スミダマンのほのぼの奮戦記

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大原 寂光院 (真夏の京都 後編)

2019-10-24 06:31:28 | 旅 ~京都

聖徳太子創建 建礼門院ゆかりの御寺、京都大原の寂光院。

当院は天台宗の尼寺で、山号は清香山。

寺号を玉泉寺という。

http://www.jakkoin.jp/ 

当院は推古2年(594年)に聖徳太子が御父・用明天皇の

菩提を弔うために創建された。

初代住職は聖徳太子の御乳人であった

玉照姫(548年に出家、日本最初の三比丘尼の一人。)

以来、代々高貴な家門の姫君らが

法灯を守り続けてきた。

この門は風情ある石段を登りきった所にある山門。

こちらがいかにも尼寺らしい小さなかわいらしい本堂。

本堂の内陣や柱は飛鳥様式、古来以来の様式を

踏襲しており、外陣は慶長8年(1603年)に

豊臣秀頼が修理させた桃山様式を古式通り忠実に復元したもの。

江戸時代には豊臣秀頼や淀君、徳川家康らが

再興に手を尽くした。

本尊は聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵菩薩であったが

平成12年(2000年)の火災により損傷したため、

現在は復元された本尊が本堂に安置されている。

(現在も重要文化財。)

本堂に上がると寂光院の女性が正座して

静かにお話し、説明をしてくれた。

文治元年(1185年)9月、平清盛の長女で髙倉天皇の皇后、

安徳天皇の御母である建礼門院がお入りになり、

源平の戦いに破れて遠く壇ノ浦で滅亡した

平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いつつ

終生をこの地で過ごされた。

後年、後白河法皇が寂光院をお訪ねになったのが

平家物語 灌頂の巻の大原御幸に記されている。今に残る庭園は

幽翠であわれに美しく、当時の余韻を残している。

この像は第2代の「阿波内侍(あわのないし)」(藤原信西の息女)。

崇徳天皇の寵愛を受けた女官であったが、

建礼門院には宮中より仕えた。

出家後に入寺し、「大原女」のモデルとされている。

こちらの像は第3代「建礼門院徳子」

(平清盛の息女、髙倉天皇の中宮で安徳天皇の国母)。

平家一門とわが子安徳天皇の菩薩を弔い、

終生この地で過ごされ閑居御所とされた。

梵鐘「諸行無常の鐘」制作年代は江戸時代(宝暦二年)1752年。

これ以外にも太閤豊臣秀吉の寄進により

桃山城から移されたと言う雪見燈籠、

千年の姫小松(御神木)、汀(みぎわ)の池

などが見どころであります。

本堂右手裏山には建礼門院大原西陵が所在し、

五輪塔の仏教式御陵で珍しい。

翠黛山には阿波内侍をはじめ女院に仕えた

5人の侍女の墓地群もみられる。

ここは平家物語 灌頂の巻

大原御幸諸行無常之寺

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理わりを顕す」

大原の地から京都へ向かっていくと、今評判の

ぽん酢ドレッシングの専門店 味工房「志野」

の前を通ったのでちょっと立ち寄った。

当店はドレッシング屋を始めて30年。

京の田舎から京都らしく、値段は高いけど

味は一番と言われるドレッシング屋。

調味料理屋を目指しているとか。

なにか、もの悲しい、もの寂しさを感じる洛北の地大原。

夕方に近いせいもあって余計に大原の景色を見ていると

そのことを感じてしまいます。

久し振りに訪ねた大原は昔持ったイメージと

今でも少しも変わらない地でありました。

 

 


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