思考の部屋

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NHKこころの時代・少年は荒野をめざした・古賀正一(1)

2011年09月06日 | こころの時代

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 格闘技の世界では知らない人はいない。

 サンボの神様、ビクトル古賀

 本名は古賀正一(79)。1935年に満州国の北にあったこの方は、ハイラルという町で軍隊の防寒服を扱う仕事を営む父とロシア人の母との間に生まれました。

 ロシアの国技であり格闘技の「サンボ」のソ連スポーツマスターの称号をもつ元世界チャンピオン。

 関節技を主に、相手の組手や組みに来る姿勢を巧みに利用する独特なスタイルで相手を崩し制する通称古賀流と呼ばれる技の創始者です。





 NHK総合の日曜早朝に「こころの時代~宗教・人生~」という番組があります。時々問うブログでも印象深い番組を紹介していますが、6月4日に「少年は荒野をめざした」という古賀さんこころの軌跡を紹介されました。今朝はその話を書こうと思います。

 いまだからビクトル古賀と分かるのですが、番組を見るまでは古賀さんを全く知らなかった私です。わけのわからないおじいさんが何か言っている程度で録画しておき、最近観たところ、その人生の歩みに驚いてしまいました。

 戦争が生んだ悲劇、そのような視線で見ると第三者的な感慨に終始してしまいますが、自分がその場にある視線で、共にその軌跡を歩むと何か人生の歩みの底力(そこちから)を頂けたように思いました。

 古賀さんは敬虔なロシア正教に信者です。当時のハイラルはソ連革命を避け亡命したコサックの人々が多く住んでいました。





古賀さんの母クセニアさんの父はコサックの長老です。



 番組はニコライ堂の復活祭の風景から始まります。



 古賀さんの口から次の言葉が語られます。

 ゴスパチフアミールュ(神よ平安を与えたまえ)

【古賀さん】

 平安をくださいという言葉は、子どもの頃から言っている言葉で、今日(復活祭)ではあまり言っている人いませんでしたが、平安を祈るということは生きている人にも、亡くなった人にもいう祈りのことばですが、最初に覚えたロシア語ではないかと思います。

 コサックは何時も何でも「ありがとう、ありがとう」、僕もそうですがいつも感謝の気持ちがあります。

 自然に感謝、それからその日に感謝、そのほか束縛されない感謝・・・日本人もそうですよ。神仏を愛したり、月などを愛したり・・・非常に似ているところがあって好きですよ。

 両方の血が入って入ることを凄く自分に都合よくとっています。少し差別されたりからかわれたりいじめられたり・・・しょうがないですよ。

 ルスキー(ロシア人)と呼ばれても母がルスキーなんだから気にしないのです。

 自分は今でも樹木(き)とか草とか犬なんかを何となく日本語でしゃべるんですよ。知らない人が見れば「あいつは変だ」と思うかもしれませんが、何となく言葉が通じるのではという気がしてついしゃべってしまうのです。

 今日も風・雨が強かったけれど、牡丹の花が一輪咲いているんです。今日はパスカ(復活祭)だしきれいに咲いたよとお礼を言います。

 本当に子どもの頃から「ありがとう」、「ゴスパチフアミールュ」と今でも一日何十回もいう癖がついていますね・・・。

現在古賀さんは浦賀水道を臨む横須賀に住んでいます。

 古賀さんの母型の祖父はコサックの長老であることを話しましたが、ロシア皇帝時代は近衛兵として活躍された方で、古賀さんは学校に通う傍らこの祖父にコサックの伝統教育を受けたそうです。

 6歳になると馬に乗れなければならない義務があって馬とともに暮らしました。馬を蹄の掃除から大きな馬を相手にするのですから自然と馬の関節を利用して馬を言うなりに操る術を学びとっていたようで、それが将来のサンボの技になるわけです。

 コサックの人たちの多くは敬虔なロシア正教の信者で教会が生活の中心にありました。古賀さんは祖父や母に連れられて行っていた教会で洗礼を受け、76年間持ち続ける古賀さんの信仰の原点ここから始まります。

 1945年8月9日、ソ連は突然満州国に攻め入ってきます。ソ連の共産革命を逃れてハイラルで平和に暮らしていたコサック人々にも不幸が訪れます。日本人ばかりがだけではなくコサックの人々もソ連軍にとっては敵です。

 大事なおじいさんは捕まり銃殺され、古賀さんは家族とはぐれてしまいます。そうです古賀さんは10歳で一人になってしまうのです。決意したことはお父さん故郷である福岡に変えることです。

 10歳で終戦。命からがら日本の故郷、古賀少年が、福岡まで引き揚げてきた話が始まります。

 このソ連軍侵攻で、実に引き揚げの過程で17万人の日本人が死亡・行方不明になります。想像を絶する満州から日本までの引き揚げ。何と1500キロの道をたった一人で歩いて日本へ帰る。

 どうして歩きなのか、引き揚げの日本人は古賀さんをなぜ、歩かねばならなかったかというと、古賀さんがハーフですが、ルスキー(ロシア人)だったからです。すなわち「露助」と蔑まれ、日本人の引き揚げ集団から入ることを拒否されたわけです。

 古賀さんの凄いところは、そんなことではめげない、コサックの血がそうさせない私にはそう見えました。数段で引き揚げなかったことが逆に、感染症への罹患を免れてることにもなったわけで何が幸いするか分かりません。

 番組は、途中での日本人虐殺の目撃などの話が続き、日本までの帰路をたどりますが今朝はここまでとして続きは後日書きたいと思います。

 気が狂わんばかりの大変な苦難です。しかも10歳の少年です。「少年は荒野をめざした」という題の意味が本当に理解できました。

 眼前で起こる事実、惨事どうしようもないことですが、それを後押ししたのが信仰でした。自然とともにあるコサックの敬虔な神の信仰でした。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わが師匠は凄い (ビクトロビッチ)
2011-09-16 08:38:15
流石、ゲロイビクトル古賀!!
返信する
コメントありがとうございます。 (管理人)
2011-09-17 06:59:23
>ビクトロビッチ様
(2)を書く予定です。
コメントありがとうございます。
返信する
楽しみです (ビクトロビッチ)
2011-09-18 10:10:49
昨日、古賀先生に電話をしました。
少し調子が悪いと言われていました。
先生の事なら何でも聞かれてください。
スパシーバ
返信する
お体を大切に (管理人)
2011-09-18 19:12:21
>ビクトロビッチ様
 番組では手首の負傷部分に痛みがあるように言われていましたが、体調が悪いということで心配ですね。
 古賀先生の心にはコサックの血と教え、ロシア正教の教えがあり、先生はそれがまた日本の風土にも重なる部分がある旨を話されておられました。
 大陸で見た事実、先生はそれを身体(精神)で見ていたように思います。だから耐えることができ、日本に来ることができたのだと思います。
 度重なるコメントありがとうございます。
返信する
スポーツマスター ビクトル古賀 (ビクトロビッチ)
2011-09-19 07:48:24
 古賀先生は昨年の12月18日に脚立から転落し、顔面骨折、両手首を骨折されました。この時ばかりは、ビクトル先生の弟子軍団は、少し諦めました。しかし先生の精神力は凄く、信じられないぐらいに回復が早かったです。
 今年の1月18日に先生は退院されました。退院された日に自宅に電話をし今帰ってきたぞ!ありがと。心配するな大丈夫と言われたことを今でも覚えています。
 先生は調子は良かったり悪かったりの繰り返しをされていますが、私の質問には全て答えて頂きますし、相談にも親身になって乗って頂きます。
 これからも先生と一生交流をさせて頂きます。
 先生に現在76歳です。
 これからまだまだ元気でいて貰い、長生きをして貰いたいと思います。
 サンボの神様、ビクトル古賀先生は永遠に不滅です!!
 来年先生に会いに浦賀まで行きます。
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