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関ヶ原の戦い

2016年10月22日 | 歴史

関ヶ原の戦いは「裏切り者を見抜く」教科書だ 「友人、部下、同僚」こんな人物は要注意!

数多くの「裏切り者」が現れた関ヶ原の戦いを知ると、裏切りを「見抜く」目が養われます(写真:akg-images/アフロ)© 東洋経済オンライン 数多くの「裏切り者」が現れた関ヶ原の戦いを知ると、裏切りを「見抜く」目が養われます(写真…  

 関ヶ原の戦いは「裏切り」によって勝負が決着したのは有名だ。

 よく知られているのは「小早川秀秋」の裏切りで、彼の決断が戦いの行方を左右したと広くいわれている。

 しかし、実際の関ヶ原の戦いで、石田三成率いる西軍を裏切ったのは小早川秀秋ひとりではなく、ほかの多くの大名も追随して裏切っている。

 彼らはなぜ「裏切った」のか? この「裏切り者」への道を選んだ彼らの動機を探っていくと、そこには現代にも通じる日本社会特有の「しがらみ」が見えてくる。

 「日本史を学び直すための最良の書」として、作家の佐藤優氏の座右の書である「伝説の学習参考書」が、
全面改訂を経て『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計15万部のベストセラーになっている。

 本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、関ヶ原の戦いに見る「人が裏切る動機」を解説する。

西軍が負けたのはすべて三成のせい?

 「1600年の関ヶ原の戦いで、徳川家康率いる東軍が勝利した要因は何ですか?」

 そう質問されると、歴史ファンに限らず、多くのみなさんが「小早川秀秋の裏切り!」と即答するでしょう。

 もちろん、その答えは正解です。彼の裏切りによって、互角で推移していた戦いの形勢はいっきに東軍の優勢へと転じます。

 しかし、このとき西軍を裏切ったのは小早川秀秋だけではありません。ほかにも多くの西軍所属の大名が、大将である石田三成の指示に従いませんでした。
なかには「本当の裏切り者」とも呼べる戦国武将もおり、これらが原因で西軍の劣勢は決定的となりました。

 小早川秀秋をはじめとする彼らが西軍を裏切った理由として、「石田三成が味方からも嫌われていた」ことが一般的によくいわれています。しかし、はたして本当に理由は「それだけ」だったのでしょうか。

 あらためて「裏切り者」となった人たちの動機を細かく見てみると、興味深いことに、そこには現代に生きる私たちの社会にも見られる、もっと「多様な理由」が存在します。

 そもそも「人が裏切る」動機は何なのか。どういう人間が裏切る可能性が高いのか。今回は「裏切り者」を見抜くコツを、裏切りが続出した関ヶ原の戦いを題材に解説したいと思います。

 今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

勝敗を左右した「裏切り」とは?

 Q1.「関ヶ原の戦い」はいつどこで行われたのですか?

 戦いが行われたのは、1600(慶長5)年9月15日です。ただし、この日付は「旧暦」で、いまの「西暦」に直すと秋本番の10月21日です。

 現在も東海道新幹線や名神高速道路などが走る「関ヶ原」は、岐阜県と滋賀県の県境に近く、北国街道、中山道、伊勢街道など主要街道が交わり「関所」が置かれるなど、古くから交通の要衝でした。

 「関ヶ原」の地名は、この「関所」に由来します。

 Q2.誰と誰が戦ったのですか?

 それぞれの主導者は、東軍「徳川家康」、西軍「石田三成」です。

 「東軍」は、主に東国の大名を中心に、豊臣秀吉の子飼い福島正則や黒田長政なども含む総勢7万4000。

 一方の「西軍」は、西国の大名が中心で、宇喜多秀家、小西行長、小早川秀秋など総勢8万2000。ちなみに西軍の「名目上」の総大将は、石田三成ではなく毛利輝元(てるもと)です。

 Q3.「戦いの原因」を教えてください

 原因は、「豊臣秀吉亡き後の政治の主導権争い」です。

 彼の息子、豊臣秀頼(ひでより)はまだ幼く、本来であれば徳川家康ら有力大名と石田三成ら優秀な文官との「合議」により政権運営が行われるはずでした。しかし、徳川家康はこれらのルールを無視し、次第に台頭していきます。

 その結果、「徳川家康に追随する大名」と「反感を募らせる石田三成のような大名」との間で亀裂が深まり、これがやがて「関ヶ原の戦い」へと発展します。

 Q4.どのように決着がついたのですか?

 戦いは、わずか半日で勝負がつきました。

 開戦時、東西両軍の兵力差はさほどなく、東軍を包囲するように布陣した西軍が有利な状況でした。

 しかし、戦闘に加わらない西軍大名が多く、戦況はしばらく拮抗します。やがて、家康の鼓舞に東軍がやや勢いを増すと、これを見た小早川秀秋はじめ西軍の一角が東軍に寝返り、この結果、石田三成ら西軍はなすすべなく敗走しました。

 Q5.裏切り者の「動機」は何だったのですか?

 そこには、大きく分けて「5つの動機」が存在します。

 西軍を裏切った大名を例にとりながら、「人が裏切る動機」を分析してみましょう。

「怨恨」「血縁」裏切りの動機は十人十色

 1.「冷遇」されたことへ恨み(小早川秀秋)

 裏切る動機のひとつめは、「小早川秀秋」(筑前名島〔福岡県〕30万石)に代表される、「冷遇」されたことに対する個人的な恨みです。

 小早川秀秋はもともと豊臣秀吉の妻、北政所(きたのまんどころ、おね)の甥で、子どもに恵まれなかった秀吉の養子となり「後継者候補」といわれていました。

 しかし、秀吉に実子「秀頼」が誕生すると、一大名の小早川家に養子に出されてしまいます。その後も戦場での失態から領地を没収されて左遷されるなど、石田三成ら豊臣政権から「さんざん、冷遇」されました。

 やがて小早川秀秋は旧領を取り戻しますが、このとき手を貸してくれたのが徳川家康です。石田三成らに対する「冷遇されたことへの恨み」が、小早川秀秋が裏切ることになった要因のひとつです。

 2.もともと「寝返る先」と仲がよかった(吉川広家)

 吉川広家(きっかわ ひろいえ、出雲・隠岐〔島根県〕14万石)は関ヶ原の戦い以前から、黒田長政をはじめ多くの東軍の大名と非常に親しく、しかも東軍の勝利を確信していました。

 しかし、彼は「諸事情から自らの望む陣営に加われなかった」のです。

 吉川広家は西軍の「名目上」の大将、毛利輝元のいとこで、吉川家は代々毛利「本家」を支える重要な「支族」の地位にありました。そのため、毛利輝元の西軍に参加するという意向に従い、広家も「表面上」これに追随します。

 ただ、水面下では「開戦前」から家康に内通しており、最後まで戦闘に加わらずに味方の進撃を妨害し続けるなど、「利敵行為」に徹しました。

 3.本人の意志ではなく「身内」に反対されて(鍋島勝茂)

 「本人の意志」ではなく「身内からの強い反対」にあって寝返った大名もいました。「鍋島勝茂」(なべしま かつしげ、肥前佐賀〔佐賀県〕35万石)です。

 勝茂の父、鍋島直茂(なおしげ)は、かつて島津家らと九州の覇権を争った龍造寺家の家臣でありながら、実質的には「当主」として君臨していた実力者でした。

 子の勝茂は、はじめは「独断」で西軍に属し、東軍の拠点を次々と攻略していたところ、本国の父、直茂から「いますぐ東軍に所属せよ」との命令が届き、関ヶ原の決戦を前に急きょ、戦線を離脱します。

 この父親の「卓見」が、鍋島家を救ったのです。

 4.わが身の「生き残り」を最優先して(小川祐忠)

 戦国時代によく見られる、典型的な「なりふり構わぬ」生き残り戦略。その代表例は、小川祐忠(おがわ すけただ、伊予今治〔愛媛県〕7万石)でしょう。

 小川祐忠は、当初は六角家に仕えていましたが、織田・浅井連合軍により六角家が滅ぼされると、浅井家に仕えます。

 やがてその浅井が織田に滅ぼされると今度は織田に、織田が明智光秀の手に倒れると明智に、明智がやられると柴田勝家に、柴田が滅ぶと豊臣秀吉にと、自らは「恥も外聞もなく」生き残る道を選びます。

 彼にとってみれば、関ヶ原の戦いもそうした「生き残り戦略」の延長にすぎなかったのでしょう。

最も多かったのは「勝ち馬に乗る」ため?

 5.最後に「勝ち馬」に乗ろうとして(赤座直保、朽木元綱)

 どっちつかずの日和見でしたが、「東軍が勝つ!」と見るや、体よく勝ち馬に乗ろうとした者もいます。数からいえば、これがいちばん多かったでしょう。

 赤座直保(あかざ なおやす、越前今庄〔福井県〕2万石)や朽木元綱(くつき もとつな、近江高島〔滋賀県〕9500石余)らは西軍に属し、関ヶ原の戦い当日を迎えます。このとき、
東軍への寝返りを画策していましたが、その「事前通告」は家康にしておらず、最後まで態度は「流動的」でした。

 戦いがはじまり、やがて「小早川秀秋の裏切り」を見るや、小早川軍の前面に布陣していた赤座や朽木は、小早川軍の先陣をつかさどる形で「勝ち馬」に乗ろうとして西軍を裏切ります。
その結果、東軍を勝利に導きましたが、当然その「功績」はまったく家康には認められませんでした。

 【番外編】「私は裏切っていません!」(島津義弘)

 島津義弘(しまづ よしひろ、薩摩・大隅〔鹿児島県〕56万石)は裏切り者のひとりとして扱われることもありますが、終始戦闘には参加しておらず、これは「誤解」です。

 西軍の事前の作戦会議で、当日の島津隊はもともと兵力も少なかったことから「二番備(にばんぞなえ)」、つまり敗北寸前の敵に「とどめの一撃」を加える役割を命じられていました。
戦闘への不参加はこのための「兵力温存」であり、小早川秀秋、吉川広家らの動向とはまったく異なります。

 ただし、「じつは石田三成の采配に不満をもち、兵を動かさなかった」とも言われます。

 結局、島津隊の出る幕がないうちに西軍が崩壊したため、島津義弘は敵陣を「中央突破」し、家康本陣をかすめて戦線を離脱しました。

 西軍を裏切った大名の動機をあらためて詳しく見ていくと、意外にも「石田三成本人への怨恨」を挙げる大名は少ないようです。

 もちろん、石田三成を嫌っていた大名ははじめから家康の側につくでしょうから、それはある意味、当然ともいえます。「関ヶ原の決戦当日をむかえるまでの石田三成は、それなりに西軍をよくまとめていた」とも思います。

 とはいえ、石田三成が西軍の大名から好かれていた様子もなく、そうでなければ、これほどの「裏切り」が続出するわけがありません。やはり、「石田三成に人望がなかった」というのも本当のようです。

 もし、徳川家康に匹敵する人望を石田三成がそなえていたら、戦いの結果は違っていたかもしれません。

「裏切りは当たり前」だった戦国時代

 現代に生きる私たちの価値観では、「裏切り」と聞くと非常にマイナスイメージがあります。しかし、当時はむしろ「裏切りが当たり前」の時代でした。

 自分たちが「生き残る」ために烏合(うごう)離散は日常茶飯事。このころはまだ「武士道」などという言葉すら存在していません。下克上の戦国時代を生き抜いてきた大名たちにとって、裏切りは特別なことではなかったのです。

 もうひとつ、多くの裏切りが起きた背景には「徳川家康の画策」がありました。家康は情報網を駆使して事前に周到な策をめぐらせ、裏切りを誘発していたのです。

 この時期、家康は西軍に味方しそうな各地の大名たちに膨大な数の手紙を書き送り、決戦の前から懐柔していました。その結果、西軍には家康に内通した大名たちも多かったのです。

 石田三成は、そうしたことに警戒はしていなかったのか。怪しい動きを察知することはできなかったのか。裏切る人の動機はさまざまありますが、結果からすれば、内通を見抜けなかった石田三成は脇が甘かったと言わざるを得ません。

 このように関ヶ原の戦いを見てみると、現代にも通じるさまざまな教訓を得ることができます。「勝利する者」は事前に周到な準備をし、逆に「敗者」の側から見れば、裏切る者には何かしらの「動機」があり、
それを冷静に見抜けなかったことが敗北につながりました。

 日本史には、このように人間関係を考えるヒントが詰まっています。ぜひ歴史を学び直すことで、ビジネスや実生活で生き抜くための「人間関係の武器」を手に入れてください。


完全無欠のアーティスト

2016年10月19日 | 文化

たけし 仏政府から勲章「完全無欠のアーティスト」

ビートたけしこと北野武監督© デイリースポーツ/神戸新聞社 ビートたけしこと北野武監督

 映画監督の北野武ことタレントのビートたけし(69)が、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章することを、たけしが所属するオフィス北野が18日、明らかにした。
レジオン・ドヌール勲章は、フランスで最も栄誉ある勲章とされる。同勲章には上からグランクロワ、グラントフィシエ、コマンドール、オフィシエ、シュバリエの等級があり、オフィシエは4等。
25日に叙勲式が行われ、たけしも出席する。

 たけしは1999年にフランス芸術文化勲章のシュバリエ、2010年に同勲章の最高賞コマンドールを受章している。

 オフィシエ受賞について、元仏文化大臣で現アラブ世界研究所所長のジャック・ラング氏は、「ビートたけしとも呼ばれている北野の大胆で独創的な創造性より生み出された作品が、
芸術ジャンルの限界をやすやすと乗り越え、演劇、テレビ、映画、文学などの約束事を変革して、現代のアートシーンに影響を与えてきた。
そして、あらゆる形態の大衆芸術への熱心な関わりによって、フランス、日本、そして世界中で名をはせた型にはまらない完全無欠のアーティストとして存在していることに、オマージュをささげたい」とコメントを寄せた。

 たけしは「これまで自分のやり方でやってきた数々のことで、私が今回このような栄誉を授かることとなり大変驚いています。
そして素直にうれしい気持ちでいっぱいです。これからも自分のスタイルを守りながら、さまざまな仕事に精進してまいります」と、喜びを語っている。


大谷の日本最速3発に米騒然!165億円メジャー

2016年10月18日 | スポーツ

大谷の日本最速3発に米騒然!165億円メジャー争奪戦も

大谷の日本最速3発に米騒然!165億円メジャー争奪戦も: 前日16日、最後の打者を打ち取りガッツポーズする大谷。その実力はワールドクラスだ© サンケイスポーツ 提供 前日16日、最後の打者を打ち取りガッツポーズする大谷。その実力はワールドクラスだ

 165キロで165億円超え!? 16日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージのソフトバンク戦(札幌ドーム)で、日本記録の球速165キロを出した日本ハム・大谷翔平投手(22)に対する米大リーグの評価が、
さらに上昇していることが17日、分かった。メジャー球界は、早ければ来オフにもポスティングでの移籍の可能性があるとみて騒然。2013年オフに年俸総額1億5500万ドル(約161億円、7年)で
ヤンキースに移籍した田中将大投手(27)を上回る金額での大争奪戦となりそうだ。

 「SAPPORO JAPAN」を発信源とする衝撃が、日本だけでなく米球界を動かしていく。大谷は16日のソフトバンク戦の九回にDHから救援登板し、
4年ぶり7度目の日本シリーズ出場決定に貢献。自身の持つ日本記録を更新する球速165キロを3度マークした。
打者としても活躍する、世界にも類をみない二刀流が出した数字。米国からの視線が、さらに熱くなってきた。

 「米国の各球団は来年以降、田中投手のときの金額をベースに戦略を練っていくと思います」

 こう予測したのは米本土で活動する米大リーグの関係者。岩手・花巻東高卒業時に海を渡る夢も持っていたプロ4年目の22歳、
大谷が最短で海外フリーエージェント(FA)権を得るのは5年後の2021年で、それより前のメジャー移籍はポスティングシステムになる。
大谷本人や日本ハムはメジャー移籍について言及しておらず、方向性は未知数だが、大リーグ側は165キロ右腕を待ちきれない。
早ければ来オフにも“大谷争奪戦”が展開されるという予測が広がっている。16日の快投で、一気に騒然とし始めた。

 大谷に対する評価は高まるばかり。同関係者によると、提示される年俸は、14年1月にポスティングシステムでヤンキース入りした田中将大投手への金額が“基準”になるという。
田中の年俸は7年総額で1億5500万ドル(約161億円、当時のレートで1ドル=104円)。大谷の獲得には、同程度か上回るほどのビッグマネーが必要とされ、MAX165キロとちょうど同じ165億円前後が、
各球団の攻防ラインになってくるという見立てだ。

 アストロズの大慈彌功・環太平洋担当スカウト部長は「常時100マイル(161キロ)はメジャーでも(最速169キロの)カブスのチャプマンら数人。
大谷選手の存在は米30球団全てが認めている」と明かした。さらに「第2のイチローは絶対に出ないと思うし、第2の大谷も出ないと思うほどの選手であるのは間違いない」と絶賛した。

 快投から一夜明けた17日、チームはオフ。大谷は札幌市内の合宿所で静養した。広島との日本シリーズは、22日の第1戦(マツダ)で打席にも入る“リアル二刀流”での先発でスタートすることが濃厚だ。
「日本一になりたい」と掲げる背番号11は、第2戦以降も代打やDHでフル回転する。

 田中は13年に楽天の日本一に貢献し、メジャーの評価をつり上げた。大谷も日本シリーズ、来春のWBCの活躍次第では、さらに金額が上がる可能性も。二刀流の今後に熱い視線が注がれる。

★大谷がメジャーに行くには…

 ポスティングシステムか、海外フリーエージェント(FA)権を行使しての移籍が考えられる。ポスティングシステムは海外FA資格取得前に米球界に移籍できる制度。
日本球団が譲渡金を上限2000万ドル(約20億8000万円)で設定し、その額を支払う意思のある大リーグ球団が選手と交渉できる。
大谷が最短で海外FA権を取得するのはプロ入りから9年が経過後の2021年。同オフに権利を行使すれば、大リーグ球団に移籍することができる。


「観測可能な」宇宙にある銀河は2兆個

2016年10月14日 | 宇宙

「観測可能な」宇宙にある銀河は2兆個か、従来説の20倍

【AFP=時事】宇宙には2兆個という、気が遠くなるような数の銀河が存在するとの研究結果が13日、発表された。これまで考えられていたよりも最大で20倍多く存在することになるという。

 米天文学専門誌アストロノミカル・ジャーナル(Astronomical Journal)に掲載された研究論文によると、この驚くべき発見はハッブル宇宙望遠鏡(Hubble Space Telescope)で
20年にわたり収集された画像データで構築した3次元モデルに基づくものだという。

 米天文学者エドウィン・ハッブル(Edwin Hubble)が1924年、太陽系がある天の川銀河(Milky Way)に隣接するアンドロメダ(Andromeda)銀河が、
天の川銀河の一部ではないことを証明して以来、宇宙にはどれくらいの数の銀河が存在するのかという問題に、科学者らは頭を悩ませてきた。

 だが、現代天文学の時代においても、銀河の数を正確に集計するのは困難であることが判明していた。

ハッブル宇宙望遠鏡で観測したデータを基に作成した銀河の画像(2014年6月4日提供、資料写真)。(c)AFP=時事/AFPBB News© AFPBB News 提供 ハッブル宇宙望遠鏡で観測したデータを基に作成した銀河の画像(2014年6月4日提供、資料写真)。…

 そもそも、遠方の天体から放たれた光が地球に届くまでの時間を考えると、その到達範囲は有限であり、宇宙全体の一部でしかないからだ。残りは事実上、手の届かない」ところにある。

 また、今回の最新の研究成果によると、この「観測可能な宇宙」の範囲内でさえも、現在の技術では、そこに存在するもののわずか10%しか見ることができないという。

 研究を率いた英ノッティンガム大学(University of Nottingham)のクリストファー・コンセーリチェ(Christopher Conselice)氏は「宇宙に存在する銀河の90%以上がまだ未調査だとは、
気が遠くなるような話だ」とコメントしている。「次世代の望遠鏡を用いてこれらの銀河を観測すれば、興味深い性質を発見できるかもしれない」と、コンセーリチェ氏は声明で述べている。

 宇宙の歴史の異なる時期の銀河の数を調べるため、コンセーリチェ氏と研究チームは、ハッブル望遠鏡で収集された深宇宙の画像データを用いて、それらを丹念に3次元に変換した。

 今回の研究では、宇宙の起源と考えられている大爆発「ビッグバン(Big Bang)」が起きて間もない130億年以上前まで時間をさかのぼる分析を行った。

 研究チームは最新の数理モデルを使用して、望遠鏡の観測範囲を超える「不可視の」銀河の数を推計した結果、その大半があまりに光が弱くて遠く離れているために見えていないという驚くべき認識に到達した。

 宇宙が誕生してからまだ数十億年しかたっていない時期には、一定の空間体積内に存在する銀河の数が現在の10倍だったことを、今回の結果は示唆している。

 これは「銀河同士の大規模な合体現象を通じて、その数を減少させるための重大な進化が起きたに違いない」ことを示唆している。


ここがヘンだよ、日本のWi-Fi

2016年10月06日 | デジタル・IT

ここがヘンだよ、日本のWi-Fi

ここがヘンだよ、日本のWi-Fi: 2013年時点で無料Wi-Fiが「十分ではない」と回答した訪日観光客は32.7%だった(出典:総務省)© ITmedia エンタープライズ 提供 2013年時点で無料Wi-Fiが「十分ではない」と回答した訪日観光客は32.7%だった(出典:総務省)

 いつものように近所のカフェで記事を書いていたときのこと。原稿を書き終わってゆったりしていると、カフェの壁に貼られた紙を虫眼鏡でのぞき込んでいる人を見かけました。

 一体、何だろう? といぶかしげに見ていたのが伝わったのか、振り返ったその人は、英語で「Wi-Fiにつなげたいのだけれど、説明がよく分からないの」と声をかけてきました。
壁に書かれていた無線LANの接続方法は、かなり文字が小さく説明は日本語のみ。SSIDさえ分かればよかったのでしょうが、それも分かりづらかったようです。

 彼女はイタリアからの旅行者で、このカフェの近くで娘さんと待ち合わせをしていたようです。イタリア語のiPhoneを勘と経験で設定変更し、
無事ネットワーク接続を済ませると、すぐにIPフォンで電話をかけて娘さんと連絡を取っていました。今や、ネットにさえつながってしまえば、通話も普通にできてしまうのだなぁと、あらためて実感したのでした。

●「日本でつながる」というハードルの高さ

 思えば私も、海外旅行ネットワークにつながるために、必死になった記憶があります。以前、「スマホだけを頼りに観光やホテルの予約をこなす」という取材をしたとき、不安はあったものの、
「実際、現地に放り出されても“スマートフォンの地図さえあればなんとかなる”」と思ったものです。しかし、それも「ネットにつながる」という前提があってこそ。
現地でインターネットに接続できなければ、ホテルの中でじっとしていたかもしれません。

 今や海外でも、Google Mapを使えば、“今いる場所”だけでなく、目的地までの移動手段や近くにあるレストランまで分かる時代。“ネットワーク接続への依存度”も、以前と比べて格段に増していることが分かります。

 実は日本では、ネットワークにアクセスするためのハードルが高いことが課題になっていました。通信事業者が用意するWi-Fiアクセスポイントは街中にあふれているものの、「無料」で使えるWi-Fiスポットが少なかったのです。

 ただ、そんな状況は変わりつつあります。現在では「Japan Connected-free Wi-Fi」という仕組みが用意されており、これをインストールして登録すれば、かなり多くのWi-Fiスポットを利用できるようです。
問題は、「この仕組みがどの程度、訪日観光客に知られているか」という点でしょう。

●万一のときに無料で使えるWi-Fi、ご存じですか?

 “つながることが前提”の世の中になると、事故や災害でネットに接続できなくなったときに、予想以上のダメージを受けることになります。

 こうした事態に直面したときに備えて、知っておいた方がいい“文字列”があります。それは「00000JAPAN」。
大規模災害時に通信事業者をはじめとするWi-Fiスポットを無料開放するという仕組みがあり、その際、各社のSSIDがこの00000JAPANになるのです。2016年4月に発生した熊本地震で稼働し、話題になりました。

 通信というインフラは、災害時や外国で迷子になったときなどに、初めてそのありがたさが分かるのかもしれません。できれば、普通につながる状況のときに、
「つながらなくなった場合」のシミュレーションをしておくといいでしょう。そうしておけば、「海外で無料Wi-Fiにつながる(と言い張る偽の)アプリ」や、
「(ゼロが1つ足りない)0000JAPANと名乗る無料Wi-Fi」みたいなものにだまされずに済むでしょう。