市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

NHKミーハー話

2010-10-28 | メディア批判
  前々回、朝ドラ「てっぱん」の直後の番組「アサイチ」で、女子アナウンサー1名を含む3人のキャスターが、今朝もまたヒロインのあかりは、どうなるのだろうと、ミーハー話をしゃべっていた。ぼくは、3人に高尚な話をせよというわけではない。もっと対象にたいするものの見方があるだろうと思うのだ。しがない庶民が主人公の人生と自分を重ねて、どうのこうのとやきもきするのは、ストレス解消となり、むしろほほえましい光景であろう。NHK大メディアの職員が、公共性をいちばん重要とするテレビ番組に登場しrて、なぜ同じミーハー話をしているのか、これが納得いかないのだ。

 その朝10月5日、アサイチがとりあげた朝どれいちばんの生活情報は「遺伝子化粧品」というのであった。加齢とともに皮膚の衰えにより鼻のわきに生じるしわ、つまり「ほうれい線」が、遺伝子化粧品で消えたという情報であった。60代だったかの女性が登場、、ほうれい線が遺伝子化粧品で薄くなったと、前後が紹介されると、わーっと3人は感嘆の声を発した。どうだろうか、ぼくらにとって、鼻のわきのしわがあろうが消えようが、彼女の魅力が増したともいえない、そんなことは、彼女の晩年の人生にとって、たいした問題ではないはずではないかと思う。しかし、キャスターたちはさらなる会話をつづけるのであった。すぐに話は広がり、乳がんの発症が遺伝子の異変にあり、その遺伝子の発見によって、乳がんも予防できれば、さらに、ここにも伝子治療があると、すすんでいくのであった。

 話が花開くなかで、遺伝子を治療すれば、乳がん予防も治療も解消されるかのような幻想が、視聴者の意識を知らず知らずにつつみこんでいくのであった。ところで、ほうれい線を取る化粧品は、万年筆をすこし大きくしたような化粧壜に封じられたものが、7万5千円だと示された。ほーっという感嘆。しがない母子が思い切って、相談の末に遺伝子検査をした。乳がん発症にかかわる遺伝子検査が5万円であった。遺伝子をあつかえるものは、年収200万以下の国民大衆には、無理なのである。まるで、国民保険制度のない米国の医療問題に似ている格差という大事な社会問題がある。また、遺伝子だけが病気と絶対的な因果関係があるわけもない。もしそうであるなら、その可能性のある遺伝子をすべて調べるだけで何百万という費用が罹るようになるだろう。貧乏人は遺伝子関係なし、少し金があるのものは、大腸がんだけに、大金持ちは、心臓から脳梗塞から、胃がん、すい臓がんなんでもごされというわけである。かくして、格差社会は、生きることそのものを、格差に追い込んでいく。幸い、乳がん発症に関する遺伝子が乳がんを発症するとはかぎらず、正常な遺伝子のもちぬしでも乳がんには罹る。免疫とうい生体の生命維持は、そんな単純なものではない。自動車の部品を取り替えるような単純な人間の肉体ではないのだ。3人のキャスターのミーハー話とは、この表面的な単純すぎる物語性だけに集約されているのだ。ここが問題なのである。

 ほうれい線があろうが、なかろうが、人間的魅力は、もっと内面的なもの、人格そのものであろう。加齢も美醜も関係ないという、不思議な通路を神、もしくは運命は、準備していてくれている。それはなんと幸いなことであろうか。すこし、ものをかんがえれば、見方を変えれば、人生はどこまでも豊かになれる。しかし、テレビで流れる人キャスターのミーハー話によるアサイチの情報は、このような可能性、人生の微妙さを伝えることができない。今朝もまた庶民たちは、単調な労働の一日をスタートする。ほうれい線もますます深くなる。しかし、その人生のしわが、真実感を発揮し魅力となることもありうるのだ。そう思わないか。

 

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