興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

自己愛の問題が身を滅ぼすとき

2024-10-01 | プチ精神分析学/精神力動学

 自己愛(Narcissism)とは、分かりやすくいうと、「自分を大事に思う気持ち」のことです。

 これは、人間誰でも持っているものであり、人が人として幸せに生きていくために、必要なものです。

 問題は、自己愛の度合いが強すぎるとき、つまり、自分を大事に思う気持ちが強すぎる時です。

 兵庫県の元知事である、斉藤元彦さんの公益者通報保護法違反や一連のパワハラ問題について、私は、初期のころから様々な報道を追って、注意深く調べてきましたが、自己愛や自己愛性パーソナリティ障害の問題について考えるとき、彼ほど「異常心理学」(abnormal psychology)を教科書的に分かりやすい事例として体現してくださっている方は非常に稀有であり、なんといっても、元県民局長さんの死を無駄にしないために、兵庫県民でもない私に何ができるか考えた時、この一連の事件について臨床心理学や精神医学、精神分析学的見地からこうして記事に書くことはできると思い至ったので、書くことにしました。

 自己愛が病的に強い人間について考察することの意義は、いくつかありますが、たとえば、1)反面教師的に、どうしたら我々は、自分のことも他者のことも大切にして、思いやりをもって、助け合って、調和をもって、楽しく幸せに生きていけるか、2)大切なひとや、あなた自身が、斉藤さんのような深刻なパワハラ気質の人からどのように身を守ることができるか、3)育児において、どうしたら、子供たちが斉藤さんのようにはならずに、斉藤さんのように道を外さずに大人になれるか、つまり、共感性と思いやりを身に着けられるか、などが挙げられると思います。

 斉藤さんは非常にすごい人です。

 兵庫県議会に、実に51年ぶりに百条委員会を立ち上げさせ、日本史上初の、全会一致(86名)で不信任決議を勝ち取りました。ご存じ、県議会は、様々な政党の、様々な異なった考え方や価値観の議員たちで構成されていますが、こうした議会で満場一致、というのは、通常はまずあり得ない、歴史上後にも先にも非常に珍しいことが起きたということです。

 百条委員会が県庁職員を対象に実施したアンケートも、7割近い回答率と、これも異例のことで、さらには、300名が実名でアンケートに答えるという事態を引き起こしました。

 小学生のあいだで人気の「好き嫌いドットコム」というサイトでも、凄まじい勢いで嫌い票がついていき、日本歴代の嫌いな政治家No1を獲得しています。

 悪事千里を走ると言いますが、彼の名は今では、日本では、大谷翔平さん並みに有名になりました。

 斉藤さんがどうしてここまで、日本全国レベルで老若男女みんなからここまで嫌われるようになってしまったのか。

 彼はどうして兵庫県民を超えて、日本中の人たちの怒りと憎悪と嫌悪感を受けるようになったのか。

 その鍵となるのはやはり、強すぎる自己愛だと思います。自己愛が強すぎるだけでなく、質的な問題も多分にあると思います。

 それでは、自己愛が強すぎると、具体的にはどのような問題がでてくるのか。いろいろとありますが、今回は、1)共感性の欠如、2)特権意識、3)対人関係において、相手を不当に利用する、つまり、貪欲で搾取的、4)自分が重要であるという誇大な感覚、5)尊大で傲慢な態度、の5つの観点で考えてみたいと思います。

 まず、1)の共感性の欠如について。共感性とは、「相手の立場に立って感じたり考えたり想像したりする能力」のことです。

 彼は公共の場で2回ほど泣きましたが、残念ながらいずれも自己愛の涙であり、彼が自殺に追い込んだ元県民局長さんのために泣いたことはないと、インタビューで認めています。

 一度目は、自身の過去の栄光に酔いしれて。

 二度目は、「高校生からの手紙」を読んだことを話している時。ある心理学者の方が、「確証バイアス」の視点で分析されていましたが、これはまさに確証バイアスで、彼は実際のところ、その何十倍、何百倍、あるいは何千倍と、辞めてくれというメッセージを受けているはずですが、何千通のNOはガン無視して、一通のYESに縋りつきました。

 彼は、自身のことを「厳しい知事」と説明していましたが、厳しいというよりも、理不尽です。

 彼が厳しいのは部下たちという他人に対してであり、自分に対してはものすごく甘いです。

 彼は、遅刻癖があり、よく遅刻してくるのに、公用車が目的地に遅れると、職員を𠮟責していたということが、職員たちのアンケートにより明らかになりました。

 こうして理不尽に叱責をうける職員の気持ちなど、全く想像できていないのでしょう。

 元局長さんのご家族の気持ちも全然想像できていないようですし、知事室に送られてくる美味しいものを誰にも分け与えずに全部ひとり占めするのも、それで秘書課の職員の人たちがどんな気持ちになるのか想像できていなかったのでしょう。彼の前の知事は、「食えや食えや」と言って、みんなに分けてくれていたそうです。

 パワハラ気質の人は、おしなべて自己愛が強く、思いやりに欠けていて、自分が他者に対してモラルハラスメントをしているという自覚が乏しいです。

 斉藤さんは結局最後の最後まで、自身がパワハラをしたということを認めませんでした。自分の言動が相手にどんな影響を与えているのか、本当に分からないのかもしれません。

 彼はまた、全会一致の不信任決議について不満があり、自分がしたことが、知事を辞めなくてはならないほどのことかと、疑問に持っていることを認めました。

 自分がどうしてこんなに忌み嫌われているのか、驚くべきことに、本当に分からないようです。

 分かっていたら、辞職しますし、再出馬など絶対にしないでしょう。

 もうひとつ、彼は、良く知る職員さんのお母様が亡くなられた時、葬儀は公用で行けなかったそうですが、お通夜の日は、予定がなかったのに出席せずに自宅にいて、こともあろうにSNSで、「今夜は自宅で料理しました」とアップロードしていたそうです。これも百条委員会で上がってきましたが、お通夜にお手伝いに行っていた職員の方たちが、知事がいないことを、現場で一生懸命フォローしているところ、「今夜は自宅で料理しました」などとSNSに投稿されては、立場がありません。

 彼は、悪気はなかったなどと言っていましたが、本当に思いやりがないと思います。

 2)の特権意識ですが、特権意識とは、「特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する」(DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引き)ということです。

 これは、有名な、「俺は知事だぞ!」に如実に表れています。

 彼は、あれだけ多くの職員の方が目撃をしているのに、「言っていません」と、しれっと嘘をつきますが。

 彼こそが嘘八百で、公務員失格に他ならないと思います。

 数々のおねだり疑惑(これも否定したり苦しい言い訳を繰り返していますが)も、彼の特権意識の表れだと思います。

 他にも、エレベーターに乗り遅れて、近くにいた職員に、「ボタンも押せないのか」と怒鳴りつけたり、公用車が玄関先まで行けない施設で20メートルほど歩かされて激怒したり、枚挙に暇がありません。

 3)の対人関係において、相手を不当に利用する、つまり、貪欲で搾取的、ですが、これはやはり先述した一連のおねだり疑惑と、ご当地の美味しいものの独り占めなどに良く表れていると思います。

 4)の自分が重要であるという誇大な感覚、これも彼の言動の端々に現れています。

 たとえば彼は、あるイベント会場に行ったときに、そこに来ていた子供たちが、自分ではなく、ゆるキャラの着ぐるみの方に行ってしまったことでとても不機嫌になったといいます。

 また彼は、自身の業績を誇張していますし、十分な業績がないのに、優れていると認められることを期待しています(DSMー5)。

 5)尊大で傲慢な態度、これも、これまでここで述べてきたことで、自明だと思います。

 ちなみに、彼は総務省時代は全然違った、という話もでてきていますが、総務省というところは、少し下の後輩や部下が、いつ自分の上司になるか分からないところなので、みんなすごく気を遣って働いているという事です。

 自己愛の強い人は、損得勘定が上手であり、自分の利益のためであれば、「表層的な」共感性を使って周りとうまくやることもできます。自己愛性パーソナリティの人が、利害関係のない社交の場では、話が面白く、とても愉快な人として通っている事例はたくさんあります。

 私は、相手によって態度を変える人を信用しません。たとえば、あなたの恋人が、あなたに対してどんなに優しくても、コンビニの店員さんやレストランのサーバーに対して横柄な態度を取るようでは、その人を信用しちゃダメですと、アドバイスします。

 共感性の欠如も、特権意識も、貪欲な搾取性も、自己誇大感も、傲慢さも、その処方箋は、自己愛を調整していく事です。

 自己愛の強さと自己中心性は、関連性があり、自己愛が強いほどに、自己中心性も強くなります。

 自己中心性とは、自分の視点や価値観や考え方や感情に固執して、その「自分の円」の外に出られない状態です。

 共感性とは、その自分の円から外に出て、他者の円の中に入って、他者の視点や価値観や考え方や感情を想像して理解する試みなので、こうした感覚を意識していることが、自己愛のインフレを防ぐ手立てとなります。

 斉藤さんは、ご自身が大事過ぎて、自分の間違いが認められず、ごめんなさいが言えない方のようですが、元県民局長さんに対する不当な懲戒処分を取り消して、それが間違いであったときちんと認めて、誠心誠意、ご遺族に謝罪することをしない限り、県庁の職員さんも県議会の議員さんたちも、誰も彼にはついてこないでしょう。

 彼は「鋼のメンタル」などと揶揄されていますが、私にはどうも彼が鋼のメンタルを持っているようには見えないのです。

 



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