興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

トラウマケアで忘れられがちなもの

2023-11-22 | プチ臨床心理学

 ひとは、その人生において、事故や傷害事件などで大怪我をしたり、がんなどの大病をしたり、死の恐怖を経験したり、人格や人間としての尊厳が失われる、自己同一性(アイデンティティ)に断絶が起きるような極限の精神的・肉体的苦痛を経験すると、そのできごとや体験は、心的外傷(トラウマ)となる。心的外傷を受ける前と受けた後で、別人のようになってしまうひともたくさんいる。

 心的外傷には、心的外傷化(トラウマ化)した記憶が伴う。問題なのは、トラウマ化した記憶は、いわゆる「時間薬」がうまく効かないことだ。トラウマ化した記憶は、タイムレスであり、時間の感覚がなく、そのままにしておくと、いつまでも色褪せることがない。

 トラウマ化した記憶を、そのひとと深く関わっていくなかで、一緒にプロセスして、無毒化していくのは我々サイコセラピストの仕事であり、完全な無毒化ができなくても、適切に処理されて、その人のアイデンティティにうまく統合された記憶は、その人を蝕むこともなくなっていく。もちろん、思い出すことはあるし、思い出したら嫌な気持ちにはなるけれど、思い出す頻度が格段に減り、たとえ思い出したとしても、トラウマケアを行う以前のように、その記憶で一日が台無しになるようなことはなくなる。

 我々人間の自己同一性は、通常、連続体であり、この世に生れ落ちてから、今に至るまで、繋がっている。

 しかし、トラウマを経験した人は、そのトラウマ的なできごとによって、その自己同一性に断絶が起きる。数学的には、トラウマ前の直線なり曲線の関数と、トラウマ後の曲線なり直線の関数が、2つの異なった関数によって成り立っているようなものだ。トラウマ後に、断絶が起きて、その人の人生が、新しい関数によって進んでいく事になる。

 私がクライアントさん達と一緒に行っていることは、この断絶を注意深く検討して、処理して、断絶を修復する作業だ。この修復の作業には、トラウマ体験そのものを、その人の人生に再統合するプロセスが含まれる。再統合がうまくいくと、その人の人生は、断絶がなくなり、連続性を取り戻す。また、その再統合された人生は、トラウマ以前より豊かになることも多い。そのトラウマ体験ですら、うまく人生に使っていくことができるようになる人も少なくない。

 いつものように、前置きがとても長くなってしまったけれど、この「再統合」の段階において私が大事なことのひとつだと考えているのが今回の表題だ。 

 トラウマワーク、トラウマケア、という目的を前提としたサイコセラピーや心理カウンセリングは、当然だけれど、そのトラウマ的なできごとと、その人のトラウマ体験を中心にセッションを行っていく。それで、とてもつらい時期が焦点化される。これは自然な流れであるし、私としても、トラウマケアの初期段階は、こうした中核的なものについて、慎重に、丹念に、扱っていく。

 ただ、クライアントさんがトラウマから回復していく中で、もちろんケースバイケースだけれど、私が意識しているのは、その人のいわば人生最悪な体験とその悪影響に苛まれて過ごした、混とんとしたそのつらい時期に、トラウマとは直接関係していない、あるいは、まったく無関係な、その人にとって良かった体験や、良かったできごとだ。

 というのも、人間、本当につらいことがあると、その時期全体がとてもつらいものとなってしまい、その時期すべてが真っ黒になってしまいがちだ。そうなると、たとえば、その時期に聴いていた、とても素敵な音楽だったり、遣り甲斐や生き甲斐を感じていたことだったり、誰かとの良い人間関係だったり、そこでなされた会話だったり、その時に訪れた町の景色だったり、こうしたことも、忘れてしまっていたり、なかなか思い出せないことが多い。また、こうした事物がトラウマによって汚染されてしまって、自分にとって嫌なもののひとつになってしまうことも少なくない。

 こうしたときに、セラピストが自身の価値観で、そうした良きものたちをクライアントさんが受け入れるように押し付けるのは論外だけれど、サイコセラピーの強い治療関係のなかで、自然に語られるようになるかつての良い事物について丁寧に扱っていくと、クライアントさんが自発的に、こうした「失われた良いもの」を再び人生に取り入れていくことを希望することが少なからずある。その場合、悪いものに汚染された良いものから、その汚染を取り除いていく作業も一緒にしていく。

 とてもつらい時期を思い出させるような、当時好きだったことを、自分の人生に再び取り入れていくためには、トラウマケアがそれなりに進んでいる必要はあるけれど、セラピストは、クライアントさんの記憶を、解像度を上げてみていく必要があると思う。

 「トラウマ」というほどじゃないけれど、すごく嫌な記憶で今でもよく思い出す、ということがある方も少なくないと思う。ただ、そのように、忘れられずに、今でもあなたのこころを乱し続けるものは、やはりトラウマ化した記憶ではあると思う。

 トラウマは、とても個人的な体験であり、決して他の誰かの事例と比べることはできない

 ただ、すごく嫌だったけれど、思い出すことで生活に支障をきたすことはない、という場合、そのことを経験した時期の、これまであまりよく考えないようにしていたその時期にあった良いものについて思い出し、それを今の生活に可能な形で取り入れることで、その分人生がより豊かになっていく、という事例は、私自身、よくお目にかかるものだ。


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