市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

年金を考えよう

2007-02-13 | Weblog
 10日からの連休が始まった朝だったか、朝日新聞を朝食で開くと、年金需給
者である年寄りの税を年額平均54万円くらいにしたいという政策が論じられていた。年金暮らしの年寄りも貯蓄は1200万円以上が、全体の3分の1,2500万円以上の富裕層もまた現役世代の7倍もいる。そして年金収入は、現役平均賃金の8割に及ぶ、もはや年寄りを支える現役世代の負担は限界に近づく。年寄りもそれ相応の負担をという納得できそうな論が、図表入りで展開していた。

 ところで、このような恵まれた3割以上の年寄りであるが、この貯金(現役世代よりも働いた期間が長いので、多くて当たり前)や年金を、自分のために全額消費する能天気な、あるいはとても幸せな年寄りは、例外中の例外ではないのか。ほとんどの生活費に余裕のある年寄りは、こどもたちの援助に年金の何割かを回している。ここ宮崎市などでは若者たちは、暮らしやすさを理由に老親に家を建てさせ、そこに同居して生活をエンジョイしている。また親と同居で、生活の基本を満たし、楽しむものも数知れずである。つまり年金も貯蓄もすでに子供の生活費に回しているのだ。
 
 今さら税金をむしりとって、その税金をどこに使うのかもわからず、慎太郎のように贅沢きわまる海外出張費とか、官舎に愛人と住んで甘い生活を送る政府審議員とかの資金に使われるなどと、老いてなお生き血を啜られる。たしかに現役世代の
8割も需給を受けて老後を遊び暮らせる余裕は、国に無くなったのは現実だろう。

 ではどうすればいいのだろうか。ここで思うのは、年金を18歳から29歳までの若者にも支給することである。私的にこどもを支えるのでなく国家によって年金を再配分するのである。若者はやりたいことがいっぱいある。金がないばかりに低賃金労働で、自己実現の時間も意欲、体力、才能も奪われていく。そこに年金があれば
どれほどの埋もれた才能が、開き社会を活気づけることだろう。

 今から社会を創造する可能性をもつものに、死に行くものから年金の何割かをたすくことなら、どれほど夢が多いことだろうか。どうせむしりとられるなら、若者への年金支給へと分割されることがもっとも有効ではなかろうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山形屋リニュアル5ヵ月目 | トップ | 宮崎またも有名になった! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事