新・人間革命と私〉 兵庫・中央神戸総県女性部長 藤本亀代子さん2021年8月23日
今は、どんなに苦しくとも、必ず幸せになれることを確信してください。いや、必ずなってください。強い心で、強い生命で、見事に再起されるよう祈り待っています。
<第30巻(下)「誓願」の章>
1995年(平成7年)1月17日、近畿地方を阪神・淡路大震災が襲う。山本伸一は予定していたハワイへの出発を延期し、即座に救援活動の指示や災害対策本部の設置、被災地に向かう幹部に伝言を託すなどの手を打っていく。同年2月には、関西を訪問。対策会議や追善勤行法要などに出席し、全力で同志に激励を送る。
冒頭の引用は1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の直後、被災地に向かう幹部を前に、山本伸一が被災した同志への励ましとして託した言葉です。
「誓願」の章にも描かれている通り、池田先生は発災直後から、さまざまな手を打ってくださいました。当時、私は支部婦人部長を務めていましたが、皆が不安と絶望に覆われている中での励ましは、まさに希望の光そのものでした。先生が無事安穏を強く祈ってくださっていると思うと、勇気が湧きました。
先生は、その後も、同年2月4日に行われた追善勤行法要や、10月に開かれた「21世紀兵庫希望総会」に出席してくださり、折あるごとに兵庫、関西の同志を激励してくださいました。
特に忘れられないのは、震災から5年後の2000年(同12年)2月の出来事です。
27日には、兵庫で開かれた本部幹部会で、先生は、復興へ走ってきた私たちを「『世界の兵庫』『世界の神戸』の同志」とたたえ、重ねて「この5年間、よくここまで立ち上がりました。本当に見事です!」と呼び掛けてくださいました。
さらに、その2日後の29日には、わが総県内にある長田文化会館を初訪問。“大楠公”のピアノ演奏を披露してくださったのです。
こうした師の真心に“これほどまでに一人一人の幸福と勝利のために心を砕いてくださるのか”と胸が熱くなり、先生の心をわが心として行動しようとの決意が固まりました。
以来、私自身も「すぐに同志のもとへ」をモットーに、一人でも多くの同志が宿命転換の人生を歩んでいけるよう、励ましを送る日々です。
いかなる困難な戦いも絶対に勝つ!――これが中央神戸総県の誉れです。コロナ禍という試練の今こそ、「負けたらあかん」との関西魂を赤々と燃やし、愛する同志と共に立正安国の勝利のドラマをつづってまいります。