スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

箱根関所

2014-06-12 07:56:57 | 旅 ~国内

時代を超えて平成19年春に完全復元された

国指定史跡の箱根の関所。上の写真が京から来た

「京口御門」下の写真が江戸へ行く

「江戸口御門」

江戸口御門を入ると「箱根関所高礼」5ヶ条の定がある

本物は箱根関所資料館に展示してある。

明治初年頃の箱根宿の貴重な写真

写っている人をよく見ると、まだ幕末の匂いがする。

「厩」、江戸時代に使われていた厩は5頭の馬をつなぐことができたが

実際には2頭しかおらず、納屋と兼用だった。

説明のテープは話し方が昔の言い方で、リアルで親しみやすい

江戸時代末期に行われた箱根関所の解体修理の詳細な報告書である

「相州箱根御関所御修復出来形帳(慶応元年:1865)が静岡県韮山町の

江川文庫から昭和58年(1983)に発見された

箱根町でこの資料の解析を行った結果、当時の

箱根関所の建物や構造物などの全貌が明らかになり

箱根関所復元のきっかけと成った。

台所土間、役人などの人の展示は当時の人の

身体的特徴や衣服の色、模様など明らかになっておらず

リアルに展示することは逆に史実とは

異なったイメージを与える可能性があるため

シルエット展示という淡い色で表現する方法となった。

人見女。関所の役割は一般に

「入り鉄砲に出女」を取り締まるところ

つまり江戸に入る武器類と人質として江戸に居住させている

大名の妻子が国許へ逃亡するのを防止

する為、監視の目を光らせていたと言われている。

ここ箱根関所では、入り鉄砲検査は行っておらず

「出女」に厳しい関所という特徴があった。

大番所。上番休息所の建物の中にある面番所。

関所役人や定番人が詰めており、部屋の前の縁側で

取り調べが行われていた。

上の間と呼ばれるこの部屋は客間であり

常時人はいなかった。旅人を脅す道具として

鉄砲や弓が飾られていた。

足軽番所にある牢獄

関所の復元に使用した和釘。1寸2分から3寸まで7種類ある。

江戸時代に使用されていたものと同様のもの。

足軽番所にいる足軽。関所役人の下で京口御門や江戸口御門の門番

をはじめ遠見番所での芦ノ湖の見張りなど種々の仕事をしていた。

遠見番所、ここから足軽が昼夜問わず交代で四方の大きな

窓から芦ノ湖や街道沿いを見張っていた。

箱根関所の全景、この写真で関所全体の配置がよくわかると思います

ちょっと歩いた所にある箱根関所資料館

関所に関する基本的な資料が展示してあり

箱根関所がなんなのか一目瞭然だ。

本物の「判鑑」

参勤交代の大名行列の絵

大名がつくれる人数は石高で決められていた

10万石以上は240人、20万石以上は450人

そして100万の加賀藩では驚くなかれ

2500人の大部隊だったとの事。

これはものすごい費用負担だ。

 


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