躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

迷走

2008-06-13 20:15:23 | Weblog
3週間ぶりのハッピーダンス。
とうちゃんは、1週間かけて今回は瞑想向きの曲を多くして編集した。
ハズレの曲が入っていなくて、とても良かったのだけど、
参加者は私たちを含めて4人。(大涙)
しかも、ひとりは前半で帰り、ひとりは後半にちょこっと参加しただけ。
お陰でしっかりふたりで瞑想の時間になった。
ハッピーダンスは迷走してます。(笑)
次回は27日です。

午後はサツマイモの畝の草取り。
草だらけの畑は例年以上に草草草。
なんか今年はやる気がないんだよなあ。
農家の人が通りかかって、「よく頑張りますねえ。」
お世辞もここまでくると嫌味?
それとも、ここまで草を生やしてもよく畑を続けると感心してる?(笑)
いやいや単なる挨拶、口癖かもね。

竹薮では淡竹(はちく)と真竹の筍がにょきにょき。
毎日採りに行く。
食べるためだけではなく、
採っておかないと竹に隣地(畑)を占領されかねない。
この畑、今年は草丈も高く、どう見ても畑とは思えない。
ということで、畑の方も迷走しています。(笑)



森の中のおばあちゃん

2008-06-12 20:17:08 | Weblog
昨日から来ていた息子のお嫁さんと、
森の中で一人暮らしをしているおばあちゃんを訪ねて行きました。

小降りの雨の中、庭にはたくさんの大きな水溜りが出来ていた。
それでも、青紅葉をはじめたくさんの大木の緑が雨に濡れて綺麗。
ニッコウキスゲやどくだみの白い花のじゅうたん、名前を知らないピンクのお花畑など見て周っていると、
古い小さな家のガラス戸が開いて、
おばあちゃんが縁側から声をかけてくれた。
94歳のおばあちゃんは白髪のおかっぱ。
お元気なお顔を拝見しただけで嬉しくなってしまいます。

「どうしてこんな雨の降る日にいらしたの?」
私「雨に濡れて、こんな日の方が緑が綺麗ですから。」
とても嬉しそうに、「あなたは、ほんものね。」
「あなたにお願いがあるのだけど、新聞を取ってきて下さらない?」
大きい水溜りのある通路を雨のなか、新聞受けまでの10メートルが
おばあちゃんには大変なこと。
新聞は2日分あった。
「テレビは嫌いだから、ないの。新聞でも読まないと世間のことがわからないのよ。」

「変なのよ、小鳥があまり来なくなってしまったの。私、見放されたのかしら。」
私「うちも同じです。鳩も見かけなくなったし、今年は小鳥がとても少なくて、なんだか変ですよね。私も見放されてます。(笑)」

「私、数日うちに死にますからね。でも、このおしゃべりな口だけは残るわよ。」
私「死ぬなんてそんなことおっしゃらないで。」
「あら、光の天国へ行くのだから良いことなのよ。地獄なんかには行かないわ。
万歳万歳よ。」
前回より一段と小さくなられて、目からはずっと目やにが出ていた。
笑顔で話されていたけど、
このお年になると、生きていることの方が大変なことなのかもしれないと思った。

町の広報塔からお昼のチャイムが聞こえておいとまをする時、
バイバイと手を振るおばあちゃんは本当に可愛かった。





女王蜂

2008-06-04 19:43:53 | Weblog
2日前にスズメバチを殺した。
といっても、とうちゃんがやってくれたのだけど、あんまりいい気分じゃない。

物置の出入り口の小さなひさしに、1匹で一生懸命に巣づくりしている女王蜂を発見して、二人で1日中悩んだ。
怖いけど良く見ればきれいなお姿。
彼女は彼女の生を生きているだけなのに、こっちの勝手で殺してしまうのはなんとも気の毒だ。
なら、女王さまがお食事でお留守になる時に、巣を取っ払ってしまえば、そこにはもう巣をつくらないで他所にいくらしい。
でも、遠くに行ってくれればよいけど、去年のように庭の見えにくい所に巣を作られたら困るし・・・・
殺すとしても、殺虫剤?
もがいて死ぬのは嫌だな。
でも、叩いて1発でしとめなければ、襲ってくるだろう。

ああじゃこうじゃと、こんな小さな生き物に悩まされるひ弱な夫婦だ。
インドなら、きっとそのまま暮らすのだろう。
コブラでさえそのままにして暮らしているのだから。
でもやっぱり刺されて死ぬのはいやじゃ。
わたしゃヒンズー教徒になれない。
ぐずぐず日を延ばしていたら、女王蜂は巣づくりしながら卵を産んでは働き蜂を増やしながら巣を大きくしていく。
何十匹何百匹になると、もう手におえない。
また宇宙服のような防御服を着た業者の人に頼まなくてはならなくなる。

日が暮れて、女王様が寝られた時にとうちゃんの一撃で即死だった。
寝ているのを見るとすごく可愛くて、何度もためらったそうだ。






存在の詩

2008-06-03 18:08:30 | Weblog
物置にしまいこんでいたバグワン・シュリ・ラジニーシ(osho)の本を引っ張り出して来た。
『存在の詩』『オレンジブック』『般若心経』『反逆のブッダ』『あなたが死ぬまでは』それから、誤解されそうな題名の本(笑)。
乱読時期に買ったので読んでないのもあると思うけど、
『存在の詩』は夢中で読んだ記憶があって、
もう一度開いてみたら、1行1行がダイレクトに響いてくる。

maloさん、あったあったヒーリングダンスと同じ瞑想法が。
10何年前に読んだ時は素通りしていた。
そんなもんだよね。
ありがとう!!しばらくラジニーシだわ。(笑)


中村哲さん

2008-06-01 22:41:59 | Weblog
アフガンで灌漑に力を入れたボランティア活動をしている医師中村哲さんの講演会に、
千葉まで行ってきました。
会場前に着いたときに、隣のレストランから出て来られてこちらに向いたのが中村さんだったのでびっくり。
姿は普通の小柄なちょこんとしたおじいさんに近いおじさん。
こんな人がアフガンで土木作業?

その後が可笑しくて、
入り口のドアのところにいた係りの人が、私たちに「当日券は左側でお買いください」と誘導して、次に来た中村にも同じことを言って誘導したのだ。
大笑いで気がついた係りの人もまた大笑いでした。

しかしこのおじさん、やはりただ者ではなかった。
とつとつと話されるが、真の現実に命がけで立ち向かっている人ほど強い人はいなのだと思わされた。

私たちには本当のアフガンの状況をほとんど知らされていないと言っても過言ではないほど、情報が操作されているようだ。
中央集権国家ではなく、部族社会のアフガンでは、首都の出来事などはとても特殊な地域のこと。
それがテレビではアフガンの様子として報道される。

ほとんどの人が自給自足の生活なのだそうだ。
そして、温暖化による旱魃で水が不足し多くの人が食料難に陥っている。
栄養失調による抵抗力のなさから病気になりすぐに死んでいく子供達をみて、
中村さんは「100の病院よりも1つの井戸」を皮切りに、
今では砂漠を農地に変えるほどの灌漑用水路を地元の人たちと協力して作っている。
そんな工事現場の上をアメリカ軍のヘリコプターが飛び、
面白がってか間違えてか機銃照射をしてくることもあるとか。

外国からの援助はほとんどがアフガンの人達が必要としていない援助になってしまうらしい。
教育とか何とかよりも、まず生きなければどうしようもないという切実さなのだ。

アフガンの現状や、活動報告など心に残る講演でした。

最後に質問に答えて、中村さんをここまで突き動かしているものは何か、
「日本の男がここで引けるか」という昔の日本男児気質なのだそうだ。

ところで、アメリカのアフガン攻撃のあと、中村さんを支援するペシャワ―ル会が食料を配給し(多分)200万人の命を救った。
その資金は私たちのカンパだった。
9,11の直後、アフガン攻撃反対のピースウォークに参加して募金箱に入れた(私にとっては大枚の)1万円が何人かの命を救ったと思うと嬉しかった。
カンパのお陰で活動できていると、謙虚とかではなく、真実としてたんたんとおっしゃる中村さん、超えていました。

ペシャワ―ル会↓
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/