思考の部屋

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PTSD(Posut Traumatic Stress Disorder)「心的外傷性ストレス障害」から学ぶ

2012年10月21日 | 思考探究

[思考] ブログ村キーワード

 今月に入りPTSD(外傷後ストレス障害)の内容を含む番組を観た。

1 Eテレ「東北発・未来塾~心をケアするチカラ・桑山紀彦~」

2 ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」

それぞれに番組制作の意図するところは異なりますが、通底するところは「人の心は体験・経験に影響される」ということです。当たり前すぎること、あまりにも当たり前すぎるため日々の現実に如何に覚醒の意識を働かさないで生きていることか」と気づかされた。

 3.11東日本大震災、福島原発事故の放射能汚染という体験・経験、犯罪被害者としての驚愕体験幼少期の虐待等の心的悪影響を及ぼす体験・経験など、そこにみられる精神的障害がPTSD(外傷後ストレス障害)という病名で語られます。

<Eテレ「東北発・未来塾~心をケアするチカラ・桑山紀彦~」> 

 Eテレの「東北発・未来塾」は、2回に分け心療内科医師の桑山紀彦さんの「心をケアする力」という番組を放送しました。番組の内容については以下のサイトに掲載されています。
 
 2012年10月5日(金)
 心をケアするチカラ・桑山紀彦さん
第1週「“愛”のドクターK 登場」
http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/121005.html

2012年10月12日(金)
 心をケアするチカラ・桑山紀彦さん
第2週「針金1本であなたの心を癒やします!」
http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/121012.html

 未曽有の災厄に見舞われた東北の人々の心のケアに取り組む心療内科医の姿が放送されていました。内容については、サイトの中に詳細に語られています。

 「目に見えない心というものが僕たちのテーマ」と語る桑山さん、世界の紛争地域の人々の心のケアにも取り組まれいるとのこと、その語りには人柄と情熱が感じられました。 
 番組ではその活動とともに被災地の人々の心に何が起きたのか、ということについてわかりやすく解説してくれる番組でもありました。言葉を絶する被災地の現状、苦悩する人々を見ないで済むなら見ない方が精神衛生上よいのではないか、そう思う人もいるるかもしれませんが、偶然の出来事に「AでもBでもCでもありえた」即ち、「私が彼(被災者)でもありえた」という「離接的偶然」を考えると本質的な人間性が求められているように思います。

 わたし自身がこの番組で印象に残った話にPTSD(Posut Traumatic Stress Disorder)「心的外傷性ストレス障がい」についての話があります。心に受けた傷が放置されるとPTSDになる可能性がある、という話しは最近よく聞くところです。実際どういうことなのかというとPTSDには三つの症状があります。

PTSDの三大症状
1)回避(Avoidanace)
2)侵入(Intrusion)
3)過覚醒(Hyper-arousal)

この三つで、順番が逆になりますが体験したことがくり返し思い出され悪夢が続く「侵入」や感情や緊張が高まる「過覚醒」があり、桑山さんは典型的な症状の一つ「回避」について次のように説明していました。

 回避(Avoidanace)は、トラウマの記憶につながる事態を避けようとしてしまうことで、

「海に近づけない」(津波被害)
「クルナの振動に耐えられない」(地震被害)
「映画の戦闘シーンが見れない」(紛争被害)

などがあり今回の津波などの体験(被害の記憶)は3か月や1年ぐらいは忘れられないのが当たり前ですが、2年経っても10年20年経っても海に行きたくないという回避の症状が続き、そうなると病気ということになるということです。

 被災者の子供たちの中には目の前で人々が流されるという悲惨な現場を目の当たりにしたのですが、そのあまりにも衝撃的な体験から、その部分の記憶が失われ、厳密には深層に押し込められ、それが結果的には抑圧状態のストレスになるということです。

 その間の記憶が飛んでしまう。しかし衝撃的な経験は想起できないだけで残されている、それを意識化しないと抑圧状態が継続し精神的な障害になるということです。

 そのようなPTSDにならないためにはどうすればよいのか。そこで重要になるのが対話で、相手の話を聞く、相手の話に耳を傾け被害者が語りはじめることによって、段々と重荷が軽くなりストレスが徐々に解消されるようになって行くということです。昨年災害時の番組で哲学者(臨床哲学・倫理学)の鷲田清一先生は「話を聞く」ことの重要性を話されていましたがまさにこのことだと思います。

 桑山さんは心の傷は記憶の病と説明されていました。そして記憶がうまく整理されていないからPTSDになる。だからケアする立場にあるものは記憶との戦いだとも話されていました。

 くり返しになりますが、凄惨な場面、恐怖を抱きながら逃れた道すじ、それらの記憶がそっくり消える。消えるといっても無くなっているわけではなく、空白感でつじつまが合わなくなるそれが障害となるということです。番組では抜け落ちた記憶と向き合うことの重要性が語られたわけですが素人的にはその必要性はあるのかと思ってしまいます。

 番組の内容とは離れますが、過ぎ去った過去になぜ囚われなければならないのか。特に悲惨な体験ならばあえて思い起こすことが必要なことなのだろうかと考えてしまいますがそうではないということです。

 人の記憶は健忘があるもののある程度は順を追って、体験としての物語が出来上がりますが、そうならない、人間の自然の営みが阻害される、障(さわ)りとなる、やまと言葉の「罪(つみ)」という言葉の根元的な意味内容のようです。

 空白ではありますが、その時、その瞬間において間違いなく体験、経験している事実はある、意識化できないだけです。継続的な苦しみの体験ではなく、衝撃的な悲惨な体験、苦しみならば今現在ある私はそれをのり越えてきた存在なのですが、災害の体験はそういうものではありません。耐え忍んできたものではなく、衝撃による記憶の喪失です。それが不安となりストレスとなる。

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<ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」> 

 この番組は、
 2012年10月14日(日) 夜10時
 2012年10月21日(日) 午前0時50分 再放送

「永山則夫 100時間の告白」
 ~封印された精神鑑定の真実~
 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1014.html

で放送され、番組紹介では、

 1968年秋、全国で次々と4人が射殺される連続殺人事件が起きた。半年後に逮捕されたのは永山則夫、青森から集団就職で上京してきた19歳の少年だった。いわゆる永山事件は、永山の貧しい生い立ちから「貧困が生んだ事件」とも言われてきた。しかし、これまでの認識を再考させる貴重な資料が見つかった。
 永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
 100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。
 番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる諸問題について考察をめぐらす。

 1968年といえば私が中学生の頃の話で、けん銃による連続射殺事件がテレビニュースで報道されていたことを覚えています。永山被告人については、ブログで数行書いたことがあります。

人間の本性[2009年08月28日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/bd7152fca69612b84e5f2a805965149f

 NHK特集では、1009年10月11日 に「 死刑囚 永山則夫 ~獄中28年間の対話~」という番組が放送されも放送されました。彼は1997年に死刑になったのですが執行されるまでの28年間に、著名人や市井の人々との1万5千通を超える手紙でのやりとりから当時の時代や永山死刑囚のを取り巻いていた環境、そして、揺れ動き変わりゆく永山の人間像を浮き彫りにする内容でした。

さて今回の「永山則夫 100時間の告白 ~封印された精神鑑定の真実~」ですが、逮捕から6年後に永山死刑囚の精神鑑定が行われ、生い立ちから事件に至るまでを永山死刑囚に自由に語らせその心の動きを読み取ろうとした一人の精神科医の話しでもありました。

 カセットテープ45本これが100時間に及ぶ告白です。番組冒頭に肉声の彼の「独り」「独りになっちゃったんだね」「おれ自体も野たれ死にだって・・・」「何のために今まで生きたのかなって思ってね」「死に場所を探していたのかな二十歳まで生きてねそれ以上は生きないと覚悟してね」が流れます。あの『無知の涙』を書いた本人の声です。

 この記録を手元に残したのは、精神科医の石川義博(77歳)さんで、永山死刑囚の精神鑑定を担当した医師です。石川さんはイギリスで最先端の精神医学を学び当時日本の犯罪医学を担う人材として活躍されていた方だったとの紹介、しかしこの永山死刑囚の精神鑑定を鑑定書としてまとめ上げましたが、最終的にはその鑑定内容は採用されず、死刑が執行され、石川さんはそれ以降、精神鑑定にたずさわることを拒否続けてきたとのことです。

 石川さんの完成させた『永山則夫 精神鑑定書』は、「278日にわたって被告人本人の言葉を引き出した日本の裁判史上例を見ない鑑定書となった。」というもので、通常の医学検査の他に、家族の系譜、両親の結婚さらには犯行に至るまでの永山死刑囚の心神状態が詳細に書かれているものです。

 虐待された親が自分の子をまた虐待するという連鎖、この鑑定書の「生立ちと問題性」には詳細に語られ映像化されていました。起因は「ヨシ(母)は極めて不幸な生立ちの中で、温かな愛情に包まれて成長したため親としての役割を果たせず、永山家の二代にわたる悲劇が起きた」の中にあるのですが壮絶です。その後の幼少期の父母の不仲、父の出奔、唯一やさしかった姉の汚わいの印象とその死、父の野たれ死にの死体写真と父をけなす母の声・・・・。

 人は自分が愛されて初めて人にも愛情を注ぐことができる。母の懐の温かさ、愛情が安心感を育て、そのくり返しの中から人は人として自立していくものですが、それがそもそも欠如しています。

 「夢が壊された」「風船と同じだよね針もってパーンてやったらめちゃめちゃに」「そのころだね、何で俺生まれてきたんだろうと思ってね、何回も死のうと思った、ぶら下げたよ縄で・・・いつやろうかな、そればっかり考えてたよ」との永山死刑囚の言葉。

 鑑定書では、「長女(姉)の死と父の死は、自分は何で生まれてきたのかと絶望し自殺しようという原点になった。」

 抑うつ状態から、自殺念慮、常につきまとう自殺企図はそれを意味します。そのころからおとなしい性格の中に、妹を殴る暴力によって「自身がつく」と語っていましたが芽生えたようです。しかしそれは他人へもという形にはまだ表れていませんでした。

 15歳、中学を卒業、未熟な性格で社会でどのように人とつき合うかということを全く経験したこともないまま状況しますが、疎ましく思っていた母ヨシは、「則夫が出て行ったら赤飯を炊くだ」旨を言います。これもショックな言葉です。

 幼児期から芽生えた絶望と自己嫌悪は一層強まり自殺への思いが顕在し故郷に激しい反発と恨みを抱いて上京した。

 心の深い傷を負ったまま少年は、まず最初の果物屋さんで人一倍熱心に働き、その後他の店の責任者をも任されるようになります。人生とはどこまでも皮肉なもので、追い立てるように事が起ります。永山死刑囚には、上京する際に貧乏でしたから地元の呉服屋でワイシャツを万引きした過去がありました。このことをどこで聞き付けたかこの果物屋の店主が本人に「知っている」旨を話します。「万引きをとがめられた」そのことが「いつ辞めさせられるか」という不安感を醸成し仕事意欲を失わせます。

 こころの変遷、浮き沈みやる気を失い、荷物を置いたまま出奔、その後3年間の間に20か所の職場を転々し、熱心に働くものの荷物を置いたまま出奔をくり返します。

永山死刑囚
 「人間関係がダメになっちゃうんだね」
 「何人で話してて、俺が要ったらピタッと止まっちゃう、その瞬間、アレッと思てね。俺のこと話してたのかなっていうことあったね」

行き先々で生じる不安と猜疑心 人間不信の極まり・・・・。番組は続くのですが壮絶極まりない人生とその後の悔悛。

永山則夫事件 判決文抜粋
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/column11-nagayama.htm

というサイトに書かれているように、二審の高裁判決「1981年8月21日東京高等裁判所刑事二部(裁判長裁判官船田三雄)言い渡し。主文 原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。原審における未決勾留日数五〇〇日を右刑に算入する。」に際して石川さんの「永山則夫 精神鑑定書」は採用されましたが、その後はご承知の通りです。

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今朝は、このに番組から
PTSD(Posut Traumatic Stress Disorder)「心的外傷性ストレス障害・外傷後ストレス障害」に視点をおいています。上記の精神鑑定書には既に「外傷後ストレス障害」を示す記述がありました。

 手元に『トラウマの心理学 心の傷と向き合う方法』(小西聖子著)があります。この第3章「よみがえる心の傷・PTSD」冒頭に次のように次のように書かれています。
<>
 ・・・・トラウマによって起こる反応には、当然、さまざまなものがあります。PTSDだけに限られるものではありません。たとえば、具合が悪いけれど「障害」というほどではないという人もいれば、抑うつ的になる人もいますし、一時的に記憶がなくなってしまう人もいます。また、不眠症や摂食障害などの身体的な症状が生じるこ七も考えられます。PTSDは精禅的後遺症の総称ではなく、トラウマを受けたあとに起こつてくる精神障害のなかの一つにすぎません。

 けれども、PTSDは、トラウマティックな経験のあとに起こる障害のうちの中核的な部分をなしているとも言えます。トラウマとなるようなできごとには、戦闘体験や、性暴力や、事件・事故、犯罪被害、誘拐、監禁、虐待などがある、・・・・・・略・・・・・そのような体験の直後に多くの人が示す症状は、現在は、ASD(Ac已eStressDisorde∴急性ストレス障害)という名前でまとめられています。それが一か月以上持続して慢性化するときに、PTSDと呼ぶわけです。

<以上同書p53~p54>

最初の桑山紀彦医師の話しの中では、PTSDの三大症状は、

1)回避(Avoidanace)
2)侵入(Intrusion)
3)過覚醒(Hyper-arousal)

回避についておもに話されていました。余りのも負担の多さに事件・災害等の事実自体を忘却してしまう、その思い出しにより心的障害をやわらげていくというものです。

 参照した小西聖子さんには、「過覚醒」が「過剰覚醒の持続」として語られていました。「持続的な覚醒亢進」という常にリラックスすできない、緊張しているという症状。いつも緊張状態であるためにイライラして、すぐに怒ってしまう。感情が不安定であるという症状も見られる。ということであくまでも患者として、戦闘体験や、性暴力や、事件・事故、犯罪被害、誘拐、監禁、虐待の被害者としての話しです。

 あくまでもPTSDに視点をおいての話で、「永山則夫 精神鑑定書」の鑑定内容を知る中で思うことは、被害者であり加害者でもある一人の数奇な運命の死刑囚です。

 過去は何を示すのか、過去は過ぎ去ったものですが、歴然として現在に集約されている。忌まわしい過去であり、耐え抜いた過去でありさまざまな形で体験、経験してきたものがあるということです。

 「過去は財産である」その「財産」の意味するところは打ち消すことができないすべてが含まれている、ということです。陰陽、悪善、表裏一体の全てが含まれるということです。

 「打たれた傷によって」何を学ぶか、幼少期からの意味理解は不可能に近いものがあるのが、今回の二つの番組から学びとった「リアルな証明」でした。

※番組を見ながら、打ちながら、読みながらで文章に継続性がないかも知れませんが、あくまでも個人メモとして書きました。

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