市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

STRIP

2008-06-18 | メディア批判
Stripとは、(人)を裸にする、(ひと)から.を奪うという意味である。先日、東京の若い友人があることで、女性自身、週刊現代から取材を申し込まれ、ぼくに相談してきたので、断りきれない事情もあったので、取材をうけざるをえないのだがというのだ。とにかく可能な限りしゃべるなと提言、なんとか難を逃れたようだ。

 つまり、しゃべると、その瞬間からすトリップさせられる危険がおおいにある。
たとえば、この地方で文化・芸術などの作家などは、完全にストリップされてしまう。取材記者には批評家としての訓練も場数も踏んでない、おまけに知識も浅く、研究も足りない(そんな時間もない)そんな目で文化・芸術家を扱うと、作品の評価よりも、その当人を裸にして、注目をひくしかない。そこで、結果的には、かれも彼女も意識しないまにストリッパーとして世間に立つわけである。

 ぼくも若いころは、なんどこういう目にあったことか。作品はなくてもストリッパーとして、えらそうに地方文化界という舞台で踊ったわけだ。この後遺症はもう
20年ちかくなるが、まだ感染状態である。これから立ち直るためにブログをやってきているわけだが、これもまたまた、大変な世界である。

 せめて、一枚の木の葉でも拾って、まえを覆うと3年すぎたが、まだ一枚の木の葉さへみつからない。

 今、ぼくのギャラリーには「小鉄」というペット名のシーズ犬が、朝から夕方まで同居している。さいわい、暇がおおいので、2時間ごとには、筋肉運動を伴う散歩、ビニールのびんの中にビスケットを封入して、穴を開け、転がして外に出す運動などで、遊ばせているので、シーズでありながら短毛に剃髪している。その裸身をみると、ポインターのような痩身と強靭な筋肉をつけてきだした。

 小鉄をみるたびに思うのだ。人間のストリップが、いかに醜いものかを!。見せるべき物は、肉体はもちろん、その内部の意識まで、美はないのである。小鉄は、裸だが、なんと美しいのだろう。見事なデザインだ。うねるような体、短く刈り込んだ毛並みの美、パリコレもかなわない配色の美とバランスに癒される。

 人間として、はやく衣服をまとわなくてはと、今日も、また情報を探しに単調な実験で、気の遠くなるような果てしなさと戦っている。
 
 しかし、ストリップさせられた多くの人間は、裸を楽しめるようだ。これも幸いだろう。人の幸福感というのは主観の問題だから、それはそれでいいのかも・・?
が、ぼくには、耐えられない。

 

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