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新・人間革命」学習のために 第30巻〈下〉

2021年08月28日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第30巻〈下〉=完2021年8月28日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。最終回は第30巻〈下〉を掲載する。挿絵は内田健一郎。

悪戦苦闘をつき抜け「決勝点」へ

 <1981年(昭和56年)6月、アメリカを訪れた山本伸一は、詩人・ホイットマンの生家へ。そこには、ホイットマンの数々の遺品が展示されていた>
 
 詩集『草の葉』についてのエマソンの手紙もあった。形式を打破した、この革新的な詩は、当初、不評で、理解者は一握りの人たちにすぎなかった。そのなかでエマソンは、ホイットマンの詩に刮目し、絶讃したのである。
 
 先駆者の征路は、めざすものが革新的であればあるほど、険路であり、孤独である。過去に類例のないものを、人びとが理解するのは、容易ではないからだ。われらのめざす広宣流布も、立正安国も、人類史に例を見ない新しき宗教運動の展開である。一人ひとりに内在する無限の可能性を開く、人間革命を機軸とした、民衆による、民衆自身のための、時代、社会の創造である。ゆえに、それが正しい理解を得るには、長い歳月を要することはいうまでもない。広宣流布の前進は、粘り強く対話を重ね、自らの行動、生き方、人格をもって、仏法を教え示し、着実に共感の輪を広げていく、漸進的な歩みである。しかも、その行路には、無理解ゆえの非難、中傷、迫害、弾圧の、疾風怒濤が待ち受けていることを知らねばならない。
 
 ホイットマンは詠っている。
 
 「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!
 
 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」
 
 伸一にとってホイットマンは、青春時代から最も愛した詩人の一人であり、なかでも『草の葉』は座右の書であった。彼は、同書に収められた、この一節を信越の男子部員に贈り、広布の新しき開拓への出発を呼びかけたことを思い起こした。
 
 悪戦苦闘を経た魂は、金剛の輝きを放つ。
 
 (「暁鐘」の章、18~19ページ)

※ホイットマンの詩は富田砕花訳

功徳の随喜の広がりが広宣流布

 <81年11月、伸一は、四国研修道場で開催された「愛媛の日」を記念する幹部会に出席。法華経に説かれた「随喜」について語った>
 
 「『随喜』とは喜びです。私たちの立場でいえば、南無妙法蓮華経という最高の法を聴いて湧き起こる喜びであり、大歓喜です。
 
 大聖人は、随喜は即信心であり、信心は即随喜であると仰せになっている。
 
 この法によって、あらゆる苦悩を克服し、一生成仏を成し遂げ、自身の最高の幸福境涯を確立していくことができる。さらに、一切衆生を未来永劫にわたって、救済していくことができる――それを確信するならば、妙法に巡り合えたことに、汲めども尽きぬ感謝の思いが、大歓喜が湧き起こるのを禁じ得ないはずです。また、その歓喜と躍動の生命は、既に大幸福境涯といってよい。
 
 そして、随喜すれば、人びとに妙法を語らずにはいられなくなり、おのずから折伏・弘教の実践が始まる。それが、ますます大功徳を積んでいくことになる。この随喜の広がりが広宣流布です。また、弘教は、信心の随喜がもたらす、自然の振る舞いなんです。
 
 随喜は、真剣な唱題と、自ら勇んで広宣流布を担おうとする主体的、能動的な実践のなかで、湧き起こるものであることを、深く心に刻んでいただきたい」
 
 伸一は、創価学会は民衆の歓喜のスクラムであり、学会活動の原動力は一人ひとりの歓喜であることを確認しておきたかった。最後に彼は、「『信心とは随喜である』を合言葉に、共に喜びの大行進を開始していきましょう!」と呼びかけ、あいさつとした。
 
 (「勝ち鬨」の章、79~80ページ)

日蓮仏法の本義に適う宗教改革

 <90年(平成2年)12月、宗門は、創価の師弟を離間する「C作戦」を決行。広布を阻む魔性の姿が明らかになっていく>
 
 同志は、宗門の強権主義、権威主義が露骨になるなかで、大聖人の根本精神を復興させ、人間のための宗教革命を断行して、世界広布へ前進していかねばならないとの自覚を深くしていった。その目覚めた民衆の力が、新しき改革の波となり、大聖人の御精神に立ち返って、これまでの葬儀や戒名等への見直しも始まったのである。
 
 学会では、葬儀についても、大聖人の教えの本義のうえから、その形式や歴史的な経緯を探究し、僧を呼ばない同志葬、友人葬が行われていった。
 
 日蓮大聖人は仰せである。
 「されば過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり」(御書1423ページ)
 
 「故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし」(同1506ページ)
 
 これらの御書は、成仏は、故人の生前の信心、唱題によって決せられることを示されている。僧が出席しない葬儀では、故人は成仏しないなどという考え方は、大聖人の御指導にはないのである。
 
 また、戒名(法名)についても、(中略)大聖人の時代には、死後戒名などなく、後代につくられた慣習を、宗門が受け入れたに過ぎない。戒名は、成仏とは、全く関係のないものだ。
 
 大聖人の仏法は、葬式仏教ではなく、一切衆生が三世にわたって、幸福な人生を生きるための宗教である。各地の学会の墓地公園は、そうした仏法の生命観、死生観のもと、皆、平等で、明るいつくりになっている。 
 (「誓願」の章、318~320ページ)

第二の「七つの鐘」を打ち鳴らせ

 <2001年(同13年)11月、「創価学会創立記念日」を祝賀する本部幹部会が開催。席上、伸一は青年たちに、後継のバトンを託す思いで語った>
 
 「広宣流布の前進にあっても、“本物の弟子”がいるかどうかが問題なんです!」
 
 広宣流布という大偉業は、一代で成し遂げることはできない。師から弟子へ、そのまた弟子へと続く継承があってこそ成就される。(中略)
 
 「私は、戸田先生が『水滸会』の会合の折、こう言われたことが忘れられない。
 
 『中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる』
 
 その『一人』とは誰であったか。誰が戸田先生の教えのごとく、命がけで世界にこの仏法を弘めてきたか――私は“その一人こそ、自分であった”との誇りと自負をもっています。
 
 どうか、青年部の諸君は、峻厳なる『創価の三代の師弟の魂』を、断じて受け継いでいってもらいたい。その人こそ、『最終の勝利者』です。また、それこそが、創価学会が二十一世紀を勝ち抜いていく『根本の道』であり、広宣流布の大誓願を果たす道であり、世界平和創造の大道なんです。
 
 頼んだよ! 男子部、女子部、学生部! そして、世界中の青年の皆さん!」(中略)
 
 会場の後方には、初代会長・牧口常三郎と第二代会長・戸田城聖の肖像画が掲げられていた。二人が、微笑み、頷き、慈眼の光で包みながら、青年たちを、そして、同志を見守ってくれているように、伸一には思えた。
 
 彼は、胸の中で、青年たちに語りかけた。
 
 “さあ、共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 第二の「七つの鐘」を高らかに打ち鳴らしながら、威風堂々と進むのだ”
 
 (「誓願」の章、434~436ページ)

闘魂燃ゆ「紅の歌」
日蓮大聖人が立宗宣言された地・清澄山から望む朝日(2013年、千葉で本社カメラマン撮影)
日蓮大聖人が立宗宣言された地・清澄山から望む朝日(2013年、千葉で本社カメラマン撮影)

 <山本伸一は、1981年(昭和56年)11月、男子部の要請を受け、新愛唱歌「紅の歌」の推敲を重ねる。彼は、曲が入ったカセットテープを聴きながら、歌詞の意味を嚙み締め、心で後継の青年たちに語り掛けた>
 
 「ああ紅の 朝明けて……」
 
 雲を破り、真っ赤な太陽が昇る。刻一刻、空は紅に染まり、新生の朝が訪れる。
 
 「紅」とは、わが胸中に燃える元初の太陽だ! 時代を開かんとする熱き闘魂だ! 若々しき生命力の輝きだ!
 
 おお、旭光のごとく、世界広布へと先駆ける、凜々しき創価の丈夫たちよ! 「生命の世紀」を告げる暁鐘は、今、音高く打ち鳴らされ、栄光の朝が到来したのだ。栄光とは、不撓不屈の挑戦がもたらす、幸と勝利の光彩である。
 
 青年よ、恐れるな! 「驕れる波浪」を、そして、一切の障魔を打ち砕いて、前へ、前へと進みゆくのだ。
 
 広宣流布は、正義と邪悪との戦いである。正義だからといって、必ずしも勝つとは限らない。悪が栄える場合もある。ゆえに仏法は勝負なのだ。地涌の使命に生き、仏法の正義の旗を掲げ持つわれらは、断じて負けてはならない。勝たねばならぬ責任がある。
 
 地涌の菩薩とは、われら創価の民衆群像である。苦悩する人びとを救おうと、あえて五濁悪世の末法に出現したのだ。辛酸と忍耐のなかで、たくましく自らを磨き上げ、人生の勝利劇を演じ、仏法の偉大なる功力を証明せんと、勇んでこの世に躍り出たのだ。
 
 宿命の嵐が、吹き荒れる時もある。苦悩なき人生はない。しかし、広宣流布の使命を果たすために、勇気を燃え上がらせて戦う時、希望の虹は懸かり、苦悩は歓喜へと変わる。
 
 人間は、臆病になり、挑戦をやめ、希望を捨て、あきらめの心をいだくことによって、自らを不幸にしていくのだ。
 
 われらは妙法という根源の法に則り、満々たる生命力をたたえ、一つ一つの課題を克服しながら広布に走る。
 
 ありのままの自分を輝かせ、自他共の幸福を築くために。あふれる歓喜を胸に、誇らかに「民衆の旗」を掲げ、民衆の勝ち鬨を高らかに轟かせゆくために。
 
 (「勝ち鬨」の章、89~90ページ)

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 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第30巻<下>「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。

 第30巻<下>「解説編」はこちら

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