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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

くろ谷 金戒光明寺

2022-05-20 05:45:12 | 旅 ~京都

2014-11-17付ブログを参照してください。

浄土宗大本山くろ谷金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)全景図。

境内は広く一山といった感じで山の中腹にあり高低がある。

一番高いところからは京都中心部が見え眺めがとても良い。

法然上人の幼名勢至丸(せいしまる)の像。

承安5年(1175年)春、浄土宗の開宗を決めた法然が比叡山の黒谷を下った。

岡を歩くと大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。

するとその石から紫の雲が立ち上がり、大空を覆い西の空には金色の光が旅たれた。

そこで法然はうたた寝をすると夢の中で紫雲がたなびき、

下半身がまるで仏のように金色に輝き善導が表れ対面を果たした。(二祖対面)

これにより法然はますます浄土宗開宗の意思を強固にした。

これは御影堂(大殿)。

左京区黒谷町にある浄土宗の大本山。

山号は紫雲山。

本尊は阿弥陀如来。

通称をくろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶ。

知恩院と並ぶ格式を誇る浄土宗の七丈本山の1つであり、

京都四箇本山(他に知恩院、百万遍知恩院、清浄華院)の1つでもある。

一番下部の方にある門(高麗門)。

この門の柱には会津藩松平肥前守京都守護職本陣旧蹟の木版が掛けられている。

また、大きな石碑には会津藩殉難者墓地と書かれている。

詳しくは後述します。

この山門(楼門)は応仁の乱で焼失。

万延元年(1860年)再建された。

掛けられている扁額「浄土真宗最初門」は後小松天皇の自筆である。

早朝の朝日が山門周辺の桜にあたり、心が洗われるような美しさであった。

納骨堂(旧経堂)元禄2年(1689年)再建。

現在は当寺に納骨されたお骨で造立された「骨仏」と呼ばれる阿弥陀如来座像が安置されている。

慶長10年(1612年)に豊臣秀頼により再建された阿弥陀堂。

祀られている阿弥陀如来像は恵心僧都源信が仏像の彫刻に必要な「のみ」を体内に収めて、

以後の仏像彫刻を止めたことから「のみおさめの如来」「お止めの如来」と呼ばれる。

平安時代末期の武将・熊谷次郎直実が出家し、

法力房蓮生となったという蓮池に架かる極楽橋。

実はホテルオークラ岡崎別邸と岡崎神社の間に狭い道があり、

それを上っていくと金戒光明寺の南門に出た。

この門はいわゆる裏門で、ここを登っていくと法然上人御廟をはじめ、

山の頂上まで墓地がつながっている。

階段を登った正面には三重塔(文殊塔)重要文化財がある。

寛永10年(1633年)の建立だ。

文殊塔(三重塔)に登る石段の左に位置している独特の頭髪の形状から

「アフロ阿弥陀」と通称されている「五却思惟阿弥陀如来石像」。

墓地の中腹から山門に向けて撮った1枚。

これを見ても山と谷(くろ谷)との高低差がわかると思う。

この階段の左右は墓地、供養地になっている。

ここには清和天皇火葬塚、熊谷一族墓地、熊谷次郎直実の供養塔。

平敦盛の供養塔、八橋検校の墓(菓子八ツ橋の語源)。

第2代将軍・徳川秀忠の正室で家光の母、浅井長政の娘「お江」の供養塔。

斉藤利三の娘、春日局の墓(家光の乳母)。

山中鹿之助幸盛の五輪塔などがある。

さぁここからさらに登って一番高いところにある会津藩殉難者墓所に向かいましょう。

幕末の京都は暗殺や強奪が日常化し、徳川幕府は常に新しい職制を作り、

京都の治安維持に当たらせることとなった。

これが京都守護職である。

文久2年(1862年)8月、会津藩主・松平容保公は14代将軍・徳川家茂から京都守護職に任ぜられ、

同12月24日、家臣1,000名を率いて京都に到着。

京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受けて、

本陣の黒谷金戒光明寺に威風堂々と入陣した。

黒谷金戒光明寺は自然の要塞になっており、

御所や粟田口にも近く軍事的要塞の地であった。

また大きな寺域により1,000名の軍隊も駐屯することができた。

時の京都は尊壌激派による暗殺の坩堝と化していたが、

守護職となった会津藩の活動には目を見張るものがあり、

元治元年(1864年)6月には守護職配下の新選組による「池田屋騒動」、

7月18日、19日の「禁門の変」の勝利などで治安は回復されてきた。

しかしながら会津藩の犠牲は大きく、藩士や仲間小者などで戦死、戦病死するものが続出した。

そこで本陣の金戒光明寺の山上に300坪の墓地が整備され葬られた。

その数は文久2年から慶応3年までの6ヶ年に237霊をかぞえ、

後に慰霊碑を建立し、鳥羽伏見の戦いの115霊を合祀した。

松平容保公は孝明天皇の御信任厚く、禁裏洛中を挙藩一致して大義を明らかにし、

会津軍の忠誠に歴史にその名を残した。

会津墓地からはご覧のように平安神宮の大鳥居、そして遠くに京都タワー、

ホテルオークラ本館の雄姿もよく見えた。

 

 


うさぎ神社こと岡崎神社

2022-05-19 06:22:17 | 旅 ~京都

京都の旅も3日目。

ホテルも変えてここは早朝散歩としては行きたくなるところがいっぱいある。

まずはホテルオークラ岡崎別邸の右隣りにある岡崎神社からスタート。

延暦13年(784年)桓武天皇の平安京遷都の際に

五城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の1つとされ、

都の東に鎮座することから東天五と称されている。

治承2年(1178年)には高倉天皇の中宮徳子の御産の幣帛を賜ったことにより

安産の神として信仰されている。

元応元年(1319年)後醍醐天皇により、社殿を再建、

正一位の神階と神宝を賜っている。

明治時代に御社に列せられた。

境内のあちらこちらに、うさぎクサギの石像がある。

かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから兎が氏神様の神使いとされているからだ。

当神社が安産の神にもされるのは多産である兎が神使いであること。

また、祭神のスサノオノミコトとイナダヒメノミコトに子供が多いことから

子授けの神ともされ神社創建の由来から方除けの神ともされている。

この黒い兎の像はちょっとボケて撮れてしまったがすごい像でビックリした。

水を掛けると反応するのだ。

この兎は月を仰ぎ、力を体に満たした兎で、子授け、安産をはじめ、

各々のご祈願を祈りうさぎに水を掛けてお腹をさすってお参りくださいとの事。

絵馬もチラッと見るとかなり深刻なお願いもある。

「次の移植で元気な子が授かりますように・・・」とか。

ということで鳥居の手前に飾られた提灯の前には

「安産祈願」と「子授け祈願」の2本ののぼり旗が立っていた。

「意見封事十二箇条」を献じたことで有名な

漢学者・三善清行(847~918)の邸宅跡の碑もある。

どちらの神社仏閣にも1年を通じて様々な年中祭儀がある。

岡崎神社にも15の祭儀がある。

スミダマンの次の段階の京都は主だった祭事を訪ねてみたいという思いがあるが、

これを達するには長期滞在ができる余裕が必要かと思う。

京都には初詣開運「京都十六社朱印めぐり」という企画イベントがあるらしい。

期間は元旦から2月15日まで。

①熊野若王子神社 ②新熊野神社 ③御香宮 ④粟田神社

⑤西院春日神社 ⑥わら天神宮 ⑦六孫王神社 ⑧藤森神社

⑨長岡天満宮 ⑩今宮神社 ⑪豊国神社 ⑫市北賣神社

⑬吉祥院天満宮 ⑭御霊社 ⑮そして当社

まだまだ行ったことのない神社がいっぱいある。

 


ホテルオークラ 岡崎別邸

2022-05-18 06:00:15 | ホテル・旅館

https://okazakibettei.hotelokurakyoto.com/

京都駅からタクシーで約25分、地下鉄・蹴上駅より徒歩14分、

岡崎エリアに2022年1月20日オープンしたばかりの

オークラグループ初となるスモールラグジュアリーホテルが誕生した。

夜のホテルオークラ岡崎別邸の光景。

ここは岡崎エリアの大人の隠れ家を思わせるスモールラグジュアリーホテルで

洋室56室、その他4室、合計60室のコンパクトなホテルに仕上がっている。

このホテルは静寂なひとときを感じられるホテルで

お客様に寄り添う気配りのおもてなしと

現代的な京の美に癒され滞在を楽しむことができる。

エントランスからホールへ向かうと

庭園に面した窓辺からシェードを通して落ちる柔らかな光がもれてきて

オークラらしい大人の雰囲気が漂っている。

オープンしたばかりなので当然だが全てが新しく、気持ちが良い。

最近完成したホテルのフロントは

このように小さなアイランド式になっているのがトレンドのようだ。

久し振りに新規開業したオークラグループの岡崎別邸のコンセプトは

「イノベーティブ・ガストロノミー(革新的な空間?)」ということ。

また、「ヌーヴェル・エポック」とも表現している。

日本のフランス料理の父とも称されるオークラフレンチの基礎を築いた

故・小野正吉の系譜を引く美食と

京都の文化を融合させる新時代を感じさせる。

京都ならではのフランス料理を創造する。

チェックイン時の説明を受ける。

担当した女性は一生懸命だが、オープンしたての状況で

いまいち地に足が着いていない印象だった。

以前は香港のペニンシュラホテルに勤務していたとか。

開業祝の記念品として、いかにも京都らしいお箸を2セットいただいた。

館内には京都の伝統工芸を担う後継者6名による

プロジェクトユニット「GO ON ゴオン」が手掛ける意匠が取り入れられ、

京の美・手仕事を随所に感じることができる。

熟練した職人の高度な手仕事により一本一本巧妙に編み込まれた竹細工や

綺麗寂びを現代的に表現した朝日焼、

京都を中心に活躍する新進気鋭の作家によるアートピースなど、

そこかしこを彩る新時代の京の美意識がゲストの目を楽しませてくれる。

当ホテルは真宗大谷派・岡崎別院(東本願寺岡崎別院)の隣地に位置し

ロビーやダイニングからは境内の豊かな自然や

日本庭園の四季折々の景色を楽しむことができる。

ホテルの建物を庭とテラスサイドから撮ってみました。

京都は街の景観をすごく大切にするため建築の規制、

特に高さ制限を厳しく設けている。

当ホテルも4階建とスケールメリットが出しにくい規模だ。

今回特に目に付いたのが宿泊ゲストと一般の人との動線を

はっきり切るためのこのプライベート扉。

ゲストのために最大限プライバシーに配慮をしているとしっかり感じた。

客室ルーム内を紹介します。

室内は和の京都を意識してか木を多く使い、

なんと杉の絞り丸太の床柱を模したデザインで、これには驚いた。

壁のクロスには西陣織を一部使い、

茶器のセットはいかにも京の茶道具の香りがし、

これだけでも他のホテルと差別化を感じた。

テレビのリモコンを入れるBOXにもこだわりを感じた。

次は水回りエリア。

まず新しくて気持ちが良いのは当然だが、

4つ星クラスのホテルよりはワンランクアップを設定しているのは伝わってきた。

当ホテルの隣りには宗史蹟親鸞聖人岡崎草庵跡岡崎別院がある。

当ホテルの庭園の一部も岡崎別院庭園を借景にしているようだ。

最後に今回は当ホテルが市街地から若干離れているため喫茶店朝食をやめて、

というよりはグルメのホテルオークラのアメリカンブレックファーストが

どんなものか知りたくて朝食付きでオーダーをした。

彩り菜園風サラダ。

焼きたてのベーカリーバスケット。

美山のヨーグルトとグラノーラ、コールドミートとチーズ、

季節の温野菜、卵料理とベーコン、ソーセージとポテト添え。

フライ・オムレツ・スクランブル・ポーチボイルから1品選択。

フレッシュフルーツプレート。

いかにも今、京都にいると実感するような

松花堂弁当風に盛り合わせたブレックファーストだった。

これはオークラとして考えた納得のラインアップだと思う。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編3 8 9~

2022-05-17 06:04:46 | 食~番外編(京都)

洋食おがた

京都市中京区柳馬場押小路上ル等持寺町32-1

TEL 075-223-2230

定休日 火曜日、月1回不定休

https://youshoku-ogata.com/

初めて当店を知ったのは2019年3月11日。

BS朝日番組の「土井善晴の美食探訪」という番組であった。

この時のゲストは年間60日も京都に通い「京都を知り尽くした名優 角野卓造さん」。

彼が著した本がこちら。

「予約一名、角野卓造でございます。(京都編)

角野さん、おいら完敗ですわ!」です。

実はこの日の夢心地のディナーをいただくには

スミダマンなりの涙ぐましい努力の結果でありました。

この番組を見て角野さんの本を買ってきては京都に行く機会がある度に予約のTELを入れました。

記憶ではおそらく5~6回は浦和から、あるいは京都からTELをした。

忘れられないのは京都・松尾神社の境内からTELを入れた時は、

当店には何かルートがないと駄目だナと諦めの境地まで達しました。

ところが今回、半分冗談でTEL入れたところ電話がつながり、予約の話まで進みました。

話ながらもこれ本当かよ?という心境でTELを切った時は

やり続ければこんなことが起きるのだ!という感動を覚えてしまいました。

ということで今回の旅の目玉はいくつかあるが、

スミダマン的には洋食おがたの来訪は外せません!!

洋食おがたさんは京都市役所駅前より460m。

一方通行の道が多くちょっとわかりづらいところ。

店内の席構成は基本カウンター。

カウンター席は11席、テーブル席は3卓で12席。

合計23席のオーナーシェフが充分目が通る大きさの、とても雰囲気のある大人のお店だ。

オープン日は2015年10月30日で、ここではまだ7年弱の歴史だ。

洋食おがたさんは完全なオープンキッチンスタイル。

厨房の壁には洋食用の各種フライパンが掛けられ、

名工大工の大工道具命みたいな気持ちがフライパン命として伝わってくるようだ。

2枚目の写真、カウンターに背を向いている方がオーナーシェフの緒方博行さん。

「洋食屋は日本料理屋である」という根本を考え煮詰めた方である。

肉料理が人気の「ビストロ セブト」で料理長として活躍していたオーナーシェフは

フレンチの技でつくり上げた絶品洋食で味に厳しい京都の食通たちを魅了し、

洋食発祥の地ともいわれる京都で予約1ヶ月待ちは当たり前の人気ぶりだ。

店内の飾り物はシンプル。

1ヶ所テーブル席の上にスミダマンが好きな

ベルナール・ビュッフェの絵があったのが気になった。

他には入口のところに祇をん、先斗町、上七軒の舞妓芸妓と、

主人・川久野間の訳のわからない団扇が飾ってあったのは京都らしい。

このメニューが本日のおすすめメニューだ。

まずはものすごい数のラインアップ。

これを見るだけで胸が高鳴る。

主なものをスミダマン流にチョイスしてみます。

数を勘定したら66メニューもある。

また、素材の産地別に書かれている。

すべて価格は書かれていない。

生姜焼きセット5,620円、しゃぶしゃぶセット8860円、

特製フレンチ、和風、生姜焼きのたれなどのドレッシングも各1,300円で売っている。

冷前菜5種、温前菜3種。

スープは野菜スープ830円、クラムチャウダー1,520円、オニオングラタンスープ1,850円。

魚はジャンボ海老フライ2,370円、本日の魚ピカタ2,480円。

肉は売りの洋食おがた特製ハンバーグ(100g)2,180円、他4種。

それに、おまかせディナーコースは16,500円で用意できるグラタンパスタ4種、

〆ごはん5種、デザートは6種ある。

改めて内容、種類の多彩さに驚かされた。

これが洋食おがたのスタイル。

お箸とフォークとナイフのカジュアルさ。

これはお通しのキャベツ和風サラダ。

これが洋食屋のポテトサラダ。

京都伏見、山田ファーム春サラダ。

唐津・佐々木さん、じねんじょ いそべ巻。

とれたて桜エビフリット。

静岡サスエ前田さんより 活アジフライレア心揚げ 塩とからし。

京都・丹波、平井牛ヒレ フリット。

熊本阿蘇あか牛とサドルバー豚ハンバーグ100g。

〆のごはんとしてミニカレー。

ごはん茶碗はお好みで大中小、好きなものが選べる。

デザートとして季節のシャーベット「すいか」720円。

おすそ分けをスプーン1杯もらったが、今まで食べたことのないすいかベースで

色々な味が口の中で複雑に広がっていくすごく絶品シャーベットであった。

 

 

スミダマンとしては来る前からベースのオーダーは決めてきた。

まずはハンバーグ、そしてその日の仕入れがあればアジフライ。

そして〆にカレーライスの3つ。

その中で圧倒的にすごかったのが活アジフライレア心揚げだ。

ご覧のように揚げたては心がレア色。

しかし徐々に余熱で変わってくる。

これもあえて言えばアジフライなのですネ。

全く別物といった調理法のすごさを体験した。

さらにビックリしたのが牛ヒレ肉のフリット。

そもそもフリットがこんなに素材を引き立てて旨味を出すのか。

これは絶品中の絶品だった。

逆に期待をほんの少し裏切られたのがハンバーグかな。(緒方さんごめんなさい。)

いずれにしてもカウンター内でのオーナーシェフをはじめ、

2名のシェフの真剣勝負の姿、集中力がカウンター越しにヒシヒシと伝わってきて

こちらの肌がヒリヒリするようなすごみを感じた。

オープンキッチンの臨場感のすごさだ。

さらに3名の女性のそれぞれの個性、経験の差はあれ、皆ハートのある対応で、

ディナーに単なる料理の素晴らしさだけでなくプラスアルファの豊かさを加えていただき

満足な時を過ごすことができました。

最後に緒方オーナーシェフさんがカウンターから出てきて、

あたたかい会話ができ感激です。

 

 

 

帰りがけに壁に貼られたチラシを発見。

食材のこだわりがここにも表示され、「おがた」さんの食に対する姿勢を

このチラシでもしっかりと知ることができました。

①からだに優しいおいしい油 こめ油を使用

②お米は京都府綾部市の丹州河北農園のお米を使用

③鹿児島県鹿屋市の「ふくどめ小牧場」の「サドルバック」と「幸福豚」を使用。


勧修寺(かじゅうじ)

2022-05-16 06:05:44 | 旅 ~京都

醍醐の花見をゆったりと楽しんだあと、まだ午後の時間にゆとりがあったので、

ちょっと足を延ばして勧修寺に立ち寄ってみた。

こちらも桜真盛り、春爛漫、ポカポカした陽気で本当に気持ちが良い。

ここ勧修寺は真言宗山階派の大本山で、

平安中期の900年に醍醐天皇の母・藤原胤子を弔うために、

胤子の母の実家である宮道家邸宅を寺に改めたのが始まりといわれている。

天皇の祖父に当たる藤原高藤の諡号を取って勧修寺(かじゅうじ)と名付けられた。

代々法親王が入寺する門跡寺院として栄えたが天明2年(1470年)に兵火で焼失し、

江戸時代に徳川家と皇室の援助により再興された。

遠くなだらかな山々が見え、広々と明るい境内を

この門から京都市指定の名勝庭園に入る。

市街地ではないところにあるお寺を巡るのも気持ちが良い。

この宸殿は元禄10年(1697年)に明正天皇の旧殿を下賜されたものという。

入母屋造、桟瓦葺き、内部は書院造りとなっている。

明治5年(1872年)9月、勧修小学校が開校時、約9年間ここが校舎となった。

なお、軒下の横木(ケタ)は中央はケヤキ、左右は杉の巨木でできている。

また、手すりは木を曲げたものではなく、その形に切りだされている。

この勧修寺灯籠は水戸黄門の寄進で京都へ来られたら

必ず見て通ろうと言われる灯籠です。

書院南庭・一面に樹齢約750年といわれるハイビャクシンが植えられており、

その中に前述の徳川光圀寄進と伝えられている灯籠が据えられている。

書院から眺める平庭の背後には氷室池越しに南大日山、

さらに遠くには醍醐の山々を臨む。

この観音堂は観音様をご本尊に現在の建物は昭和6年の再建で「大斐閣」とも呼ばれている。

観音堂の周りにもサクラの花が咲き乱れ、とても美しい。

この勧修寺庭園は平安時代以来の由緒を持つ寺院の庭であり、

四季の自然美と人工の構成美を兼ね備えた名勝です。

前方100メートル先に見えるのが京都庭園代表の巨木・千年杉。

この氷室池に数羽のサギが動かずに置物のようにじっと立っていた。

素人カメラマンのスミダマンでもサギだけは上手に撮れるようになった。

勧修寺の山門を出ると見事に整備された石垣塀が

どこまでも続き美しいラインを引いている。

一方向かい側の道には紅枝垂桜の並木道が並び、一幅の絵を見ているようだ。

 


醍醐寺の桜

2022-05-14 06:10:47 | 自然

今回の京都桜の旅のメインの1つがここ「醍醐の桜」で有名な醍醐寺にやってきた。

この日の天気は快晴。

桜の開花状況も最高状態になった。

醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で平成6年(1994年)に世界文化遺産に登録された。

山上の上醍醐と山下の下醍醐からなる壮大な寺で、

天暦5年(951年)に完成した京都府域最古の五重塔(国宝)をはじめ、

4万点にものぼる多くの国宝や重要文化財を有している。

平安初期の貞観16年(874年)に理源大師聖宝が笠取山(上醍醐)に登って観音像を彫刻し、

安置したのが当寺の始まりとされており、

延喜7年(907年)に醍醐天皇の勅願寺となり、次第に大伽藍が整えられた。

https://www.daigoji.or.jp/

広大な醍醐寺の境内は大きく3つのエリアに分かれる。

1つは三宝院エリア、2つは伽藍エリア、3つは霊宝館エリアだ。

それぞれのエリアは趣を変えて素晴らしい空間が感動を伝えてくる。

特に2つのエリアでの桜のハーモニーは圧巻であった。

総門を入って受付売場のところには季節の特別情報が書かれていた。

「醍醐の花見!春の夜間特別拝観さくらさく夜の祈り」

~安心利他の祈りを込めて~

拝観期間 2022年3月19日(土)~4月4日(月)

親切に桜の開花状況の一覧表まで細かく出されていた。

「参道の山桜、霊宝館の八重桜は三分咲き、

参道のソメイヨシノ、伽藍の山桜は五分咲き、

あとはちょうど見頃を迎えた。」

最高です!!

それでは三宝院エリアからスタート。

三宝院は醍醐寺第14世座主・勝覚僧正によって永久3年(1115年)に創建された。

以来、醍醐寺座主の居住する本坊として醍醐寺の中核を担ってきた。

大玄関を上るとすぐ正面で1人の僧侶が読経をあげていた。

そこを右手に行くとこれより特別拝観(500円)のゾーンが待っていた。

ここはもう長蛇の列。

現在の三宝院は豊臣秀吉が慶長3年(1598年)に催した「醍醐の花見」を契機として整備された。

この国宝、三宝院唐門は豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」の翌年、

慶長4年(1599年)に造られた建物だ。

桃山時代を代表する木造建築物で、建立当時は門全体が黒漆(くろうるし)塗りで

「菊」と「五七の桐」の4つ(裏にも4つある)の大きな紋(透かし彫り)に金箔が施されていた。

このほど約1年半がかりの解体修理を終え、当時の姿となった。

三宝院の庭園は秀吉自らが基本設計したもので、

国の特別史跡・特別名勝に指定されている。

その庭園全体を見渡せる表書院(国宝)をはじめとする

建装物の多くが重要文化財に指定されている。

また、通常は非公開となっている本堂(重文)には、

鎌倉時代の著名な仏師・快慶の最高傑作とも言われている

弥勒菩薩坐像(重文)が祀られ、毎朝祈りが捧げられている。

桜馬場から西大門(仁王門)への1枚。

応仁の乱や文明の乱により、五重塔を残しすべて焼失したが、

慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が北政所らを醍醐の花見に誘ったことをきっかけに、

秀吉の厚い帰依を受けて醍醐寺は復興された。

西大門(仁王門)をくぐると次の伽藍エリアに入る。

豊臣秀頼が再建した西大門(仁王門)には

平安時代の長承3年(1134年)造立の重要文化財・金剛力士像がある。

さらに進むと堂塔の並ぶ伽藍が広がります。

その参道の両脇には若干色褪せた紅白の幕の廊下が、かなり長い距離続きます。

この幕は全国の方、企業から寄進を受けたものらしく、

なかには歌手・ゆずの北川悠仁(横浜)の名前も発見した。

平成30年9月4日に近畿地方を直撃した台風21号は醍醐寺にも甚大な被害を及ぼした。

その被害は下伽藍から上伽藍に渡り、3000本に及ぶ倒木と

醍醐寺を取り巻く白壁塀をはじめ、南門や下醍醐清瀧宮などの建物にも及び、

被害総額は4億6,000万にのぼり、当寺としてはこの自然の猛威を謙虚に受け止め、

自然の中で生きることの大切さを祈りに込めて次世代へと伝えるべく

しっかりと復旧をしていきたいと、そのご支援を求めていた。

重要文化財の清瀧宮本殿と拝殿。

ここにも枝振りの素晴らしいしだれ桜が咲き乱れている。

国宝の五重塔は醍醐天皇の菩提を弔うために朱雀天皇が起工、

村上天皇の天暦5年(951年)に完成した京都府下最古の木造建築物だ。

周囲の桜の木に囲まれ威風堂々たる姿で鎮座している。

醍醐寺の本堂である金堂(国宝)は豊臣秀吉の命により紀州(和歌山)から移築されたもの。

本尊の薬師如来坐像は病気を癒し、苦しみを除く仏様で

両脇の日光. 月光菩薩像とともに重要文化財に指定されている。

この鐘楼付近の桜はすでに散り始めてきて、時折吹く風にサクラ吹雪になり、

それはそれは幻想的な風景を見ることができた。

西大門(仁王門)へ続く長い横断幕の回廊はあまり見ない空間で、

何か今でも太閤秀吉が現れるのではと思ってしまうほどの光景だ。

伽藍エリアの散策が終わり、いよいよ最後の霊宝館エリアに向かう。

道中の満開の桜並木に全てを忘れウットリした時の流れが続く。

醍醐寺は開山以来、天皇貴族、武家民衆など多くの人々の祈りに守られてきた。

その歴史の中で育まれた仏像、絵画、工芸品など10万点以上の寺宝を伝承しています。

霊宝館はこれらの重要な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として昭和10年(1935年)に開館した。

それにしても、三宝院エリア、伽藍エリアで見た桜も素晴らしかったが、

ここ霊宝館を取り囲む桜はことのほか美しく輝いて見えた。

ワンダフル!ビューティフル!ファンタスティック!

霊宝館全体の配置はゆったりとされて、

そのゆとりのあるお庭にはそれぞれ大事に育てられたしだれ桜、

ソメイヨシノの大木が太陽の陽を浴びながら咲き誇っている姿を見るのは爽快であった。

ここ霊宝館の春期特別展では3月20日~5月5日まで「鎌倉13世紀の寺宝」を行っていた。

これもNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を意識しての企画かもしれない。

広々した館の空気をパチリしてしまいました。

それにしても贅沢な空間を利用している展示だと思った。

こちらの桜の木の素晴らしさは前述したが、霊宝館・平成館と桜馬場の間の

巨大な枝垂れ桜群は言葉を失うくらいの迫力とすごさ。

しばしこの枝垂れの下を離れられないほど、足が止まってしまった。

改めてサクラは青空と白い雲の中が最高の顔を見せる。

ゆっくりと醍醐の花見を楽しんでいたらちょうどお昼になってしまったので、

寺内にある雨月茶屋エリアで休憩を取ることにした。

この日のランチは屋台でのにしんそば700円。

まるで大人のピクニックに来ているようなワクワクドキドキ感が

サクラの木は大人の心をくすぐるものがある。

 

 

 

あー、太閤秀吉が醍醐の花見を挙行してから約400年以上の歳月が流れ、

今、令和4年の醍醐の花見をこの目で見ることができて、

しみじみ生きていてよかったと思う瞬間の喜びがある。


しだれ桜が似合う六角堂-Ⅱ

2022-05-13 06:27:29 | 旅 ~京都

前回もそうであったがイノダコーヒーでのモーニングコーヒーの後、

近くの六角堂に少し立ち寄ってみた。(2021-5-7付ブログ参照)

境内は、まさに枝垂桜が真盛り。

晴れた朝日に輝いて目に眩しいくらいであった。

当寺は寺号、紫雲山頂法寺といい、御堂の形が六角宝形のため

「六角堂」あるいは「六角さん」と言われている。

また、親鸞が三籠したことでもしられていて町衆の心の拠り所となり、

京都の中心と認識されるようになった。

587年、四天王寺建立の用材を求めて聖徳太子がこの地を訪れた時、

霊告によってこの地に御堂を建て守護仏の観音像を安置したのが始まりだと伝えられている。

その聖徳太子が今年1400年大遠忌を迎え、

令和3年11月10日から令和4年10月31日まで法要が行われている。

ひと口に1400年と言うけれど長い長い年月を越えて

現代でも法要されているということ自体がすごいことだ。

六角堂の16羅漢像。

羅漢とは仏の教えを護り伝えることのできる優れたお坊様に与えられた名前で、

16は方位の四方八方を倍にした16を表し、

あらゆる場所に羅漢様がおられることを意味している。

また、本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、

室町時代以降、多くの活け花の名手を輩出したところで、

華道発祥の地として有名である。

現在も池坊華道の拠点となっている。

ビルとビルの谷間にある六角堂の境内はあまり広くはないが、

満開の枝垂れ桜が数本だが競い合って咲いていた。

桓武天皇の延暦12年(793年)長岡京より平安京へ遷都の時、

六角堂の所在が道路の中央に当たったため天皇が遷座を祈願されたところ

御堂が自ら5丈(約15m)ばかり北へ退かれたという。

この石はその際に取り残された礎石であると伝える。

六角堂は下京の町衆の寄合の場であり場所も京都のほぼ中央に当たることから

人体に例えて「へそ石」とも「要石」とも呼ばれている。

祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「籤取り式」も江戸末期まで六角堂において行われていた。

当時は六角通りの中央にあったが明治期に境内に移された。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編352-Ⅱ~

2022-05-12 06:08:19 | 食~番外編(京都)

イノダコーヒー本店

京都市中京区堺町通三条下ル道祐町140

TEL 075-221-0507

年中無休

営業時間 AM7:00~PM6:00

https://www.inoda-coffee.co.jp/

昨年の夏に続き、京都の朝の雰囲気を感じるため、

またイノダコーヒー本店に来てしまった。

(2021-8-19付ブログ参照)

当初は違う喫茶店に行くつもりだったが、

相方がイノダコーヒーに行きたいと言ったのでまた来てしまいました。

当店は京都を代表する喫茶店で昭和15年創業。

ご覧のように京町屋風の建物で外観と内部は全く違うイメージの造りになっている。

店に入るとショーケース棚が並び、ケーキや珈琲豆の販売コーナーがある。

以前紹介した浦和伊勢丹での京都展に出展していたイノダコーヒーの

アップルパイがとても美味しかったのでオーダーしようとしたら

相方がレモンパイ(600円)が美味しそうと言ったので方針変更し、

ブレックファーストのデザートにレモンパイをオーダーした。

イノダコーヒー本店は5つのゾーン(1階、2階、ベランダテラス、別館、オールドルーム)に

分かれていて全211席もある大型店。

前回は2階席だったが今回は1階の手前の席に通された。

このすぐそばの大型丸テーブル席は地元の常連客の席のようで以前TVでやっていた。

この日もTVで見た年配者の男性がウエイトレスと世間話をしていると思っていたら

ベランダテラス席に移動して知り合い(?)と話に弾んでいた。

ここは京都の「ケの文化」(日常生活)に触れられてとても新鮮で楽しい。

「京都の朝はイノダコーヒーから」がキャチコピー。

イノダコーヒーは朝7時にオープン。

朝の時間は大切な時間にちがいない。

朝の各種メニュー。

セットメニューは当然のこと、スパゲティやハヤシライスも用意されている。

このメニューを眺めているだけでもモーニングタイムが心豊かになる。

さりげないコップも赤と緑のカラーコーディネートがとても効いていて

特別、素敵なコップに見えてしまうから不思議だ。

京の朝食セット、ドリンク付で1,600円。

そして当店の売り「アラビアの真珠」650円。

「おいしいものを おいしい状態で」が当店のやり方。

モカコーヒーをベースに香り、コク、酸味を絶妙なバランスに仕上げた

ヨーロピアンタイプの深煎りブレンドだ。

創業以来、当社のホットコーヒーはこのブレンドを使用しているそうだ。

また、下の方がくびれた特別仕立てのコーヒーカップも

いろいろな遍歴を経てこの形になったようだ。

こちらはロールパンにエビフライをサンドしているロールパンセット980円。

スープはマッシュルームスープだ。

デザートには穏やかな酸味と香りのレモンクリームを詰めたパイの上に

ふわふわのメレンゲをのせたレモンパイ600円を1つ取ってシェアして食べた。

やっぱりアップルパイが正解だったかも。

前回行った時はこの通路にダルマインコなどの

鳥かごが並んでいたがすっかり整理されていた。

何かあったのかな?

 

 

 


円山公園の祇園しだれ夜桜

2022-05-11 06:02:00 | 自然

菊乃井さんの懐石料理を堪能した後、

酔い覚ましでブラブラ7~8分歩いていると円山公園に出てきた。

円山公園の桜は京都随一の桜名所で、

開花の時期には公園全体が桜の花で飾られているような美しさを誇る。

特に2年ぶりにライトアップされた祇園しだれ桜は、

ただただ妖艶で美しく思わずため息が出るほど見とれてしまう。

京都円山公園は明治19年(1886年)12月25日に

開設された京都最古の公園で面積は86,641㎡。

この中に枝垂桜、染井吉野、山桜など約700本もあり、

歌人・与謝野晶子は「清水へ祇園をよぎる夜月夜 こよひ逢う人みなうつくしき」と歌い、

円山公園の桜を愛でたという夜桜の名所だ。

この祇園しだれ桜の正式名は

「一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)」といい、現在のは二代目だ。

初代は樹齢200年余の名桜で昭和13年に天然記念物に指定されたが、

昭和22年に枯死してしまった。

現在ある桜は昭和3年に桜守15代・佐野藤右衛門氏がサクラから種子を採取し、

畑で育成したものを同氏の寄贈により昭和24年に現地に植栽したものだ。

樹高は12m、幹回り2.8m、枝張り10mあり、

現在は16代目・佐野藤右衛門が桜守をしている。

因みに祇園枝垂れの3代目もしっかり育てられているとか。

祇園しだれ桜は土が盛られた少し高くなった場所に植えられており、

そこに夜はかがり火の演出が加わり、

まるでステージに立つ名役者のように見えてしまう。

この夜桜ライトアップは10時に消灯され、4月10日まで続けられた。

円山公園の他の桜の元では久し振りに夜桜の花見宴会風景も戻ってきて

ちょっとずつ賑わいが帰ってきた。

こちらは隣の八坂神社の提灯で明るく照らし出された本殿と舞殿の風景。

雰囲気ありますネー。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編277-Ⅲ~

2022-05-10 06:16:30 | 食~番外編(京都)

菊乃井本店

京都市東山区八河原通八坂鳥居前下る霜川原町459

TEL 075-861-0015

定休日 第1、第3火曜日

https://kikunoi.jp/

またまた来てしまいました菊乃井さん。

3回目の訪問は春爛漫、ご覧のように桜満開の素敵な日となりました。

さてまた、どんな感動的な懐石料理との出会いがあるか胸が高鳴ります。

菊乃井さんに来たらどうしても覗きたくなるのが

窓硝子越しに見られる広々とした厨房。

調理場は戦場だから張りつめた空気が伝わってくるのを肌で感じるのが好きだ。

ところが今回はいきなりのサプライズ!

菊乃井三代目店主、和食の無形文化遺産登録に尽力した

和食料理の雄、村田吉弘氏が突然顔を出した。

そして一言「誰や?」と、はっきり呟いたのがわかった。

京都の料理屋さんは菊乃井に限らず、四季の季節を感じさせる

飾り付け「室札(しつらえ)」を施す文化が浸透している。

やはり1200年の都の文化がそうさせるのだろう。

今回通されたこのお部屋は菊乃井さんでも一番古い由緒あるお部屋だそうで、

とても大切な部屋だとか。

以前TVでも紹介されたとか。

床の間の掛軸も春らしいもの。

長押(なげし)に掛けられた額は大徳寺さんの高僧が書かれた書らしい。

そして本当に吃驚したのが3枚目の屏風だ。

作者はなんと尾形光琳だとか。

これはもう文化財。

お酒に酔ってもこの近くは歩いてはいけないゾーンだ。

この部屋から見える池と石垣。

この石垣の向こうは高台寺の敷地で石垣からは、こんこんと湧き水が流れ出ていた。

そうです、京都は水の都でこの水が命なのです。

テーブルには美しく描かれた木の盃が置いてあった。

よく見ればこれも桜の花びらが半分、表の盃には花びら2枚が描かれていた。

それでは卯月の献立のスタートです。

八寸 (鯛木の芽寿司、蛸柔らか煮、蝶々長芋、蕨烏賊)

花見串(海老、アボカド、鯛肝松風)

一寸豆、花弁百合根、いくら、花弁独活、蛍烏賊柚香漬け

やはり桜の花枝が添えられている。

八寸とは8寸(約24cm)四方の杉で作った低いふちのある盆のことで、

その盆に盛りつけた料理を八寸という。

もともとは茶事で出される料理で、開いてもてなす亭主と、

もてなされる客人が杯を酌み交わすときの酒のアテをさすもの。

先付 (鯛の寄せ白子、生この子ぽん酢、たらの芽)

今回は地味系のオーソドックスな先付。

因みに先付とは料理ができるまでのつなぎとして酒とともに出す酒肴です。

向付 (一、明石鯛、鮪、あしらい一式)

(二、針烏賊、ワタ醤油)

ワタ醤油がこの料理のハイライト。

向付とは魚介類の新鮮なおいしさを生、もしくは生に近い状態で提供するもの。

煮物椀 (伝助、穴子椛花仕立て、蓬豆腐、筍、蕨、松花)

椀の器には桜の花びらの螺鈿が施されている。

椀吸い物は汁物のことで季節に合わせてさりげなく供されるが、

料理人の腕前が試される重要料理。

焼物 (一桜鱒燻焼き、緑酢、一鴨桜焼き、白酢)

緑酢と白酢、菊乃井さんのソースはすごすぎる。

アルコールはいつものパターンで最初はビール、

次は健康を考えて焼酎の水割りでパターン化しているが、

菊乃井さんに来るとこれに違和感を感じる。

やはりここではお酒に限る。

問題はどんな酒かだ。

今回はオーソドックスに菊乃井銘柄の冷酒。

グラスの杯に菊乃井の家紋が浮き出てきて風流。

強肴 (若竹鍋、筍、若布、鯛の子、木の芽)

春の旬素材の代表はやはり筍ですネ。

今回の旅でも筍が続きました。

改めて木の芽との相性が抜群だということに納得。

因みに強肴(しいざかな)とは、一汁三菜、箸洗い、八寸以外に

亭主が心入れで客にすすめる料理全般の炊き合わせ、和え物、揚げ物などをいい

「強いてもう一品すすめる肴」という意味がある。

御飯 (ぐじ飯蒸し、桜花、銀あん、生姜)

香物 (菜種漬け、茎大根、塩昆布)

やはり卯月の献立は桜に対するこだわりがすごいですネ。

水物 (杏仁豆腐、レモンカード、レモンジャム)

偶然とは恐ろしいもの。

この日まで3度コース料理をいただき、デザートがすべて同じメニュー。

いくら旬とはいえビックリです。

ここには書きませんが、どうしても口の中でランキングができてしまいました。

ココア味のわらび餅。

これすごく美味。

ココアってこんなに新鮮な味を主張するのか?

夜の帳も降りてきて妖艶な夜桜が幸せな気分でスミダマンを見送ってくれた。

今回の菊乃井さんはとても物静かなオーソドックスなラインアップでした。