私たちは、人生において、様々な変化を経験します。何しろ人生は生涯をかけて日々変化し続けているのですが、それでも人生には、一見すると何の変化もないように感じるくらいに安定していて穏やかな時期と、誰が見てもわかるような大きな変化のある時期とがあります。大体はその中間ぐらいに収まりますが。人は、そうした変化に対して、日々、順応して生きています。その変化が小さければ小さいほど、私たちは、自分たちがその変化に適応していることにも気づかないくらいに適応しています。逆に比較的大きな変化に対しては、それ相当の調整が必要となります。
人生におけるあらゆる変化はストレス因(Stressor)であり、それはたとえその人にとってポジティブなできごとにおいても言えることです。たとえば人は、仕事の昇格でも、結婚でも、また、海外旅行でも、ストレスを経験します。しかし、ストレスのレベルには、非常に大きな幅があり、たとえば海外旅行へ行くというストレスは、そのなかで、比較的低いものです(脚注1)。逆に、人生における非常に強いストレスとして知られるのは、配偶者の死、離婚、家族の死などの喪失体験です。このように、ストレスにはいろいろなレベルがあります。そして、大事なのは、そのストレス因をその人がどのように捉えるか、そのストレス因によって、その人がどれ程な困難を経験しているかという問題です。
今回のテーマの「適応障害」(Adjustment Disorder)というこころの問題は、実のところ、非常にありふれたものなのですが、これは前述のように、私たちの人生は変化の連続で、常にストレスは存在している、という事実を考えれば、不思議なことではないと思います。実際、私のところにも、適応障害の診断を受けた方がたくさん来られます。特に多いのは、仕事関係のストレス因です。それは職場の異動であったり、新しい上司との関係であったり、昇格による新しい任務と責任である場合もあれば、新規で採用された方が、学生から社会人という大きな変化に反応している場合もあり、本当に様々です。
日本の精神科、心療内科でも広く使われている、国際的精神疾患診断基準のDSM最新版、DSM-5によりますと、適応障害とは、「はっきりと確認できるストレス因に反応して、情動面または行動面の症状が出現すること」(p.285)、とあります。この「はっきりと確認できるストレス因」(identifiable stressor)という言葉もポイントで、適応障害の診断には、特定可能なストレッサーの存在が条件となります。ストレス因としては、失恋など、ひとつの出来事である場合もあれば、引っ越しと仕事の問題と実家の問題など、複数の出来事である場合もあります。また、ストレス因は、反復する場合(たとえば一定の周期で苦手な任務に従事しなければいけない場合、特定の季節に特定の苦手な地域で暮らさなければならない場合など)もあれば、新しい嫌な上司との関係性など、続く場合もあります。また、人生における特定の発達上のできごと、たとえば、入学、就職活動、入社、ひとり暮らし、結婚、親になる、退職、親の介護、などである場合もあります。
さて、具体的な診断基準は、A~Eの5項目に分かれています。実際の診断には、精神医学や臨床心理学の知識と経験が必要であり、自己診断には注意が必要ですが、もし以下の項目を読んでみて、思い当たるふしがあったり、もしかしたら、と思ったら、なるべく早いうちに、心療内科、もしくは精神科を受診されることを強くお勧めします。さて、以下がその具体的な5つの項目になります。
A.特定可能なストレス因に対する反応で、そのストレス因の始まりから3カ月以内に情動面や行動面の症状が出る。
B.こうした症状は臨床的に重要で、それは以下のうち1つまたは両方。
(1)そのできごとの背景や文化的要因を考慮しても、そのストレス因に「不釣り合い」な程度や強度の苦痛。
(2)社会的、職業的、あるいは本人の人生におけるそれ以外の重要な領域における機能の著しい障害。
C.この症状は、他の精神疾患を満たしておらず、既存の精神疾患の単純な悪化ではない。
D.この症状は、正常の死別反応に見られるものではない。
E.この障害のストレス因またはその結果が終結すると、症状がそれからさらに6カ月以上続くことはない。
そしてこの診断には、以下の6つの症状のうちのいずれかが特定されます:
「抑うつ気分を伴う」、「不安を伴う」、「不安と抑うつ気分の混合を伴う」、「素行の障害を伴う」、「情動と素行の障害の混同を伴う」、「特定不能」。
具体的な診断名としては、たとえば、「適応障害、不安を伴う」、「適応障害、抑うつ気分を伴う」、というようになります。ただ、これはテクニカルなことなので、適応障害の診断をもらった方でも、医師から単に「適応障害」と言われただけで、具体的なものは聞いていない、という方もいると思います。その場合、診断をされた医師に質問してみるとよいでしょう。
さて、比較的シンプルな診断基準ですが、これにはいくつかの説明が必要です。まず、基準Bですが、(1)は、その人が現在経験しているストレス因の背景となる要素です。その背景、文脈的なものを無視しては、その人の症状を正確に把握することはできません。そして、すべての人は、その人が生まれ育った土地の文化的な影響を受けています。ある土地では自然な反応も、別の土地では、尋常でない反応であったりします。こうしたことを踏まえて、当人の経験している苦痛が、そのストレス因に対して「不釣り合い」な程に強いことがポイントです。
(2)は、情動、行動面の機能障害についてであり、このストレス因に対する症状(たとえば抑うつ)のために、それまでの夫婦関係の機能に支障がでていて、本人や配偶者、あるいは2人において、問題になっている、というようなことです。具体的な例は、夫がその仕事による新しいストレスで抑うつを経験していて、妻との会話がきちんとできなくなっていたり、性生活に問題がでている、といったケースがあります。職場の任務がその症状によって遂行不能だったり、ミスが目立ったり、効率が著しく落ちているという場合も、これに該当します。
診断基準Cですが、これも非常に重要です。ちなみにこれもテクニカルなことで、これは精神科医の方でも知らない場合が少なくありません。これはどういうことかといいますと、DSMのシステムの診断基準には、いくつかの「優先順位」があり、適応障害は、前述のように、精神疾患のなかでもっともありふれたもののひとつであり、これはつまり、適応障害の診断を受けた人は、精神疾患としては、比較的軽症の場合が多い、ということです。
このストレス因によって、その人の経験している抑うつが、「大うつ病性障害」、いわゆる「うつ病」(Major Depressive Disorder)の診断基準を満たしていたら、その人の診断名は、適応障害ではなくて、うつ病になります。これはつまり、うつ病という精神疾患が、適応障害よりも強く、また、適応障害の抑うつの症状を含んで超えているためです。しかし、専門家でもこうしたことを知らない方は少なくないようで、他所で適応障害という診断をもらって来られた方が、うつ病の診断基準を満たしている、ということは良くあります。
ただ、それは広義には、「反応性抑うつ」であり、環境に対する適応の障害でもあるので、まったく間違いというわけではありません。しかしここで私が懸念するのは、本当はうつ病の診断基準を満たす深刻度の方が、適応障害とされることで、その人にとって適切であり、十分な治療が受けられていない、という可能性です。
ちなみに適応障害は、あらゆる精神疾患において、一番偏見の少ない病名のひとつなので、患者さんに気を遣って、本当はうつ病だけれど、適応障害という診断名をとりあえずつけて、実際はうつ病の治療をされる方もおられますし、これについては一概にはいえません。
それから、たとえば、何らかの不安障害の診断を既に受けていた方が、その環境の変化によるストレスによって、症状が単に悪化している場合は、新たに適応障害の診断はされません。
診断基準Dは基本的にB(1)の具体例です。大切な人との死別によって、著しい精神的苦痛を経験し、その結果、一時的に、情動面、行動面、あるいは両方において、その人生における大きなストレス因にふさわしい、「自然」に考えられる、正常な喪失体験が起きている場合には、この診断はされません。
死別反応が正常かどうかの判断にも、専門的知識と経験が要求されるので、いずれにしても、誰か大切な方を亡くされた方が、見兼ねるほどに強い反応をされていることが強くようでしたら、速やかに心療内科を受診されることが望ましいです。
これはこころの問題一般にいえることですが、あなたが、「何かおかしい」と思った時点で、心療内科を受診することが、早期発見、または、予防に繋がります。
最後に診断基準Eですが、適応障害は基本的に、比較的短期間の、新しい環境やできごとに対する適応における問題なので、期間も6カ月と限定されています。ちなみに、もしこのストレス因がそれ以上続く場合は、「持続性」(慢性)という条件が加わります。具体例としては、「適応障害、持続性、不安を伴う」、というようになります。しかしこのように適応の障害が長く続く場合、通常は、より深刻な精神疾患が伴う場合が多いので、受けている治療が十分でなかったり、適切でない可能性があります。
さて、適応障害はサイコセラピーではどのように克服していくかということですが、まずは、その人がその環境の変化、新しい出来事を、「どのように受け止めているか」、「どのように解釈しているか」、について理解を深めていきます。この記事のはじめのほうでも述べましたように、同じようなできごとでも、それを個人がどのように受け止めるか、また、どのように経験するかは様々で、ある人にとってはそれほどでもない、つまり、大したストレスにならない要因が、他のある人にとっては、とても大きなストレスである場合も少なくありません。これはつまり、捉え方を変えることができると、ストレスが改善し、適応しやすくなる、ということでもあります。面接を通して、もしその人に、何らかのソーシャルスキルが欠けていたり、不足していることが明らかになった場合は、ソーシャルスキルを伸ばすこともします。その人が気づいていないけれど、利用可能なリソースがその人の周りにあるようでしたら、そのリソースにアクセスすることを促すこともあります。そのストレス因が恋愛関係の終結などの喪失体験の場合、その喪失について、対話によって喪の仕事を進めていきます。不安が伴うようであれば、不安について扱いますし、抑うつが伴うときは、抑うつの改善もしていきます。もしその人が、人生における発達的課題で不適応を起こしている場合は、その発達段階における、アイデンティティの修正、再構築を促進していきます。
このように、一口に適応障害と言っても、その人の経験しているストレス因は、その強さも性質も様々です。そして、適応障害が治る頃、つまりその人が環境に上手に適応できるようになったとき、その人は、大きく成長することになります。
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参考文献:
American Psychiatric Association,(2013),Diagnostic and statistical manual of mental Disorders(5th ed.). Washington, DC : American Psychiatric Association,
(米国精神医学会 日本精神神経学会・高橋三郎・大野裕(監訳)染谷俊幸・神庭重信・尾崎紀夫・三村將・村井俊哉(訳)(2014).DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル 医学書院)
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脚注1.これにも当然個人差があり、また状況的な違いもあります。たとえば、あなたが親友や仲の良い恋人と二人でずっと行きたかった国に行くことと、反抗期の高校生が、支配的で無神経な親や不仲のきょうだいと一緒に、ほとんど無理やり連れていかれる形で、嫌いな国に行くという旅行とでは、そのストレスのレベルに相当な違いがあるのがよくわかると思います。