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インド・創価池田女子大学卒業式

2021年12月29日 | 妙法

インド・創価池田女子大学卒業式への池田先生ご夫妻のメッセージ2021年12月29日

  • 崇高な理想へ勇気の挑戦 探求心と創造力と行動で
インド・創価池田女子大学の卒業式。鍛え抜いた英知の翼で人類貢献の人生を歩む決意に燃えて(チェンナイの同大学で)
インド・創価池田女子大学の卒業式。鍛え抜いた英知の翼で人類貢献の人生を歩む決意に燃えて(チェンナイの同大学で)

 汲めども尽きぬ価値創造の泉であるキャンパスに舞い戻られた卒業生の皆さん! 誠におめでとうございます。
 
 新たな人生の挑戦を開始されている凜々しき皆さん一人一人と、私も妻も、固い心の握手を交わす思いで、祝福の大喝采を送っております。
 
 本日の式典には、名門マドラス大学の尊敬するS・ガウリ副総長がご臨席され、皆さん方を温かく見守ってくださっております。
 
 30年ほど前になりますが、私がお会いして、インドの偉大な精神を語り合った、ラマスワミ・ベンカタラマン第8代インド大統領も、マドラス大学の誉れの卒業生であられました。
 
 大統領が生涯にわたって希求された「自由」への道は、いかなるものであったか。大統領は、詩聖タゴールの一節を通し、ご自身の信念を吐露されております。
 
 すなわち――
 
 「心が怖れをいだかず、頭が毅然と高くたもたれているところ」
 
 「言葉が 真理の深みから湧き出づるところ」
 
 「たゆみない努力が 完成に向かって 両腕をさしのべるところ」(『ギタンジャリ』森本達雄訳)
 
 そこにこそ、祖国を自由に導き、世界を平和と協調へと至らしめる人間の道があるといわれるのであります。
 
 まさしく、ここ皆さんの愛する母校こそ、この詩さながらの理想郷ではないかと、私は思いますが、いかがでしょうか。
 
 この青春の心の故郷から羽ばたいた皆さん一人一人には、いかなる荒波にも胸を張って立ち向かう「勇気の挑戦」があり、人間主義の「崇高なる理想」があります。倦まず弛まず自身を磨きゆく「創造性の開花」があるのです。
 
 そして、試練に直面しても、励まし合って共に立ち上がる最良の学友がおり、家族の絆で結ばれ、常に親身になって寄り添い、勇気づけてくださっているクマナン議長をはじめ最良の教職員の方々がおられます。
 
 この同窓の尊き連帯は、これからの長い使命の人生にあって、ますます真価を発揮し、かけがえのない高貴な光を放っていくことでしょう。
 
 現在、WHO(世界保健機関)の首席科学官として、新型コロナウイルス感染症対策の最前線で、人類のために勇敢に奮闘されているリーダーは、私の敬愛してやまない友人であるM・S・スワミナサン博士の長女であり、ここチェンナイ出身のソーミヤ・スワミナサン博士です。
 
 この博士が、深く心に刻まれていることは何か――。それは、民衆のため、弱き立場にある人々のために尽くされた、尊き母の姿から学んだ「探求心を持つこと」「創造的で大胆であること」、そして「信念のために立ち上がること」であります。
 
 どうか皆さんも、燃え上がる創価の「探求心」、「大胆な創造力」、そして信念を貫く「行動」で、一日一日を着実に、粘り強く勝ち開きながら、人類貢献の誇り高き道を朗らかに歩んでいってください。
 
 私と妻は、かけがえのない宝の皆さん方と、ご一家の健康とご多幸を、祈り続けてまいります。
 
 最後に、前途洋々たる未来へ飛翔しゆく乙女に、希望あれ! 歓喜あれ! 栄光あれ!と申し上げ、メッセージといたします。

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インド・創価池田女子大学で晴れの卒業式2021年12月29日

  • 池田先生ご夫妻が祝福のメッセージ「人類貢献の道を朗らかに」

 南インド・チェンナイに立つ創価池田女子大学で23日、晴れやかに卒業式が行われた。
 
 これには、同大学名誉創立者の池田大作先生と、名誉学長の香峯子夫人が祝福のメッセージを贈り、燃え上がる創価の「探求心」と「大胆な創造力」、信念を貫く「行動」で人類貢献の誇り高き道を朗らかに歩んでいただきたいと呼び掛けた。

インド・創価池田女子大学の卒業生(修士)が喜びのカメラに納まった(チェンナイの同大学で)
インド・創価池田女子大学の卒業生(修士)が喜びのカメラに納まった(チェンナイの同大学で)
創価池田女子大学の学部卒業生
創価池田女子大学の学部卒業生

 同大学は、池田先生の長編詩「母」に深い感銘を受けたセトゥ・クマナン議長の尽力で2000年に開学。名門マドラス大学のカレッジに認定されている。
 
 5学部で始まった創価池田女子大学は年々発展し、本年度から「歴史学部」「社会学部」を加えて全19学部となった。世界有数の経済大国へと成長する一方、貧富の差が課題のインドにあって、同大学は、女性に豊かな教育の機会を与えることが一つの家庭を変え、やがては社会全体を変える大きな力になるとの信念のもと、多彩な人材を育んできた。
 
 卒業式は、本年2月に行う予定だったが、コロナ禍の影響で延期されていた。そうした中でも卒業生は、イケディアン(池田先生の哲学の実践者)の精神を胸に社会で奮闘。この日、式典に参加するためキャンパスに集い合った。

成績優秀者に贈られる表彰状が、来賓のマドラス大学のガウリ副総長㊥から手渡された(同)
成績優秀者に贈られる表彰状が、来賓のマドラス大学のガウリ副総長㊥から手渡された(同)

 卒業式では、クマナン議長が創価の使命に燃える乙女を心から祝福。来賓として出席したマドラス大学のS・ガウリ副総長は、学生時代に磨いた力を思う存分に発揮してほしいと期待を寄せた。


燃える命で飛躍の春へ

2021年12月27日 | 妙法

〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 燃える命で飛躍の春へ2021年12月27日

なんと鮮やかな紅葉! その紅(くれない)は、一年を戦い抜いた生命の勝ち鬨だろうか。冬を越えて、春に萌え出る若芽に託す情熱の炎だろうか(池田先生撮影。本年11月、都内で)
なんと鮮やかな紅葉! その紅(くれない)は、一年を戦い抜いた生命の勝ち鬨だろうか。冬を越えて、春に萌え出る若芽に託す情熱の炎だろうか(池田先生撮影。本年11月、都内で)

 師走になると、尽きせぬ感謝とともに思い起こされる恩師の和歌がある。
    
 勝ち負けは 
  人の生命の 
     常なれど 
  最後の勝をば 
    仏にぞ祈らむ
   
 これは、一九五七年(昭和三十二年)の十二月に、戸田城聖先生から私が賜った一首である。
 先生が波瀾万丈の苦難を乗り越え、生涯の願業たる七十五万世帯の大折伏を遂に達成された時であった。だが、体調を崩されて悲願の広島行きも断念し、静養を余儀なくされていた。
 私自身、夕張炭労事件や大阪事件をはじめ、熾烈な攻防戦の矢面に立ち続けた渦中である。冤罪を晴らす法廷闘争も始まっていた。
 御書に仰せのごとく、三障四魔が紛然と競い起こり、学会が更なる飛躍を果たせるか否かの分岐点にあったといってよい。
 ゆえに先生は、「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書一一六五ページ)との御聖訓を、自ら今一重深く拝された。
 そして、何があろうとも、「師子王の心」で悠然と祈り、戦おう! 途中はどうあれ、最後は断じて勝とうではないか! 全学会員を勝たせようではないか!と、病を押して励ましてくださったのである。
 不二の弟子として私は奮い立ち、強く固く決意した。
 ――一年また一年、世の毀誉褒貶を見下ろしながら、先陣を切って“次こそは”“来年こそは”と、広布の法戦に挑みゆくのだ。わが誉れの同志が一人ももれなく、一切を変毒為薬して「最後の勝」を飾りゆけるように道を開くのだ、と。
 ゆえに私にとって、何よりの喜びは、創価家族の凱歌の人生にほかならない。
 つい先日も、聖教新聞に、牧口常三郎先生と戸田先生の故郷である北海道の百三歳を迎える多宝のお母さまが、それはそれは神々しい笑顔で紹介されていた。
 度重なる悲嘆を越え、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(同二三四ページ)との一節を拝し抜いてきた生命が輝いている。
 「私は勝ちました」との大勝利宣言に、妻と最敬礼して拍手を送った。日本中、世界中に光る、この「最後の勝」の晴れ姿こそを、私は報恩の誠として先師と恩師に捧げたいのである。
 

冬に不屈の信心

 北海道、東北、北陸、信越、北関東、近畿、中国、さらに世界の北国、雪国の宝友の冬のご苦労が偲ばれる。
 折から寒波襲来で大雪となり、皆様の無事安穏を祈らずにはいられない。
 とりわけ、日の出前の暗く寒い中、聖教新聞を配達してくださる、尊き「無冠の友」の無事故を祈念するとともに、この一年の労に最大に感謝申し上げたい。
 厚田の天地に念願の墓園が開園した折、北海天地の友と私は御書を拝読した。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を」(同一二五三ページ)と。
 そして約し合った。
 厳寒の逆境を勝ち越えた春の訪れにこそ、計り知れない希望と喜びがある。“法華経は冬の信心なり。冬は必ず春となるのだ”と確信し、粘り強く苦難への挑戦を繰り返そう、と。
 この御書を頂いた妙一尼は、迫害が続く中、夫に先立たれ、病気の子らを抱えながら、必死に信心を貫き通した女性である。
 世界の創価の女性たちが鑑としてきた母である。
 妙一尼は、流罪の大難に遭われた佐渡の日蓮大聖人のもとへ、自らの従者を遣わし、お仕えさせてもいる。
 その御礼を綴られた御返事が、今回、御書の新版に新たに収められた。
 大聖人は、釈尊が過去世に積んだ身の供養と対比されながら、法華経の行者を護り抜こうとする妙一尼の気高い「志」を、大絶賛されているのである。
 「志既に彼に超過せり。来果何ぞ斉等ならざらんや」(御書新版一六九三ページ)――あなたの志はすでに彼の人(過去世の釈尊)を超えています。未来の果報がどうして同じでないことがあるでしょうか――と。
 今また、妙法の広宣流布のために異体同心で戦う創価の同志、なかんずく女性たち母たちが無量無辺の大果報に包まれゆくことは、絶対に間違いないのだ。
 

桜梅は薫り 桃李は香る
平和と共生の人華を爛漫と!

 「冬は必ず春となる」に続けて、大聖人が引かれた法華経の一節がある。
 「若し法を聞くこと有らば 一りとして成仏せざること無けん」(創価学会版法華経一三八ページ)
 誰一人として置き去りにせず、救っていくのだ! 必ず救い切れるのだ!と。
 日蓮仏法は、いかなる困難な壁も越え、万人成仏の妙法を全世界に弘め、一切衆生を幸福にすることを根本の誓願とした「広宣流布の宗教」である。
 そして、あらゆる差別を排し、誰もが平等に仏性を具えた尊極の存在であると、一人ひとりが個性を生かし合い、尊敬し合う「人間主義の宗教」なのだ。
 思えば、一九七九年(昭和五十四年)の五月三日朝、公式に第三代会長を辞する総会を前に、私は内外の策動を清風の心で見極めながら、筆を執った。
 「桜梅薫 桃李香」(桜梅は薫り 桃李は香る)と。
 大聖人が示された、厳冬を勝ち越えた凱歌の春に、「桜梅桃李」という平和共生の人華の園を、世界中に薫り香らせゆかんと、人知れず心に期したのである。
 時は満ち、時は来りて、晴れやかな女性部の新出発とともに、いやまして多彩な自体顕照の幸のスクラムが広がり、嬉しい限りだ。

池田先生の書。「桜梅(おうばい)は薫り 桃李(とうり)は香る」と。その脇書には、“昭和五十四年五月三日朝に詠む。内外の策動により、われ清風の心にて――”と記されている
池田先生の書。「桜梅(おうばい)は薫り 桃李(とうり)は香る」と。その脇書には、“昭和五十四年五月三日朝に詠む。内外の策動により、われ清風の心にて――”と記されている
「魂の独立」30年

 御本仏の平等大慧の御精神を踏みにじる権威主義、差別主義の邪宗門の衣の呪縛を解き放ち、正義の学会が「魂の独立」を果たして三十周年を迎えた。
 あの一九九一年(平成三年)の秋から年末、私は、関西の兵庫へ、大阪へ、中部の愛知へ、第二総東京へ、わが故郷・大田区をはじめ東京各区へ、大聖人有縁の千葉、神奈川、静岡へ、そして埼玉へと、西へ東へ、動きに動いた。
 その前進は、「文化音楽祭」など、創価の意気軒昂なる歌や舞と共にあった。
 さながら「ま(舞)いをも・まいぬべし」「をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(御書一三〇〇ページ)と仰せ通りの民衆の躍動である。
 文化や芸術は、人間性の多彩な開花であり発露だ。それを教条的、独善的な偏見によって排斥する、生命抑圧の宗門と決別し、我らは晴れ晴れと進んだ。そして文化の力で、世界の人びとを結んできたのである。
 過日、八王子を訪れた際、彼方に秀麗なる白雪の富士を望むことができた。
 富士のある静岡、山梨の友の不屈の同志たちのことが胸に迫る。ことに富士宮特区の友は、「魂の独立」三十周年の記念日に大歓喜で集い合った。
 痛快なる民衆の勝利劇に、私も快哉を叫んだ。
 “富士宮の不二の同志、万歳!”――と。
 このほど、東海道の青年たちが、学会正義を師子吼して戦った先輩同志の闘魂を後世に残そうと聞き取り調査を行い、証言集として届けてくれた。その後継の心意気が誠に頼もしい。
 

「勇気」を称えよ

 「芸術は世界を一つに結びつけます」とは、楽聖ベートーベンの言葉である。
 本年、コロナ禍に屈せず、創価グロリア吹奏楽団、創価ルネサンスバンガード、関西吹奏楽団、また、創価シャイニングスピリッツ、創価グランエスペランサ、創価ジャスティスウィングス、創価中部ブリリアンス・オブ・ピースなど、各地の音楽隊・鼓笛隊、さらに創価大学のパイオニア吹奏楽団等の活躍はめざましかった。
 「創立の日」記念の本部幹部会でも、世界の青年部と音楽隊によるベートーベンの「第九」(歓喜の歌)が、全学会に満々と「飛躍の息吹」を行き渡らせてくれた。
 「第九」といえば、四国の徳島や、福岡はじめ九州の友が歌い上げた大合唱も忘れることはできない。
 ベートーベンに、「フィデリオ」という歌劇がある。
 「レオノーレ」という名の妻が「フィデリオ」という偽名で男装して牢獄内に潜入し、不当に捕らわれた夫を助けるストーリーである。
 劇中、厳しい困難を前に、レオノーレは歌う。
 「希望よ来たれ、疲れはてた人々の最後の星を消さないでおくれ。そして私の目標をてらしておくれ」
 レオノーレの勇敢な行動は、夫を陥れた悪人までも「何という法外な勇気だ」と感嘆させていく。
 最後には夫と全ての国事犯が釈放され、「高いよろこびの情熱でレオノーレの気高き勇気はたたえられよ」との大合唱が轟き渡る。
 それは、苦闘の友を励まし、いかなる大悪も大善へと転じゆく、世界中の創価の女性たちへの喝采と響き合っているのだ。
 “女性部一期生”の労苦もあろう。しかし一切は後世の感謝と称賛に変わる。その大確信で、どこまでも仲良く、朗らかに、楽しい前進を、お願いしたい。

「青年を大事にしたから学会は発展」――池田先生が常に指導される通り、創価の師弟は明年も、青年と共に前進! 青年と共に勝利!(2007年10月、八王子市の東京牧口記念会館で)
「青年を大事にしたから学会は発展」――池田先生が常に指導される通り、創価の師弟は明年も、青年と共に前進! 青年と共に勝利!(2007年10月、八王子市の東京牧口記念会館で)
師弟は誓い深く

 激動のこの一年、最愛のご家族を亡くされた方々もおられるだろう。
 大聖人は、母を追善する四条金吾に仰せである。
 ――亡き母は釈迦・多宝・十方の諸仏の御宝前におられて、「これこそ四条金吾殿の母よ母よ」と同心に頭をなでられ、悦び褒められていますよ、と(御書一一一二ページ、趣意)。
 広宣流布の真正の闘士である学会員の父母たちも、家族眷属も、皆、永遠に、大聖人の御照覧に包まれ、三世十方の仏菩薩から讃嘆され、厳護されゆくことを誇りとしていただきたい。
 「希望・勝利の年」から、「青年・飛躍の年」へ!
 忍耐と充実の冬から、友情と福徳の爛漫の春へ! 沖縄の桜の開花も近づく。共戦の喜びを沸き立たせ、地涌の青年を先頭に、さあ前進だ!
    
 新春に
  誓い深まる
    師弟かな
     
(随時、掲載いたします)
 

 〈引用文献〉ベートーベンの言葉は『新編ベートーヴェンの手紙㊦』小松雄一郎編訳(岩波書店)、歌劇「フィデリオ」の話は『ベートーヴェン フィデリオ』(音楽之友社)より。引用の言葉は坂本健順訳。


大勝利の一年に「ありがとう

2021年12月26日 | 妙法

大勝利の一年に「ありがとう」 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2021年12月26日

 【写真説明】東京牧口記念会館(八王子市)から、真白き王者の富士が山並みの彼方に厳とそびえていた。池田大作先生が今月に撮影した一葉である。この気高き富士を仰いだ感慨を、先生は「この一年、広布と人生の見事な凱歌を飾った全同志を労い讃える英姿なり」とつづっている。
 あらゆる困難を乗り越えて、創価の凱歌を轟かせたこの一年。大勝利は、立正安国の地涌の使命を燃やした、全ての同志の総合力の結晶である。年末年始は、家族や親戚、友人などと心を通わせる好機。報恩・感謝を真心の言葉で伝えつつ、「青年・飛躍」の明年へ走りゆこう。
 

池田先生の言葉

 感謝の心から歓喜が湧く。
 歓喜は意欲と活力と
 創造の源となる。
 ゆえに、
 人生の勝利もまた、
 感謝から生まれる。
  
 今の自分があるのは、
 多くの人々の
 おかげであることを知り、
 感謝の心を持って、
 今度は自分が人々のために
 尽くしていく。
 この行為こそが、
 「知恩」であり
 「報恩」である。
 報恩は、人間性の証明だ。
  
 「心こそ大切」――
 ここに信仰の極意がある。
 人に真心を尽くす。
 受けた真心は大切にする。
 私はそれを、
 厳格に実行し抜いてきた。
 私は、お世話になった
 方々のことは
 絶対に忘れない。
  
 御礼と
 感謝の言葉によって、
 信頼と友好の絆は
 強まっていく。
 人に対して、どれだけ
 「ありがとう」と言えるか、
 感謝の言葉を語れるか――
 実は、そこに
 人徳が表れるといっても
 過言ではない。
  
 我ら創価家族は、
 この一年も大いに動き、
 大いに語って、
 広宣流布の前進を
 成し遂げた。
 希望を広げた。
 未来を開いた。
 夏の炎暑にも、
 冬の寒風にも負けず、
 堂々たる
 完勝の一年を飾った。
 わが弟子、
 わが同志の大勝利が、
 本当に嬉しい。
  
 誰が知らなくとも、
 誰が誉めなくとも、
 仏天は全て
 お見通しである。
 陰の献身は、
 一切合切が
 自らの福徳となり、
 命の輝きとなる。
 「陰徳陽報」という、
 生命の究極の栄光が
 ここにあるのだ。

 

教学は“生き抜く力”“戦い抜く力

2021年12月24日 | 妙法

第12回「地区講義〈下〉」 教学は“生き抜く力”“戦い抜く力”2021年12月24日

  • 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
【「若き日の日記」1952年(昭和27年)12月6日から】
この思想、宗教、仏法以外に、
末法万年の闇は、照らし得ないのだ。
1995年3月8日、池田先生は横浜平和講堂での「本部幹部会」「神奈川栄光躍進総会」に出席。「熱原の三烈士」“大楠公”などをピアノで演奏し激励を送った
1995年3月8日、池田先生は横浜平和講堂での「本部幹部会」「神奈川栄光躍進総会」に出席。「熱原の三烈士」“大楠公”などをピアノで演奏し激励を送った
大聖人の心を拝する

 神奈川・鶴見市場駅の改札を出た池田先生が、鶴見支部市場地区の「地区講義」の会場に向かったのは、1951年(昭和26年)9月7日夕刻のことだった。
 同地区と、埼玉の志木支部川越地区。二つの地区講義の担当となった先生は、この日、市場地区で初の講義を行った。
 会場は線路沿いの学会員宅。時折、電車の走る音が響く。
 御書の発刊前であり、「大白蓮華」などを活用しながら、「治病大小権実違目」「妙一尼御前御返事」を真剣に学び合った。
 この日以来、先生は、川越地区と並行しながら鶴見に足を運び、講義を重ねていくことになる。
 地区講義では、まず、研さんを行う範囲の御文を拝読する。続いて、先生が2、3行ずつ区切り、当てられた青年部員が順番に読む。青年部員の拝読が終わるごとに、先生が解説を加えた。厳粛な雰囲気で、凝縮された“信心のエッセンス”を実感する講義だったという。
 ある時は「佐渡御書」から「世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し」(956ページ)の一節を拝し、「大聖人様が難を受けられている時、徹底的に戦っておられる時の御書は激しい」と語った。
 またある時は、「大聖人は門下の弟子に何をおっしゃっているのか、その心を読みとらねばなりません」と、御書と向き合う姿勢について教えた。
 市場地区の御書講義で、参加者にとって印象的だったのが、講師としての振る舞いだった。先生は会場にいち早く到着し、集ってくる参加者を温かく迎えた。
 講義の後、青年部に「きょうはよく読めたね」と励ましを送り、気さくな語らいも弾んだ。“真剣な御書講義”と、講義の前後での心を結ぶ“双方向の語らい”――そのリズムが、皆の求道の炎を燃え上がらせていったのである。

【講義を行う際の姿勢】
一、熟読すること。
二、明確に、解釈すること。
三、理論的であること。必ず、体験を通し、幅広く講義をなすこと。
~「若き日の日記」1955年(昭和30年)11月5日から~
「新しい時代の到来を感じさせる素晴らしい文化祭でした。本当にありがとう!」――神奈川・横浜アリーナで開催された「学会創立60周年記念大文化祭」で友にエールを送る池田先生(1990年11月18日)。「平和の道 文化の道 世界の道」とのテーマで繰り広げられた同文化祭には、神奈川の青年部員など1万3千人が出演した
「新しい時代の到来を感じさせる素晴らしい文化祭でした。本当にありがとう!」――神奈川・横浜アリーナで開催された「学会創立60周年記念大文化祭」で友にエールを送る池田先生(1990年11月18日)。「平和の道 文化の道 世界の道」とのテーマで繰り広げられた同文化祭には、神奈川の青年部員など1万3千人が出演した
末法の功徳は冥益

 戸田先生は、御書講義を行う講義部員に対し、「威張ってはいけない。大聖人の仏法の講義をさせていただけること、そして皆が講義を聴いてくれることに感謝しなさい」と訴えている。
 教学の研さんにあって、教える側・教わる側に上下関係などない。御書を通して共に信心を深めゆく同志である。
 池田先生は、鶴見の講義に臨み、講師としての思いを記している。
 「夜、鶴見に講義。講義のたび毎に思う、勉強せねばならぬと」(『若き日の日記』、1954年5月19日)
 「力一杯、頑張る。もっと成長せねば、受講者に申しわけないと思いつつ帰る。実力。常に実力を養い、実力を持つことだ」(同、同年7月8日)
 戦後間もない時代にあって、満足な教育を受けられず、文字を読んだり書いたりするのが苦手な受講者も多かったが、先生の講義を通じ、一人一人が御書研さんの喜びに燃えていった。
 質問会も活発に行われ、それは時に1時間以上に及んだ。「夕刻、鶴見市場の講義。『立正安国論』第四段終了。九時三十分より、十一時まで、質問会をS宅で続行」(同、53年11月10日)
 受け身ではなく、自らが仏法を求め、学び行じゆく実践。そこには、既成仏教の「僧侶」と「檀家」という関係では成し得なかった、民衆仏法による“新たな教学運動”の光景が生き生きと広がっていたのである。
 地区講義の前年の1950年(昭和25年)から、先生は仕事の関係で鶴見を頻繁に訪れていた。空いた時間には、鶴見の会員のもとを訪ね、激励を重ねた。
 先生を囲んでの自然発生的なミニ座談会が鶴見のあちこちで開かれ、拡大の勢いは加速。51年(同26年)4月20日付の本紙創刊号には、「聖火鶴見に炎上」との見出しが躍り、戸田先生の第2代会長就任前の上げ潮をつくった。
 地区講義がスタートした後も、池田先生は激務の合間を縫って、鶴見の同志に渾身の励ましを送った。
 11月、ある夫妻宅を訪問。夫が病を抱え、経済苦にあえぐ中、夫人は先生に窮状を訴えた。
 「この貧乏はいつまで続くんですか」
 先生は包み込むように答えた。
 「末法の功徳は冥益です」
 そして、冥益の意味を教えながら、必ず幸福の境涯になるとの確信を語った。
 この時、先生自身が病を抱えていた。経済的な苦境も重なり、寒い冬にあって、オーバーさえ着られない状況だった。それでも先生は、翌月、翌々月と夫妻宅を訪れ、激励を続けた。
 そこで先生は手帳を広げ、書き留めてあった御書の一節を拝した。
 「四条金吾殿御返事」の「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや」(1143ページ)である。
 「苦しい時も、功徳をいただいて嬉しい時も、題目を唱えていきましょう。『あに自受法楽にあらずや』というのは、題目をあげた人のみが味わう生命の喜びのことです」
 池田先生の、御書を通した真心の励ましに奮い立った夫妻は、“題目の闘争”を猛然と開始した。そして、宿命転換のドラマを紡いでいったのである。

市場地区の地区講義受講者に贈られた「修了証書」。講義の前後の時間では、青年部有志への「立正安国論」講義も行われた
市場地区の地区講義受講者に贈られた「修了証書」。講義の前後の時間では、青年部有志への「立正安国論」講義も行われた
最前線に勇気を!

 地区講義を担当する池田先生の、さらなる大きな挑戦。それは、最前線から広布の突破口を開くことだった。
 1951年(昭和26年)8月末、戸田先生は、川越地区の講師を池田先生に命じた際、こう語った。
 「地区という小さな単位ではあっても、そこから、学会全体へと信心の炎は燃え広がっていく」
 翌月、川越地区と市場地区の担当として初めて講義を行った時、先生は蒲田支部大森地区の地区委員(後の地区部長)だった。さらに、男子部では最前線の班長を兼務し、まさに最前線に身を置き、拡大に奔走していた。
 地区講義のために移動する電車の中では、寸暇を惜しんで自身の地区・班のメンバーに、はがきを書いた。
 地区講義を続けていた52年(同27年)2月には、蒲田支部の支部幹事として、「組」(後のブロック)に焦点を当て、1カ月間で支部201世帯という拡大の金字塔を打ち立てる。
 市場地区は、先生の講義によって大きく発展した。蒲田支部所属の地区と“日本一”の弘教を競うようになった。鶴見支部自体も、蒲田支部の拡大に次ぐまでに飛躍を遂げた。
 さらに、川越地区と市場地区での地区講義の戦いは、埼玉、神奈川といった首都圏に、広布の基盤を築き上げる原動力となったのである。
 「行学の二道をはげみ候べし」(御書1361ページ)とある通り、行と学が両輪として働いてこそ、正しい仏道修行となる。先生の教学運動は、社会から隔絶されたものではなく、広布の戦いの真っただ中で展開された“最前線に勇気を送る教学”だった。
 「御書の拝読は、人間革命であった。御書の拝読は、信心を無限に深めていく原動力であった。ここでいう教学とは、観念の教学ではない」――先生は、こう強調し、次のように述べている。
 「大聖人の教学とは、生き抜く力、戦い抜く力、広宣流布への力となってゆく教学であった。その教学は、自身の血肉となって、あらゆる現実の人生と戦い進む、社会にあって断じて勝つための教学であり、大哲学であったのだ」
 創価三代の師匠が、不惜身命の闘争で示し抜いた「御書根本」の実践。日蓮大聖人に直結する求道の連帯は今、日本だけでなく、世界中に広がっている。

池田先生は、「御書という明鏡こそが、われらの一切の規範であり、指針である」と。日蓮大聖人の「御書」は10言語以上で翻訳・出版され、“人間主義の大光”で世界を照らす
池田先生は、「御書という明鏡こそが、われらの一切の規範であり、指針である」と。日蓮大聖人の「御書」は10言語以上で翻訳・出版され、“人間主義の大光”で世界を照らす

未来部の友へ

2021年12月22日 | 妙法

桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進〉第21回 未来部の友へ2021年12月22日

 本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第21回は、未来部の友に詠んだ「若き君よ 勝ちまくれ! 青春は人生の 一生の土台」(2002年)です。

ナポレオンの像を前に、池田先生がシャッターを切った(2016年4月、東京・八王子市で)。先生はナポレオンの生涯を通し、未来部に呼び掛けた。「天才とは――何か特別な力とか、才能を持った人のことではない。地道に勉強している人のことだ」と
ナポレオンの像を前に、池田先生がシャッターを切った(2016年4月、東京・八王子市で)。先生はナポレオンの生涯を通し、未来部に呼び掛けた。「天才とは――何か特別な力とか、才能を持った人のことではない。地道に勉強している人のことだ」と
君の使命は君しか持てない

 未来は無限だ。
 未来は希望だ。
 未来は夢だ。
 未来は大活躍の劇場だ。
 
 「未来部」は
 なんと無限の意味をはらんだ
 名前であろうか。
 
 ◆◇◆
 
 若き生命の持ち主は
 皆が
 その魂は
 閃光を放っているのだ。
  
 気取る必要もない。
 失敗に臆する必要もない。
 愚かと言われようが
 貧しいと言われようが
 そんなことは
 弱々しい風が
 吹いていると思え!
  
 君の夢は
 君しか持てない。
 君の宝は
 君しか持てない。
 君の使命は
 君しか持てない。
  
 だから
 不思議にして偉大なる
 生命の鍵を
 持っているのが
 君なのだ!
 
 ◆◇◆
 
 君の長い生涯の中に
 決して希望を
 死滅させてはならない。
 感情で
 逃走してはならない。
 邪険な人々の罵りに
 人生を
 奪われてもならない。
  
 胸を張って
 北風に進むのだ。
 断固として
 自分自身の人生を
 勝利するのだ。
 父のために
 母のために
 自分自身のために
 平和のために
 友情のために
 そして
 永遠のために!
  
 そこにこそ
 幾千人に
 痛めつけられても
 すべてが
 勝ち抜いた君の
 長い生涯を飾りゆく
 大勲章と光るのだ!
  
 君よ
 君の名前を呼ぶ人が
 いなくとも
 君は君らしく
 生きるのだ。
  
 有名になる必要などない。
 狂った人間の世界で
 褒められる必要もない。
 狂乱した嫉妬の世界で
 悩む必要もない。
  
 君は君らしく
 確かなる人生観を持って
 残酷なこの社会を
 切り開いていくのだ。
 人生は劇だ。
 若さは名優だ。
 
 ◆◇◆
 
 友よ
 不安に行き詰まるような
 弱々しい青春であるな!
 すべてが
 私の人生の
 転機ととらえて
 偉大なる
 正義の目標に向かって
 勝利の坂を
 勇敢に登っていくのだ!
  
 青春よ
 勝ちまくれ!
 若き君よ
 希望の未来に舞いゆけ!
  
 未来部 万歳!
 未来部の成長が
 広宣流布だ。
 未来部の勝利が
 創価の勝利だ。
  
 未来部に
 栄光あれ!
 勝利あれ!