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【御聖誕800年】ドイツ語版「御書」監修者のグリンツァー博士

2021年03月30日 | 妙法

【御聖誕800年】ドイツ語版「御書」監修者のグリンツァー博士にインタビュー2021年3月30日

〈日蓮大聖人御聖誕800年記念インタビュー〉

 日蓮大聖人が1222年(貞応元年)2月に御聖誕されてから、本年は数えで800年。ドイツ語版「御書」第1巻の監修を務めたヘルビッヒ・シュミット・グリンツァー博士に、現代社会における仏法哲学の価値について聞いた。(聞き手=金田陽介)

 【プロフィル】テュービンゲン大学教授。1973年、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学で博士号を取得。ドイツにおける仏教研究の大家で、2014年に発刊されたドイツ語版「御書」第1巻を監修した。ヴォルフェンビュッテル市のヘルツォーク・アウグスト図書館館長、ゲッティンゲン大学教授等を経て現職。
 
 
 

希望と確信は輝く

 ――2014年発刊のドイツ語版「御書」第1巻を監修されました。御書を通じて、日蓮大聖人の人物像について、どのような印象を受けましたか。
  
 日蓮は、卓越した仏法の師でした。「法華経」の教えを実践することが、仏道を歩む上で最も重要であると覚りました。そして、敵意や迫害に屈することなく、常に他者との対話を求めました。
 だからこそ、日蓮は影響力のある師となり、その教えには強い説得力がありました。本人が残した膨大な著作をひもとくと、心を開いた対話と、助けを求める全ての人への励ましを貫いていたことが分かります。
 
 また、日蓮は人々を精神的に導くため、自身の洞察を、主に法華経に照らしながら説きました。なぜ自分の教えが正しいのか、なぜ他宗の教えが誤っているか、理由を詳細に述べ、何度でも説明をする努力を怠りませんでした。さらに、そのような論議を通して、自身の思想も自己検証し続けました。
 
 その上で日蓮は「人はどのような逆境にあっても、希望と確信を持ち続けることができる」という洞察を、自らの生き方を通じて証明したのです。
 
 そうした「仏の生命」が万人に内在しているならば、私たちは、これを顕現していく必要があります。それは、世界の繁栄や、「救済」「解脱」といったものの必要条件とも言えます。そしてそれは、仏法で言うところの「一生成仏」(どのような人も一生のうちに成仏の境涯を得られること)を目指すことによってのみ可能となります。
 
 

ヘルダー出版社から発刊されているドイツ語版「御書」第1巻
ヘルダー出版社から発刊されているドイツ語版「御書」第1巻
仏性を見いだす

 ――日蓮大聖人は仏法者として何と戦い、当時の社会的指導者や宗教的指導者、また民衆に何を伝えようとしていたのでしょうか。博士が御書から見いだしたことを教えてください。
  
 日蓮は、不退の決意を強く持った人でした。それゆえ、皆もそうあることができるように、「時代の危機を察知すること」「誤った教えに惑わされないこと」を、信奉者たちに教えました。そうした教えの核となっているのは、法華経の中で方便品と如来寿量品を中心に説かれている、「生きとし生けるもの全てに仏性(仏の生命)を見いだす」という教義です。この教えは、いわゆる大乗仏教の肝要です。
 
 大乗仏教においては「菩薩」の在り方も形づくられました。法華経に説かれる菩薩は、完全な覚りを得たにもかかわらず、そこに安住せず、同苦と慈愛をもって、悩み苦しんでいる人々に近づき寄り添います。
 
 法華経の常不軽菩薩品に描かれている「不軽菩薩」は、その偉大な模範です。不軽菩薩は、全ての人々への尊敬の念を「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557ページ)と表現します。「当に作仏することを得(必ず成仏します)」という呼び掛けは、万人への「大いなる約束」と言えるでしょう。
 日蓮の生き方は、この「菩薩」の役割を想起させます。
 
 

菩薩の生き方は「自己実現の道」

 ――博士はかねてより、時代的・空間的制約を超える仏法の普遍的価値として、「菩薩」の役割に注目されていました。
  
 「菩薩」の生き方は、今に至るまで仏法の中心的なメッセージであり続けています。
 
 日蓮は法華経に基づいて、菩薩の理想像を自ら体現しました。それは「自らの救済」と「生命の尊厳」が結び付いた(他者の尊厳が成り立ってこそ、自身の救済も実現される)生き方です。これは、自己実現の道を模索する現代人にとっては明白なことかもしれませんが、ほとんどの人はその具体的な方法を見つけられずにいます。
 
 そこに、日蓮の教えや、「菩薩」の理念が担うべき役割があります。すなわち、自身の覚りを求めると同時に、他者の生命を尊び、他者に同苦し、そうした視点に基づいた行動を起こす――それが、まさに現代人が模索している「自己実現の道」であることを、具体的な姿で示していくのです。
 
 人間は往々にして、その逆の行動をとってしまったり、そうした衝動に負けないだけの力が自分にはないと思い込んでしまったりするものです。だからこそ、日蓮が自らの生き方を通して示した決意と確信は、全ての人にとっての模範となり、万人を鼓舞するのです。
 
 
 ――「御書」の翻訳を通じ、800年の時間の隔たりを超えて、現代に日蓮仏法の哲学を紹介する意義を、どのように感じていますか。
  
 日蓮の教えでは、「法華経」の諸品の読誦とともに、「南無妙法蓮華経」(法華経の教えを尊崇し、実践・体現していくという意味)を唱える祈りによって、自身の仏性を洞察することができます。
 
 自他共の仏性を信じ、どんな状況でも人間を尊敬し、その努力に関して決して揺るがないことが、菩薩の修行の根本です。自身の救済と完成を目指すだけでなく、それを他者にも広げゆく菩薩の生き方は、人間同士の信頼と、同苦の心を強めます。
 
 そうした思想と行動は、普遍的な人間主義の教えであると同時に、恒久的な「平和の礎」にもなると考えます。
 
 

2015年6月までグリンツァー博士が館長を務めたヘルツォーク・アウグスト図書館
2015年6月までグリンツァー博士が館長を務めたヘルツォーク・アウグスト図書館
どんな状況でも

 ――日本の仏教者である日蓮大聖人の「御書」を翻訳し、空間的な隔たりを超えて、キリスト教社会のドイツに紹介する意義も大きいように思います。
  
 池田大作氏は、ドイツ語版「御書」第1巻に寄せられた序文で、「ドイツ語圏各国の方々の深き人生哲学、豊かな精神性、そして人類の平和と幸福確立への道を志向する開かれた人間性と、『自他ともの幸福』を実現する道を説く日蓮大聖人の仏法とは必ずや深く共鳴していくであろう」と述べられています。
 
 まさに、現在のドイツにおいて、日蓮の教えは違和感のあるものではありません。例えば、日蓮も説いている「他の人々の幸福と繁栄のために働く」といったことは、古今のドイツの人々には、いわば当たり前のこととして受け入れられます。
 
 私が「御書」で特に印象深かったのは、日蓮の「文章の迫力」です。池田大作氏は、日蓮の言葉について「時に春風のごとく優しく民衆を包み込み、時に激しく厳しい」と述べていますが、これは日蓮の言葉が「苦難の時代」の中で書かれたことへの言及でもあります。
 
 今、私たちも等しく、人類の平和と繁栄が危ぶまれる「危機の時代」にいます。そうした中で日蓮の教えは、今の私たちに何が必要なのかを察知する力となり、新たな視野を開いてくれます。楽観主義、希望を持つこと、仏性の顕現によって宿命を転換しうるという考え方――そうした教えは、特に現代において、自らの人生の助けとなることでしょう。いかなる時代や場所でも、人間一人一人の幸せがあってこそ「世界平和」といわれる状態が実現することは、共通しています。
 
 日蓮の世界と現在の世界に時間・空間的な隔たりがあるからこそ、日蓮の教えを自らの人生に直結する教えとして“翻訳”できる可能性も、私たちの前に開かれるのです。
 
 

ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館で開催された欧州学生部の研修会(2019年8月)
ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館で開催された欧州学生部の研修会(2019年8月)
「信」を貫く

 ――2020年からの世界は、コロナ禍により急速に変化しています。日蓮仏法の哲学、とりわけ「菩薩」の生き方は、こうした時代を生きていく人間一人一人にとって、どのような価値をもたらすことができるでしょうか。
  
 特に危機の時代において、「人間は(生老病死の)苦悩の世界から逃れ難い」という仏教の基本的な教えは、よい出発点になります。「法華経」は、例えば譬喩品の「三車火宅の譬え」(※注1)など、そうした危機を乗り越えていくための知恵に満ちているからです。
 
 肝要なのは、法華経の言葉と、日蓮の教えを信じることです。「信」を貫くなら、法華経の信解品に描かれている「長者窮子の譬え」(※注2)のように、最後は全財産を譲り受ける(自身の仏の生命を見いだす)ことになるのです。
 
 打ち続くパンデミックの影響で、「恐怖」が人々を操る手段として用いられることもある今、強靱な人格と自らの仏性への確信は、そうした状況にあらがうために不可欠だと思われます。それは、自身の人生のみならず、家族や地域社会にも「知恵」「勇気」「慈悲」「活力」といった価値を広げゆくための、原動力になるのです。
 
 

ドイツ・フランクフルト市のレーマー広場
ドイツ・フランクフルト市のレーマー広場
「自他共の幸福」の普遍性

 ――創価学会は日蓮仏法の哲学を学び、実践しています。このような背景をもとに創価学会の意義について、所感などがあればお聞かせください。
  
 創価学会は、危機と戦争の時代の中、日本で創立されました(1930年11月18日)。それは、人々の心が深く結び付いた社会をつくるという、人間本来の願望の表れでもあったといえます。
 
 そうした共同体の支えによって、個々の人々は、本質的なもの(すなわち、自らの仏性)に目を向けることが可能になります。また、日蓮の教えに帰依することで、自身の仏性を知覚することができるようになります。それらのことは、生命の尊厳という生き方をもたらし、「一人一人の個人の幸福があってこそ世界平和も実現する」という確信につながっていきます。
 
 こうした洞察に基づいて、創価学会は、志を同じくする個人や団体と協力しながら、個人の幸福と世界平和の実現、すなわち「自他共の幸福」を目指しています。
 
 池田大作氏は、「大聖人が展開される所説には、時代や社会を超えた普遍性があり、あらゆる人々の幸福を目指す菩薩の使命と実践が明かされ、その使命の自覚と実践を人々に勧め、励ますことにその核心があると拝される」(ドイツ語版「御書」第1巻「序文」)とつづっています。日蓮が教えた「自他共の幸福」という生き方は、800年前のものであるにもかかわらず、まさにそうした普遍性を持つのです。
 
 だからこそ私は、創価学会が創立100周年を迎える2030年までに、ドイツ語版「御書」の第2巻が発刊され、日蓮の教えがさらに広く世界に流布することを願っています。
 
 

ドイツ・ハンブルク市内にあるアルスター湖の夕暮れ
ドイツ・ハンブルク市内にあるアルスター湖の夕暮れ

 ※注1 火事の家で遊ぶ子どもたちを救い出すため、父である長者が羊車・鹿車・牛車の三車を示して外に誘い出し、出てきた時にはそれらに勝る大白牛車を与えたというもの。長者は「仏」、子どもたちは「一切衆生」、燃える家(火宅)は、煩悩に支配された「苦悩の世界」の譬え。羊車・鹿車・牛車は法華経以前に説かれた声聞・縁覚・菩薩の教え、大白牛車は一切衆生の成仏を説いた法華経の教えを譬えている。仏が法華経以前に説いた教えは「方便」であり、本当に教えたかったのは法華経であることを意味する。
  
 ※注2 幼い息子が家から離れ出ている間に、裕福になった父親がいた。父親は息子を後継者に迎えようとするが、息子は邸宅の立派な様相に驚き、それが自分の家であることに気づかず逃げてしまう。父親は、あえて貧相な身なりで息子に歩み寄り、まずは使用人として、徐々に息子を導いていく。そして、息子が心を入れ替えた時に一切を明かし、すべての財産(無上宝聚)を譲った。貧しい息子は衆生、父親である長者は仏、「無上宝聚」は法華経の教え、また仏の生命を譬えているといえる。
 
 
 ●ご感想はこちらまで 
 kansou@seikyo-np.jp


学ぶことは人間の「権利」四季の励まし」

2021年03月28日 | 妙法

学ぶことは人間の「権利」 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2021年3月28日

 【写真説明】命を燃やす桜花。色鮮やかな桃の花。“春の共演”の向こうに、創価大学池田記念講堂(東京・八王子市)が堂々とそびえ立つ。2007年(平成19年)4月、池田大作先生がカメラに収めた。
 この数日前、先生は同講堂で行われた創大・創価女子短大の入学式で呼び掛けた。「真の哲学の道は、生命尊厳の平和の道である」――と。
 学問はどこまでも、人間を幸福にし、世界平和を創造するためのものでなければならない。この「何のため」を問う伝統のもと、創価大学は民衆奉仕のリーダーを陸続と輩出してきた。
 今また、丹木の丘のキャンパスが桜に染まる季節がやって来た。4月2日、栄光の開学50周年を迎える。
 

池田先生の言葉

 学ぶことは、
 何ものにも代え難い
 人間の尊厳の証しである。
 学ぶことは、
 人間として
 最も誇り高い権利であり、
 特権なのである。
 学ぶことによって、
 わが生命に秘められた
 偉大な力を引き出せる。
 学ぶことによって、
 正義のために戦い、
 人々を幸福にできる。
  
 人間も、社会も、文明も、
 学ぶことをやめた時、
 衰退が始まる。
 これは
 歴史の厳しき実相である。
 生き生きと
 学び続ける道には、
 行き詰まりはない。
 必ず、
 新たな価値創造の活路が
 開かれる。
  
 人を幸福にするための
 学問である。
 民衆に貢献するための
 学問である。
 父母に親孝行するための
 学問である。
 未来を勝ち開きゆくための
 学問である。
 学びゆく人は、
 断じて負けない。
  
 きのうよりはきょう、
 きょうよりはあすと、
 向上の坂を上りゆく、
 みずみずしい生命力と
 学びの姿勢が
 あるかどうかで、
 人生の勝利が
 決定づけられることを
 忘れてはならない。
 新しい知識の習得のみが、
 学ぶということの
 本当の意味ではない。
 最も重要なことは、
 学ぶことによって、
 自分自身が
 「新しい自分」に
 なっていくことである。
  
 「向学の心」を
 失わないことだ。
 前進し続けることだ。
 そうして進んだ道が、
 君にしかない、
 あなたにしかない
 「使命の道」
 「充実の道」
 「勝利の道」になっていく。


第3回「第1部隊長」 私は誰よりも青年部を愛する

2021年03月27日 | 妙法

第3回「第1部隊長」 私は誰よりも青年部を愛する2021年3月27日

  • 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
【池田第1部隊長の実践】
一、同志を慈しみ、励ます
一、目標達成まで祈り切る
一、自分自身が成長し続ける
一、勇気をもって戦い抜く
(「随筆 幸福の大道」<尊き全同志に感謝>から)
1953年1月6日、戸田先生から男子部の第1部隊旗を授与される山本伸一(小説『新・人間革命』第17巻「民衆城」の章から)=挿絵・内田健一郎
1953年1月6日、戸田先生から男子部の第1部隊旗を授与される山本伸一(小説『新・人間革命』第17巻「民衆城」の章から)=挿絵・内田健一郎
まず自分が動くのだ!

 池田先生が第1部隊長の任を受けたのは、1953年(昭和28年)1月2日、25歳の誕生日のことだった。「会長(戸田城聖先生)より、第一部隊長に就任の発表あり」「健男子として、何ものにも恐れず、青年を率いて起とう」――その日の日記には、ほとばしる青年の決意がとどめられている。
 4日後の就任式。戸田先生は、若き池田先生に部隊旗を託した。第1部隊の“勝利のドラマ”が本格的に始動した瞬間だった。
 就任時、第1部隊のメンバーは、東京の墨田、江東、江戸川を中心に点在していた。部隊は六つの班で構成され、337人が所属。戸田先生は男子部に対し、年末までに「部隊千人」の目標を示した。それは、第1部隊にとって3倍の拡大を意味していた。
 1月27日、墨田区の男子部員宅で開催された第1部隊の最初の班長会。ここで池田先生は、班を10に増やし、10人の班長を「部隊十傑」と名付ける。さらに各班で10人の分隊長を登用して「部隊百傑」とし、各分隊で10人の精鋭をそろえることを目標に掲げた。
 理論を現実のものとする要諦こそ、目の前の一人を立たせることだった。
 「大きい数字などに浮き足立つ必要は何もない。一人また一人と、新たな青年を大切に糾合していくのだ! その先に、必ず勝利があることを確信し、一致団結して、出陣した」
 東京の大田区に住んでいた池田先生は、墨田区内の会員宅で自転車を借りては、一軒一軒、メンバーと共に家庭訪問に回った。会合に参加できなかった同志のもとへは、会合終わりに足を運んだ。
 「人を動かすのではない。まず自分が動くのだ!」
 「御書に『二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし』(1360ページ)と仰せである。地涌の人材は、必ず現れる。見つけ出し、育てることだ」
 一人を大切にすることから広布の伸展は始まる――この不変の方程式を、先生は第1部隊の戦いで示したのである。

人は題目についてくる

 第1部隊の、ある分隊長宅の電話が鳴った。受話器の向こうで、池田先生の声が響く。「元気ですか」「何かあったら何でも相談してください」。先生は一人一人の状況をよく知り、電話でも激励した。
 第1部隊長に就いた年の4月から文京支部長代理も兼任。「昼は社に勤務しながら、夜は学会の青年部の中核として活動しつつ、大阪、仙台など地方にも本格的な行動を開始したのである」
 多忙な中、第1部隊のリーダーたちに手紙も使って激励を続けた。1年余りで二十数通のはがきを受け取った班長もいた。
 「疲れて、ペンを握ることさえ辛い夜もあった」――その時の心境をつづっている。「だが、必死に書いた激励の手紙ほど、同志は奮い立ってくれた。勝利は突然やってくるものではない。日々の、懸命な『小勝利』の積み重ねの上に『大勝利』があるのだ」
 まだ学会活動の経験が浅いリーダーも多かった。池田先生は御書を一緒に研さんし、人材育成の方法など、信心の基本を一つ一つ丁寧に教えていった。前任の分隊長が引っ越し、活動者が少なかった隊があった。弱気になっていた後任の分隊長に、先生は語った。
 「御書には『須弥山に近づく鳥は金色となる』(1536ページ)とある。あなたが須弥山になればいいのです。福運がつけば人は皆ついてきます。人は題目についてくるのです。御本尊に祈れば大勢の人に慕われるのです
 彼は、池田先生に言われた通り、翌日から真剣な唱題を重ねた。すると、やがてその組織の雰囲気は変わっていく。会合に来る人がどんどん増え始めた。先生は、広布の根幹は、どこまでも「リーダーの一念」と「祈り」にあることを示したのである。
 池田第1部隊長の指揮のもと、第1部隊に人材拡大の大波が起こった。その陣列は、年末の総会で千人を超えた。総会に出席した戸田先生は、満面の笑みで喝采を送った。「じつに諸君の意気さかんなので、私も20代によみがえった。初代会長もおったなら、さぞ喜ばれたと思う

【「若き日の日記」1953年(昭和28年)3月8日から】
人のため、法のため、社会のために、
心おきなく活動出来ることは、
実に幸せのことなり。
これ宿命打開の直道とならん。
2014年7月12日、池田先生は墨田を訪問。総東京創価青年大会を目前に、会場の両国国技館をカメラに収めた。この日は「総東京青年部の日」に制定された
2014年7月12日、池田先生は墨田を訪問。総東京創価青年大会を目前に、会場の両国国技館をカメラに収めた。この日は「総東京青年部の日」に制定された
「今ここ」が成長の舞台

 「夜、部隊員、二、三人が、指導を受けに来る。可愛い。実に可愛い」(『若き日の日記』、1953年10月12日)。第1部隊長として指揮を執る池田先生の心は、同志への慈愛に満ちあふれていた。
 東京・江戸川の小岩で行われた部隊会に約100人のメンバーが参加した日、日記にこうつづっている。「この百人を、千人に、万人にしてゆくことを、胸深く決意する。後輩を大事にしよう。後輩を、吾れより偉くせねばならぬ」(同、同年6月17日)
 後輩を“自分以上の人材に”――青年に温かい励ましを送る学会の人材育成のルーツは、池田先生の実践そのものにあった。
 1954年(同29年)4月11日、池田先生はつづった。「最後の第一部隊会。皆、別れるのが、淋しそう。良く戦ってくれた。感謝する。良くついて来てくれた。有難う」
 この前月、26歳の池田先生は新たに、学会の企画・運営を担う青年部の室長に就任する。先生は以前から、青年が次代の広布の全責任を担うことを深く自覚し、“青年の成長”にも焦点を当てていた。
 青年の成長のポイントは何か――。その一つの結論は、“自身の成長”だった。
 「自分の成長は、青年部の成長である」(同、54年2月23日)、「勉強せねばならぬ。撓まず。向学心に燃えねばならぬ。青年らしく」(同、同年2月11日)
 先生は、たとえ多忙であっても、求道の挑戦を止めなかった。「人間革命の舞台は、どこにあるのか? 『今ここ』である。目の前の課題に勇んで挑戦するなかに、常に青年の成長はある」と強調する。
 青年室長時代、池田先生は、青年部へのあふれんばかりの思いをつづった。「学会青年部は、誰よりも私が一番愛している」「日本はおろか、世界の檜舞台で活躍させてあげねばならぬ」(同、同年6月9日)
 時を経て、師匠の慈愛の眼差しは今、学会創立100周年の峰を登る青年一人一人に注がれている。

池田先生が第1部隊長として駆けた東京・墨田の地に、青年の“後継の旗”がひるがえる(2014年7月21日、両国国技館での総東京創価青年大会)。「君たちには、新しい世紀を創る青年の熱と力があります」――師は創価の青年への期待を大会のメッセージに託した
池田先生が第1部隊長として駆けた東京・墨田の地に、青年の“後継の旗”がひるがえる(2014年7月21日、両国国技館での総東京創価青年大会)。「君たちには、新しい世紀を創る青年の熱と力があります」――師は創価の青年への期待を大会のメッセージに託した

ロシアのリャザン州で「自然との対話」展

2021年03月24日 | 妙法

ロシアのリャザン州で「自然との対話」展――池田先生がメッセージ 2021年3月24日

  • 州副大臣が開幕式に出席
01:51

 池田先生の写真作品を紹介する「自然との対話――池田大作写真展」が、ロシア・リャザン市のリャザン州立総合科学図書館で開催されている(4月5日まで。主催=創価学会、同図書館)。
 
 首都モスクワの南東に位置する同州は、ノーベル賞受賞者のイワン・パブロフや「宇宙開発の父」コンスタンチン・ツィオルコフスキー等の知性を輩出した“文化の都”である。
 
 開幕式は9日にオンラインで行われ、同州文化観光省のマリーナ・カウルキナ副大臣らが出席した。
 
 池田先生はメッセージを贈り、“見るべき価値”を持つ自然の美を、国や時を超えて分かち合いながら、人類の持続可能な未来のために光り輝かせていきたいと強調。同展が、友の心に幸の灯火を広げる契機となることを念願した。
 
 州立総合科学図書館のナターリヤ・グリシナ館長が祝福のあいさつを述べた後、同展のテープカットの模様や、同州文化観光省のヴィターリー・ポポフ大臣をはじめ来館者の鑑賞風景を収めた動画が紹介された。
 
 カウルキナ副大臣は「池田会長の写真展の開催を心待ちにしていました。素晴らしい作品の数々は、地域の人々の大きな関心を呼ぶに違いありません」と語り、同展は両国の相互理解を深める大きな一歩になると期待を述べた。

「自然との対話」写真展で、池田先生の作品を鑑賞する来館者(ロシア・リャザン市内で)
「自然との対話」写真展で、池田先生の作品を鑑賞する来館者(ロシア・リャザン市内で)

小説「新・人間革命」に学ぶ 第27巻 解説編 

2021年03月24日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第27巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座2021年3月24日

  • 連載〈世界広布の大道〉
4:55
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第27巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

紙上講座 池田主任副会長
ポイント
①死身弘法の大精神
②「次の新しい十年」へ
③創立者と一体不二

 「正義」の章が連載されたのは、2014年(平成26年)1月から3月にかけてでした。前年11月、「広宣流布大誓堂」が完成し、14年は「世界広布新時代 開幕の年」と定められました。
  
 世界広布新時代の開幕に当たり、大切なこととは何なのか。「正義」の章に、「牧口と戸田の、この死身弘法の大精神が、未来永劫に脈動し続けていってこそ、創価学会の魂は受け継がれ、広宣流布の清流が、大河となって広がっていく」(115ページ)とあります。
  
 同章には、牧口先生、戸田先生、そして池田先生の、創価の三代を貫く「死身弘法の大精神」が書きとどめられています。その精神を私たちが受け継ぎ、実践していくことこそ、学会が世界宗教として、さらに大きく飛翔するために最も大切なことです。
  
 1928年(昭和3年)、日蓮仏法に帰依された初代会長・牧口先生は、既成仏教化した宗門の信心の在り方ではなく、「本来の日蓮大聖人の教えに立ち返り、その御精神のままに、真正の日蓮門下の大道を歩もう」(117ページ)とされます。
  
 戦時中、宗門は軍部政府の弾圧を恐れ、神札を受けました。これに対して、牧口・戸田両先生は決然と拒否。牧口先生は、獄中で死身弘法の生涯を閉じられました。
  
 生きて牢獄を出た第2代会長・戸田先生は、牧口先生の遺志を継ぎ、学会を再建しました。ところが、宗門には「信徒を下に見て睥睨する、悪しき体質が温存されていた」(126ページ)のです。戸田先生は宗門を守りつつ、そうした悪僧と徹底して戦われました。
  
 山本伸一も、恩師と同じ心で、宗門に外護の赤誠を尽くします。僧俗和合のために、言うべきことも言います。その忠言に反感を持つ僧も少なくありませんでした。依然として、「檀信徒を僧の下に見る、強い意識」(140ページ)があったのです。
  
 そこにつけ込み、学会を陰で操ろうと画策したのが、弁護士の山脇友政でした。76年(同51年)ごろから、山脇は宗門にデマを流し続け、それに踊らされた僧が、学会攻撃を繰り返すようになるのです。
  
 伸一は、「今こそ会員一人ひとりの胸中に、確固たる信心と、広布の使命に生き抜く創価の師弟の精神を打ち立てねばならない」(157ページ)と決め、一人たりとも脱落させまいと、全精魂を注いで激励を続けます。
  
 78年(同53年)の年頭から5月の間で、彼は東京を除く8方面を訪問しています。6月、9方面目となる北海道指導では、16日間で道内を東西に横断し、約5000人と記念撮影。延べ2万人以上の友と出会いを結びます。
  
 本年は、学会が宗門から「魂の独立」を果たして30周年です。池田先生が「正義」の章に記された精神は、今の私たちに向けられたものであり、未来の世代が常に立ち返らなければならない「創価の原点」です。
  

雲が描く勝利の「Vサイン」が北海道の大空に(1994年8月、池田先生が機中で撮影)。第27巻では、78年の16日間に及ぶ北海道での激励行がつづられる
雲が描く勝利の「Vサイン」が北海道の大空に(1994年8月、池田先生が機中で撮影)。第27巻では、78年の16日間に及ぶ北海道での激励行がつづられる
みちのくの絆

 78年(同53年)5月、宮城の東北平和会館(後の青葉平和会館)へ向かう車中、伸一は同行の友に東北への思いをこう語ります。「東北の同志の強さは、チリ津波や冷害など、試練に遭遇するたびに、困難をはね返し、ますます広宣流布の勢いを増してきたことにある」(325ページ)
  
 草創期以来、伸一は、東北の友の勇姿を見守り続けてきました。「求道」の章では、東北の同志が示した「信仰の最大の実証」について、「“心の財”をもって、真実の仏法の力を証明してきたこと」(348ページ)とあります。それは、東日本大震災から一歩ずつ復興の歩みを重ねてきた同志の姿にほかなりません。
  
 今月7日、東北広布70周年、東日本大震災から「福光10年」の意義を込めた「東北家族『希望の絆』総会」が、東北文化会館で開催されました。東北6県147会場を中継で結び、約1万人の友が参加。みちのくの“黄金の絆”が世界に希望を送りました。
  
 震災から10年を迎えた今月11日には、本紙で「随筆『人間革命』光あれ」<人間凱歌の福光>が掲載されました。
  
 その中で、池田先生は、「逆境に強い東北人の底力こそ、新時代を開く価値創造の源泉」であり、「『生命の世紀』『人間革命の世紀』を建設しゆく」総仕上げを担い立つのが、「わが愛する東北家族」と、東北への限りない期待を寄せられました。この万感の励ましを胸に、東北の同志は新たな前進を開始しました。
  
 「求道」の章に、山本伸一が東北6県の代表幹部にこう訴える場面が描かれています。
  
 「次の新しい十年をめざして、共に広宣流布の峰を登攀していこうではありませんか。新しき歩みから、希望が生まれます」(349ページ)
  
 東北の友の“福光”の軌跡は、学会創立100周年の2030年へと向かうこれからの10年において、ますます輝きを放っていくに違いありません。
  

本領発揮の時代

 東京創価小学校が開校したのは、78年(同53年)4月です。「若芽」の章には、小学校の開校によって、「いよいよ、“創価教育”建設の第二期を迎えた」(30ページ)と記されています。
  
 伸一は創立者として、多忙な合間を縫って小学校を訪問し、児童・教職員に励ましを送ります。
  
 「東京創価小学校をはじめ、創価一貫教育のすべての学校と自分とは、“不二”であると思っていた。そして、児童の成長、卒業生の社会での活躍を、最高の生きがいとしていた」(92ページ)との一文に、池田先生の思いが凝縮しています。
  
 東京創価小学校の第1期生の卒業式(82年3月)で、伸一は「『平和』というものをいつも念頭において、一生懸命、力をつけてもらいたい」(102ページ)と訴えます。
  
 それから39星霜を刻んだ今月16日、同校の第40期生の卒業式が行われました。創立者は、学園生に「君たちと私の命は一体不二です。どこまでも一緒です」と、万感のメッセージを寄せられました。創立者の自分と創価の学びやに集ってくれた友とは「一体不二」――この思いは、池田先生の一貫して変わらぬ心です。
  
 4月2日には、創価大学が開学50周年を迎えます。さらに、5月3日には、アメリカ創価大学(SUA)が開学20周年の佳節を刻みます。
  
 また先日、マレーシアに中高一貫校「創価インターナショナルスクール・マレーシア(SISM)」が2023年を目指して開校することが発表されました。SISMの生徒が、創大やSUAに進学する日も遠くありません。
  
 いよいよ、「創価教育の本領発揮の時代」(51ページ)です。
  

「このVサインを象徴として前進しましょう!」――池田先生は東北海道の第1回総会に出席し、北海道の同志にエールを送った(1994年8月15日、北海道研修道場で)
「このVサインを象徴として前進しましょう!」――池田先生は東北海道の第1回総会に出席し、北海道の同志にエールを送った(1994年8月15日、北海道研修道場で)
名言集
●教育

 教育は、知識を与えることを目的とするのではなく、自分で考え、自分で得た知識を生かしていく方法を会得するためにあるのだ。(「若芽」の章、34ページ)

●知恩

 恩を知ることによって人間の道を知り、恩を返すことから人間の生き方が始まる。(「若芽」の章、45ページ)

●伝持の人

 仏法伝持の人とは、大聖人の仰せのままに戦い抜く「行動の人」である。広宣流布の勝利の旗を打ち立てる「実証の人」である。(「正義」の章、108ページ)

●退転の本質

 退転の本質は、臆病であり、保身にある。(「正義」の章、198ページ)

●信心の功労者

 信心の功労者とは、過去の人ではない。未来に向かって、広宣流布のために、新たな挑戦をし続ける人である。(「激闘」の章、217ページ)

●地道

 長い目で見た時、時代の流れは、地道さが求められる時代にならざるを得ない。基礎がしっかりと築かれていなければ、時代の変化のなかで、はかなく崩れ去っていきます。人生も広宣流布も持久戦です。(「求道」の章、387ページ)