興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

批判が嫌ならば何もしないことです ("Do nothing if you don't want any criticism")

2016-01-01 | プチ臨床心理学

 冒頭の言葉は、少し前にFacebookで見かけたものです。誰だったかアメリカ人の友人が、何かのリンクを投稿していたもので、具体的な言い回しは覚えていませんが、だいたいこのような英文だったと思います。

 言うまでもありませんが、この言い回しは反語であり、これを言った人の意図することは、"Do what you want in spite of any criticism"、批判を恐れずに、行動しよう、ということです。Facebookを閲覧していると、異口同音に、これと同じような考えをよく目にします。こうした発言をしている友人は、そのほとんどがアメリカ人ですが、近年、こうした考えが日本でも広まりつつあるように思います。アドラー心理学の『嫌われる勇気』がベストセラーになったことからもわかりますが、これはいかに多くの人たちが、周りの目が気になって、自分がしたいこと、本当によいと思うことをできていないかということの裏付けだと思います。

 他人と自分は「違う」ことが当たり前であるという前提の個人主義アメリカ社会でも、実のところ、多くの人たちが、他人の批判を気にして思うように行動できずにいるので、他人と自分が「同じ」であることが前提である集団主義社会日本で、人々がこうしたことに苦しむのは、ごくごく自然なことだと思います。思えば私も、LAにいたときは普通にしていたことで、日本に住むようになってしなくなっていったことはたくさんあります。そのひとつひとつは小さなことですが、日本にいると、アメリカではほとんど感じなかった「周りの目」を不思議と感じるようになります。周りとの「和」を重んじる日本社会には、公共の場における様々な「ルール」が存在します。たとえば、電車のなかでお化粧をしている人たちですが、別に周りに迷惑を掛けているわけでもなく、私としては、正直本当にどうでも良いのですが、男女ともに、こうした女性たちに批判的な人たちが相当いますね(匂うとか、パウダーが横から飛んでくるという話には正当性があるとは思いますが、そういうこととは別に、「品格」だとか「礼儀」などを問題にする人たちです)。電車内でやむを得ない理由で電話している人に向けられる視線も。街でサングラスを着用することについてもそうですね。

 今回の記事で私が言いたいのは、日本社会は窮屈だとか、そういうことではもちろんありません。確かに窮屈なところはありますが、こうした「和」の力が社会の隅々にまで働いていることの良い面もたくさんあります。組織の結束力や生産性もそうですし、日本社会に遍在する思いやりの精神も、人々が常に周りの人を見ていることの表れです。たとえば道でお財布を落としたら、日本ではかなりの高確率で、誰かが拾ってくれて、そのまま交番に届けてくれます。このあいだも、ある方が高級鞄にラップトップのPCを入れたものを電車の網棚に置いたまま下車し、後になって気づいて思い当たる鉄道会社に片っ端から連絡していったら、後日そのバッグがそっくり見つかったと聞いて、日本ってすごいなあと思いました。スターバックスでタブレットで仕事をしていてトイレに行って戻ってきたら、そのタブレットは普通にそこにあります。LAではこれは保証の限りではありません。

 このように、人々の批判性は、多くの場合、配慮という側面も持ち合わせています。それから、世の中には、周りの人たちにまったく無遠慮に、自己中心的に振る舞っている人たちが時々いますが、そういうあり方は良くありません。以前別の記事でお話しした、自分の人生を生きている人たちと、自己中心的に生きている人たちの違いです。

 私たちは、ひとりひとりが社会の一員であり、互いに思いやって生きていくことは大切です。

 今回のテーマは、そのように、周りと調和して生きていく中で、自分を押し殺さずに生きていく、ということです。周りの人たちの意見や、考え、立場などを気にしすぎるあまりに、あなたがあなたの人生において本当にやりたいことをやれなかったり、正しいと思うことをできなかったり、間違っている、不本意であると思うことに従事することを余儀なくされているような状況が問題です。こういうとき、あなたは自分の人生をきちんと生きていないことになります。その時人は強いストレスを感じますし、こうしたことが続くと、その慢性的なストレスで心身に支障がでてきます。

 ストレスを感じているのはわかるけれど、家族やパートナー、仲の良い友達、同僚、上司からの批判されたり、非難されたり、拒絶されたりすることが怖いからできない、諦めるしかない、そういう風に感じて苦しんでいる人たちに向けて、冒頭の言葉は放たれたのだと思います。

 近い人たちからの批判というのは怖いものです。なぜなら、その関係性から、そうした人たちの言葉は私たちのこころに強い影響力を持っているからです。そうした影響力のある人たちからの批判や非難に、こころを傷めない人はいないでしょう。傷つきます。しかし、だからと言って、そういう人たちの意に沿うように、そういう人たちの価値観や考えに相反することのないように生きていては、あなたはいつまでたってもあなたの人生を生きられません。その人の人生を生きることになります。

 あなたとその人は、別人格であり、当然、価値観も考え方も、立場もバックグラウンドも異なります。その人たちにとってベストなことが、あなたにとってもベストなこととは限りません。共通するところはあるかもしれませんが、大切なところで異なる場合は多いです。異なるのは当たり前ですし、もし彼らが批判的な人たちだったら、そのときに彼らはあなたを批判するでしょう。支配的な人は、あなたに罪悪感を抱かせるようなことを言ったり、強制的に、あなたを彼らの思うように軌道修正しようとするかもしれません。

 人はそれぞれ違うから、あなたが何かを選んだ時に、すべての人がその選択を支持してくれることはそうそうないということです。その決断が大きければ大きいほど、その傾向は強くなるでしょうし、風当たりも強くなります。こういうときに、覚えておくとよいのは、あなたが何かを自分の意思で選んだときに、批判をする人は必ずいる、ということです。しかしあなたはなんといってもあなたの人生を生きています。彼らの目を気にして自分がしたいことをあきらめて、彼らを恨んで生きるのは、誰にとってもよくありません。

 批判されて傷つく恐怖と、自分の人生を生きられない、自己実現ができない恐怖。長い目でみたときに、どちらが本当にあなたにとって害になるか、よく考えてみないといけませんし、どちらがあなたのより良い未来に続くのか、考えてみる必要があります。


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