自転車で走るのが状態であり、外出も多いので、このギャラリーでの日常ルーチンの仕事をこなすにも背広はなんの役にも立たぬと、ぼくは信じていた。それで年間をとおしてよほどのことでないと背広は着ない。ところが先日の小雨のうっとうしい夕方、ふと、ハンガーに何ヶ月も、ぶら下がったままの背広の上着をひょいと着て、外に出た。なぜ着たのか、その背広は2年前の誕生日、図書館養成所の同窓会に出るために、購入したもので、あの日を、追憶したからであったろうかと、今では思う。実は、この外出から、あの時から、背広は、違ったものになってきたのだ。
どういうわけか、ジャンバーやパーカー、カメラマンコート、その他、名前をなんと言うのか知らないが、アウターコートの類は、外で行動したり、気楽にカフェを回ったり写真を撮ったりするのには、最適であると思い込んでいた。だが、あの時の背広着用で、気づかされたのだが、ジャンバーやコートでは敵わない、背広の利点を知ることになったのだ。これは、こういうことなんだが・・。ぼくは、いつも外出するときには、文庫本、手帳、ページをちぎれるB6版のメモ帳〔100円ショップで買える)シャープペンシル黒芯用と青、ボールペン、デジカメ、携帯、コイン入れと札入れを所持していく。そのためにどうしてもバッグが必要で、つい先日も新しいギャバジン製のバッグに買い替えたばかりであった。雨の日になると、バッグをビニールでカバーして自転車の前篭に置くのである。背広を着て外出した小雨の日、これらの所持品をなにげなく、背広のあちこちのポケットに収納してしまっていたのだ。なぜこういくことをしたのか、今でもわからないのだが、大昔、背広を着用していた時代の習慣が、ふとよみがえったのかもしれなかった。
そして、偶然にもこの背広のポケットが、ジャンバーやアウターコートよりもはるかに便利であったのに気づかされたのだ。そう思い出すと、これまでにもジャンバー、コートなどのポケットの具合の悪さにはいらいらさせられていたのだった。小型のデジカメであってもこれを無理なく収容できるポケットは、ジャンバーにはなく、新たにキャメラマンベストを購入したりもした。このやたらとポケットのあるベストは、他には役に立たない。また文庫本がぴたりと収まるポケットが付いているジャンバーなどは、あまりないのだ。みんな入り口が斜めになっているので、本の収まりが不安定になってしまう。ところが背広では垂直にすとんと収まってしまうのだ。これにはおどろいた。ぼくのこのチャコールグレイのジーンズ生地の硬い背広では、2冊くらいの文庫本は平気で納まる。さらに改めて便利だと思ったのは、その左右にある内ポケットであった。右側のには、入り口が閉じられる。左側のは、それがない。それはどういうことか、右手で自由にすばやく出し入れできる左側の内ポケットと、ボタンのついている左手でやや不自由に取り出すしかない右側のポケットがあるわけだ。こちらには、札入れなどの貴重品を収納するのがいい。歩いてくる他人の右手が狙いやすい右のポケットにはボタンやチャックの防護がほどこされているというわけだ。左利きには役に立たないけれども、この工夫はなかなかのものであろう。この左の内ポケットの下部には、小さなポケットが付いているが、これはなんのためだろうか。今はまだ不明であるが。多分有効なものなのだろう。
ジャンバーにはそういう工夫はない。いや、僕の着用したかぎりのコートもそうである。それよりも、ジャンバーにしてもコートにしても、内ポケットに手を入れるには、簡単、即座にはできない。まずボタンやチャックをはすしたり、おろしたりして前をひろげて内ポケットに手を入れるしかない。しかもポケットの形態は種類が多く、中には裏地を兼ねてのようなお粗末なものもあったりする。位置さへわからぬのである。ところが背広であれば、左右どちらの内ポケットでも、いっしゅんで手を差し込めるのだ。この便利さにはおどろくのであった。そしてポケットはつねに垂直であるのがいい。背広に比べて、おしゃれなコートであるならあるほど、ポケットは、銀色のチャックがついていたり、斜めだったり、深すぎたり、位置が悪かったりで役に立たぬものが多いのだ。シャープペンもボールペンも、背広では胸のポケットでも内ポケットでも、どこでも収められるのだ。ジャンバーは、どこにペン類を収めるのだろうか。こういう次第で、必要な所持品が、すべて背広に収納でき、安定し即座に使用可能になる、収納、取り出しが非常に便利で、位置も明快である。これはバッグに収めるよりももはるかにいい。なんという背広の機能性であろうか。まさにおどろくべきものがあったのに驚かされたのであった。
ハイヤーの運転手さんが、なぜ背広着て運転するのかもなるほどと思う。配達人の人々が背広姿であり、不動産や、自動車のセールスマンが背広を着用するのかも、単にお客向けのフォーマルな礼儀をあらわしているというより以上に、この機能性がおおいに役にたっていたのであろう。背広というこの形態を誰が決めたのか、今となってはわからぬし、それを問うのも意味はないわけだが、ただ明治以降のヨーロッパ近代化の機能性を積み重ねてきた究極のフォームであろう。ぼくは、ふと、この冬も毎朝、燃やしてきたアラジンのブルーフレームのストーブの必要にして不可欠のフォームと背広を重ねて思うのであった。ブルーフレームは室内を暖房する機能という一点で、究極の型を保持してきている。背広も、仕事を果たすという機能で、究極の型に行き着いていたのだと、認識を新たにできたのであった。
夕暮れ時、溝鼠色の背広を着て自宅に帰りつつある「さらりーまん」に一抹の哀愁を感じていたものだが、その一日の労働に、背広は、その機能を上げて助けていたのだと、ぼくは知ることができた。なにか、ペットが無心に無垢に主人に奉仕するような健気さを、背広に感じはじめるのだ。過去100年もかけて、近代化への歩みに尽くしていた背広のフォームは、伊達や酔狂や、思いつきの結果でなないことに、はっと気づかされたのだ。背広は一人の作家やデザイナーの創作ではないのだ。だから、目立たない。平凡で、ありふれている。しかしだ、動かしがたい機能性を秘めていたのだと、これはひとりひとりの生活のなかで、この効用を発揮していく作品だということを、知るのである。
よし、今日からはサイクリングにも背広で行ってみようと思う。もうバッグをハンドルにかけたり、バッグを襷掛けにしなくて済むことになるではないか。背広姿のサイクリング。これは、ぼくに夢を与えてくれそうだ。
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