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教育本部の日 実践記録が14万事例に 2020年3月31日

2020年03月31日 | 妙法

きょう31日は教育本部の日 実践記録が14万事例に きょう31日は教育本部の日 実践記録が14万事例に 2020年3月31日

教育本部の友がまとめた2019年度の教育実践記録集
教育本部の友がまとめた2019年度の教育実践記録集
教育本部の友がまとめた2019年度の教育実践記録集

 きょう31日は「教育本部の日」。同本部は2002年同日、前身の「教育部」が学校教育、幼児・家庭教育、社会教育の分野を担う3部体制へと拡充されたことに伴い、発足した。教育部が誕生した1961年から数えると、約60年の歴史を持つ人間教育者の集いである。

 このほど同本部の友がつづった2019年度の「実践記録」がまとまった。子どもたちと共に歩んだ成長のドラマが収められている。

 実践記録運動のスタートは1984年。池田大作先生の提案によるものである。累計は14万5000事例を突破した。

 きょう31日は「教育本部の日」。同本部は2002年同日、前身の「教育部」が学校教育、よう・家庭教育、社会教育の分野をになう3部体制へとかくじゅうされたことにともない、発足した。教育部がたんじょうした1961年から数えると、約60年の歴史を持つ人間教育者の集いである。

 このほど同本部の友がつづった2019年度の「実践記録」がまとまった。子どもたちと共に歩んだ成長のドラマが収められている。

 実践記録運動のスタートは1984年。池田大作先生の提案によるものである。るいけいは14万5000事例をとっした。

昨年10月に富山市で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」。富山県知事や教育長があいさつし、アメリカ、スペイン、カナダから来日した教育者も賛辞を寄せた
昨年10月に富山市で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」。富山県知事や教育長があいさつし、アメリカ、スペイン、カナダから来日した教育者も賛辞を寄せた
昨年10月に富山市で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」。富山県知事や教育長があいさつし、アメリカ、スペイン、カナダから来日した教育者も賛辞を寄せた

 実践記録の執筆者が自らの取り組みを報告する「人間教育実践報告大会」も毎年、列島各地で行われ、感動と共感を広げている。昨年10月に富山で行われた全国大会には海外の教育者も来賓として参加。「人間主義を中心とした教育が、ここにある」(スペイン・アルカラ大学「池田大作『教育と発達』共同研究所」のイボラ所長)と高い評価を寄せた。

 また「実践報告大会の内容に世界中の人が触れられるようにしていただきたい」(カナダ・オタワ大学教育学部のイブラヒム教授)等の要望が高まっていることを受け、現在、実践記録の英訳も進められている。

 本年は、初代会長・牧口常三郞先生が第2代会長・戸田城聖先生の支えを得て完成させた『創価教育学体系』第1巻の発刊から、90周年の佳節を迎える。池田先生は「教育本部の皆様こそが、『創価教育学体系』の“続編”を綴りゆく創価教育の後継者であり、『実践編』を体現されゆく人間教育の真正の勇者である」と期待する。

 創価教育100周年となる2030年へ、実践記録運動の進展とともに、人間教育者の連帯も一段と広がっていくに違いない。
 

 実践記録のしっぴつしゃが自らの取り組みを報告する「人間教育実践報告大会」も毎年、列島各地で行われ、感動と共感を広げている。昨年10月に富山で行われた全国大会には海外の教育者もらいひんとして参加。「人間主義を中心とした教育が、ここにある」(スペイン・アルカラ大学「池田大作『教育と発達』共同研究所」のイボラ所長)と高い評価を寄せた。

 また「実践報告大会の内容に世界中の人がれられるようにしていただきたい」(カナダ・オタワ大学教育学部のイブラヒム教授)等の要望が高まっていることを受け、現在、実践記録のえいやくも進められている。

 本年は、初代会長・牧口常三郞先生が第2代会長・戸田城聖先生の支えをて完成させた『創価教育学たいけい』第1かんの発刊から、90周年のせつむかえる。池田先生は「教育本部のみなさまこそが、『創価教育学体系』の“続編”をつづりゆく創価教育のこうけいしゃであり、『実践編』を体現されゆく人間教育の真正の勇者である」と期待する。

 創価教育100周年となる2030年へ、実践記録運動の進展とともに、人間教育者の連帯も一段と広がっていくに違いない。
 

実践記録の代表事例から(要旨)
実践記録の代表事例から(要旨)
秋田 成田恵子さん(小学校教諭) 行動の奥にある心を知る
秋田 成田恵子さん(小学校教諭) 行動の奥にある心を知る

 4度目の挑戦でやっと教員採用試験に合格した私は、期待に胸をふくらませて小学校教員としての生活を開始。担任として受け持つことになった1年生のクラスに、Aくんはいました。

 彼は急に暴れたり、友達にいたずらをしたりと、問題行動を起こしてばかり。「笑顔にあふれた学級運営」という私の理想は、打ち砕かれました。Aくんを感情的に叱ってしまう毎日。彼も聞く耳を持ちません。顔を合わせるたび、まるで「先生のことなんて信じられない」とでも言わんばかりの目つきを、私に向けてきます。私は自分があまりに情けなくて、帰宅後に涙を流す日もありました。

 ある日、創価学会の教育部の先輩から受けたアドバイスが、胸に響きました。「子どもを変えたいなら、まず自分が変わることだよ」と。Aくんの言動ばかりにとらわれて、その行動の奥にある、彼の心に目を向けていなかった自分を反省しました。

 Aくんのことをもっと知ろうと、私は、彼のお母さんと懇談。Aくんが保育園の頃から問題行動を起こして怒られてばかりいた事実に加え、今も自宅で叱られてばかりいることを知りました。

 4度目のちょうせんでやっと教員採用試験に合格した私は、期待にむねをふくらませて小学校教員としての生活を開始。たんにんとして受け持つことになった1年生のクラスに、Aくんはいました。

 彼は急に暴れたり、友達にいたずらをしたりと、問題行動を起こしてばかり。「笑顔にあふれた学級運営」という私の理想は、くだかれました。Aくんを感情的にしかってしまう毎日。彼も聞く耳を持ちません。顔を合わせるたび、まるで「先生のことなんて信じられない」とでも言わんばかりの目つきを、私に向けてきます。私は自分があまりに情けなくて、たく後になみだを流す日もありました。

 ある日、創価学会の教育部のせんぱいから受けたアドバイスが、むねひびきました。「子どもを変えたいなら、まず自分が変わることだよ」と。Aくんの言動ばかりにとらわれて、その行動のおくにある、彼の心に目を向けていなかった自分を反省しました。

 Aくんのことをもっと知ろうと、私は、彼のお母さんとこんだん。Aくんが保育園のころから問題行動を起こしておこられてばかりいた事実に加え、今もたくしかられてばかりいることを知りました。

絵本の読み聞かせをする成田さん
絵本の読み聞かせをする成田さん
絵本の読み聞かせをする成田さん

 Aくんの自己肯定感を高めていこう――そう決めた私は、教室移動の時に手をつないだり、お手伝いをしてくれた時は笑顔で「ありがとう」を伝えたりするなど、彼と心のつながりが結べるよう心掛けました。Aくんがトラブルを起こした時も、「なぜ、そうしたのか」という理由に耳を傾け、思いを受け止めることに専念したのです。

 Aくんのお母さんにも、小まめに電話をかけ、彼が頑張っている様子を伝えました。とても喜んでくださり、家庭内でAくんを褒める機会が増えていったそうです。

 自分を大切にされた経験のない人が、誰かを大切にできるはずがありません。反対に、「自分の気持ちを分かってもらえてうれしい」との経験を数多く持つことができれば、人の気持ちを理解しようという思いも強くなっていくはずです。

 ある日の休み時間、私は、Aくんが友だちと一つのボールを譲り合って遊ぶ姿を目にしました。ささいなことかもしれません。しかしそこに私は、彼の確かな成長を見て取り、なんとも言えない温かさが胸いっぱいに広がったのです。

 Aくんのお母さんが教えてくれました。「息子はね、どんなつらいことがあっても、先生と会うと笑顔になれるんですよ」

 私にとっても、笑顔の思い出をたくさんつくることができたのは、ほかでもない、Aくんのおかげです。
 

 Aくんのこうていかんを高めていこう――そう決めた私は、教室移動の時に手をつないだり、お手伝いをしてくれた時は笑顔で「ありがとう」を伝えたりするなど、彼と心のつながりが結べるようこころけました。Aくんがトラブルを起こした時も、「なぜ、そうしたのか」という理由にみみかたむけ、思いを受け止めることにせんねんしたのです。

 Aくんのお母さんにも、まめに電話をかけ、彼ががんっている様子を伝えました。とても喜んでくださり、家庭内でAくんをめる機会が増えていったそうです。

 自分を大切にされた経験のない人が、だれかを大切にできるはずがありません。反対に、「自分の気持ちを分かってもらえてうれしい」との経験を数多く持つことができれば、人の気持ちを理解しようという思いも強くなっていくはずです。

 ある日の休み時間、私は、Aくんが友だちと一つのボールをゆずり合って遊ぶ姿すがたを目にしました。ささいなことかもしれません。しかしそこに私は、彼の確かな成長を見て取り、なんとも言えない温かさがむねいっぱいに広がったのです。

 Aくんのお母さんが教えてくれました。「息子はね、どんなつらいことがあっても、先生と会うと笑顔になれるんですよ」

 私にとっても、笑顔の思い出をたくさんつくることができたのは、ほかでもない、Aくんのおかげです。
 

香川 山本泰司さん(小学校教諭) 人とのつながりこそ“力”
香川 山本泰司さん(小学校教諭) 人とのつながりこそ“ちから

 私は東京で6年間、小学校の教員を務めた際、障がいのある児童と関わりました。通常学級と特別支援学級の子が互いに尊重し合える教育をしたいと思うようになり、働きながら勉強を重ねて特別支援学校の教員免許を取得したのです。

 地元・香川に帰郷後、小学校の特別支援学級の担任に。そこで出会った2年生のYくんは、手足に障がいがありました。

 特別支援教育は、その子の特性に合った関わりをすることに加え、保護者との協力関係が欠かせません。私はYくんの保護者と面談を重ね、学校に対する要望を率直に伺いました。

 親御さんが望んでいたのは、Yくんのコミュニケーション力を養うために、「本人にできることは積極的に挑戦させたい」ということ。Yくんとの関わりを通し、ほかの児童にも障がいへの理解を深めてほしいということでした。

 Yくんは、軽い言語障がいもあり、発話が少し苦手ですが、書くことについては発達の遅れは見られません。私はYくんに文章で自分の思いを表現する力を磨いてほしいと思い、本人やご家族の了承を得て、宿題として簡単な日記を書いてもらうことにしました。その内容がとてもユーモアに富んでいて、面白いのです。私はYくんに日記を他の人にも読んでもらうのはどうかと提案したところ、快諾してくれました。

 私は東京で6年間、小学校の教員を務めた際、障がいのある児童と関わりました。通常学級と特別支援学級の子がたがいにそんちょうし合える教育をしたいと思うようになり、働きながら勉強を重ねて特別支援学校の教員めんきょを取得したのです。

 地元・香川にきょう後、小学校の特別支援学級のたんにんに。そこで出会った2年生のYくんは、手足に障がいがありました。

 特別支援教育は、その子の特性に合った関わりをすることに加え、保護者との協力関係が欠かせません。私はYくんの保護者と面談を重ね、学校に対する要望を率直にうかがいました。

 おやさんが望んでいたのは、Yくんのコミュニケーション力を養うために、「本人にできることは積極的にちょうせんさせたい」ということ。Yくんとの関わりを通し、ほかの児童にも障がいへの理解を深めてほしいということでした。

 Yくんは、軽い言語障がいもあり、発話が少し苦手ですが、書くことについては発達のおくれは見られません。私はYくんに文章で自分の思いを表現するちからみがいてほしいと思い、本人やご家族のりょうしょうを得て、宿題としてかんたんな日記を書いてもらうことにしました。その内容がとてもユーモアに富んでいて、面白いのです。私はYくんに日記を他の人にも読んでもらうのはどうかと提案したところ、かいだくしてくれました。

山本さんの授業中の一こま
山本さんの授業中の一こま
山本さんの授業中の一こま

 授業の一環として始めたのが「日記帳を携えた歩行練習」です。Yくんが歩行器を使って校内の先生方を訪ね、自分の日記を読んでもらい、感想をもらうという取り組みです。

 Yくんは、どちらかといえば歩行練習が苦手でした。しかし、日記を読んだ先生に「面白いね!」と言ってもらえる喜びや、さまざまな人と話すことの楽しさを感じて、歩行練習への意欲も高まっていったのです。

 また、休み時間に、Yくんが所属する特別支援学級の教室に通常学級の子たちを招き、一緒に遊んでもらうよう呼び掛けました。子どもたちは、Yくんの得意なこと、苦手なこと、何より彼の人柄に触れる中で、障がいへの理解を深めていきました。ある子は自ら進んで、掃除の時間にYくんと一緒に清掃に取り組むようにもなりました。Yくんの周りは、いつも、たくさんの笑顔であふれるようになったのです。

 池田先生の言葉に「子ども自身が『自分の人生を切り開く力』を養うとともに、『人とのつながり』『心の結びつき』を大事にできる感性を育んでいくことが、不可欠であります」と。人間にとっての幸せとは何か。Yくんがその答えを教えてくれたと思います。
 

 授業のいっかんとして始めたのが「日記帳をたずさえた歩行練習」です。Yくんが歩行器を使って校内の先生方をたずね、自分の日記を読んでもらい、感想をもらうという取り組みです。

 Yくんは、どちらかといえば歩行練習が苦手でした。しかし、日記を読んだ先生に「面白いね!」と言ってもらえる喜びや、さまざまな人と話すことの楽しさを感じて、歩行練習へのよくも高まっていったのです。

 また、休み時間に、Yくんが所属する特別支援学級の教室に通常学級の子たちを招き、いっしょに遊んでもらうようけました。子どもたちは、Yくんの得意なこと、苦手なこと、何よりかれひとがられる中で、障がいへの理解を深めていきました。ある子は自ら進んで、そうの時間にYくんといっしょせいそうに取り組むようにもなりました。Yくんの周りは、いつも、たくさんの笑顔であふれるようになったのです。

 池田先生の言葉に「子ども自身が『自分の人生を切り開く力』を養うとともに、『人とのつながり』『心の結びつき』を大事にできる感性を育んでいくことが、不可欠であります」と。人間にとっての幸せとは何か。Yくんがその答えを教えてくれたと思います。
 

茨城 江幡友子さん(高校教諭) 学ぶ楽しさを共に見つけ
茨城 江幡友子さん(高校教諭) 学ぶ楽しさを共に見つけ

 私の勤務先は水産海洋系の高校で、生徒たちは主に航海や漁業の技術・知識を学びます。私の担当は初任時から今日まで「食品科」。水産食品の製品作りや販売・流通に関して教えています。

 私が高校1年の担任に就いた時のことです。クラスにTさんという生徒がいました。彼女は友達からの人望はあるものの、教員には反抗的で、授業を抜け出すことも、しばしば。具体的な目標や夢を持って入学したわけではなく、「学校に来る意味が分からない」というのです。

 やがて高校を辞める意思を固めた彼女は、学校にも来なくなりました。

 どうしたものか……。悩んだ私は、池田先生の書籍を開きました。そして“子どもの心を動かすのは、こちらの真剣で必死な「心」です”との言葉に触れたのです。

 反省しました。“自分はTさんの悩みに対して、どこまで真剣に向き合ってきただろうか”と。そして祈りました。“彼女の心が分かる自分にさせてください”と。時間をこじ開けるようにして彼女の自宅を訪ね、声に耳を傾け、手紙を送り続けました。

 そして3学期が終わろうとしていたある日、彼女は「学校を辞めてもやりたいことがあるわけじゃない。これからどうすればいいか分からない」と、胸の内を打ち明けてくれたのです。

 私のきんさきは水産海洋系の高校で、生徒たちは主に航海や漁業の技術・知識を学びます。私のたんとうは初任時から今日まで「食品科」。水産食品の製品作りやはんばい・流通に関して教えています。

 私が高校1年のたんにんいた時のことです。クラスにTさんという生徒がいました。彼女は友達からの人望はあるものの、教員にははんこうてきで、授業をすことも、しばしば。具体的な目標や夢を持って入学したわけではなく、「学校に来る意味が分からない」というのです。

 やがて高校を辞める意思を固めた彼女は、学校にも来なくなりました。

 どうしたものか……。なやんだ私は、池田先生のしょせきを開きました。そして“子どもの心を動かすのは、こちらのしんけんで必死な「心」です”との言葉にれたのです。

 反省しました。“自分はTさんのなやみに対して、どこまでしんけんに向き合ってきただろうか”と。そして祈りました。“彼女の心が分かる自分にさせてください”と。時間をこじ開けるようにして彼女のたくたずね、声にみみかたむけ、手紙を送り続けました。

 そして3学期が終わろうとしていたある日、彼女は「学校を辞めてもやりたいことがあるわけじゃない。これからどうすればいいか分からない」と、胸の内を打ち明けてくれたのです。

生徒に実験内容を説明する江幡さん
生徒に実験内容を説明する江幡さん
生徒に実験内容を説明する江幡さん

 私は込み上げるものを抑えながら、Tさんと一緒に「学ぶ楽しさ」を見つけ、卒業の日を共に迎えたいという思いを、精いっぱい伝えました。彼女は目に涙を浮かべながら、「私のことをこんなに思ってくれる江幡先生が担任でよかった」と話してくれたのです。

 進級したTさんと共に、新たな挑戦が始まりました。もともと手先が器用なTさんは、包丁の使い方を教えると、すぐに理解してくれます。私は彼女にカツオの解体といった難しい作業に挑戦させるなど、「活躍の場」をつくりました。

 手応えを感じたのでしょうか。彼女は授業でも積極的に発言したり、勉強が苦手な子に教えたりするようになりました。企業実習にも、はつらつと取り組んでくれました。彼女が「先生! 食品科の勉強って楽しいね」と言ってくれた時の感動は忘れられません。

 Tさんは学びを生かせる職場を目指し、第1希望の食品系企業から内定を獲得。笑顔の卒業式を迎えることができました。

 どんな状況にあっても、「学ぶ楽しさ」を感じられた時、子どもは見違えるように成長していく。教育者として絶対に忘れてはならないことを、Tさんは、私に教えてくれたのです。


〈SDGs特集〉山本良一東京大学名誉教授に聞く  2020年3月30日

2020年03月30日 | 妙法

〈SDGs特集〉山本良一東京大学名誉教授に聞く  2020年3月30日

 近年、世界各地で頻発している自然災害。要因の一つとされるのが「気候変動」だ。その影響を受けない地域はなく、国連のSDGs(持続可能な開発目標)でも、具体的な対策が呼び掛けられている。池田大作先生は1月に発表した「SGIの日」記念提言で、気候変動は“人類の命運を握る根本課題”であると述べ、打開に向けた取り組みを提唱している。ここでは、東京大学の山本良一名誉教授に話を聞いた。(聞き手=南秀一)

 近年、世界各地でひんぱつしている自然災害。要因の一つとされるのが「気候変動」だ。そのえいきょうを受けない地域はなく、国連のSエスDディーGジーsぞくのうな開発目標)でも、具体的なたいさくけられている。池田大作先生は1月に発表した「SGIの日」記念提言で、気候変動は“人類のめいうんにぎる根本課題”であると述べ、打開に向けた取り組みを提唱している。ここでは、東京大学の山本良一名誉教授に話を聞いた。(聞き手=南秀一)

【プロフィル】1946年生まれ。工学博士。東京大学先端科学技術研究センター教授、同国際・産学共同研究センター長などを歴任。日本エシカル推進協議会の名誉会長も務める。『気候危機』(岩波ブックレット)など著書多数。
【プロフィル】1946年生まれ。工学博士。東京大学先端科学技術研究センター教授、同国際・産学共同研究センター長などを歴任。日本エシカル推進協議会の名誉会長も務める。『気候危機』(岩波ブックレット)など著書多数。
【プロフィル】1946年生まれ。工学博士。東京大学先端科学技術研究センター教授、同国際・産学共同研究センター長などを歴任。日本エシカル推進協議会の名誉会長も務める。『気候危機』(岩波ブックレット)など著書多数。

 ――気候変動がもたらす深刻な影響が叫ばれています。
 昨年11月、地球環境は“もう戻れないところ”に来てしまった可能性があるという論文が、世界的な科学誌「ネイチャー」に掲載されました。地球という大きなシステムを構成しているいくつかの部分が、後戻りできない転換点(ティッピングポイント)に近づいており、あと10~20年のうちに地球は制御できない状況になるかもしれないと。
 例えば、北極海の夏季の海氷面積は約40年で3分の2程度に減少しており、グリーンランドの氷床も30年前に比べ7倍の速度で溶けています。それらの結果、海面上昇による浸水や、大西洋の海水の循環速度が鈍化することによる干ばつなど、さまざまな現象が、止められない“ドミノ倒し”のように起こると指摘されています。
 温暖化による被害は未来の話ではなく、すでに起きているのです。昨年は熱波や豪雨、干ばつなど、世界各地で異常気象がみられました。他方で今、大雨の影響によって東アフリカで数千億匹ともいわれるバッタが発生し、中東を渡ってインドや中国にまで迫っている。これは“来るべきものが来た”と考えざるを得ないわけです。
  

 ――気候変動がもたらすしんこくえいきょうさけばれています。
 昨年11月、地球かんきょうは“もうもどれないところ”に来てしまった可能性があるというろんぶんが、世界的な科学誌「ネイチャー」にけいさいされました。地球という大きなシステムを構成しているいくつかの部分が、あともどりできないてんかんてん(ティッピングポイント)に近づいており、あと10~20年のうちに地球はせいぎょできないじょうきょうになるかもしれないと。
 たとえば、北極海の夏季の海氷面積は約40年で3分の2程度にげんしょうしており、グリーンランドのひょうしょうも30年前にくらべ7倍の速度でけています。それらの結果、海面じょうしょうによるしんすいや、大西洋の海水のじゅんかん速度がどんすることによるかんばつなど、さまざまな現象が、止められない“ドミノ倒し”のように起こるとてきされています。
 おんだんによるがいは未来の話ではなく、すでに起きているのです。昨年はねっごう、干ばつなど、世界各地でじょうしょうがみられました。他方で今、大雨の影響によって東アフリカで数千億匹ともいわれるバッタが発生し、中東をわたってインドや中国にまでせまっている。これは“来るべきものが来た”と考えざるを得ないわけです。
  

 ――山本名誉教授は「気候非常事態」を宣言し、行動を起こしていくよう呼び掛けられています。
 
 政府が枠組みを作るだけでは、人々の行動を喚起するには至りません。一方、個々人が電力を再生可能エネルギー由来のものに替えたり、省エネの家電製品を購入することも非常に重要ですが、現状を踏まえるとそれだけでは不十分です。だからこそ、気候非常事態を宣言することを通して、社会全体で運動を起こすことが必要なのです。
 
 産業革命発祥の地であるイギリスでは、世界に先駆けて議会が昨年5月に気候非常事態を宣言し、これまでに450を超える自治体も宣言を行っています。さらに100を超える自治体が、温暖化の原因となる炭素の排出量を2030年までに実質ゼロにするとうたっている。そうした流れを、日本でも起こしていきたいと思っています。
  
 ――地球温暖化に対しては懐疑的な意見も根強くあります。
 
 もとより科学は常に反証可能な相対的真理であり、特に環境科学は、どこまでいっても“仮説”の積み重ねです。ただ、人間の活動により排出される温室効果ガスが地球温暖化をもたらしているとする仮説には、膨大な証拠があります。さらに、議論の決着を待ってからでは手遅れになる危険性もある。
 
 また、地球温暖化のような非常に幅広い分野にまたがる問題は、一人の人間が全てについて見識をもつのは不可能です。ですから、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)など、専門家集団による共通見解を尊重していくべきだと思います。

 ――山本名誉教授は「気候非常事態」をせんげんし、行動を起こしていくようけられています。
 
 政府がわくみを作るだけでは、人々の行動をかんするにはいたりません。一方、個々人が電力を再生可能エネルギーらいのものにえたり、しょうエネの家電製品をこうにゅうすることも非常に重要ですが、現状をまえるとそれだけでは不十分です。だからこそ、気候非常事態を宣言することを通して、社会全体で運動を起こすことが必要なのです。
 
 産業革命はっしょうの地であるイギリスでは、世界にさきけて議会が昨年5月に気候非常事態を宣言し、これまでに450をえる自治体も宣言をおこなっています。さらに100を超える自治体が、温暖化の原因となる炭素のはいしゅつりょうを2030年までに実質ゼロにするとうたっている。そうした流れを、日本でも起こしていきたいと思っています。
  
 ――地球温暖化に対してはかいてきな意見も根強くあります。
 
 もとより科学は常にはんしょう可能な相対的真理であり、特にかんきょう科学は、どこまでいっても“仮説”の積み重ねです。ただ、人間の活動により排出される温室効果ガスが地球温暖化をもたらしているとする仮説には、ぼうだいしょうがあります。さらに、ろんの決着を待ってからではおくれになるけんせいもある。
 
 また、地球温暖化のような非常にはばひろい分野にまたがる問題は、一人の人間がすべてについて見識をもつのは不可能です。ですから、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)など、専門家集団による共通見解をそんちょうしていくべきだと思います。

増える人口 CO2削減 人類の壮大な取り組み
増える人口 CO2さくげん 人類の壮大な取り組み

 ――SDGsの目標13でも、気候変動への具体的な対策を取ることがうたわれています。
 
 「持続可能な開発」という考え方自体は、30年以上前に提唱されました。当時は特に、世代間と世代内の公平性に焦点が当てられており、その意味で「人間」の存在が前提とされていた。しかしこの30年余りの最大の教訓は、そもそも人類の生存を保証する地球の生命圏が破壊されれば、経済も社会も、人間存在もないということです。
 
 土地や海洋、生物多様性といった人類の繁栄を支える“地球の生命維持システム”を保全しつつ、今を生きる世代の欲求を満足させる開発が求められており、SDGsには、そうした考えが反映されています。また、イギリスの経済学者ケイト・ラワースが提唱している「ドーナツ経済」という考え方も注目を集めています。
 
 過剰な環境負荷を減らして、格差や不平等といった社会の不足をなくす。すなわち、地球の健全性と社会の健全性の双方を維持することなくして人間活動はないのです。

 ――SDGsの目標13でも、気候変動への具体的な対策を取ることがうたわれています。
 
 「ぞくのうな開発」という考え方自体は、30年以上前にていしょうされました。当時は特に、世代間と世代内の公平性にしょうてんが当てられており、その意味で「人間」の存在が前提とされていた。しかしこの30年余りの最大の教訓は、そもそも人類のせいぞんしょうする地球の生命圏がかいされれば、けいざいも社会も、人間存在もないということです。
 
 土地や海洋、生物ようせいといった人類のはんえいを支える“地球の生命システム”をぜんしつつ、今を生きる世代のよっきゅうを満足させる開発が求められており、SDGsには、そうした考えがはんえいされています。また、イギリスの経済学者ケイト・ラワースが提唱している「ドーナツ経済」という考え方もちゅうもくを集めています。
 
 じょうな環境を減らして、格差や不平等といった社会の不足をなくす。すなわち、地球の健全性と社会の健全性のそうほうすることなくして人間活動はないのです。

2000年前、不条理を超えるため宗教・哲学が誕生
2000年前、不条理を超えるため宗教・哲学が誕生

 ――昨年のCOP25(気候変動枠組条約第25回締約国会議)で国連のグテーレス事務総長は、「変化を望むなら、私たち自身が変わらなければなりません」と語りました。
 
 21世紀に入り、人間、情報、資源などの移動は全地球に及んでおり、消費するエネルギー資源、食料も膨大です。地球温暖化を止めるには、世界人口が一日に約20~30万人増える中で温室効果ガスの排出をゼロにしなくてはいけないわけで、これは人類始まって以来の壮大な挑戦であるといっていいでしょう。
 
 私は“第2次精神革命”が求められていると思います。第1次の精神革命は、およそ2000年ほど前にありました。
 
 農業革命が起き、都市国家が形成される過程で貧富の格差が生まれ、権力関係ができていく。その結果生じた不条理を解決するために、宗教や哲学が生まれてきたわけですが、今はそれに続く人間精神の革命が必要になっている。
 
 文字通り、皆が「宇宙船地球号」に乗っているという自覚であり、地球ほど生物多様性が豊かで文明が栄えている星など、科学的にも宗教的にも完全な恩恵としかいいようがない。その“かけがえのなさ”の自覚に立つことが求められていると思います。

 ――昨年のCOP25(気候変動わくぐみ条約第25回ていやくこく会議)で国連のグテーレス事務総長は、「変化をのぞむなら、私たち自身が変わらなければなりません」と語りました。
 
 21世紀に入り、人間、情報、げんなどの移動は全地球におよんでおり、消費するエネルギー資源、食料もぼうだいです。地球温暖化を止めるには、世界人口が一日に約20~30万人増える中で温室効果ガスの排出をゼロにしなくてはいけないわけで、これは人類始まって以来のそうだいちょうせんであるといっていいでしょう。
 
 私は“第2次精神革命”が求められていると思います。第1次の精神革命は、およそ2000年ほど前にありました。
 
 農業革命が起き、都市国家が形成される過程でひんの格差が生まれ、けんりょく関係ができていく。その結果生じたじょうを解決するために、しゅうきょうてつがくが生まれてきたわけですが、今はそれに続く人間精神の革命が必要になっている。
 
 文字通り、みなが「宇宙船地球号」に乗っているというかくであり、地球ほど生物多様性が豊かで文明がさかえている星など、科学的にも宗教的にも完全なおんけいとしかいいようがない。その“かけがえのなさ”の自覚に立つことが求められていると思います。

世界の運命を決する10年 今こそ“第2次精神革命”を
世界の運命を決する10年 今こそ“第2次精神革命”を

 ――SDGsで2030年までの取り組みが焦点となる中、創価学会青年部としても気候変動対策の運動を進めていきます。
 
 私は、この10年で人類の運命が決まると思っています。その重要な鍵を握るのは、青年と科学、そして宗教でしょう。今、気候変動対策の行動を求めて若者が世界中で立ち上がっています。グレタ・トゥーンベリさんは“科学的根拠に基づいて政策を決めてほしい”と訴えている。若者の真摯な声に耳を傾けなければなりません。
 
 私の専門は宗教学ではありませんが、日本で広く信仰されている仏教には「草木成仏」――つまり、草や木にも仏性をみる捉え方がありますよね。これは非常に貴重な概念であり、感受性だと思う。先ほどの“地球の生命圏が大事である”という視座に連なる思想です。
 
 一方、キリスト教には、スチュワードシップ(管理保護責任)の思想があります。人類は神から委任統治を受けており、よりよく保全する義務があるというわけです。
 
 こうした理念が相補う中で、第2次精神革命を成し遂げる下地が生まれてくるのではないでしょうか。

 ――SDGsで2030年までの取り組みが焦点となる中、創価学会青年部としても気候変動対策の運動を進めていきます。
 
 私は、この10年で人類の運命が決まると思っています。その重要なかぎにぎるのは、青年と科学、そして宗教でしょう。今、気候変動対策の行動を求めて若者が世界中で立ち上がっています。グレタ・トゥーンベリさんは“科学的こんきょもとづいてせいさくを決めてほしい”とうったえている。若者のしんな声にみみかたむけなければなりません。
 
 私のせんもんは宗教学ではありませんが、日本で広くしんこうされている仏教には「そうもく成仏」――つまり、草や木にも仏性をみるとらえ方がありますよね。これは非常にちょうがいねんであり、感受性だと思う。先ほどの“地球の生命圏が大事である”というに連なる思想です。
 
 一方、キリスト教には、スチュワードシップ(管理保護責任)の思想があります。人類は神からにんとうを受けており、よりよく保全する義務があるというわけです。
 
 こうした理念があいおぎなう中で、第2次精神革命を成しげる下地が生まれてくるのではないでしょうか。

昨年9月、各国首脳による気候行動サミットに先駆けて、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催されたユース気候サミット。スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんら各国の青年と共に、SGIの代表も参加した
昨年9月、各国首脳による気候行動サミットに先駆けて、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催されたユース気候サミット。スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんら各国の青年と共に、SGIの代表も参加した
昨年9月、各国首脳による気候行動サミットに先駆けて、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催されたユース気候サミット。スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんら各国の青年と共に、SGIの代表も参加した
包括的な視野と洞察に満ちた池田会長の提言
包括的な視野とどうさつに満ちた池田会長の提言

 ――本年のSGI提言で池田先生は気候変動問題に触れ、数値目標の追求だけでなく、問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながら意欲的な行動を啓発し合っていくことが大切であると指摘しました。
 
 池田先生の提言を拝見して、非常に包括的な内容に感銘を受けました。気候変動問題を考えるためには、気候変動のことだけを考えるのではなく、地球の限界と社会的な基盤の充実を考慮に入れながら、持続可能な社会を目指す総合的な視野が必要です。その点、提言は深い洞察にあふれていました。
 
 提言で紹介されていた、「気候変動と防災」に関するテーマに焦点を当てた国連の会合を日本で開催するという提案も、非常に示唆的です。
 
 日本は人口減少の時代に入っており、地方創生やレジリエンス(困難を乗り越える力)の強化、気候変動対策など、さまざまな課題が山積しています。だからこそ逆に、この状況を事態転換の絶好のチャンスと捉え、大きな構想をもって行動を起こしていかねばならないと思います。

 ――本年のSGI提言で池田先生は気候変動問題にれ、すう目標の追求だけでなく、問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながらよくてきな行動をけいはつし合っていくことが大切であるとてきしました。
 
 池田先生の提言を拝見して、非常にほうかつてきな内容にかんめいを受けました。気候変動問題を考えるためには、気候変動のことだけを考えるのではなく、地球の限界と社会的なばんじゅうじつこうりょに入れながら、持続可能な社会を目指す総合的なが必要です。その点、提言は深いどうさつにあふれていました。
 
 提言でしょうかいされていた、「気候変動と防災」に関するテーマにしょうてんを当てた国連の会合を日本で開催するという提案も、非常にてきです。
 
 日本は人口減少の時代に入っており、地方そうせいやレジリエンス(困難を乗り越えるちから)の強化、気候変動対策など、さまざまな課題がさんせきしています。だからこそ逆に、この状況を事態転換の絶好のチャンスととらえ、大きな構想をもって行動を起こしていかねばならないと思います。

熱波に襲われたフランス(昨年7月)※AFP=時事
熱波に襲われたフランス(昨年7月)※AFP=時事
熱波に襲われたフランス(昨年7月)※AFP=時事
ハリケーン「ドリアン」の被害を受けた中米のバハマ(昨年9月)※AFP=時事
ハリケーン「ドリアン」の被害を受けた中米のバハマ(昨年9月)※AFP=時事
ハリケーン「ドリアン」の被害を受けた中米のバハマ(昨年9月)※AFP=時事
日本の約3分の1に相当する面積が焼失したとされるオーストラリアの火災(本年1月)※AFP=時事
日本の約3分の1に相当する面積が焼失したとされるオーストラリアの火災(本年1月)※AFP=時事
日本の約3分の1に相当する面積が焼失したとされるオーストラリアの火災(本年1月)※AFP=時事
東アフリカで大量発生したバッタ(本年1月、ケニア)※EPA=時事
東アフリカで大量発生したバッタ(本年1月、ケニア)※EPA=時事
東アフリカで大量発生したバッタ(本年1月、ケニア)※EPA=時事
SDGsとは?――2030年へ 国連が掲げる17目標
SDGsとは?――2030年へ 国連がかかげる17目標

 SDGs(持続可能な開発目標)とは2015年9月に国連で採択された国際目標のこと。貧困や気候変動、防災・減災など、世界の諸課題を解決し、持続可能な社会を築くために策定された。17の目標と、169のターゲットからなる。
 
 このうち、目標13は「気候変動に具体的な対策を」。
 池田先生は1月に発表した「SGIの日」記念提言の中で、先進国か途上国かを問わず広範囲に影響が及ぶ気候変動の諸相に触れつつ、その解決と、あるべき世界の建設に向かって、意欲的な行動を共に起こすことが肝要であると強調。さらに、SDGsの達成期限である2030年へ、国連の「行動の10年」の一環として国連と市民社会が連携した“気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年”ともいうべき活動を展開してはどうかと提起している。


「師弟」は無限の向上の道 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」  2020年3月29日

2020年03月29日 | 妙法

「師弟」は無限の向上の道 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」  2020年3月29日

 【写真の説明】爽やかな青空のもと、桜花が爛漫と咲き誇っていた――。今月24日、東京・信濃町の総本部にほど近い神宮外苑で、池田大作先生が車中から撮影した。
 間もなく、第2代会長・戸田城聖先生の祥月命日である「4月2日」を迎える。戸田先生は桜を、こよなく愛した。自らの人生の終幕を「桜の花の咲くころに」と望んだ。その言葉通り、願業だった75万世帯の弘教を果たし、不二の愛弟子に一切を託して、尊き58年の生涯を閉じた。
 池田先生は戸田先生亡き後、5月3日を目前にし、日記に書き記した。「戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために」
 巡り来る「4・2」。師弟の精神を胸に、悔いなき日々を送ろう。
 

 【写真の説明】さわやかな青空のもと、桜花がらんまんほこっていた――。今月24日、東京・信濃町の総本部にほど近いじんぐうがいえんで、池田大作先生が車中からさつえいした。
 間もなく、第2代会長・戸田城聖先生のしょうつきめいにちである「4月2日」をむかえる。戸田先生は桜を、こよなく愛した。みずからの人生のしゅうまくを「桜の花の咲くころに」とのぞんだ。その言葉通り、願業だった75万世帯のきょうたし、まないっさいたくして、とうとき58年のしょうがいじた。
 池田先生は戸田先生き後、5月3日を目前にし、日記に書き記した。「戦おう。師のだいさを、世界に証明するために」
 めぐる「4・2」。師弟の精神を胸に、いなき日々を送ろう。
 

池田先生の言葉
池田先生の言葉

 いかなる分野であれ、
 一流の人には、
 何らかの形で、
 その人の規範となった
 師匠がいるものである。
 必ず弟子としての軌道を
 歩み抜いているものだ。
 師弟とは、
 最高に麗しい
 心の世界であり、
 崇高な精神の絆なのだ。
  
 師弟の道こそ、
 自らの人生を
 無限に高めていく
 向上の道である。
 なかんずく、
 広宣流布の大願に生きゆく
 仏法の師弟ほど、
 深く尊い絆はない。
 この仏法の師弟という
 最上の
 人間の道を教えるのが、
 創価学会なのである。
  
 人生の万般において、
 慢心は向上を止める。
 油断は大敵だ。
 個人も団体も、
 傲りから衰退が始まる。
 これは歴史の教訓だ。
 師弟とは、
 永遠に増上慢の命を
 打ち破って前進し、
 勝利する力である。
  
 揺るぎなき
 「心の師」をもつことが
 大切である。
 私の心には、
 常に戸田先生がおられる。
 今でも、
 毎日、対話している。
 先生なら、どうされるか、
 どうすれば、先生に
 喜んでいただけるか――。
 心に、
 この原点があるから
 何も迷わない。
 何も怖くない。
  
 師の師子吼のままに、
 弟子の私は行動し、
 一年また一年、
 勝利の証しをもって、
 恩師の命日を
 荘厳してきた。
 「4・2」から
 「5・3」へ――
 それは、弟子の勝利を
 師に捧げる時である。
 そして、新たな大勝利を、
 師に誓って
 出発する時なのである。


小説「新・人間革命」学習のために 第3巻 マイ・ヒューマン・レボリューション―

2020年03月27日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第3巻 マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第3巻 2020年3月27日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第3巻を掲載する。次回の第4巻は4月3日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激(げき)励(れい)・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第3巻を掲(けい)載(さい)する。次回の第4巻は4月3日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

仏法との出あいは千載一遇!
仏法との出あいは千(せん)載(ざい)一(いち)遇(ぐう)!

 <1961年(昭和36年)、山本伸一は、香港の座談会で質問を受け、仏法に出あえたことがいかに類いまれなことであるかを説いていく>
 
 「私たちは今、人間として生まれてきた。しかも、大宇宙の根本法を知り、学会員として、広宣流布のために働くことができる。これは大変なことです。
 たとえば、森に足を踏み入れると、その足の下には、数万から数十万の、ダニなどの小さな生物がいるといわれています。
 さらに、細菌まで含め、全地球上の生命の数を合わせれば、気の遠くなるような数字になります。
 そのなかで、人間として生まれ、信心することができた。それは、何回も宝くじの一等が当たることより、遥かに難しいはずです。
 まさに、大福運、大使命のゆえに、幸いにも、一生成仏の最高のチャンスに巡りあったのです。
 ところが、宝くじで一回でも一等が当たれば大喜びするのに、人間と生まれて信心ができたすばらしさがなかなかわからないで、退転していく人もいます。残念極まりないことです。
 私たちにとっては、この生涯が、一生成仏の千載一遇のチャンスなのです。どうか、この最高の機会を、決して無駄にしないでいただきたい。
 永遠の生命といっても、いっさいは『今』にあります。過去も未来も『今』に収まっている。ゆえに、この一瞬を、今日一日を、この生涯を、感謝と歓喜をもって、広宣流布のために、力の限り生き抜いていってください」
 (「仏法西還」の章、69~70ページ)

 <1961年(昭和36年)、山本伸一は、香(ホン)港(コン)の座談会で質問を受け、仏法に出あえたことがいかに類(たぐ)いまれなことであるかを説いていく>
 
 「私たちは今、人間として生まれてきた。しかも、大(だい)宇(う)宙(ちゅう)の根本法を知り、学会員として、広宣流布のために働くことができる。これは大変なことです。
 たとえば、森に足を踏(ふ)み入れると、その足の下には、数万から数十万の、ダニなどの小さな生物がいるといわれています。
 さらに、細(さい)菌(きん)まで含(ふく)め、全地球上の生命の数を合わせれば、気の遠くなるような数字になります。
 そのなかで、人間として生まれ、信心することができた。それは、何回も宝(たから)くじの一等が当たることより、遥(はる)かに難(むずか)しいはずです。
 まさに、大福運、大使命のゆえに、幸いにも、一生成仏の最高のチャンスに巡(めぐ)りあったのです。
 ところが、宝くじで一回でも一等が当たれば大喜びするのに、人間と生まれて信心ができたすばらしさがなかなかわからないで、退転していく人もいます。残念極(きわ)まりないことです。
 私たちにとっては、この生(しょう)涯(がい)が、一生成仏の千(せん)載(ざい)一(いち)遇(ぐう)のチャンスなのです。どうか、この最高の機会を、決して無(む)駄(だ)にしないでいただきたい。
 永遠の生命といっても、いっさいは『今』にあります。過去も未来も『今』に収(おさ)まっている。ゆえに、この一(いっ)瞬(しゅん)を、今日一日を、この生涯を、感謝と歓(かん)喜(き)をもって、広宣流布のために、力(ちから)の限り生き抜(ぬ)いていってください」
 (「仏法西(せい)還(かん)」の章、69~70ページ)

広布は宿命からの解放闘争
広布は宿命からの解放闘争

 <インドで伸一は、ガンジーを荼毘に付したラージ・ガートに立ち寄り、「すべての人びとの目から涙をぬぐい去りたい」と行動した、ガンジーの崇高な精神を語る>
 
 「ガンジーは『私の宗教には地理的な境界はない』と語っている。彼のその慈愛は、インドの国境を超えて、世界の宝となった。
 戸田先生も、『地球上から“悲惨”の二字をなくしたい』と言われ、そのために戦われた。先生の慈愛にも国境はない。私は、そこに二人に共通した崇高な精神を感じる。そして、大事なことは、誰がその精神を受け継いで実践し、理想を実現していくかです。
 ガンジーが行った民衆運動は、それまで、だれもやったことのない闘争であった。だから『出来るわけがない』『不可能だ』との批判も少なくなかった。それも当然かもしれない。
 しかし、彼は厳然と言い切っている。『歴史上、いまだ起こったことがないから不可能だというのは、人間の尊厳に対する不信の表れである』と……。
 断固たる大確信です。どこまでも人間を、民衆を信じ抜いた言葉です。
 そして、ガンジーは、この信念の通り、インドを独立に導き、民衆の勝利の旗を高らかに掲げた。
 広宣流布の遠征も、未曾有の民衆凱歌の戦いだ。まさに非暴力で、宿命の鉄鎖から民衆を解放する戦いであり、魂の自由と独立を勝ち取る闘争です。歴史上、だれもやったことがない。やろうともしなかった。
 その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはずです」
 (「月氏」の章、121~122ページ)

 <インドで伸一は、ガンジーを荼(だ)毘(び)に付(ふ)したラージ・ガートに立ち寄り、「すべての人びとの目から涙をぬぐい去りたい」と行動した、ガンジーの崇(すう)高(こう)な精神を語る>
 
 「ガンジーは『私の宗(しゅう)教(きょう)には地理的な境(きょう)界(かい)はない』と語っている。彼のその慈(じ)愛(あい)は、インドの国境を超(こ)えて、世界の宝(たから)となった。
 戸田先生も、『地球上から“悲(ひ)惨(さん)”の二字をなくしたい』と言われ、そのために戦われた。先生の慈愛にも国境はない。私は、そこに二人に共通した崇高な精神を感じる。そして、大事なことは、誰(だれ)がその精神を受(う)け継(つ)いで実(じっ)践(せん)し、理想を実現していくかです。
 ガンジーが行(おこな)った民(みん)衆(しゅう)運動は、それまで、だれもやったことのない闘(とう)争(そう)であった。だから『出来るわけがない』『不可能だ』との批(ひ)判(はん)も少なくなかった。それも当然かもしれない。
 しかし、彼は厳(げん)然(ぜん)と言い切っている。『歴史上、いまだ起こったことがないから不可能だというのは、人間の尊(そん)厳(げん)に対する不信の表れである』と……。
 断固たる大確信です。どこまでも人間を、民衆を信じ抜(ぬ)いた言葉です。
 そして、ガンジーは、この信念の通り、インドを独立に導(みちび)き、民衆の勝利の旗(はた)を高らかに掲(かか)げた。
 広宣流布の遠(えん)征(せい)も、未(み)曾(ぞ)有(う)の民衆凱(がい)歌(か)の戦いだ。まさに非暴力で、宿命の鉄(てっ)鎖(さ)から民衆を解放する戦いであり、魂(たましい)の自由と独立を勝ち取る闘争です。歴史上、だれもやったことがない。やろうともしなかった。
 その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継(けい)承(しょう)することにもなるはずです」
 (「月(がっ)氏(し)」の章、121~122ページ)

魔と戦い続ける人こそ仏
魔と戦い続ける人こそ仏

 <釈尊は菩提樹の下で「生命の法」を覚知したが、悟った法を説くことをためらう>
 
 彼(=釈尊)は考えた。
 “誰も法を理解できなければ、無駄な努力に終わってしまうだけでなく、人びとは、かえって悪口するかもしれない。さらに、わからぬがゆえに、迫害しようとする人もいるであろう。
 もともと私が出家したのは、何よりも、自身の老・病・死という問題を解決するためであった。
 それに、自分が悟りを得たことは、誰も知らないのだ。ただ、黙ってさえいれば、人から非難されることはない。そうだ。人には語らず、自分の心にとどめ、法悦のなかに、日々を生きていけばよいのだ……”(中略)
 釈尊は布教に突き進むことに、なぜか、逡巡と戸惑いが込み上げてきてならなかった。彼は悩み、迷った。
 魔は、仏陀となった釈尊に対しても、心の間隙を突くようにして競い起こり、さいなみ続けたのである。
 「仏」だからといって、決して、特別な存在になるわけではない。
 悩みもあれば、苦しみもある。病にもかかる。そして、魔の誘惑もあるのだ。
 ゆえに、この魔と間断なく戦い、行動し続ける勇者が「仏」である。反対に、いかなる境涯になっても、精進を忘れれば、一瞬にして信仰は破られてしまうことを知らねばならない。(中略)
 彼は、遂に決断する。
 “私は行こう! 教えを求める者は聞くだろう。汚れ少なき者は、理解するだろう。迷える衆生のなかへ、行こう!”
 釈尊は、そう決めると、新しき生命の力が込み上げてくるのを感じた。
 一人の偉大な師子が、人類のために立ち上がった瞬間であった。
 (「仏陀」の章、184~186ページ)

 <釈尊は菩(ぼ)提(だい)樹(じゅ)の下で「生命の法」を覚(かく)知(ち)したが、悟(さと)った法を説くことをためらう>
 
 彼(=釈尊)は考えた。
 “誰(だれ)も法を理解できなければ、無(む)駄(だ)な努力に終わってしまうだけでなく、人びとは、かえって悪(あっ)口(く)するかもしれない。さらに、わからぬがゆえに、迫(はく)害(がい)しようとする人もいるであろう。
 もともと私が出家したのは、何よりも、自身の老・病・死という問題を解決するためであった。
 それに、自分が悟りを得たことは、誰も知らないのだ。ただ、黙(だま)ってさえいれば、人から非(ひ)難(なん)されることはない。そうだ。人には語らず、自分の心にとどめ、法(ほう)悦(えつ)のなかに、日々を生きていけばよいのだ……”(中略)
 釈尊は布(ふ)教(きょう)に突(つ)き進(すす)むことに、なぜか、逡(しゅん)巡(じゅん)と戸(と)惑(まど)いが込(こ)み上げてきてならなかった。彼は悩(なや)み、迷った。
 魔(ま)は、仏(ぶっ)陀(だ)となった釈尊に対しても、心の間(かん)隙(げき)を突(つ)くようにして競(きそ)い起(お)こり、さいなみ続けたのである。
 「仏」だからといって、決して、特別な存(そん)在(ざい)になるわけではない。
 悩みもあれば、苦しみもある。病にもかかる。そして、魔の誘(ゆう)惑(わく)もあるのだ。
 ゆえに、この魔と間(かん)断(だん)なく戦い、行動し続ける勇者が「仏」である。反対に、いかなる境(きょう)涯(がい)になっても、精進を忘(わす)れれば、一(いっ)瞬(しゅん)にして信(しん)仰(こう)は破られてしまうことを知らねばならない。(中略)
 彼は、遂(つい)に決断する。
 “私は行こう! 教えを求める者は聞くだろう。汚(けが)れ少なき者は、理解するだろう。迷える衆(しゅ)生(じょう)のなかへ、行こう!”
 釈尊は、そう決めると、新しき生命の力(ちから)が込(こ)み上げてくるのを感じた。
 一人の偉(い)大(だい)な師(し)子(し)が、人類のために立ち上がった瞬(しゅん)間(かん)であった。
 (「仏(ぶっ)陀(だ)」の章、184~186ページ)

未来を開く“一人”の育成を
未来を開く“一人”の育成を

 <初のアジア歴訪の折、伸一は組織建設の要諦を、同行した幹部に示す>
 
 秋月英介が発言した。
 「今回、訪問した地域には、カンボジアを除いて、一応、メンバーがいることは確認されましたが、実際に組織をつくるとなると、かなり難しいのではないかと思います」
 すると、森川が頷きながら言った。
 「そうですね。各国に地区をつくるにしても、地区部長となるべき人物がいません。まだ、あまりにも弱いというのが、私の実感です。任命しても、責任を全うできるかどうか……」
 理事たちは、皆、深刻な顔をして、黙り込んでしまった。
 すると、伸一が、断固とした口調で語り始めた。
 「森川さん、まだ弱いと思ったら、それを強くしていくのが幹部の戦いだよ。ましてや、あなたは、東南アジアの総支部長になるのだから、ただ困っていたのではしょうがない。森川さんは、三十年後には、それぞれの国の広宣流布を、どこまで進めようと思っているのかい」
 「三十年後ですか……」
 森川は答えに窮した。
 「私は、たとえば、この香港には、数万人の同志を誕生させたいと思う。また、香港はもとより、タイやインドにも、今の学会本部以上の会館が建つぐらいにしたいと考えている。そうでなければ、戸田先生が念願された東洋広布など、永遠にできません。時は来ているんです。
 ともあれ、今回、訪問したほとんどの国に、わずかでもメンバーがいたというのは、大変なことです。『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。
 だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです。そのために何が必要かを考えなくてはならない」
 (「平和の光」の章、332~334ページ)

 <初のアジア歴訪の折、伸一は組織建設の要(よう)諦(てい)を、同行した幹部に示す>
 
 秋月英介が発言した。
 「今回、訪(ほう)問(もん)した地域には、カンボジアを除(のぞ)いて、一応、メンバーがいることは確(かく)認(にん)されましたが、実際に組織をつくるとなると、かなり難(むずか)しいのではないかと思います」
 すると、森川が頷(うなず)きながら言った。
 「そうですね。各国に地区をつくるにしても、地区部長となるべき人物がいません。まだ、あまりにも弱いというのが、私の実感です。任命しても、責任を全(まっと)うできるかどうか……」
 理事たちは、皆(みな)、深(しん)刻(こく)な顔をして、黙(だま)り込(こ)んでしまった。
 すると、伸一が、断固とした口(く)調(ちょう)で語り始めた。
 「森川さん、まだ弱いと思ったら、それを強くしていくのが幹部の戦いだよ。ましてや、あなたは、東南アジアの総支部長になるのだから、ただ困(こま)っていたのではしょうがない。森川さんは、三十年後には、それぞれの国の広宣流布を、どこまで進めようと思っているのかい」
 「三十年後ですか……」
 森川は答えに窮(きゅう)した。
 「私は、たとえば、この香(ホン)港(コン)には、数万人の同志を誕(たん)生(じょう)させたいと思う。また、香港はもとより、タイやインドにも、今の学会本部以上の会館が建つぐらいにしたいと考えている。そうでなければ、戸田先生が念願された東洋広布など、永遠にできません。時は来ているんです。
 ともあれ、今回、訪問したほとんどの国に、わずかでもメンバーがいたというのは、大変なことです。『0』には、何を掛(か)けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。
 だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです。そのために何が必要かを考えなくてはならない」
 (「平和の光」の章、332~334ページ)

伸一の平和構想
伸一の平和構想

 「平和の光」の章には、山本伸一が思索を重ねながら、平和実現のための具体的な構想を語るシーンが描かれている。
 長兄が戦死したビルマの地を訪れた伸一は、日本人墓地に立ち、亡き兄も眺めたであろう夕日を仰ぎながら、平和のために一歩踏み出すことを深く決意する。
 続いて伸一たち一行は、ラングーン市内を見学。伸一の胸には、長兄との思い出が次々と浮かんでは消えていく。
 兄のことを思うたびに、彼の胸には、ビルマ戦線に送られた一兵士を描いた竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』の一場面が去来した。
 ――終戦を迎えながら、それを知らずに敗走する日本軍の一隊。この隊は隊長の影響で、よく歌を合唱した。周囲をイギリス軍に包囲された時も、合唱の最中だった。
 日本軍が突撃しようとした時、イギリス軍から、日本軍が歌っていた「埴生の宿」「庭の千草」の英語の歌が聞こえてきた。実は、これらの歌は、イギリスで古くから歌われていた歌であった。
 結局、戦闘は始まらず、日本兵は戦争がすでに終わったことを、そこで知ったのだった――。
 同章では、歌が人間の心と心をつないだこのシーンを通して、「音楽や芸術には、国家の壁はない」(310ページ)とつづられている。
 その後、一行はタイへ。伸一はそこで、アジア平和旅の間、思索を重ねてきた構想を同行の幹部に語る。
 「法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を世界に展開していける人材を育む必要がある。それらをふまえ、東洋の哲学、文化、民族の研究機関を設立していきたい」(315~316ページ)
 「もう一つ構想がある。真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。
 そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか。音楽や舞踊、絵画などには国境はない。
 民族の固有性をもちながら、同時に、普遍的な共感性をもっている。そこで、音楽など、芸術の交流の推進を考えていきたい」(316~317ページ)
 長兄への深い思いは、平和を希求する揺るがない信念となり、伸一の構想は後に「東洋哲学研究所」「民主音楽協会」として結実していったのである。

 「平和の光」の章には、山本伸一が思(し)索(さく)を重ねながら、平和実現のための具体的な構想を語るシーンが描(えが)かれている。
 長兄が戦死したビルマの地を訪(おとず)れた伸一は、日本人墓(ぼ)地(ち)に立ち、亡(な)き兄も眺(なが)めたであろう夕日を仰(あお)ぎながら、平和のために一歩踏(ふ)み出すことを深く決意する。
 続いて伸一たち一行は、ラングーン市内を見学。伸一の胸(むね)には、長兄との思い出が次々と浮(う)かんでは消えていく。
 兄のことを思うたびに、彼の胸には、ビルマ戦線に送られた一兵士を描(えが)いた竹山道雄の小説『ビルマの竪(たて)琴(ごと)』の一場面が去来した。
 ――終戦を迎(むか)えながら、それを知らずに敗走する日本軍の一隊。この隊は隊長の影響で、よく歌を合唱した。周囲をイギリス軍に包囲された時も、合唱の最(さい)中(ちゅう)だった。
 日本軍が突(とつ)撃(げき)しようとした時、イギリス軍から、日本軍が歌っていた「埴(は)生(にゅう)の宿(やど)」「庭(にわ)の千(ち)草(ぐさ)」の英語の歌が聞こえてきた。実は、これらの歌は、イギリスで古くから歌われていた歌であった。
 結局、戦(せん)闘(とう)は始まらず、日本兵は戦争がすでに終わったことを、そこで知ったのだった――。
 同章では、歌が人間の心と心をつないだこのシーンを通して、「音楽や芸術には、国家の壁(かべ)はない」(310ページ)とつづられている。
 その後、一行はタイへ。伸一はそこで、アジア平和旅の間、思索を重ねてきた構想を同行の幹部に語る。
 「法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を世界に展(てん)開(かい)していける人材を育(はぐく)む必要がある。それらをふまえ、東洋の哲(てつ)学(がく)、文化、民族の研究機関を設立していきたい」(315~316ページ)
 「もう一つ構想がある。真実の世界平和の基(き)盤(ばん)となるのは、民族や国家、イデオロギーを超(こ)えた、人間と人間の交流による相(そう)互(ご)理解です。
 そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか。音楽や舞(ぶ)踊(よう)、絵画などには国境はない。
 民族の固有性をもちながら、同時に、普(ふ)遍(へん)的な共感性をもっている。そこで、音楽など、芸術の交流の推(すい)進(しん)を考えていきたい」(316~317ページ)
 長兄への深い思いは、平和を希求する揺(ゆ)るがない信念となり、伸一の構想は後に「東洋哲学研究所」「民主音楽協会」として結実していったのである。

 
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 聖教電子版では「研さんに当たって」、「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第3巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座を閲覧できます。
 
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師とつづる幸福の劇〉小説「新・人間革命」と共に 2020年3月24日

2020年03月24日 | 妙法

師とつづる幸福の劇〉小説「新・人間革命」と共に  2020年3月24日

鳥取 鳥取圏・久松支部 岸本 祐子さん(圏総合婦人部長)
苦難は全て励ます力に
鳥取 鳥取圏・久松支部 岸本 祐子さん(圏総合婦人部長)
苦難は全(すべ)て励ます力(ちから)に

 大切なのは個人指導だよ。座談会に来た人を最大限に励ますのは当然だが、私は、むしろ、来られなかった人のことを考えてしまう。だから私は、よく、そうしたメンバーを励ましに行った。(中略)一人ひとりに光を当てる個人指導が、最も重要な活動になる。(第6巻「遠路」の章、98ページ)

 大切なのは個人指導だよ。座談会に来た人を最大限に励(はげ)ますのは当然だが、私は、むしろ、来られなかった人のことを考えてしまう。だから私は、よく、そうしたメンバーを励ましに行(い)った。(中略)一人ひとりに光を当てる個人指導が、最(もっと)も重要な活動になる。(第6巻「遠路」の章、98ページ)

小説『新・人間革命』を研さんする岸本さん。「同志の顔を思い浮かべながら読み返しています」
小説『新・人間革命』を研さんする岸本さん。「同志の顔を思い浮かべながら読み返しています」
小説『新・人間革命』を研さんする岸本さん。「同志の顔を思い浮かべながら読み返しています」

 鳥取総県婦人部では、圏や本部単位で小説『新・人間革命』を学び合う「さくらカレッジ」を行っています。
 
 わが圏は、若い婦人部の“共感力”を引き出すことに焦点を置いて勉強会を開催。毎回、グループを変えてディスカッションを行い、同世代の奮闘する姿や言葉など、ありのままを共有。メンバーからも「同じ年代の人たちの飾らない声が一番の“励まし”です」と好評です。
 
 訪問の自粛や会合中止の今は、『新・人間革命』を学ぶチャンスと捉え、電話やメール、手紙などで声を掛けながら前進しています。
 
 ◇ 
 
 広島出身の私は病気を患い、大学受験を断念。私大の通信教育部で学んでいた頃、女子部の先輩の激励がきっかけで、信心に励むようになりました。
 
 女子部時代を悔いなく走り、結婚を機に鳥取へ。申し訳ないくらい頻繁に婦人部の先輩方が通ってくれました。
 
 こうした励ましの一つ一つが、今の私を築いています。
 
 信心の転機は1997年(平成9年)のことです。次男(当時3歳)の体重減少が気になり病院へ。精密検査の結果、脳に5センチ大の腫瘍が見つかったのです。
 
 医師から「この子は今、歩けますか。話せますか」と、矢継ぎ早に質問がありましたが、私の頭の中は真っ白でした。
 
 “私が負けてはいけない”――その後、家族や同志の祈りに支えられ、手術は無事に成功。次男は幼稚園に入園できるまでに回復し、皆で喜びをかみ締めていました。
 
 しかし、その生活も長くは続きません。恐れていた再発が分かり、次男は4歳という短い人生を終えました。
 
 絶望の淵に突き落とされた時、上の子は6歳、下はまだ2歳。家事や育児に追われ、休む暇もありませんでした。苦しくて仕方がない時には、常に婦人部の先輩方が寄り添ってくれました。
 
 何よりの励ましは、池田先生の指導でした。次男が亡くなった直後、「荘厳な夕日が、再び、はつらつたる旭日になるように、大いなる『永遠の生命』は、死をも超えて活動し続ける」とのスピーチが掲載。まるで先生が直接、私たち夫婦に教えてくださっているようでした。
 
 その後は“次男の分まで”と、夫婦で広布の最前線を走りました。この『新・人間革命』の一文も常々、心に問い掛けている指導です。今振り返ると、人生における苦難は全て、同じように悩み苦しむ友に対し、寄り添う力となっているように感じます。
 
 これからも、感謝の心を忘れることなく、次代を担う婦人部員と共に、地域に希望のスクラムを広げていきます。

 鳥取総県婦人部では、圏や本部単位で小説『新・人間革命』を学び合う「さくらカレッジ」を行(おこな)っています。
 
 わが圏は、若い婦人部の“共感力”を引き出すことに焦(しょう)点(てん)を置(お)いて勉強会を開催。毎回、グループを変えてディスカッションを行い、同世代の奮(ふん)闘(とう)する姿(すがた)や言葉など、ありのままを共有。メンバーからも「同じ年代の人たちの飾(かざ)らない声が一番の“励まし”です」と好(こう)評(ひょう)です。
 
 訪(ほう)問(もん)の自(じ)粛(しゅく)や会合中止の今は、『新・人間革命』を学ぶチャンスと捉(とら)え、電話やメール、手紙などで声を掛けながら前進しています。
 
 ◇ 
 
 広島出身の私は病気を患(わずら)い、大学受験を断(だん)念(ねん)。私大の通信教育部で学んでいた頃(ころ)、女子部の先輩の激励がきっかけで、信心に励むようになりました。
 
 女子部時代を悔(く)いなく走り、結婚を機に鳥取へ。申し訳ないくらい頻(ひん)繁(ぱん)に婦人部の先輩方が通ってくれました。
 
 こうした励ましの一つ一つが、今の私を築(きず)いています。
 
 信心の転(てん)機(き)は1997年(平成9年)のことです。次男(当時3歳)の体重減少が気になり病院へ。精(せい)密(みつ)検査の結果、脳(のう)に5センチ大の腫(しゅ)瘍(よう)が見つかったのです。
 
 医師から「この子は今、歩けますか。話せますか」と、矢(や)継(つ)ぎ早(ばや)に質問がありましたが、私の頭の中は真っ白でした。
 
 “私が負けてはいけない”――その後、家族や同志の祈りに支(ささ)えられ、手術は無事に成功。次男は幼(よう)稚(ち)園(えん)に入園できるまでに回復し、皆で喜びをかみ締(し)めていました。
 
 しかし、その生活も長くは続きません。恐(おそ)れていた再発が分かり、次男は4歳という短い人生を終えました。
 
 絶(ぜつ)望(ぼう)の淵(ふち)に突き落とされた時、上の子は6歳、下はまだ2歳。家事や育児に追われ、休む暇(ひま)もありませんでした。苦しくて仕方がない時には、常に婦人部の先輩方が寄(よ)り添(そ)ってくれました。
 
 何よりの励ましは、池田先生の指導でした。次男が亡くなった直後、「荘(そう)厳(ごん)な夕日が、再び、はつらつたる旭(きょく)日(じつ)になるように、大いなる『永遠の生命』は、死をも超(こ)えて活動し続ける」とのスピーチが掲(けい)載(さい)。まるで先生が直接、私たち夫婦に教えてくださっているようでした。
 
 その後は“次男の分まで”と、夫婦で広布の最前線を走りました。この『新・人間革命』の一文も常(つね)々(づね)、心に問い掛けている指導です。今振り返ると、人生における苦難は全(すべ)て、同じように悩み苦しむ友に対し、寄り添う力(ちから)となっているように感じます。
 
 これからも、感謝の心を忘れることなく、次代を担う婦人部員と共に、地域に希望のスクラムを広げていきます。

鳥取圏の「さくらカレッジ」資料。信頼するスタッフと共に作成
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