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平和を創る信念の対話

2021年08月24日 | 妙法

〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 平和を創る信念の対話2021年8月24日

 西日本を中心に、各地で続発した大雨災害に、心よりお見舞い申し上げます。
 「立正安国論」に示されているように、「暴雨」は古来、「疫病」などと並んで、民衆にとって大きな「難」であります。
 コロナ禍、自然災害……今も打ち続くこの苦難に負けず、民衆一人ひとりが、どう変毒為薬していくか。それを地域、社会、世界という次元から考え、祈り、力を合わせて行動していく。ここに私たちの「立正安国の誓い」があります。
 復旧支援に尽力されている方々に、またコロナ禍の中、医療従事者はじめ命を守るために奮闘されている皆様に、深く感謝します。そして尊き宝友の健康長寿と無事安穏を、ひたぶるに祈っております。
  

誠実に朗らかに希望の哲学を語れ
満開のハスの花。清浄な生命の宝が輝くように(7月、池田先生撮影。都内で)
満開のハスの花。清浄な生命の宝が輝くように(7月、池田先生撮影。都内で)
共戦の旅へ出発

 八月は、世界の不戦への誓いを強め、人類の平和へスクラムを広げゆく月――と言えよう。
 恩師・戸田先生に、十九歳の私が初めてお会いできたのは、一九四七年(昭和二十二年)の八月十四日、三回目の終戦の日の前夜であった。敬愛する長兄の戦死の公報が届き、母が慟哭する姿を見てから約三カ月後のことである。
 信念の獄中闘争を勝ち越えられた平和の民衆指導者から、「正しい人生」の道を示していただき、猛暑の二十四日に入信した。「広宣流布」即「世界平和」の大願を掲げて、師弟共戦の旅に出発したのである。
 入信三年となる一九五〇年(昭和二十五年)の八月二十四日には、先生の事業の最大の苦境の渦中、師弟して生命尊厳の機関紙・聖教新聞の発刊を構想した。
 その二年後の八月十四日夕刻、私は特急「つばめ」で淀川の鉄橋を渡り、広布の新天地を開く決意で大阪へ降り立った。この夜、堺市内で行われた座談会に出席し、強く明るい庶民の集いから“常勝関西”の建設へ、生き生きと勇戦を開始したのである。
 さらに三年後の八月には、師の故郷・北海道の大地で、“夏の陣”さながら広布拡大に先駆した。日々、御書を拝し、「仏法を源泉に偉大な社会を開こう!」と励まし合い、日本一の弘教で戸田先生をお迎えしたのは、入信満八年の八月二十四日であった。
 一年また一年と、原点の八月に師弟の勝利を刻みながら、不退の同志と共に、わが壮年部の戦友と共に、平和と人道への「この道」を歩み通してきたのだ。
 「立正安国論」の結びに記された誓願には、「速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん」(御書三三ページ)とある。
 何があろうが、我らは強盛に妙法を唱え、正義の旗を高く掲げて進む。苦悩する一人に関わり、民衆の幸せと天下の泰平のために戦う。忍耐強く、粘り強く、誠実な対話で、現実社会の安穏への道を開き、自他共に「一生成仏」という永遠の幸福を築いていくのだ。
  

負けない一生を

 戸田先生と私の最初の出会いの翌日は、奇しくも仏教発祥の天地・インド共和国の独立の日であった。
 今年、生誕百六十年を迎えたインドの詩聖タゴールの叫びが改めて胸に迫る。
 「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」
 これはタゴールが日本で詠んだ一詩である。
 彼は一九一六年(大正五年)、神戸に初来日の第一歩を印すと、大阪、東京へ。横浜には長期滞在し、この夏、今の北区・飛鳥山の渋沢栄一翁の私邸や、茨城の五浦にも足を運んだ。長野の軽井沢で、女子学生らと緑陰懇談も重ねている。
 先月、インドから嬉しい報告が届いた。女子部結成記念日の七月十九日、インドの“華陽姉妹”が五万人に達したというのだ。
 コロナ禍にあっても、「如蓮華在水」の清らかで強靱な生命で、美事な幸の花園を広げてくれている。
 「負けない人は幸福
 恐れない人は幸福
 信つよき人は幸福
 皆さまは幸福の王女なり」――三十年ほど前、インドの女性たちへ、妻と贈った指針である。
 私の妻も、同志たちと常々「負けない一生を」と、心に期してきた。
 九歳で家族と共に信心を始めた妻も、この七月で満八十年となった。牧口先生の手を引いて自宅の座談会へ案内した草創の“未来部”であり、戸田先生のもとで女子部の一期生、そして“ヤング白ゆり世代”としても奮闘してきた。
 インドをはじめ世界の平和の太陽たる女性たちが、一人ももれなく「負けない」一日一日を積み重ね、幸福勝利の人生であれと、妻は題目を送り続けている。
  

我は進む! 師弟誓願の「この道」を
北海天地に師弟共戦の歴史は限りなく(1991年8月24日、札幌市の北海道文化会館で)
北海天地に師弟共戦の歴史は限りなく(1991年8月24日、札幌市の北海道文化会館で)
魔性との大闘争

 戸田先生が一九五七年(昭和三十二年)の九月八日、横浜・三ツ沢の競技場で、「原水爆禁止宣言」を発表された意義は、あまりにも深く大きい。
 その二カ月ほど後、先生は最悪の体調にもかかわらず、広島訪問を断行しようとされた。戦時下の過酷な二年間の投獄、さらに十数年に及ぶ広布の激闘で、身体の憔悴は甚だしかった。
 お体を案じて中止を進言した私を、先生は叱責し、「死んでも俺を広島に行かせてくれ!」と叫ばれた。
 病状悪化で願望は叶わなかったが、なぜ、それほどまで執念を燃やされたのか。先生は、同志が待っているのだと言われた。特に広島平和記念館(当時)では、同志の新出発の集いが予定されていたのである。
 人類で最初に原爆の犠牲となった広島に赴き、民衆の生存の権利を危機に陥らせている魔性の権力の根を絶つのだ、という烈々たる師の気迫に、弟子の私は感涙を抑えられなかった。
 第六天の魔王との「とられじ・うばはん」という絶え間ない法戦に臨んで、「一度もしりぞく心なし」(御書一二二四ページ)と言われた大聖人の大闘争に、我ら創価の師弟は、勇気凜々と連なっていくのである。
     

“黙すあたわず”

 原爆の恐ろしさ残酷さを世界に知らしめた絵画に、丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」がある。位里氏は現在の広島市安佐北区の出身、俊夫人は北海道空知管内の秩父別町出身であった。
 敗戦後の占領下、厳しい検閲で、原爆の悲惨な実態が公にされず、語られることがなくなっていく世の中に、「これはいけない」と位里氏は憤怒した。
 「原爆をうやむやにするわけにはいかない、このことは描いて残さなければならない」――その思いが、「原爆の図」の連作に結実していったのだ。
 ともあれ“黙ってはいられない”との、やむにやまれぬ大感情こそ、無関心や臆病や忘却に覆われた社会の中で、真実を救い出す原動力である。
 日蓮大聖人は「言わずんばある可からず」(御書一七ページ)と仰せになられた。
 大聖人が放たれた破邪顕正の師子吼は、七百年の時を超えて、戸田先生が原水爆の奥に潜む魔性の思考を打ち破られた洞察にまで、底深く響き渡っている。
 この恩師の精神を受け継ぐのが、我らの言論戦だ。
 ゆえに「広島原爆の日」にあたる八月六日を、私は小説『新・人間革命』の「起稿の日」とし、“命の限り”と新聞連載を続けた二十五年後のその日を、「脱稿の日」とした。そして恩師が「原水爆禁止宣言」を発表した九月八日、『新・人間革命』の連載を終えたのだ。
 今や、バトンは未来に託された。わが愛弟子であり分身である新時代の“山本伸一たち”が、人生の「人間革命」のドラマを、世界中で壮大に舞い、多彩に綴ってくれている。
 「長崎原爆の日」の九日を中心に、第三十回の節を刻む「青年不戦サミット」がオンラインで行われ、広島、長崎、沖縄の三県をはじめ全国の青年部代表や、男女高等部など未来部の友が、真剣な瞳で参加した。
 不戦と核兵器廃絶への誓いを、後継の青年たち鳳雛たちが、凜然と継承してくれている。これほど頼もしいことはない。
   

邂逅から創造が

 先日、レバノン共和国のアラブ科学出版社から、トインビー博士と私の対談集のアラビア語版が発刊された。博士との対談から明年で五十星霜。これで翻訳出版は三十言語となる。
 博士も、きっと喜んでくださるであろう。陰の労苦を惜しまず、ご尽力いただいた全ての関係の方々に、心から御礼申し上げたい。
 博士は、人格と人格の邂逅からこそ、真に新しい創造が生まれると洞察されていた。ゆえに、創価の私たちに、人類を結び、文明を結ぶ「生への選択」の対話を託してくださったのだ。
 今、身近な地域社会にあっても、広範な地球社会にあっても、感染症や気候変動、分断や対立など山積する課題に、一段と対話を繰り広げて英知を結集し、新たな価値創造の力を発揮していかねばならない。
 地涌の世界市民が先頭に躍り出て、人類の宿命転換への連帯を拡大するのだ。
   

「勇戦」――1956年、池田先生が“大阪の戦い”の中で記した二字を、1983年、再び関西の地で墨痕鮮やかに揮毫した書
「勇戦」――1956年、池田先生が“大阪の戦い”の中で記した二字を、1983年、再び関西の地で墨痕鮮やかに揮毫した書
最も雄弁な言葉

 恩師の膝下で私が戦い始めた若き日、雑記帳に書き留めた民衆詩人ホイットマンの詩の一節がある。
 「人間の肉体は言葉である、千万の言葉である」と。
 口先だけの薄っぺらな言葉ではない。その人の全身から滲み出る勇気と信念、誠実な声、明るい笑顔、そして思いやりにあふれた振る舞いほど雄弁なものはない。その模範こそ、学会の父たち母たちである。
 さあ、それぞれが今いる場所から、自分らしく希望の哲学を語り広げよう!
 「いまだこりず候」(御書一〇五六ページ)という不屈の大情熱をもって、対話の広場に出ていこう!
 愛する若人たちよ、進むのだ。永遠に前へ! 尊き同志よ、朗らかに前へ!
 生命の讃歌、平和の凱歌を、堂々と轟かせながら!

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