思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

自分の心の主人たれ・普遍的真理

2011年03月09日 | 仏教

 <昨日の昼間、松本市街地から扉温泉方向を望む>

 昨日に続き、東京都世田谷区にある月読寺の小池龍之介住職が書かれた、『超訳ブッダの言葉』(ディスカヴァー)を紹介しながら話をしたいと思います。

 法句経は、ダンマパダとも呼ばれ南方上座部仏教いわゆる今では言われなくなった小乗仏教の国で親しまれている原始仏典で、日本では友松圓諦氏により戦前から親しまれていたものです。


<『超訳ブッダの言葉』から>

 自分の心の主人たれ

 君は、気味の心の奴隷であることなく、
 君の心の主人であるように。
 君こそが君の最後のよりどころ。
 自分以外の何にもすがらず、自分の心を調教する。
 まるで自分の仔馬を丁寧に調教するかのように。
 「法句経380」

 多くの人が知っておられる「自燈明」は

 おのれこそ おのれのよるべ
 おのれを措(お)きて だれによるべぞ
 よくととのえし おのれにこそ
 まことえがたき よるべをぞ獲(え)ん

法句経160です。(講談社 真理の詞華集『法句経』友松圓諦著から)

ちなみに友松圓諦先生の法句経380は、

 おのれこそ おのれの救主(あるじ)
 おのれこそ おのれの帰依(よるべ)
 されば まこと 商侶(あきゅうど)の
 良(よ)き馬を ととのうるがごとく
 おのれを制(ととの)えよ

です。
 よるべ=帰依 と友松圓諦先生は訳されています。「帰依」という言葉、自ら思うと小池住職の訳のようにもなります。漢訳原典には使われていませんが、この二語を自らの力で考えてみるのもいい良いかもしれません。

 太平洋戦争終結後、昭和26年のサンフランシスコ講和条約調印の際にセイロン(現スリランカ)政府代表のジャヤワルデネ(後に大統領にもなっています)が、声明を読む際に法句経を引用した有名な話があります。

 この世において、怨(うら)み返すことによって
 怨みが鎮まるなどということは決してない。
 怨みをもたないことによって鎮まるのである。
 これは永遠の真理である。
 「法句経5」

 この話は、NHK出版の『ダンマパダ 心とはどういうものか』(松田愼也著)に書かれています。戦前訳は、

 まこと、怨みごころは
 いかなるすべをもつとも
 怨みを懐(いだ)くその日まで
 ひとの世にはやみがたし
 うらみなさによりてのみ
 うらみはついに消えゆるべし
 こは易(かわ)らざる真理(まこと)なり
      「上記友松圓諦著『法句経』から」

小池龍之介住職は、

 攻撃には「肩すかし」をもって返す 
 他人から攻撃されたとき、気味もまた攻撃をもって返すなら、気味の中の恨みも相手の中の恨みも静まることなく増幅しあい、無限に連鎖してゆくことになる。 攻撃を受けても「まあ、いっか。恨まないよ」という肩透かしをなげかえすなら、互いに恨みは静まりやすまる。 これは、永遠の普遍的真理。
「法句経5・上記小池龍之介著『ブッダの言葉』から」

戦前と戦後というよりも現代訳それぞれにとても心に残る偈です。

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