市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

新聞の前で・・・しないでください!

2008-06-27 | メディア批判
 「音楽とデモ」のユーチューブ動画はうまく作動しましたでしょうか?
さて、ことさらにデモや革命と音楽が結びつくというようなことを、あらためて言う必要はないわけで、それは軍歌とか革命歌、応援歌、寮歌と、至極当然、まったくあたりまえの現象であるわけだ。しかし、あらためて動画をみると、それはやはりジーンと押し寄せる感動ではないか。なんどでもラブ、ラブ、ラブの歌詞は、まさに今日の派遣のわかものの状況を、もっともリアルに表現している。まさか、派遣の現実から生まれてわけではないだろうけど、何回聞いても不思議な予言だ。

 話は飛ぶが、外山恒一は、自宅を革命塾にして、塾生も集まってきたとスタジオボイスは紹介している。その教室にある書架の本と音楽CDも塾生に貸し出しされるという。ぼくが関心を引かれるのは、どんな音楽CDがあるのだろうかということなのだ。なぜ、かれは音楽CDをあつめたのだろうか。その話に入るまえに、ここで、もういちど新聞の無知について話を振りたい。

 当ブログ「STRIP]と「外山恒一採録」で新聞一般の文化面や朝日新聞の無知の露呈について述べた二日後だったか、朝日がコラムで鳩山法相を「死神」と表現したことが、報じられた。死神!!死語と思った言葉を使っていわねばならぬ内容とはなんなのかとおどろいたが、筆者は非難を浴びて、記者は言葉の使い方は難しい、もっと工夫すべきだったと、弁解したのだ。その弁解にもっと驚かされた。

 言葉の使い方とか、表現の技術の問題じゃないだろうがと、思う。法相を死神と表現した考え方、その意識をとわれているのだ。その意識について、かれはどう
かんがえるのか、ここが一番肝心であるし、そのことについて、かれは毅然として
自己の立場、または反省を語るべきであろう。後期高齢医療を長寿医療と置き換えればすむという政治の方法とどこがちがうのだろう。これが反権力を標榜する天下の朝日記者の内面とするなら、それは無知そのものではないか。

 さらに昨日には、毎日新聞社の英文毎日が、「Hentai」などと俗悪な表現で若者事情を表現したとして、英米から批判され、世界に恥をさらして、その無知ぶりを発揮したとあった。ことさら、こんなニュースダネでなくとも、日ごろから注意深く読んでいれば、僕の場合はとくにアート、カルチャー関係で、おそるべき無知と無反省(それは傲慢性)の記事にたびたびぶっつかってきでるわけだ。

 だから、新聞の前で、新聞には事実も真実も宿っていません、1000のうそになってあの社会という空をふきわっています・・・と、おもわざるをえないのだ。

 こんな心情を慰めてくれるのも、また音楽CDであるわけだ。聞こう、聞こう。

 


 

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