スミダマンのほのぼの奮戦記

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萩の明倫学舎と萩の街Ⅱ

2018-12-22 06:52:29 | 旅 ~国内

是非2017-2-20付~2017-2-22付ブログ(城下町萩を歩く

~その1~から~その3~)を参照してみて下さい。

明倫館は長州藩校で日本三大学府(水戸の弘道館、岡山の閑谷学校)の

一つと言われている。1718年(享保3年)、萩藩五代藩主

毛利吉元が萩城三の丸に創建したものだ。

この門は正門として建てられた南門。

その後敷地内に明倫小学校が建設され、昭和4年(1929年)に

国の史跡に指定された。明倫小学校の木造校舎は

平成26年(2014年)まで使用された。萩明倫学舎は

本館と2号館から成り2号館は有料となっている。

2017年(平成29年)3月に敷地一帯が明治維新150周年記念事業として

設置された萩市の観光拠点施設「萩明倫学舎」となった。

藩校跡に建つ日本最大の木造校舎が

まさに萩の新たな観光起点に生まれ変わった。

この中庭庭園の設計テーマは「つなぐ」。

庭の骨格を成す石材、石造品の多くは、かつて長府藩の陣屋として

幕末時に居城された「勝山御殿」(現下関市)にあったものだ。

これに吉田松陰誕生地(萩市椿東)付近の山裾から選び出した崖石、

飛石などを合わせて用いている。

萩物語。伝えたい物語がここにある。当学舎では無料で

館内ガイドをお願いすることが出来る。所要時間は40分~1時間。

ガイドさんは皆、萩に対する愛情がいっぱいの人達だ。

学舎は幕末、維新期の歴史、科学技術史の貴重な実物資料展示の

幕末ミュージアムと日本の産業革命の夜明けは

萩から始まったとする明治日本の産業革命遺産を紹介する

世界遺産ビジターセンターに分かれている。

「西の雅常盤の女将劇場」でも紹介したが明治の工業化政策を

索引した長州ファイブの詳しいコーナーがあった。

彼らは「生きた器械」になって帰国するとの決意を抱き

ジャーディン・マイセン商会の仲介で横浜港から

4ヶ月以上かけて現地に渡った。彼らはロンドン大学の

聴講生と成って分析化学を中心とする自然科学系の授業や実験に参加し

又、工業国の実状を見聞した。伊藤博文、井上馨が

自然化学系の勉強をしたとは知らなかったナー。

世界遺産ビジターセンターには吉田松陰が開いた

松下村塾の再現コーナーもある。意外に知られていないが

吉田松陰は我が国の工学教育に果たした役割は大きく

映像やパネルアニメーションなどを使って工学教育の先駆者

吉田松陰を分かり易く楽しく紹介している。

学舎の窓からは、槍・剣道場として藩士の練武のほか、

他国からの修業者との試合場でもあった有備館が見える。

坂本竜馬もここで試合をしたと言われている。

他に敷地内には水練池、聖賢堂などの遺構が残っている。

幕末ニュージアムでは、従来史実で語られてきた在来技術から

近代技術への発展の歩みを実物資料(器物、大砲、鉄砲、軍装など)

で紹介している。・・・・おがわ是苦集=小川コレクション。

明倫学舎の隣に新校舎を建設した萩市立明倫小学校の校舎。

意匠も旧校舎に馴染む様なデザインにしているような気がする。

阿武川デルタの北西端に突き出た標高143Mの指月山(しづきやま)。

天然の要塞と呼ばれるこの山には萩城の詰丸が

築かれ城内と海を監視していた。山頂まで登山道があり、

徒歩20~30分ほどで登れる。城内林は温暖帯照葉樹林として

国の天然記念物に指定されている。

萩城は慶長9年(1604年)に毛利輝元が指月山麓に築したことから

別名指月城と呼ばれ、山麓の平城と三朝の山城とを合わせた

平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっている。

本丸には五層の天守閣があったが、

明治7年に建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿にとどめ

ここ一帯は国の史跡に指定されている。

又城址は春、500本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所となっている。

高杉晋作誕生地の近くにある「晋作広場」に平成22年10月建立された

「高杉晋作立志像」。晋作20歳をイメージして創られたと言われている。

周りの雰囲気も古風で明治の日本に迷い込んでしまった様な感覚になる。

伊藤博文は高杉の一の子分で、伊藤曰く「動けば雷電の如く

発すれば風雨の如し、衆目駭然として敢えて正視するもの莫し。

これ我が東行高杉君に非ずや」と。

高杉晋作は幕末最高の変人とも言われている。

萩の夏みかんは明治9年に小藩高政(おばたたかまさ)によって

生活の術を失った士族たちを救うために、広く栽培された。

園地は主に空き地となった武家屋敷でした。その結果

武家屋敷の敷地割がほぼ江戸時代のまま保たれ、

城下町絵図を手に現在の萩の町を歩くことができ

観光面において、「夏みかんと土塀」は萩の代表的シンボルとなっている。

萩の街では到る所に萩焼のお店がある。こちらは武家屋敷の

路地の空き地の中でテントを張って萩焼陶器の販売をやっていた。

窯元直の店のようでおそらく安く売っているのだろう。

さすがさいしんいきがい大学、松下村塾の部屋に上がり

松陰神社宮司さんの講和を聞く機会を得た。

松下村塾に上がるだけでも特別なのにそこで宮司さんの話を聞けるとはスミダマン感激!!


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