2月になった。早いもので今年も1ヶ月が終わった。少し振り返ってみる。まずは
ランニング(というかジョギングかな)。今月の走行距離は72㎞。100㎞を目指
していたが足りない。ひどいものだ。腰をやられる前、自分がランナーだと思っ
ていたときには、月に180㎞をメドに走っていた。少なくとも150㎞、多ければ
230㎞くらい走っていた。それがいまでは72㎞だ。ランナーとはいえない。ジョ
ガーである。
ジョガーになって残念なのは、荒川の土手を走る機会が減ることだ。わが家から
土手まで片道2㎞くらい。いまは平日の朝に3.5㎞、そして週末に5㎞か8kmのジョ
ギングをしている。週末しか土手まで行かないし、行ってもわずかな距離しか土
手を走らない。以前は、平日に5㎞、週末には10㎞、20㎞と走っていたので、1年
を通して、土手のいろんな表情を見ることが出来た。
今の時期なら、土手は一面の枯れ草色だ。乾いたうすい茶色が土手一面を覆う。
晴れて青空の下だと太陽の光で枯れ草色が白く光って見える。そして柳の枝が細
いムチのように風にゆれる。でも足下の芝をよく見ると、枯れた芝の中にも少し
ばかり緑の草も見える。さらに目を凝らせば、イヌノフグリの小さな青い花も咲
いていてる。
冬のあいだは強風の土手を走ることも多い。荒川を上流に走る往路は北に向かっ
てのコースだ。風速10メートルを越える北風に向かって30分も走っていると、体
が末端から冷たくなっていく。走力よりも体力が試されている感じだ。人もあま
りいない。やたらと青空で北風がゴーゴーと吹く枯れ草色の土手をひとり走る。
走っているときはつらいけど、走れなくなるとまた走りたくなる。遠くから見れ
ば、たいていのものはきれいに見える、とは村上春樹の小説の言葉だ。
もう一度、あんな感じで走りたい。そのためには今年は本気で腰痛を治そう。と
りあえずは、月間100㎞の目標を達成しよう。最低でも年間で1000㎞だ。その
先、上手くいけばまたフルマラソンを走ろう。(ウルトラマラソンは無理か
な)。フルマラソンと書くと、いろんな大会の情景が浮かぶ。海沿いのコースを
走ってる自分の姿という、実際には見ることが出来ないはずの情景が記憶として
よみがえってくるから不思議だ。そして苦しかった記憶がほとんどなくなってい
る。まあ、そんなものだ。いずれにせよ、腰の状態に合わせて、今年は計画的に
走っていく。
計画的。どうやら僕に必要なのはこれらしい。もともと努力が嫌いな怠け者であ
る。自分でノルマを課さないとゴロゴロしながら本を開き、同じ行を何度も目で
追いかけながら妄想にふけっている。そんな人間だ。腰痛を理由に走るノルマを
外した。PTA会長を引き受け(忙しそうだという)理由で、ブログを書くことも
止めていた。その結果、体重が3kgばかり増えた、文章を書くことが苦手な人間
ができ上がった。
1月になって変わったもう1つは、ブログを定期的に書こうと決めたことだ。震
災前までやっていた、1週間に2本、年間100本を再び目指してみようと思う。内
容はどうでもよい。まずは数を書くことを優先する。書いているうちにいろんな
テーマも出てくるだろうし、書き方も少しは良くなっていくだろう。1月の半ば
にそう決め、これで今年は6本目になる。残りはあと94本だ。
ランニングもブログも僕にとっては似ている。どちらも単なるアマチュアでしか
ない。その意味では誰かの期待に応える必要もないし、クオリティーが多少低く
ても問題ない。どちらもやり続けることで、ある程度の手応えが感じられれば良
い。個人的なことだ。そのためには、時間を確保すること。四の五のいわずに体
で取り組むこと。意味不明な負けん気を発揮すること。そのくらいだ。
とにかく、ランニングやブログに自分の時間をきちんと提供することだ。(何か
を成就するために、自分が必要なものを提供するという感覚はけっこう気に入っ
ている。何かを達成するために、相手から奪い、コントロールするという方法
は、正直うんざりする)。こちらが差し出すから、返礼が起こる。そこで何かが
成就される。そういう運動が続く。
ランニングに時間を提供することで、心身がリフレッシュされる。言葉を書きつ
づることで、頭脳が(わずかだが)クリアになる。さいわいにも提供する時間が
あるならば、提供すればよい。(なまけるな、ということです)。
1月をふり返るはずが話はどんどん流れていく。まあいい。1月は前半にPTA活動
のピークがあった。それはすでに書いた。ネタ的に書くことを探せば、数日前の
新月のあたりでネコがやらかしたことが思い当たる。
わが家には4匹のネコがいる。全身が茶色で縞柄のカミュ、白ベースに黒いブチ
の巨大なマルセル、黒ベースに眉間からお腹にかけて白が広がるプルースト(マ
ルセルと兄弟)、そして茶トラでお腹が白いナツ。白黒兄弟はトイレに問題がある。
白いマルセルは純粋な尿バカでトイレの意識が弱い。丸いものを見るとトイレだ
と思う。たとえばお風呂の丸い洗面器、洗たく機、中華鍋、丸いものを見るとト
イレだと思うのか、必ず尿をする。名前がマルセルなので「マル、マル、おま
る。まーるいところにおしっこだ」という歌を作ってやった。(家族には不吉だ
からやめてくれと言われた)。いまはいろいろな対策でほぼトラブルは封じている。
黒いプルーストはとても賢いネコ故にトラブルを起こしているようだ。家の外に
野良猫などが来ると、なわばりを意識して玄関のはじっこなど境界に尿をするの
だ。マルセルにくらべれば頻度も少ないのであまり被害はない。
いずれにせよ、こういうトイレトラブルをわが家では「尿場が乱れる」と呼んで
いる。(そう呼んでいるのは、あるいは僕だけかもしれない)。カミュとナツ
(茶族と言われている)はほとんどトラブルはない。第一世代のヤブとツチも茶
トラで尿場が乱れることはなかった。ネコを飼うなら茶族に限る。白黒はダメ
ね。そんな共通認識がわが家でも出来つつある。
いろいろ対策をしているので、日常的な被害はなくなった。それでもときどき尿
場が乱れる。なんとなく周期的な感じがする。周期的と言えば、月齢、潮の満ち
引きである。まだはっきりしていないが、満月や新月に尿場が乱れる傾向があり
そうだ。先日もマルセルがトイレにあるネコトイレの前の床の上を尿場にしてい
たし、プルーストは猛ダッシュで長男のベッドに駆け上がり速攻で尿場にした。
満月や新月には精神が高揚し凶悪犯罪が起こりやすいと聞く。(僕自身、満月に
はムダなものを買ったり、喧嘩っ早くなる)。オオカミ男とドラキュラの伝説も
そんな人間観察から出てきたのだろう。大潮の満ち引きを起こす力は、人体の水
分にも影響しているはずだ。精神的にも影響がないはずはない。ネコも(体の水
分がどれくらいか知らないけど)影響を受けているのだろう。人間の凶悪犯罪に
くらべれば、ネコの尿場乱れはたいしたことはないのかもしれない。いや、飼い
主にとってはかなり大変なことである。2月の満月や新月の尿場に注目だ。
ランニング(というかジョギングかな)。今月の走行距離は72㎞。100㎞を目指
していたが足りない。ひどいものだ。腰をやられる前、自分がランナーだと思っ
ていたときには、月に180㎞をメドに走っていた。少なくとも150㎞、多ければ
230㎞くらい走っていた。それがいまでは72㎞だ。ランナーとはいえない。ジョ
ガーである。
ジョガーになって残念なのは、荒川の土手を走る機会が減ることだ。わが家から
土手まで片道2㎞くらい。いまは平日の朝に3.5㎞、そして週末に5㎞か8kmのジョ
ギングをしている。週末しか土手まで行かないし、行ってもわずかな距離しか土
手を走らない。以前は、平日に5㎞、週末には10㎞、20㎞と走っていたので、1年
を通して、土手のいろんな表情を見ることが出来た。
今の時期なら、土手は一面の枯れ草色だ。乾いたうすい茶色が土手一面を覆う。
晴れて青空の下だと太陽の光で枯れ草色が白く光って見える。そして柳の枝が細
いムチのように風にゆれる。でも足下の芝をよく見ると、枯れた芝の中にも少し
ばかり緑の草も見える。さらに目を凝らせば、イヌノフグリの小さな青い花も咲
いていてる。
冬のあいだは強風の土手を走ることも多い。荒川を上流に走る往路は北に向かっ
てのコースだ。風速10メートルを越える北風に向かって30分も走っていると、体
が末端から冷たくなっていく。走力よりも体力が試されている感じだ。人もあま
りいない。やたらと青空で北風がゴーゴーと吹く枯れ草色の土手をひとり走る。
走っているときはつらいけど、走れなくなるとまた走りたくなる。遠くから見れ
ば、たいていのものはきれいに見える、とは村上春樹の小説の言葉だ。
もう一度、あんな感じで走りたい。そのためには今年は本気で腰痛を治そう。と
りあえずは、月間100㎞の目標を達成しよう。最低でも年間で1000㎞だ。その
先、上手くいけばまたフルマラソンを走ろう。(ウルトラマラソンは無理か
な)。フルマラソンと書くと、いろんな大会の情景が浮かぶ。海沿いのコースを
走ってる自分の姿という、実際には見ることが出来ないはずの情景が記憶として
よみがえってくるから不思議だ。そして苦しかった記憶がほとんどなくなってい
る。まあ、そんなものだ。いずれにせよ、腰の状態に合わせて、今年は計画的に
走っていく。
計画的。どうやら僕に必要なのはこれらしい。もともと努力が嫌いな怠け者であ
る。自分でノルマを課さないとゴロゴロしながら本を開き、同じ行を何度も目で
追いかけながら妄想にふけっている。そんな人間だ。腰痛を理由に走るノルマを
外した。PTA会長を引き受け(忙しそうだという)理由で、ブログを書くことも
止めていた。その結果、体重が3kgばかり増えた、文章を書くことが苦手な人間
ができ上がった。
1月になって変わったもう1つは、ブログを定期的に書こうと決めたことだ。震
災前までやっていた、1週間に2本、年間100本を再び目指してみようと思う。内
容はどうでもよい。まずは数を書くことを優先する。書いているうちにいろんな
テーマも出てくるだろうし、書き方も少しは良くなっていくだろう。1月の半ば
にそう決め、これで今年は6本目になる。残りはあと94本だ。
ランニングもブログも僕にとっては似ている。どちらも単なるアマチュアでしか
ない。その意味では誰かの期待に応える必要もないし、クオリティーが多少低く
ても問題ない。どちらもやり続けることで、ある程度の手応えが感じられれば良
い。個人的なことだ。そのためには、時間を確保すること。四の五のいわずに体
で取り組むこと。意味不明な負けん気を発揮すること。そのくらいだ。
とにかく、ランニングやブログに自分の時間をきちんと提供することだ。(何か
を成就するために、自分が必要なものを提供するという感覚はけっこう気に入っ
ている。何かを達成するために、相手から奪い、コントロールするという方法
は、正直うんざりする)。こちらが差し出すから、返礼が起こる。そこで何かが
成就される。そういう運動が続く。
ランニングに時間を提供することで、心身がリフレッシュされる。言葉を書きつ
づることで、頭脳が(わずかだが)クリアになる。さいわいにも提供する時間が
あるならば、提供すればよい。(なまけるな、ということです)。
1月をふり返るはずが話はどんどん流れていく。まあいい。1月は前半にPTA活動
のピークがあった。それはすでに書いた。ネタ的に書くことを探せば、数日前の
新月のあたりでネコがやらかしたことが思い当たる。
わが家には4匹のネコがいる。全身が茶色で縞柄のカミュ、白ベースに黒いブチ
の巨大なマルセル、黒ベースに眉間からお腹にかけて白が広がるプルースト(マ
ルセルと兄弟)、そして茶トラでお腹が白いナツ。白黒兄弟はトイレに問題がある。
白いマルセルは純粋な尿バカでトイレの意識が弱い。丸いものを見るとトイレだ
と思う。たとえばお風呂の丸い洗面器、洗たく機、中華鍋、丸いものを見るとト
イレだと思うのか、必ず尿をする。名前がマルセルなので「マル、マル、おま
る。まーるいところにおしっこだ」という歌を作ってやった。(家族には不吉だ
からやめてくれと言われた)。いまはいろいろな対策でほぼトラブルは封じている。
黒いプルーストはとても賢いネコ故にトラブルを起こしているようだ。家の外に
野良猫などが来ると、なわばりを意識して玄関のはじっこなど境界に尿をするの
だ。マルセルにくらべれば頻度も少ないのであまり被害はない。
いずれにせよ、こういうトイレトラブルをわが家では「尿場が乱れる」と呼んで
いる。(そう呼んでいるのは、あるいは僕だけかもしれない)。カミュとナツ
(茶族と言われている)はほとんどトラブルはない。第一世代のヤブとツチも茶
トラで尿場が乱れることはなかった。ネコを飼うなら茶族に限る。白黒はダメ
ね。そんな共通認識がわが家でも出来つつある。
いろいろ対策をしているので、日常的な被害はなくなった。それでもときどき尿
場が乱れる。なんとなく周期的な感じがする。周期的と言えば、月齢、潮の満ち
引きである。まだはっきりしていないが、満月や新月に尿場が乱れる傾向があり
そうだ。先日もマルセルがトイレにあるネコトイレの前の床の上を尿場にしてい
たし、プルーストは猛ダッシュで長男のベッドに駆け上がり速攻で尿場にした。
満月や新月には精神が高揚し凶悪犯罪が起こりやすいと聞く。(僕自身、満月に
はムダなものを買ったり、喧嘩っ早くなる)。オオカミ男とドラキュラの伝説も
そんな人間観察から出てきたのだろう。大潮の満ち引きを起こす力は、人体の水
分にも影響しているはずだ。精神的にも影響がないはずはない。ネコも(体の水
分がどれくらいか知らないけど)影響を受けているのだろう。人間の凶悪犯罪に
くらべれば、ネコの尿場乱れはたいしたことはないのかもしれない。いや、飼い
主にとってはかなり大変なことである。2月の満月や新月の尿場に注目だ。