とんびの視点

まとはづれなことばかり

虫取り網をもった守衛さん

2012年02月10日 | 雑文
若潮マラソンから2週間ちかくたった。まだ膝が治らない。仕方がないので接骨院に行った。靭帯などには問題はないとのこと。治るのに必要な時間をかけるしかない。時間を短縮するために、しばらくは接骨院に通おう。走れないのでだんだんとむずむずしてくる。

周期的に、アウトプットが楽しい時期と、インテイクが心地よい時がやって来る。いまはどちらかというとインテイク気味。ブログもツイッターも乗り越えるべき壁として立ちはだかっている感じだ。こういう時、引っ越す前なら12階のベランダから外を見た。そうすると何か書けた。

この時期なら毎日のように富士山が見えた。夕焼け色の富士山は毎日見てもあきないほどだった。見下ろせば桜並木が見えた。冬には焦げ茶色の桜の幹と枝が冬らしい街の景色を作っていた。春には薄ぼんやりとした桜色の空気が感じられた。初夏には太陽の光と緑の葉のコントラストが楽しめた。夜には星は少ないが東京にしては広い夜空が見渡せた。遠くには池袋や新宿の高層ビルの窓の明りや赤く点滅する灯が見えた。そういうものをそのまま書いてもよいし、そこから思うことを書いても良かった。

いまロフトの窓から見えるのは、窓のすぐ外にある電線だ。何の情緒もない。ときどき鳥がやって来ることもある。雀と鳩の間くらいの大きさの鳥だ。(こんど名前を調べよう)。バランスを取るように電線の上でしばらくゆらゆらしている。首をあっちに向けたり、こっちに向けたりする。そして大抵はフンをして飛び去っていく。窓の向こうは2階建ての屋根が続く。(いずれは3階建てに立て替えられ、視界はふさがれるのだろう)。その向こうには十何階かのマンションが壁のように並ぶ。唯一、マンションの間に庚申塔に立つ大銀杏が1本見える。それらを見ていても、何かを書きたいという気にはならない。

あるいはそれは僕の感性の問題なのかもしれない。下町の小さな2階建ての屋根や、壁のような高層マンションや、マンションに囲まれる1本のイチョウの大木からイマジネーションを得る人もいるに違いない。やってみようじゃないか。

例えば、庚申塔の横のマンションに住む虫取り網をもっている守衛さんについての話だ。庚申塔の横のマンションには守衛さんが常駐している。近ごろのマンションはしてはめずらしい。ほとんどが警備会社と契約して、オートロックや防犯カメラを使って遠隔でセキュリティー対策をしているからだ。でもそのマンションには守衛さんがいる。

入り口の横にはちょっとした受け付け窓口がある。守衛さんはその内側でいつもテレビを見ている。机と椅子とテレビが入ると余裕がなくなるような狭い空間だ。でもその扉の奥には生活空間があるようで、どうも守衛さんは住み込みのようだ。守衛さんは小柄で優しそうなおじいさんだ。(こんな人でいざという時に大丈夫なのかと心配してしまうほどだ)。マンションに出入りする人にしずかな笑顔できちんと挨拶をする。

多くの住民たちは今どき守衛さんなんて必要ないと思っていた。面倒な人間関係がひとつ増えるだけだと思う人もいた。でも実際に住んでみると出入りするときに笑顔で挨拶する程度で、あとは話しかけてくることもない。なんだかんだ言っても守衛の格好をした人がいた方が不審者も入ってこない。何より管理費が高いわけではない。(近隣のマンションよりもかえって安いくらいだ)。きっと建て主と何らかの関係があるのだろうと住民たちは想像していた。

でもひとつだけ不思議なことがあった。守衛さんはときどき夕方に虫取り網をもってマンションの屋上に上がっていくのだ。あるいは朝早く虫取り網をもって屋上から降りてきたこともある。守衛さんは鍵を持っているから屋上に行き来すること自体は問題ない。でもなぜ虫取り網を持って行くのだろう。14階の屋上にまで上ってくる虫はそれほどいない。(屋上庭園になっているわけではない。ただのコンクリートの屋上だ)。何かの虫が発生したとしても虫取り網で捉まえるよりは殺虫剤を使うだろう。考えれば不思議だが、住民たちもとくに深く考えはしなかった。下手に質問してわずらわしい人間関係が発生してもめんどうだと思った。

じつは守衛さんは虫取り網で「三尸神(さんししん)」を捕まえていたのだ。住民の幸せを願って。

そもそも庚申信仰というのは道教の三尸説に基づく陰陽道系の信仰だ。日本では平安時代以来、朝廷をはじめひろく民間に普及した。道教では、人間の体内には三尸神とよぶ三匹の虫がいて、上尸神は頭、中尸神は胸、下尸神は身体下部の病をおこすと考えていた。

三尸神は庚申の日の夜に、つま先から抜け出して天に上り、天を支配している玉皇大帝(北極星)のもとへとおもむく。そしてその人間の悪事について報告をする。それを聞いた玉皇大帝は、その人間の死ぬ時期を決めた。人々はこれを恐れた。だから、庚申の夜には徹夜をして行いを慎んだ。つま先から三尸神が出て行かせなくするためだ。

僕のロフトの窓からは大きなイチョウが見える。庚申塔のイチョウだ。そして庚申塔のとなりはマンションだ。そのマンションには虫取り網をもったやさしい笑顔の年老いた守衛さんがいる。守衛さんは庚申の夜になるとこっそりと屋上に上り、虫取り網をしっかりと握る。そしてじっと待つ。日付も変わり、下町の夜が静かになる。住民たちはみな眠りについた。マンションの窓からひとつ、またひとつと小さな光が壁を伝うように上っていく。守衛さんは虫取り網を持って屋上の端っこを行ったり来たりする。そして小さな光をひとつ、またひとつと虫取り網で捕まえていく。東の空がうす青くなるまで。そうやってマンションの住民を守っているのだ。

なるほど、何とかなるものだ。やろうと思えば、電線でフンをする鳥からも何かが書けるかもしれない。思ってもいなかった展開になったが、ストレッチにはなったし、多少、アウトプットする気にもなってきた。合言葉は、まず手を動かしてから考えろ、だ。