第8回「原水爆禁止宣言」 一人一人の心に“平和の炎”を2021年8月27日
- 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
「……核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」
1957年(昭和32年)9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で行われた青年部の「若人の祭典」の席上、第2代会長・戸田城聖先生の烈々たる師子吼が轟いた。
「それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります」
この年、世界は東西冷戦下の“分断”の中にあった。「核抑止論」による軍拡によって、核実験が繰り返されていた。
事態を憂慮した戸田先生は、青年への“遺訓の第一”として、「原水爆禁止宣言」を訴えたのである。
戸田先生は、生命尊厳を第一義とする仏法者として、死刑制度には反対であった。それでも、あえて「死刑に」と叫んだのは、原水爆を保有し、使用したいという人間の“己心の魔性”を絶対悪と断じるためだった。
戸田先生の核兵器なき世界への思いは、同宣言の前から一貫していた。
56年(同31年)6月、福岡の八幡市(現・北九州市)では、「原爆などを使う人間は最大の悪人だ!」と叫んだ。宣言の2カ月前の7月、雑誌での対談でも、「原子爆弾だけは許せん。アメリカでも、ロシアでも、どっちであっても、そういうことは断じて許さん」と強く訴えている。
「原水爆禁止宣言」から2カ月後、戸田先生は広島を訪れる予定だった。平和記念公園に立つ広島平和記念館(当時)での決起大会に出席するためである。
しかし、戸田先生の体調をよく知っていた池田大作先生は、広島行きが恩師の命に関わるのではないかと案じた。「師のお身体、極度に衰弱」「おやつれ、甚だし」(『若き日の日記』、1957年11月19日)。
戸田先生の広島への出発の前日、池田先生は恩師のもとに急行した。
「ご無理をなされば、お体にさわり、命にもかかわります。おやめください」
1957年(昭和32年)11月19日、池田先生は、戸田先生に対し、広島行きをやめるよう懇願した。
戸田先生は毅然と答えた。
「そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ」
しかし、出発の日の朝、戸田先生は自宅で倒れてしまう。池田先生は、この時の真情を述べている。
「先生の被爆地・広島への思いは、いかばかりであったろうか。核兵器という『サタン(悪魔)の爪』に破壊された広島へ、命と引きかえで出発する覚悟だった」「生命を賭して、広島行きを望まれた、あの師の気迫は、生涯、わが胸から消えることはない。いな、それが、私の行動の原点になった」
同23日、戸田先生は、「原水爆禁止宣言」をテーマにした第5回の女子部総会に出席する予定だった。しかし、体調の悪化により参加できず、青年室長の池田先生が恩師の名代として出席した。
総会には1万2千人が集い、原子力問題を論じる研究や、被爆した女子部員の体験などが発表された。池田先生は、「原水爆禁止宣言」の精神の継承を呼び掛けた。
「日本の中でも創価学会、創価学会の中でも青年部員が、会長先生(戸田先生)の、この宣言を伝えていこうではありませんか」
また、「原水爆禁止宣言」の発表から1年後の58年(同33年)9月26日、池田先生は本紙に、「火宅を出ずる道」と題する一文を寄せた。
「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」「その根本は、人生の目的、人生の幸福への、正しく強き理念を失った人の、末路の姿である」
そこには、“恩師の平和の叫びを虚妄にしてはならない”との強い思いと、“戸田先生の遺訓が成就するまで、断じて戦い抜く”との池田先生の覚悟がつづられていた。
池田先生が記した「火宅を出ずる道」には、「三界は安きこと無し 猶火宅の如し」(法華経191ページ)が引用されている。
法華経の「三車火宅の譬え」は、長者の家が火事になり、さまざまな方便を駆使して、子どもたちを助け出すたとえ話である。燃え盛る家(火宅)は、煩悩の炎に包まれた現実の世界(三界)をたとえている。
池田先生は、核兵器という「未曽有の脅威に覆われた“火宅”から抜け出す道を共に進まねばならない」との強い願いを込めた。
いかにして人類を“火宅”から助け出すことができるのか――池田先生は、恩師亡き後も、“遺訓の第一”を生命に刻み、日本中、世界中を駆け巡った。多くの対談集でも、核廃絶の信条を訴え抜いた。それに呼応した青年部は、反戦出版、核廃絶1千万署名等、草の根の平和運動を展開していった。
「ニューヨークは暑いよ」「みんな元気で! 無事故で行ってらっしゃい。祈っています」――1982年(昭和57年)5月、広島と長崎から集った被爆者・被爆2世との懇談で、池田先生は温かく語り掛けた。米ニューヨークの国連本部で開催される国連軍縮特別総会に際し、学会が派遣するメンバーだった。
彼らは訪問先で、「被爆証言を聞くNGOの集い」や「反核討論集会」などを実施。この期間、被爆者たちと語らったハーバード大学のモンゴメリー博士は、彼らが未来を志向し平和を訴える姿に衝撃を受けた――“池田会長を慕う被爆者が、憎悪を超えて、人類の融合のために戦っている”。被爆者たちは、その姿を通し、師匠から教わった仏法の生命哲学への共感を広げたのである。
池田先生の平和行動の偉大さは、一人一人の心に生命尊厳の平和の明かりをともし続けてきたことにある。心の中に“平和の砦”が築かれていってこそ、真の平和がある。
池田先生は呼び掛けた。「恩師の遺訓のまま我らは弛まず進む。それは『元品の無明』を破って『元品の法性』を開き、民衆一人一人の心に平和の砦を築く地涌の挑戦である。『生命尊厳』を地球社会の柱に打ち立てゆく精神闘争だ」
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