奮闘する「無冠の友」をはじめ全同志に心から感謝。そして、学会創立90周年の「11・18」、さらに100周年の2030年へ、池田先生の心を学び、先生の心をわが心として、今再びの前進を開始しようと訴えた。

感染防止対策を徹底しながら、各地で行われている上映会。横浜平和講堂では南横浜総県金沢総区の友が視聴した(12日)

感染防止対策を徹底しながら、各地で行われている上映会。横浜平和講堂では南横浜総県金沢総区の友が視聴した(12日)
 

 12日午後に横浜平和講堂(横浜市金沢区)で行われた上映会には神奈川・南横浜総県金沢総区の友が出席。参加者は語った。
 
 「戸田先生の不二の弟子として、報恩の誠を貫かれる池田先生の姿を拝見しました。先生が60年間、どのような思いで戦い抜いてこられたのかに接し、“弟子のあるべき姿”を学びました。私も池田門下生として、師弟不二の心で勝利の旗を打ち立てます」(壮年部)
 
 「池田先生の命懸けの闘争に、熱いものが込み上げてきました。特に、恩師の十三回忌法要の場面での、先生の“師を思う弟子の一念”に触れ、胸を打たれました。どんな困難な状況でも、常に心に師匠を抱き、『一歩前進』していきます」(女子部)

 

 

 

 

記念映像上映会での原田会長の指導 記念映像上映会での原田会長の指導 2020年7月14日

  • 人間革命の劇を師と不二の心で  新しい生活様式の中で新しい広布の活動へ

 一、池田先生の第3代会長就任60周年を慶祝する記念映像上映会の開催、誠におめでとうございます。
 
 新型コロナウイルス感染症の世界的な流行によって長期間の活動自粛を余儀なくされましたが、この間も「無冠の友」の皆さまをはじめ、広布のため地道な行動を貫いてくださってきた全ての皆さまに、まずは衷心より御礼を申し上げます。
 
 感染状況を注視しながらの活動再開となりますが、これからも、「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)の御金言の通り、信心しているからこその聡明さで、ともどもに無事故と健康に細心の注意を払い、新しい生活様式の中での、新しい広布の活動に、仲良く、また、たくましく取り組んでまいりたいと思います。
 
 一、さて、これからご覧いただく記念映像では、1960年5月3日の池田先生の会長就任式、その前後の広布史が描かれています。
 
 「わが運命 かくもあるかと 決意せば 惑うことなし 恐れることなし」
 
 これは、先生が第3代会長に就任されるにあたっての真情をお詠みになり、ずっと執務室に掲げてこられたお歌です。
 
 池田先生が、どのような決意で戸田先生から妙法の松明を受け継ぎ、この60年、どのような覚悟で広布の指揮を執り続けてこられたのか。学会創立90周年を迎える本年の「11・18」へ、さらには創立100周年の2030年へ、今、再びの前進を開始するにあたり、私どもは、先生のお心を学び、先生の心を心としてまいりたい。
 
 一、池田先生は小説『人間革命』で、師弟の真髄について、次のように記されました。
 
 「師の意図するところが、現実に現れるか、現れないかは、弟子の実践の姿を見れば容易に判断のつくことである。師の意図が、脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとる時、初めて師弟不二の道を、かろうじて全うすることができる。師弟に通い合う生命の脈動こそ、不二たらしめる原動力である」
 
 「多くの弟子たちは、その困難さを避ける。師の意図に背く考えは、さらさらないものの、師の意図を、ただ教条的にしか理解しない」
 
 「直面した現実を特殊な事態ととらえ、信心という根本を忘れ、浅薄な世間智を働かせて現実に対応しようと焦る。ここに至って、師弟の脈動が断たれていることに気がつかない」――このように「単なる師弟の道」と深淵なる「師弟不二の道」の決定的な違いを教えてくださいました。
 
 かつてない困難に直面した今こそ、「単なる師弟の道」をゆくのか、それとも「師弟不二の大道」を歩み抜くのか。一人一人が自身を見つめ、自身に問い掛けながら、新たな挑戦を開始してまいりたい。
 
 そして、師弟が脈動する、我ら池田門下の祈りで、智慧で、実践で、必ずや一国の宿命の転換を成し遂げ、さらには全人類の宿命の転換をも可能にする、壮大なる「人間革命」のドラマを、ともどもにつづりゆこうではありませんか。

 

 

 

 

〈明日を照らす〉 テーマ:恩に報いる 〈明日を照らす〉 テーマ:おんむくいる 2020年7月14日

 
 
壮麗な城郭から「羽州の名城」と知られる上山城(山形県上山市)。堅固な土台の上に人生の勝利は築かれるⒸPIXTA
 

 「世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす」(御書491ページ)――恩を知り、恩に報いることこそ、人としての道です。
 池田先生は「恩に報いる生き方のなかに、真実の偉大さがあり、人間としての完成がある」「最高の報恩の道を教えたのが仏法である」と教えてくださいました。
 今回の「明日を照らす」では、「恩に報いる」をテーマに学んでいきましょう。

 

開目抄
 

 仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし(御書192ページ)

 

●皆への感謝が向上の力に

 

 【通解】仏法を修学する人が、恩を知り、恩を報ずることがなくてよいはずがない。仏弟子は、必ず四恩を知って、知恩・報恩の誠を尽くすべきである。
 ◇ 
 日蓮大聖人は、「開目抄」「報恩抄」をはじめ、諸御抄で、恩を知り、恩に報いる大切さを教えられています。その基盤となっている考え方に“森羅万象は互いに支えあって存在している”という縁起の思想があります。
 経典における「報恩」の原語は、サンスクリット(古代インドの文語)の「クリタ・ジュニャー」と考えられています。「なされたこと」(クリタ)を「知る」(ジュニャー)という意味です。
 多くの人々のおかげで今の自分があることに感謝できる自分に成長し、今度は自分が皆のために尽くしていく――。真の「報恩」とは、人間性豊かな感情の発露としての振る舞いであるといえるでしょう。
 大聖人は「大恩に報いるためには、仏法を学び究め、真の智者となって、恩ある人々を導いていかなければならない」(御書293ページ、趣意)と、民衆救済の誓願を立てられ、妙法弘通の御生涯を貫かれました。
 この御本仏のお心を受け継ぎ、万人成仏の法を自ら実践し、友人に弘めているのが、私たち創価学会員です。全ての人の幸福を願い、世界に希望の光を送っていく――これこそ人間性輝く報恩の生き方です。
 池田先生は「報恩の人生に、行き詰まりはありません。父母や師匠をはじめ、今の自分を築かせてくれた一切の人々への感謝と報恩の決意が、自身を向上させる原動力となります」と教えられています。

 

清澄寺大衆中
 

 恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へ(御書895ページ)

 

●師弟の道を貫こう

 

 【通解】(退転した女性門下が)恩を知らない人間となって、後生に悪道に堕ちることがかわいそうでならない。
 ◇ 
 日蓮大聖人は、知恩・報恩の大切さを説くとともに、不知恩・忘恩の輩を「不知恩の畜生」(御書204ページ)と厳しく糾弾されています。
 大聖人が佐渡流罪に処せられた時、疑いを起こして信仰を捨てただけでなく、大聖人を賢しげに批判する門下が現れました。
 そうした輩に対し「こうした愚か者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄にいるであろうことは不憫としか言いようがない」(同960ページ、通解)と述べられています。
 退転者の本質について、大聖人は「臆病で、教えたこともすぐ忘れ、そのうえに欲が深く、疑いが多い者たち」であるとし、「漆の塗り物に水をかけて、空中に振って水が落ちるようなもの(教えたことが何も残っていない)である」(同1191ページ、通解)と喝破されています。
 創価学会の歴史を振り返ってみても、戸田先生の事業が最大の苦境に陥った時、それまで大変にお世話になり、口を開けば「先生、先生」と慕っていたにもかかわらず、手のひらを返したように先生を罵りながら去った者がいました。そうした中、必死に戸田先生を支え守ったのが池田先生です。
 不知恩・忘恩の輩を退け、知恩・報恩を大事にするまっとうな社会を築いていくことは、民衆の境涯を高めていくことにもなります。
 どんなことがあろうとも、感謝の心を忘れず、師弟の道を断固、貫いていく――。不退転の生き方こそ、真の報恩の道にほかならないのです。