前回、満月の影響でiPhoneを買ってしまつたことを書いた。あの後、うちの奥さんが「そういえば」と言い出した。彼女が言うには、去年の冬、僕が突然、脱衣所のファンヒーターを買うとケーズデンキに走ったのだ。言われて見れば記憶がある。脱衣所の古い電気ストーブでは、子どもがタオルを落すと危険だと思ったのだ。「あの突然さは変だ。あれも満月かもしれない」と、日記を調べた。するとドンピシャで満月だった。
そういえば、3月にiPadを申し込んだときも変な勢いがあった。自分の日記を調べて見た。何と、これも満月である。もしや、と思い自分の生まれた日を調べて見た。驚くなかれ、満月である。どうやら僕の行動は満月の影響を強く受けているらしい。あるいは家を建てることを決めたのも満月だったかもしれない。結婚を決めたのも満月だったのかもしれない。いまさら調べようもないが、そういうことはいくらでもあるかもしれない。
人生のさまざまな場面で、重要なことも些細なことも、主体的に選択しているつもりでいたが、案外、それは月の力に依るものだったのかもしれない。こういう時、主体性を維持するために月の力を排除しようとするか、うまく付きあっていこうとするか、そのあたりは人によって態度が分かれるかもしれない。僕はうまく付き合っていこうとする方だ。
さっそく先週末、月の力とうまくつき合えた。土曜日、友人の天祖神社(http://www.tokiwadai-tenso.or.jp/)で「観桜会 薪狂言の誘い」が行われた。和泉元彌さんをはじめ和泉宗家の狂言師が集まり、八重桜が満開の夜の神社で狂言を演じるというものだ。僕は薪の火の管理、うちの奥さんは写真撮影ということで、手伝いをすることになった。
小雨の降る中、火の管理をしていたので肝心の狂言はほとんど見ることが出来なかったが、打ち上げの席で和泉元彌さんや和泉淳子さんと話しができた。(一緒に写真を撮るなど少しミーハーなこともした)。実を言うと、この日はちょうど半月あたりでテンションは低めだった。ふだんならそんな時に、自分から動くことはしない。ただ今回は、半月だとわかっていたのであえて話しかけることにした。
和泉淳子さんというのは、狂言界史上初の女性狂言師だ。僕は狂言には詳しくない。それでも二十年以上も前に女性狂言師がテレビのCMで舞っているのを強く覚えていた。あの時、テレビを見ながら「かっこいいな」と思ったものだ。何と和泉淳子さんとはその女性であった。
元彌さんとは「型」についていろいろ話しをした。僕は身体や思考など人間の活動は、まったく自由に行なうよりも、ある種の制約があった方がパフォーマンスが上がるという話しや、合気道の「型」について話をした。
元彌さんは、(和泉流の?)狂言の稽古が「猿にはじまり狐に終わる」という話しをしてくれた。狂言の稽古は、猿から始まり、1つ1つきちんと「型」を覚えていく。そして最後に「釣狐」(だったと思う)があるのだが、これはそれまで倣った「型」と反するようなものだという。このとき、それまで倣ってきた「型」を本当に理解していないと、「釣狐」で何が否定されているのか、それによって何を伝えようとしているのかが理解できない、というのだ。
狂言に関しては素人の僕にも、いやな顔をせずにいろいろ話してくれた。これを機に少し狂言でも見に行こうかと思った。それと半月にはあえて動くのも悪くないと実感した。
そういえば、3月にiPadを申し込んだときも変な勢いがあった。自分の日記を調べて見た。何と、これも満月である。もしや、と思い自分の生まれた日を調べて見た。驚くなかれ、満月である。どうやら僕の行動は満月の影響を強く受けているらしい。あるいは家を建てることを決めたのも満月だったかもしれない。結婚を決めたのも満月だったのかもしれない。いまさら調べようもないが、そういうことはいくらでもあるかもしれない。
人生のさまざまな場面で、重要なことも些細なことも、主体的に選択しているつもりでいたが、案外、それは月の力に依るものだったのかもしれない。こういう時、主体性を維持するために月の力を排除しようとするか、うまく付きあっていこうとするか、そのあたりは人によって態度が分かれるかもしれない。僕はうまく付き合っていこうとする方だ。
さっそく先週末、月の力とうまくつき合えた。土曜日、友人の天祖神社(http://www.tokiwadai-tenso.or.jp/)で「観桜会 薪狂言の誘い」が行われた。和泉元彌さんをはじめ和泉宗家の狂言師が集まり、八重桜が満開の夜の神社で狂言を演じるというものだ。僕は薪の火の管理、うちの奥さんは写真撮影ということで、手伝いをすることになった。
小雨の降る中、火の管理をしていたので肝心の狂言はほとんど見ることが出来なかったが、打ち上げの席で和泉元彌さんや和泉淳子さんと話しができた。(一緒に写真を撮るなど少しミーハーなこともした)。実を言うと、この日はちょうど半月あたりでテンションは低めだった。ふだんならそんな時に、自分から動くことはしない。ただ今回は、半月だとわかっていたのであえて話しかけることにした。
和泉淳子さんというのは、狂言界史上初の女性狂言師だ。僕は狂言には詳しくない。それでも二十年以上も前に女性狂言師がテレビのCMで舞っているのを強く覚えていた。あの時、テレビを見ながら「かっこいいな」と思ったものだ。何と和泉淳子さんとはその女性であった。
元彌さんとは「型」についていろいろ話しをした。僕は身体や思考など人間の活動は、まったく自由に行なうよりも、ある種の制約があった方がパフォーマンスが上がるという話しや、合気道の「型」について話をした。
元彌さんは、(和泉流の?)狂言の稽古が「猿にはじまり狐に終わる」という話しをしてくれた。狂言の稽古は、猿から始まり、1つ1つきちんと「型」を覚えていく。そして最後に「釣狐」(だったと思う)があるのだが、これはそれまで倣った「型」と反するようなものだという。このとき、それまで倣ってきた「型」を本当に理解していないと、「釣狐」で何が否定されているのか、それによって何を伝えようとしているのかが理解できない、というのだ。
狂言に関しては素人の僕にも、いやな顔をせずにいろいろ話してくれた。これを機に少し狂言でも見に行こうかと思った。それと半月にはあえて動くのも悪くないと実感した。