一段と秋が深まり奥山の紅葉がそろそろ山ろくの入口まで下りてきました。一昨日の夕方上高地に雪、通行止めとのニュースがあり朝の気温もかなり下がってきました。
この様子だと北アルプス常念岳は雪になると思い、通勤の際に見てみると積雪となっていました。
東から昇る太陽の光に雪が輝くところがとてもきれいなのですが、残念、山頂付近に雲があり輝きは見ることができませんでしたが、白いことだけはわかりました。
最近は「人生には意味がある」という命題に何かと興味がむくようになり、書店へ行ってもこの手の本を手にすることが多くなりました。天台宗の行者の酒井雄哉阿闍梨さんの著書が目にとまりました。一か月前にEテレの「こころの時代」に出ておられたことを以前ブログに書いたように思いますが、表紙の顔写真にも惹きつけられて手にして読み始めると、余りのもその読みやすさに驚きいっきに読みたくなり購入しました。消費税込みで丁度1000円になります。
子どもさんにも読めるように話しことばで、頭を抱えるようなことは書いてなく、いわゆるストンと身には入る話が書かれています。
今朝はその中から太陽が東から昇るという話から、第二章の「生まれてきたのは、なにか役割があるから」の冒頭の話しから「東西南北」の話を書こうと思います。
酒井大阿闍梨には三人のお師匠さんがおられたそうで、そのお一人から教えを受けた話です。「こころの時代」でも同じ話をされていたように記憶していますが、「アハー体験」と言いますか、「なるほど体験」、「なるほど知識」です。
最初のお師匠さんからの宿題、紙の真ん中に「日」と文字が書かれていて、周りに東西南北の四文字が書かれた紙片、それが渡され「明日までに考えてくるように」と言われたそうです。
今でもよくわからないといいながらも「『人間は、何をしにこの世にきたのか?』ということを問いかけているんじゃないかと思うんだ。」と、次のように説明されていました。
南=な
西=にし
北=きた
と読め、「お日様は東の空から昇るよね。だから、お日様が昇る東の空から、『なにしにきたのか?』ということを毎日問いかけられているじゃないかな?」 というわけです。
どうもお師匠さんからは、正解を示されていないようですが、正解がないことも深い話ですが、この大阿闍梨の解もなかなか「なるほど体験」話です。
「なんとためにこの世に生まれていたのか考える」
個人的な解釈ですが、難しい言葉で言えば「存在」と「当為」という哲学的問です。「在るべきことと為すべきこと」「生まれてきた存在、そこにはおのずと為すべきことがある」そんな問いです。
お日様が昇るということは、お日様は、いつも、毎日わたしにそういう問いかけをされているということです。これ以上余計な話は書かないことにします。
一気に読める本で、何回も反復すれば、すべてが身に付き誰かに話したくなる、そんな気がします。ということで今朝はこの話を選びました。