とんびの視点

まとはづれなことばかり

『できることをしよう。 僕らが震災後に考えたこと』を読みました

2012年02月04日 | 雑文
『できることをしよう。 僕らが震災後に考えたこと』という本を読んだ。著者は糸井重里とほぼ日刊糸井新聞で、新潮社が出版したものだ。震災以降に「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されたコンテンツを収録し、一冊の本にまとめたものだ。全体的なバランスや統一感は弱いが、読んでいて手応えのあるとても良い本だった。バランスや統一感が弱いぶん、それに対しての僕の印象もバラバラになっている。書きながら整理をしてみる。

本の内容は大きく分けて対談と体験記からなる。対談部分は、クロネコヤマトの社長や早稲田大学の講師など震災を支援する人とのもの、気仙沼や陸前高田で仕事を再開している人たちとのもの、防災の観点からNHKの人とのもの、そして糸井重里のロングインタビューからなる。体験記の部分は、糸井重里やスタッフが宮城県南端の亘理郡山元町に訪れたときのことと、一人のスタッフがひと夏をかけ高校野球の福島県大会を追いかけた部分からなる。

どの部分をとっても、個人に焦点が当てられている。震災に際して、あるいは震災後にさまざまな形でそれと関わった人たちが、具体的に何かを感じ、何かを考え、何を行動したかが書かれている。そういった個人を本の前書きで「ふつうの誰かさん」と呼んでいる。

『たいていのひとは、すばらしく立派な人でもなく、つくづく悪いやつでもなく、時にはおろおろ歩き、時には毅然として、「ふつうの誰かさん」として、好かれたり嫌われたりしながら生きています。そういう「ふつうの誰かさん」としての人間が、今回の大震災のような、とんでもない事実に直面したときに、どういう気持ちになるのか、どういうことをしはじめるのか、想像することはできませんでした。この本は、そういうぼくら「ほぼ日刊イトイ新聞」の人間達が会ってきたすてきな、「ふつうの誰かさん」の話しです。それ以上でもなく、それ以下でもないのですが、ぼくらはあえてよかったと思いますし、きっと読むとうれしくなったりもします。』

たしかに「読むとうれしくなる」という部分は多かった。たとえば被災直後のクロネコヤマトの社員の行動を社長がこう語っている。

『震災発生の数日後、地元ではもう、自発的に、わが社の社員が役場に直談判しに行って、救援物資の配送をはじめていた。「何でもやる、やらせてくれ」と。……現場判断で会社の車を使い、上司の承認も得ず、勝手にことを運ぶ。しかも無償で。これはね、ふつうの会社なら、権限違反なんです。』

大きな地震が来て、会社とも連絡取れない。周りではどんどん事態が悪くなる。救援物資が届かない。そんなときに、自分には車と日ごろ培ったノウハウがあると気づく。そこで行動を起す。内田樹の阪神淡路大震災の話を思い出した。被災地では、自分が失ったものを数え上げる人たちはどんどんダメになっていったが、自分に残されているものを数え上げる人たちは元気だった、というものだ。

悲惨な状況でも、限られた条件の中で最善を尽くす。そういう「できることをしよう」という姿勢が、状況の悲惨さを打ち破る「うれしさ」のようなものをもたらすのだろう。ほかにも地震発生後に上司に無断でツイッターで情報配信をしたNHKの人間、津波で泥に埋まった家々をスコップで綺麗にするボランティアたち、防護服を着て警戒区域内のペットを救助する人などそういう話しが出てくる。

スコップ団は『正直なところ、きれいにしても、住めるようになるかどうかはわからない。……自分たちは、世界を換えることはできない。だけど、こうして誰かの世界を変えることはできる。簡単なことだ。あきらめなければいい』と言い、動物保護をする女性は『こんなふうに、一匹、一匹保護したり、エサとか水をあげてても、意味ないんじゃないかと思うことは、ときどきある。……でも動物が目の前にいたら、そんなことはもう関係ない。……結果を出そうとしているわけじゃないし、誰かのためにやっているわけでもない。たぶん、被災地で残された動物たちを保護するのが楽しいからやっているんだと思う』と言う。

「うれしくなる」というのとは違う考えさせられたこともある。それは陸前高田と気仙沼で事業を再開する話しについてで、「半壊より全壊の方がよい」というものだ。陸前高田と気仙沼、どちらも津波の被害を受けた。陸前高田は文字通り「壊滅・全壊」したが、気仙沼は、船、漁師、漁師の腕など残るものは残った「半壊」だった。外部の人間からすれば、まだ半分でも残った方が良かったのではと簡単に思ってしまう。

しかし当事者からすれば、全壊ならばあきらめもつくし、すべてを新しくできる。しかし、半壊だと水産業を復興させるという命題や、今後どう建て直したらいいかという不安感も残るというのだ。その意味で、全壊と半壊なら全壊の方がいいと言うのだ。(もちろんすべての人ではない。そう考える人もいるということだ)。ただ僕がいちばん重く感じたのは、「その意味で、すべてが綺麗に残っているのに何もできない福島のつらさがある」という言葉だった。目に見えるものは何ひとつ変わらない。何ひとつ壊れていないからあきらめることもできない。建て直そうにも壊れているものが見えない。見えているのは数字としての放射能だけだ。これはきついだろう。

また、糸井重里がツイッターを介してつながった津波被災者の女性とのやりとりも考えさせられた。彼は「自分が東北に行っても何もできないのではないか」と尋ねる。「スポーツ選手が子どもに絵本を読み聞かせるシーンをテレビで見たけど、ぼくはそんなことはできないし。いや、やってもいいよ、でもそういうことじゃない気がする。何すればいいんだろう。何を見ればいいの、話せばいいの?」と。

帰ってきた答えは、「まずは話しを聞いてくれるだけでもいい」、「みんなが同じ経験をしたから、話しをする相手がいないんです」というものだった。よく考えたら当たり前のことだが、これにはハッとした。『みんなが同じ経験をしたから話しをする相手がいない』。確かにそうだ。誰かと一緒にマラソンを走る。お互い同じようにきつい時間を過ごす。その相手に自分がいかにきつい体験をしたかを語ろうとは思はない。お互いきつかったね、と確認するくらいだ。

厳しい体験をした人は、その体験を誰かに話すことで少しだけ楽になる。その相手は同じ体験をしていない人の方が良いのだろう。体験していない人が話しを聞くことで追体験をする。そのとき体験した人のきつさのようなものが体験していない人に少しだけ移動する。それによって少し楽になるのだろう。「聞いてくれるだけでもいい」というのはそういうことなのだろう。(ふと思ったのだが、「話しを聞いてもらう」ではなく「語りを聞いてもらう」という方が正確なのだろう。話しは理解すれば良いが、語りは受けとめることが必要になる、そんな感じがする)。

そう考えると、この本には「うれしくなること」も「きつくなること」も書いてある。全体的なバランスも統一感も弱いが、さまざまなことが読者に移動してくる。よみながら些細なことを追体験できる気がする。書かれていることが「ふつうの誰かさん」のことだからだ。そのあたりが読んでいて手応えを感じたあたりなのだろう。その手応えとは、理解ではなく、受けとめることなのだろう。いずれにしろ僕にとってはよい本だった。

(やれやれ。最初に書こうと思っていたことと、ぜんぜん違うことになってしまった。ざっと本の概要を説明して、一方では本の内容をフックに震災について、もう一方では糸井重里について吉本隆明や親鸞との絡みで書こうと思っていた。にもかかわらずこうなってしまった。この事態そのものが考えるに値しそうだ)。