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逆境を勝ち越えた英雄たち

2022年12月29日 | 妙法

【ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第27回 ゲーテ2023年1月9日

特別文化講座で、創価大学生・女子短大生らに講義する池田大作先生。ゲーテの生き方を通し、“自身の目的を真剣に見つめ、揺るぎない土台を築く青春に”と訴えた(2003年3月10日、創大本部棟で)
特別文化講座で、創価大学生・女子短大生らに講義する池田大作先生。ゲーテの生き方を通し、“自身の目的を真剣に見つめ、揺るぎない土台を築く青春に”と訴えた(2003年3月10日、創大本部棟で)
〈ゲーテ〉
宇宙に帰りゆくまで、
たゆまず活動を続けよう。
太陽は沈む時も偉大で荘厳だ。

 2003年3月10日、創価大学創立者の池田大作先生は、学生らの熱望に応え、第1回の「特別文化講座」を行った。

 テーマは「人間ゲーテを語る」。文豪ゲーテの生涯と精神を巡る講演は、先生が青春時代に座右とした彼の言葉から始まった。
 「誠実に君の時間を利用せよ!/何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな」

 ――生き生きと、青春を生きる人間ほど偉大な人間はいない。強いものはない! これがゲーテの誇り高い生き方だった。自分が決めたこの道で、これから一生涯、戦ってみせる。その原動力は、青春にある! こう決めて、私も青年時代を生き抜いた、と。

ドイツの文豪ゲーテ(1749―1832年)©Art Images/Getty Images
ドイツの文豪ゲーテ(1749―1832年)©Art Images/Getty Images

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは1749年、ドイツ・フランクフルトで誕生した。

 父は資産家で教養が深く、物事を中途半端に終わらせようとする姿勢を許さない人だった。そんな父から万般の学問を授けられ、その確固たる信念を心に刻み付けた少年時代だったという。

 実際にゲーテの作品は、不朽の名作『ファウスト』が着想から約60年、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』が16年以上という長い歳月を経て、完成を迎えている。後年、彼は「自分の生涯の終末をその発端と結びつけることができる人は、いちばん幸福な人間である」と書き残した。

 快活だった母も、ゲーテに大きな影響を及ぼした。「この世界には、あまたの悦びがあるのです! その探し方に通じていさえすればいい」――そう言い聞かせる母から彼は、常に希望を見いだす生き方を学び取っていった。

 母は、読み書き程度の教育しか受けていなかった。だが、読書好きで小説や雑誌、年鑑など、目の前にあるものなら何でも読んだといわれる。幼少のゲーテは、母が語る昔話などを何よりの楽しみにしながら想像力を養った。「周知の物語に新鮮味を与え、別の物語を創作して語り、語りながら創作していく天分をうけついだ」と、母への感謝をつづっている。

 「万能の人」として、レオナルド・ダ・ヴィンチと並び称されたゲーテ。その出発点は、両親の深い愛情にあった。

 後に師と出会い、生ある限り、ペンを執り続けた彼の言葉にこうある。

 「宇宙に帰りゆく迄、たゆまず活動を続けよう」

 「太陽は沈む時も偉大で荘厳だ」

〈ゲーテ〉
鉄は打って鍛え、
水という異質な養分によって、再び強くなる。
それと同じことが人間も師によって施される。

 16歳になったゲーテは、名門・ライプチヒ大学に進むものの、生死をさまよう大病を患い、退学を余儀なくされる。

 1年半の療養の末、健康を取り戻し、故郷を離れてストラスブール大学へ。この地で、ドイツの思想家ヘルダーと運命的な出会いを果たす。ヘルダーの幅広い知識と見識に魅了されたゲーテは彼に師事し、厳しい訓練にもめげず、貪欲に学び続けた。

 『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』にゲーテは記している。

 「鍛冶屋は、火を吹きつけて、鉄の棒から余分なものを取り去って、鉄を軟らかくする。鉄にまじり気がなくなると、それを打って鍛える。そして水という異質な養分によって、ふたたび強くなる。それと同じことが、人間にたいしても師によって施される」

 師のもとで詩人、作家としての骨格を築き上げた青春時代の鍛錬を「素晴らしい、予感にみちた仕合せな日々」だったと述懐したゲーテ。25歳で発刊した『若きウェルテルの悩み』は各国語にも翻訳され、ドイツ文学を世界に知らしめていった。

 その後、彼はワイマール公国の君主の招聘を受け、政治の世界に進出。約10年間にわたり、財政、産業、教育など国政全般で卓越した手腕を発揮する。その業績は、政治に「人道主義の精神を導入した」として高く評価された。

 ゲーテに向けられたのは賛辞ばかりではない。しかし、彼は泰然自若としていた。「人間がほんとに悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味を持たなくなる」と。非難や中傷にもひるまず、愛する妻子に先立たれる苦悩も乗り越え、死の直前まで使命の人生を歩み通した。

 ゲーテが亡くなったのは82歳の時。『ファウスト』は、その半年前に完成を見たものの、死去する2カ月前に再び手を入れ、生命を完全燃焼させたという。

〈ゲーテを通して池田先生に語る戸田先生〉
世間がどうあれ、勇気に燃えて、
最後まで戦い抜いた人間が必ず勝つ。
最も正しき信仰に燃えた、
わが弟子が負けるわけがない。
1981年5月、池田先生ご夫妻がドイツ・フランクフルトにあるゲーテの生家を訪問。館内を丹念に見学し、立ったまま書くための机を見た先生は、信念のペンを執り続けた文豪の生涯に思いをはせた
1981年5月、池田先生ご夫妻がドイツ・フランクフルトにあるゲーテの生家を訪問。館内を丹念に見学し、立ったまま書くための机を見た先生は、信念のペンを執り続けた文豪の生涯に思いをはせた

 池田先生は、ゲーテを「青春の魂の友」と呼ぶ。自身の病苦や恩師・戸田城聖先生を支える若き日の苦闘の中でひもといた文豪の作品は、「希望の虹」となった。

 1981年5月には、欧州の青年らとフランクフルトにあるゲーテの生家を訪ねている。

 2009年12月、伝統あるドイツの学術団体「ワイマール・ゲーテ協会」が、ゲーテの最大の理解者であり、平和と人道に尽くしてきた池田先生をたたえ、「特別顕彰」を授与。ゲーテの依頼で1816年に制作された「ゲーテ・メダル」が贈られた。

 式典で先生は、ゲーテの箴言を通して青年たちに語った。

 「『人間よ 気高くあれ』

 ちょっとしたことで落ちこんだり、すぐにくたびれて、だらけたり、意気地なしになったりしてはいけない。“気高くあれ! グッと胸を張れ!”――これがゲーテの心でありました。

 彼は、こうも言う。

 『進んで人を助け善であれ!』

 学会活動、仏法の精神にも通じる言葉です。そして、『正しいことを つねに倦むことを知らずおこなえ』と。ゲーテの訴えは、仏法者の行動とも、深く響き合っている」

ゲーテが「ここから見るライン川が一番美しい」とたたえたビンゲン市の景勝地には、ドイツSGIのヴィラ・ザクセン総合文化センターが立つ
ゲーテが「ここから見るライン川が一番美しい」とたたえたビンゲン市の景勝地には、ドイツSGIのヴィラ・ザクセン総合文化センターが立つ

 また、ゲーテを巡る戸田先生との師弟の語らいを、随筆につづったこともある。

 「ゲーテが、親友の大詩人シラーに寄せて、“真の勇気”を謳い上げた詩がある。

 『早かれ晩かれ、愚昧な世間の抵抗に打ち克つあの勇気』『遂には高貴なるものの時期が到来するために、或いは勇敢に進出し、或いは辛抱づよく忍苦して当に益々高められてゆくあの信仰』(中略)

 私が、このゲーテの詩を、戸田先生の前で朗詠すると、先生は深く頷かれた。『そうだ! その通りだ! ひとたび戦いを起こしたからには、断じて勝たねばならない。世間がどうあれ、勇気に燃えて、最後まで戦い抜いた人間が必ず勝つのだ。最も正しき信仰に燃えた、わが弟子が負けるわけがない。大作、君がそれを証明せよ!』」(2007年7月13、14日付「随筆 人間世紀の光〈わが青春のゲーテ〉」)

 今年は特別文化講座「人間ゲーテを語る」から20周年。池田先生は約1時間半の講演を、ゲーテの詩の一節で結んだ。

 「わたしは人間だったのだ。そしてそれは戦う人だということを意味している」

 【引用・参考】池田大作著『世界の文学を語る』(潮出版社)、『ゲーテ全集』(同)、ゲーテ著『ファウスト』手塚富雄訳(中央公論社)ほか

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 連載の一部をまとめた書籍『ヒーローズ』が好評発売中。ネルソン・マンデラ、ローザ・パークス、諸葛孔明、高杉晋作など12人を収録している。潮出版社刊。1540円(税込み)。全国の書店で購入・注文できます。聖教ブックストアのウェブサイトでも受け付け中。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。

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HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第26回 「芙蓉の人」2022年12月29日

すべては未知の記録への挑戦だった。
富士山頂の気象観測を完遂するまでは
下山しない覚悟で来たのだ。
野中到・千代子夫妻
 雲間から冠雪の山頂を現す富士。その秀麗な姿が芙蓉の花のように美しいことから、「芙蓉峰」とも称される(2000年2月、池田大作先生撮影)。先生はつづった。「自分自身が富士の如く聳(そび)え立って、不動の信念に生き切ることだ。元初からの自らの誓願に生き抜くことである」
 雲間から冠雪の山頂を現す富士。その秀麗な姿が芙蓉の花のように美しいことから、「芙蓉峰」とも称される(2000年2月、池田大作先生撮影)。先生はつづった。「自分自身が富士の如く聳(そび)え立って、不動の信念に生き切ることだ。元初からの自らの誓願に生き抜くことである」

 冬空にそびえる冠雪の富士。その頂上には、計り知れないほどの烈風が吹き荒れる。
 明治中期、厳冬の富士山頂で世界初の連続気象観測に挑んだ夫妻がいた。気象学者の野中到と夫人の千代子である。
 この史実を題材にした新田次郎の小説『芙蓉の人』は、日本文学不朽の名作として今も読み継がれている。
 主人公は千代子。前人未到の挑戦の陰にあった、一人の気高き女性の苦闘が描かれている。
 野中到は明治維新の前年の1867年(慶応3年)、筑前国早良郡鳥飼村(現在の福岡市)で生まれた。千代子もまた、福岡出身である。
 彼には気象学者として、大いなる夢があった。それは富士山で冬期気象観測を成し遂げること。成功すれば世界最高記録の樹立となり、科学の未知の世界に光を当てられるからだ。
 95年2月、初めて冬の富士山登頂に成功。同年夏、私財を投じて山頂に6坪の小さな観測所を建設し、中央気象台の嘱託として冬の気象観測を開始する。
 それはまさしく「死を賭けての仕事」だった。彼の身を案じた千代子は「主人を一人で山の中に置くようなことはできません」と、自らも富士山へ登り、夫を支えることを決意する。
 到が知れば「だめだ」と言うに違いない。そこで彼女は独学で気象学を学び、体を鍛錬し、登山への準備をひそかに進めていった。
 男尊女卑の時代。周囲の反対の声は強かった。夫の観測を後押しした中央気象台の学者からも嘲笑された。
 それでも千代子は微動だにしなかった。「私がしようとしていることが、ままごと遊びか、そうでないか、これからの私の行動をよく見てから云って貰いたいものだ」
 そして同年10月中旬、夫の後を追って、富士山頂に登った。ここから夫婦二人三脚の観測が始まったのである。
 零下20度にもなる大自然の猛威は想像を絶していた。強い寒気に襲われながら、1日12回、寝る間もなく2時間おきに気温、気圧、風向、風速などを測らなければならない。酸素は少なく、高山病との闘いも苛烈を極めた。
 満身創痍の中で、到が振り絞るように語った言葉がある。
 「野中到は、いや野中夫妻は死を決してこの山に来たのだ。富士山頂における冬期気象観測を完遂するまでは、下山しない覚悟で来たのだ」

 【引用・参考】新田次郎著『芙蓉の人』(文春文庫)、野中至・野中千代子著『富士案内 芙蓉日記』大森久雄編(平凡社)ほか

逆境を勝ち越えた英雄たち〉第26回 「芙蓉の人」(1面から続く)2022年12月29日

 
凜とした気品をたたえ、美しく咲き誇る芙蓉の花(2008年8月、池田先生撮影)。戸田先生はかつて「芙蓉の花は、香峯子だよ」と池田先生ご夫妻を励ました。我らも、芙蓉のごとき満々たる生命力をみなぎらせ、幸福勝利の大輪を咲かせよう!
凜とした気品をたたえ、美しく咲き誇る芙蓉の花(2008年8月、池田先生撮影)。戸田先生はかつて「芙蓉の花は、香峯子だよ」と池田先生ご夫妻を励ました。我らも、芙蓉のごとき満々たる生命力をみなぎらせ、幸福勝利の大輪を咲かせよう!
「芙蓉の人」を語る池田先生

 どんな試練があろうとも、希望を捨ててはいけない。富士の山頂を心に仰ぎながら、自分らしく、明るく朗らかに、前進の一歩を踏み出していくことだ。

〈芙蓉の人〉

 耐えるのよ、頑張るんだわ。私だってもうだめかと思っていたのが急に快くなったでしょう。

 過酷な観測所で千代子は食事の支度やストーブの管理、寒風が吹き込む隙間の目張りなど、次々と仕事をつくって働いた。殺風景な部屋に紅葉などで飾り付けをし、心が安らぐような工夫も施した。
 さらには独学の知識に加え、到の仕事を見て回る中で正確な観測技術を体得。夫婦で昼夜を交代しながら、気象観測を続けていったのである。
 長い山頂生活は苦難の嵐の連続だった。2人の体は病魔にむしばまれ、追い打ちをかけるように、肝心の水銀気圧計が測定限界を超え、使用できなくなってしまう。
 気落ちした到は、ついに寝たきり状態に。その夫に代わり、千代子は自らも健康を害しながら、1日12回の気温観測を1人で担ったのである。
 「彼女は到が十月一日以来、次第にその重さを増して来た冬期連続観測の記録の鎖に、彼女の手で一環一環を加えて行くことに、どれほどの意味があるかも充分知っていた。すべては未知の記録への挑戦であった」
 この間、実家に預けた最愛の娘を病で失う悲劇も重なった。それを後で聞いた時のショックは、あまりにも大きかった。
 ある日、到が朦朧とする意識の中でつぶやく。「もし、おれが息を引き取ったら、その水桶に入れて、器械室へころがして行って、春になるまで置いてくれ」
 千代子は涙ながらに訴えた。「耐えるのよ、頑張るんだわ。私たちにとって、いまが一番苦しい時なのよ。私だってもうだめかと思っていたのが、急に快くなったでしょう」
 すると、戸外から声がした。麓の村人たちが慰問に訪れたのである。彼らは重体の夫妻を見るや直ちに下山を勧める。しかし、到はかたくなに拒んだ。2人にとって、志半ばの下山は死以上につらいことだった。
 その後、命に及ぶ危険な状況を知った政府の命令や協力者らの説得で夫妻は観測を中断(1895年12月22日)。だが、82日間にわたる高度連続気象観測は、世界史に輝く偉業として語り継がれていくことになる。
 「芙蓉峰」とも呼ばれる富士山。その山頂での戦いを『芙蓉日記』としてつづった千代子は1923年、51歳で世を去る。
 到は87歳で亡くなるまで、妻への感謝を忘れなかった。褒章の話があっても「私一人でやったのではなく千代子と二人でやったもの」と言い、その栄誉を受けようとしなかった。
 「『芙蓉の人』は、千代子夫人の芙蓉日記からヒントを得たものだったが、千代子夫人の当時の写真を見ても、『芙蓉の人』と云われてもいいほどの美しい人であり、心もまた美しい人だったからこの題名にした」――新田次郎は小説のあとがきに、こう記した。

 池田先生は2008年8月、入信61周年の「8・24」を記念して、文学随想「小説『芙蓉の人』を語る」を本紙で発表。野中夫妻の人生を通し、広宣流布の大志を抱き、困難に挑みゆく創価の女性や青年たちへエールを送った。
 ◇ 
 「初めっから死を賭けての仕事」。これが、野中青年の決意であった。(中略)
 青年とは先駆者である。挑戦者である。開拓者である。すでに、でき上がった土台の上に、自分が花を咲かせるのではない。わが身を犠牲にしても、人のため、社会のため、あとに続く後輩たちのために、自分が礎となる――。この青年の誇り高き闘魂によって、道なき道が開かれる。
 ◇ 
 女性の聡明な笑顔、生き生きとした声の響きこそ、皆に勝ち進む活力をみなぎらせていく源泉である。何ごとも、根本は「人間」だ。「人間の心」である。その「心」に、明るい希望を、生きる喜びを、負けない勇気を贈り続けること――。ここに、勝利の原動力がある。
 ◇ 
 あの地でも、この地でも、喝采のない使命の舞台で、生命を育み、地域を守り、社会を支え、歴史を創り、未来を開く女性の崇高な献身が、いかに人知れず営々となされていることか。この大功績を、最敬礼して讃えていくことだ。その限りない智慧と努力から、学んでいくことだ。
 私たちが仰ぎ見るべき「芙蓉峯」の山頂とは、一体、どこにあるのか。それは、だれが見ていなくとも、まじめに誠実に、粘り強く、一歩また一歩と歩みを進めゆく女性たちが到達する、「勝利と栄光の境涯」なのである。
 ◇ 
 人生には、幾多の試練がある。言語に絶する苦難を前に、「もうだめだ」と思う時もあるかもしれない。しかし、何があろうとも、決してあきらめてはいけない。希望を捨ててはいけない。どんな戦いにおいても、まずは自分が負けないことだ。まずは自分が真剣になることだ。そこから、一切の道が開かれる。
 「芙蓉の峯」――あの富士の山頂を心に仰ぎながら、きょうも、自分らしく、明るく朗らかに、前進の一歩を踏み出していくことだ。
 (08年8月23・24日付)
 「飛躍」から「凱歌」の一年へ! 尊き“創価の芙蓉の友”と共々に、我らが目指すべきは新たな広布の最高峰である。

書籍「ヒーローズ」が好評発売中

 連載の一部をまとめた書籍『ヒーローズ』が好評発売中。ネルソン・マンデラ、ローザ・パークス、諸葛孔明、高杉晋作など12人を収録している。潮出版社刊。1540円(税込み)。全国の書店で購入・注文できます。聖教ブックストアのウェブサイトでも受け付け中。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。

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君の胸に凱歌よ轟け

2022年12月28日 | 妙法

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 君の胸に凱歌よ轟け2022年12月28日

  • 幸福と平和の城は民衆の大地に!
春夏秋冬を生き抜いて輝く紅葉――赤や黄や緑が織り成す絢爛たる錦(にしき)のよう(池田先生撮影。今月、都内で)
春夏秋冬を生き抜いて輝く紅葉――赤や黄や緑が織り成す絢爛たる錦(にしき)のよう(池田先生撮影。今月、都内で)

 先週から日本列島は強烈な寒波に覆われ、信越、東北をはじめ、北海道や北陸、中国、四国など各地で大雪が続いた。
 心よりお見舞い申し上げ、無事安穏を祈りたい。
 日蓮大聖人も佐渡や身延で厳しい冬を忍ばれた。
 最晩年の弘安四年(一二八一年)の年の瀬には、「とし(年)のさむ(寒)きこと、生まれて已来いまだおぼ(覚)え候わず。ゆき(雪)なんどのふ(降)りつ(積)もりて候ことおびただし」(新1978・全1486)と綴られている。そうした中で、信心の真心を尽くす窪尼御前を、「釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏にこの功徳はまか(任)せまいらせ候」(同)と讃えておられるのだ。
 辛労が続く中でも、「自他・彼此の心なく」(新1775・全1337)、共に祈り、温かく思いやって支え合う我ら創価の連帯は、御本仏の御照覧のもと、大宇宙の仏天の加護に厚く包まれゆくことを確信したい。
 
 

若き飛躍に喝采

 私たちの対話は、いかに凍えた生命にも、光と熱を送り、「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との希望を共に輝かせゆく触発といってよい。
 特に「青年・飛躍の年」の本年、創価の若人は全国での「SOKAユースフェスタ」で、最後の最後まで友情拡大へ挑戦の汗を流してくれた。
 「御義口伝」講義から六十周年に当たり、学生部をはじめ従藍而青の青年たちの求道に応えて、私も新たな講義を開始した。今再び、この師弟相伝の重書を共に学べる喜びは計り知れない。
 今月十一日には、音楽隊の創価ルネサンスバンガードが、第五十回「マーチングバンド全国大会」で、実に十七度目の日本一の栄冠に輝いた。バンガードには「先駆者」「先陣」の意義がある。まさに「青年・凱歌の年」への先駆けであった。
 同日、第五十回「バトントワーリング全国大会」では、鼓笛隊の創価中部ブリリアンス・オブ・ピースが美事な演技を披露してくれた。
 青年の勝利は、何と頼もしいことか。後継の飛躍の姿は、何と心躍るものか。
 この若き熱と力を見守り、エールを惜しまぬ父母たちへの感謝は尽きない。
 「四恩抄」には、「今生の父母は、我を生んで法華経を信ずる身となせり」(新1216・全937)と記され、その恩は、いかなる大王等の家に生まれるより重いと説かれている。
 さらに、結成七十周年の統監部、また教宣部、儀典部をはじめ、「誠実」の二字に徹して広宣流布を支えてくれる男子部の創価班や牙城会、壮年部の王城会、女性部の香城会、会館守る会、創価宝城会、会場提供の方々、「無冠の友」、新聞長、民音推進委員ら皆様の献身のおかげで、本年も全てに大勝利することができた。
 わが愛する宝友の大奮闘に、心から御礼申し上げたい。本当にありがとう!
 
 

苦悩から歓喜へ

 創立祝賀の本部幹部会では、創価グロリア吹奏楽団と関西吹奏楽団が、ベートーベンの交響曲第五番「運命」(第四楽章)の圧巻の演奏を披露してくれた。
 苦悩を突き抜けて歓喜へ――「運命」などの名曲は、私も若き日、手回しの蓄音機でレコードがすり減るほど聴いたものだ。
 当時、わが師・戸田城聖先生の事業は苦境に陥り、私自身も胸を病んでいた。だが、楽聖の力強い旋律に魂を震わせ、“この苦悩の冬を越え、必ず師弟凱歌の歓喜の春を開いてみせる!”と奮い立ったのである。
 ベートーベン自身、苦闘の連続だったことは有名である。しかし彼は、過酷な運命と戦う、自らの使命に誇りを持っていた。“自分は作曲できる。ほかに何もできることがなくとも”と。二百年前(一八二二年)の暮れに残した自負である。
 この頃から“歓喜の歌”を織り込んだ交響曲「第九」作曲への本格的な取り組みも始めている。生命を鼓舞してやまない人類への贈り物は、決して順風の中ではなく、むしろ逆風にさらされた苦闘から、そして不屈の志から生まれたのだ。
 人生は、山あり、谷あり。病気や仕事の苦悩、家庭や人間関係の葛藤、将来への不安など悩みは尽きない。だが、今の苦闘には深い意味があると確信していくことだ。強盛な信心の一念がある限り、「宿命」も必ず「使命」に転じられる。
 恩師は、同志に慈愛の眼を向けて呼びかけられた。
 「悩みのある人は、一年間、真剣に信心してごらん。来年の今日までに絶対に変わらないわけがない」
 断じて、善く変わっていけるのが妙法の力である。いな、変えていくために私たちは信心しているのだ。
 この確信、そして確かな「人間革命」の凱歌の物語を、明年も共々に残していこうではないか!
 
 

“題目が勝ち鬨”

 師走の寒風を突いて、関東の栃木・群馬へ駆けたことがあった(一九七八年)。
 初日(二十六日)は、足利を訪問。正月が目前であり、新年の出発と地域の発展を祝おうと、有志で餅つきが行われた。
 私も杵を振るい、地元の婦人が“こねどり”をしてくださった。杵を臼の中の餅に振り下ろす。杵が上がった瞬間、すぐに餅をこね返す。また振り下ろす。
 そのリズミカルな動作を、「よいしょー、よいしょー」と皆の威勢のよい掛け声が包む。息もぴったりと、みるみる真っ白い餅がつき上がっていった。
 この時、“こねどり”をしてくれた母は、後年、あの「よいしょー」の声が「勝ち鬨」のようだったと回想されている。そして、日々、朗々と唱える題目自体が「勝ち鬨」ですと、笑顔皺を浮かべて語られていた。
 大聖人は「南無妙法蓮華経は師子吼のごとし」(新1633・全1124)、「日蓮が一門は師子の吼うるなり」(新1620・全1190)と仰せである。
 我らには、「師弟不二」「異体同心」という、何ものにも遮られない、最極の生命の呼吸がある。
 どんな困難があろうが、「よいしょー」と皆で力を合わせ、勇敢に戦い越えていくのだ。題目の師子吼を響かせ、痛快なる勝ち鬨をあげていくのだ。

「よいしょー!」。響き渡る掛け声。見守る笑顔。新しい年へ、息もぴったり、友と力強く餅つきを(1978年12月26日、栃木の足利会館で)
「よいしょー!」。響き渡る掛け声。見守る笑顔。新しい年へ、息もぴったり、友と力強く餅つきを(1978年12月26日、栃木の足利会館で)
 
 
足元を固め前進

 「激動の時代である。勝負の世紀である。自分の足元を固めた人が勝者となる。これが鉄則である」とは、恩師の将軍学である。
 乱世なればこそ、足元を大切にする。家庭や親族、地域、職場など、自分がいる場所で地道に信頼を結び、友情を広げていく。地味なようであっても、それが、自他共の幸福を築く最も確実な力となるからだ。
 顧みれば、戸田先生が、「一家和楽の信心」「各人が幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」との指針を示されたのは、ご自身の願業たる「七十五万世帯の弘教」を達成した直後、六十五年前(一九五七年)の師走のことであった。
 自らの家庭を支え、自らが幸福をつかみ、自らが難を乗り越える――足元を固めてこそ、人生の凱歌も、広布の凱歌もある。幸福と平和の城は、この揺るがぬ民衆の大地に立つのだ。
 ある懇談の折、「家族が信心に反対なのですが……」と思い詰めた表情で質問する友に、私は申し上げた。
 「電灯のスイッチをひねるのは一人でいいんです。一人がひねれば、一緒にいる人たちの周りも明るくなる。家族の中で一人だけ信心しているというのも、同じなんだよ」と。
 「一は万が母」(新578・全498)だ。不退の信仰を貫く一人がいれば、その福徳の光は、必ず一家眷属を照らす。だからこそ、目の前の「一人」を最大に温かく励ましていくのだ。
 大聖人は、身延でも周辺の古老たちと「これほど寒い冬はないね」と語り合われるなど、人間味あふれる交流を重ねられた。身近な近隣、地域を大切にされる振る舞いを拝したい。
 私自身、学会本部のある信濃町で、自ら進んで近隣の方々に挨拶し、町内の商店に入るなどして、親交を深めてきた。立川文化会館や神奈川文化会館をはじめ各地の訪問先でも、近隣、地域へ、朗らかに挨拶して回ったことも懐かしい。

全同志の一年の敢闘に感謝。そして、共々に新たな一年へ希望の出発を(2005年12月、八王子市の東京牧口記念会館で)
全同志の一年の敢闘に感謝。そして、共々に新たな一年へ希望の出発を(2005年12月、八王子市の東京牧口記念会館で)
 
 
楽しく行こう!

 七十年前(一九五二年)の暮れ、前進の一年の総仕上げとなる総会で、戸田先生は「なぜ人間に生まれてきたのか」と問われ、こう断言された。「我々は、この世に遊びにきたのだ」と。
 寿量品自我偈の「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」を、今の私たちの身の上に展開されたのである。
 「甘い汁粉には、砂糖と塩がなければなりません。塩の程度の苦労がなければ、真の幸せも感じられないのです」
 たとえ今は、塩の加減の方が多くとも、やがて味わい深い思い出となるのだ。
 当時、私は日記に書いた。
 「職場も、革命も、組合も、時代も、政治も、教育界も、科学界も、すべて、青年を味方にせずして勝利はない。青年を味方にするか、敵にするかが、すべての戦の鍵である」
 この決意のままに、翌年、男子部の第一部隊長に就任した私は、若き地涌の友と連帯を大拡大していった。
 いよいよ、「青年・凱歌の年」の幕が開ける。
 「凱歌」とは、戦い勝った祝い歌のことだ。その「凱」の字には、「勝ち鬨」「楽しむ」という意義がある。
 勝てば、心の底から喜びの歌声も湧き上がる。
 さあ、君の胸に、新たな栄光の凱歌を! 我らは明るく楽しく、勇気の声、希望の声、英知の声を響かせていこうではないか!
(随時、掲載いたします)

 <参考文献>ベートーベンはロックウッド著『ベートーヴェン 音楽と生涯』沼口隆・堀朋平訳(春秋社)等を参照。


新しき年へ向かって

2022年12月27日 | 妙法

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 新しき年へ向かって2022年12月27日

  • 今日から未来の準備を!

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。「青年・飛躍の年」もあとわずか。今回は、新しき年へ向かって、前進する友へ贈った言葉を紹介します。

順調な時こそ油断大敵

 順調なときこそ、「油断は大敵」である。
 
 日蓮大聖人は、主君の信頼を勝ち得て、苦境を脱しつつあった四条金吾に対して、「心に深く用心しなさい」(全1176・新1600、通解)等と、このようなときこそ心を引き締めていくべきだと教えておられる。また、別の門下に対して、「冬は、火事で家が焼亡することが多い」(全1101・新1500、通解)と厳しく注意をうながされている。
 
 時代は、ますます複雑な悪世である。凶悪な事件も多い。悪質な詐欺も横行している。火事や交通事故はもちろんのこと、こうした事件にも、十分に注意していただきたい。
 
 (『池田大作全集』第97巻、144ページ)
 

“わが家”の締めくくり

 難解な仏法の法理を教えていくことも当然、大切なことである。とともに、社会の荒波のなかにあって、厳しい現実とけなげに闘っている尊い仏子、わが同志の“きょう”を、そして“あす”を、どう守りぬいていくか。いかにして最高に価値ある前進のリズムを創り出していくか。広布の指導者は、この一点をつねにみずからの心に課し、決して忘れてはならない。
 
 そして、日々の生活、身近な足元を大切にしていく意味からも、年末はそれぞれの“わが家”の一年の締めくくりと新年の準備をしていただけるように心を配ってほしい。
 
 (『池田大作全集』第72巻、103ページ)
 

これほど尊い姿はない

 戸田先生は、来る年も来る年も、学会活動に励みゆく同志を讃えて、私に言われた。
 
 「これほど尊い姿はない。この方々がいなければ、広宣流布はできない。このけなげな学会員を、大作が長生きをして、守りぬいてもらいたい」
 
 新しき年も私は、広宣流布を推進してくださっている誉れの同志に、よりいちだんと光を当て、その労に報いたいと決意している。
 
 (『池田大作全集』第95巻、408ページ)
 

1991年の師走、東京・荒川を訪問した池田先生が、地元の同志を激励(荒川文化会館で)。この日、文化音楽祭に出席した先生は語った。「近隣友好の広がり、信頼の拡大、地域と一体になっての発展――“友”が増えること自体が“広布の発展”なのである」と
1991年の師走、東京・荒川を訪問した池田先生が、地元の同志を激励(荒川文化会館で)。この日、文化音楽祭に出席した先生は語った。「近隣友好の広がり、信頼の拡大、地域と一体になっての発展――“友”が増えること自体が“広布の発展”なのである」と
苦闘が人間革命への道

 ある年の瀬、新春から始まる、不可能とも思える困難な挑戦へ、一人呻吟する私の苦衷を見抜かれたように、戸田先生が声を掛けてくださいました。「大ちゃん、人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ」と。
 
 今の苦悩は全て、人間革命のための修行です。人間は人間以上にはなれない。なる必要もありません。苦闘の中で、どこまでも人間として成長し、偉大な人間になるための信心であり、それが人間革命なのです。
 
 (『人間革命の宗教』、28ページ)
 

青年は悠然と前進する

 青年には無限の力がある。青年には無限の希望と未来がある。諸君は、殺伐たる社会の中で、目先の小さな目的のみにとらわれるのではなく、世界へと大きく目を開き、雄大なる希望、壮大なる人生のために、悠然と生きていただきたい。また、本日の年の瀬のひとときが、その一つの契機ともなればと思っている。
 
 (『池田大作全集』第72巻、92ページ)
 
 

魔を打ち破る仏事の声

 「敵と申す者はわすれさせてねらふものなり」(全1185・新1608)と仰せです。
 
 魔は心の隙をついてくる。
 
 ですから、一言の注意が魔を打ち破る大きな智慧になる。事故を未然に防ぐことができる。沈黙は無責任です。
 
 例えば、学会の会合で、終了後に交通事故への注意を促すことも、あるいは、階段で転倒しないように呼びかけることも、慈悲の仏事の声であり、仏法の人間主義の振る舞いです。
 
 (『勝利の経典「御書」に学ぶ』第4巻、48ページ)
 

年の瀬を迎えるたびに

 信心しているけれど、去年と同じじゃないか。いや、もっとひどいじゃないか、ではいけない。また、あのいじわるが、まだ続いているじゃあないか。もっとあの人は変わってほしい。要領やいいかげんさだけで泳いでいるあの人も、大きく変わってもらいたい、などと言われるのではいけない。
 
 来年も今年と同じようではならない。一年、一年と、年の瀬を迎えるたびに「本当に立派になった。成長した」と、多くの人々から言われるような、皆さま方お一人お一人であっていただきたい。
 
 (『池田大作全集』第69巻、596ページ)
 

まず人と会うことから

 新時代の開幕に呼応し、各地で新リーダーが勇み、指揮を執っている。決意が漲る、皆の息吹が嬉しい。
 
 広宣流布の新たな前進は、どこから始まるか。
 
 それは、リーダーが人と会うことから始まる。
 
 一人また一人と、どんどん会って、語り合っていくことだ。心から友を励ましていくことだ。そこから人材が伸び、波動が広がる。これが鉄則だ。
 
 (『随筆 幸福の大道』、105ページ)


良き家庭は良き社会の第一歩 

2022年12月18日 | 妙法

良き家庭は良き社会の第一歩 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2022年12月18日

 【写真説明】空の抜けるような青に、古城のレンガの赤が映える。彼方には、銀翼を光らせて翔る飛行機。1994年(平成6年)6月、池田大作先生がイギリス・ロンドン郊外にあるタプロー・コート総合文化センターをカメラに収めた。
 この訪英の折、先生は語った。「広布の城を荘厳する人は、自分自身の生命を荘厳する人である。自分自身の生命に『黄金の城』ができていく。崩れない『福徳の城』ができていく」と。
 この一年、走り戦い築いた、わが生命の勝利城。その前進を支えてくれた家族に、同志に、感謝の言葉を伝えたい。「心こそ大切」(新1623・全1192)である。
 

池田先生の言葉

 私は、
 「成長家族」
 「創造家族」という
 言葉が大好きだ。
 家庭は、
 人生の基本となる
 「安心」と「希望」の
 拠点であり、
 「幸福」と「平和」の
 基地にほかならない。
 日々の生命と活力の
 「蘇生」の場であり、
 前進と充実を生み出す
 「創造」の絆であり、
 「和楽」と「成長」の
 城である。
  
 家族といっても、
 心と心を通い合わせ、
 互いを思いやる
 気持ちがなければ、
 絆を深めることは
 できない。
 人間の本当の幸せは、
 その絆を一生涯、
 大切にしながら、
 互いの幸福を願い、
 それをともに
 育んでいく中にある。
  
 良き家庭は
 良き人間を創り、
 良き人間は
 社会のために
 良き貢献を
 するはずである。
 心と心で結ばれた
 “人間の家”を
 創造しゆく努力は、
 それ自体、
 人間が人間らしく
 生きられる社会の建設の
 第一歩になるであろう。
  
 一人が太陽になれば、
 その陽光は一家、
 一族を照らす。
 その福徳は
 子々孫々まで包む。
 なんの心配もない。
 自分が一家和楽の
 主人公となれば良いのだ。
 自分の境涯を
 開いていけば、
 必ず和楽は実現できる。
  
 創価の「師弟」という
 最極の生命の軌道に則った
 「家庭教育」には、
 絶対に行き詰まりがない。
 その開かれた家庭には、
 無限の希望と
 和楽と勝利の未来が、
 光り輝いていく。


池田先生がメッセージ「民衆厳護の連帯を」

2022年12月05日 | 妙法

全国学生部大会 池田先生がメッセージ「民衆厳護の連帯を」2022年12月3日

  • 「完本 若き日の読書」明年1月刊行を発表
師が開いた希望の大道を歩みゆくことを誓った「全国学生部大会」。第1部のフィナーレでは、学会歌「誓いの青年よ」に合わせ、参加者の手拍子がこだました(3日、創大池田記念講堂で)
師が開いた希望の大道を歩みゆくことを誓った「全国学生部大会」。第1部のフィナーレでは、学会歌「誓いの青年よ」に合わせ、参加者の手拍子がこだました(3日、創大池田記念講堂で)

 先駆の暁鐘を打ち鳴らす平和の祭典「全国学生部大会」が3日、東京・八王子市の創価大学池田記念講堂で行われ、全国各地から男女学生部の代表約3000人が集い合った。池田大作先生は記念のメッセージを贈り、時代の烈風に挑み、平和の師子吼を轟かせる学生部の前進を称賛。さらに、万年という壮大なスケールで人類の宿命転換を目指し、生命尊厳の哲学を掲げる幸福と平和の大遠征が、我らの貫く広宣流布であると強調。その命運を決する「勝負の世紀」こそ、学生部の友が担い立つ21世紀であると述べ、学問の探究、人間蘇生の対話、民衆厳護の連帯で、不戦の未来を創り開いてほしいと呼びかけた。席上、池田先生の『完本 若き日の読書』が、明年1月に刊行されることが発表された(後日詳報)。

求道の息吹にあふれ、全国各地から集った男女学生部の友。この日までに勉学、学会活動、社会貢献の取り組みなど全てに挑戦し、人間革命の歴史をつづってきた
求道の息吹にあふれ、全国各地から集った男女学生部の友。この日までに勉学、学会活動、社会貢献の取り組みなど全てに挑戦し、人間革命の歴史をつづってきた

 〽未来を創る 連帯ここに 平和の地球を 我らの勇気で……
 
 ダンスや朗読、模範の友の紹介など、青春の賛歌が轟いた全国学生部大会の第1部。そのフィナーレで、学会歌「誓いの青年よ」の音律が流れる。
 
 参加者一人一人が、広布即平和への決意を燃え上がらせて拳を握った。
 
 メッセージで池田先生は、恩師・戸田城聖先生が1900年生まれだったことを述懐しつつ、今の学生部は不思議な宿縁の世代であると述べた。
 
 男女学生部が、弘教拡大と平和創出の対話の“勝利の決勝点”と定めた大会。掲げたテーマは「Leave it to us!~平和の師子吼を~」である。
 
 長引くコロナ禍、打ち続く紛争、核の脅威――混迷の時代だからこそ、師の哲学と行動に連なり、正義の師子吼を響かせるとの誓いをテーマに託した。
 
 21世紀の開始とともに生まれた今の学生部世代。その使命は、あまりにも大きい。 

男女学生部の有志が、平和の世紀を乱舞しゆく思いを胸にダンスを披露
男女学生部の有志が、平和の世紀を乱舞しゆく思いを胸にダンスを披露

 八王子の空を朝から覆っていた雲は、大会の開始時間が近づくにつれ、澄み渡る青空に変わっていった。
 
 まばゆい陽光が友を照らし、この日への努力を貫いた表情が、一段と輝きを増して見える。
 
 「全国学生部大会」に参加した友や出演者たちは皆、人間革命への挑戦の歴史を刻み、この日を迎えた。
 
 原佳祐さん(新潟・4年)は、今年5月、大学の友人に仏法の話をした。最初は深い哲理への共感を得たが突然、連絡が途絶える。
 
 真剣に祈る中で再び連絡があり、悩みを打ち明けてくれた。「この信心で必ず乗り越えられる」と真剣に伝えると、友は入会を決意。先日、御本尊を受持した。
 
 原さんは「一人のために心と言葉を尽くすことが、平和につながる」との確信を胸に、さらなる前進を期す。
 
 早川瑠海さん(兵庫・2年)は、自身が悩みに直面した時、女子学生部の先輩が渾身の励ましを送ってくれた。自分も“励ます側”にと学会活動に率先。大学では、英語を使って外国籍の人を支援する研究を行う。
 
 “多様な人が支え合って生きることが平和の実像”との思いで、勉学にも活動にも取り組む。

21世紀は私たちが担い立つ――全学生部員の決意を、代表が読み上げる
21世紀は私たちが担い立つ――全学生部員の決意を、代表が読み上げる
青春の賛歌を高らかに!――師へ届けとばかりに“民衆の歌”の合唱を響かせる
青春の賛歌を高らかに!――師へ届けとばかりに“民衆の歌”の合唱を響かせる

 
 
 若人の情熱みなぎる大会の第1部では、代表の朗読やダンスに続き、創価の師弟が貫く平和運動の歴史を伝える映像などが紹介された。
 
 参加者の瞳が一段と輝いたのは、学会歌「広布に走れ」が発表された学生部幹部会(1978年6月30日)での、池田先生のスピーチ音声が場内に響き渡った時だった。
 
 先生はこの中で、恩師・戸田先生が常々、青年に「次の学会を頼む」と語っていたことに触れ、万感の期待を込めて呼びかけた。「21世紀を頼む!」と。
 
 師の変わらぬ期待を胸に、平和の21世紀へ飛翔するのは今――迎えたフィナーレでは、学会歌「誓いの青年よ」のメロディーに合わせ、全参加者の誓いの手拍子が轟いた。

第2部で、田島学生部長と先﨑女子学生部長があいさつ。小さなともしびが燎原の火に――一人一人の対話こそ、平和実現の直道と
第2部で、田島学生部長と先﨑女子学生部長があいさつ。小さなともしびが燎原の火に――一人一人の対話こそ、平和実現の直道と

 第2部では、西方青年部長のあいさつに続き、田島学生部長、先﨑女子学生部長が、2030年への行動目標として「創価学会学生部 平和宣言」(別掲)を発表。創価の師弟に連なる誉れを胸に、学問の深化に挑み、平和と共生の世紀を開く対話に先駆しようと訴えた。
 
 池田主任副会長は、どんな時も信心の実践を貫く中で、嵐に揺るがぬ人生の土台を築くことができると強調。21世紀の新たな広布史を刻むのが今の学生部であると語り、全員が使命の大空へ飛翔してほしいと望んだ。
 
 そして、池田先生の青春時代の読書記録である『若き日の読書』が復刊され、正編と続編を合わせた『完本 若き日の読書』として、明年1月に第三文明社から刊行されることを発表した。
 
 終了後、全国各地から集った友の交流会が男女別に、にぎやかに開かれた。
 
 また、男子学生部大会が創大池田記念講堂で開催された。
 
 渡邊隆志さん、浦山空也さんが活動報告。田島学生部長があいさつし、西方青年部長が励ました。