思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

さすらいの唄・この街で・イマジン

2010年11月06日 | つれづれ記

                               (YouTubeから) 
大手動画サイトYouTubeに投稿された尖閣列島沖で展開された中国漁船の巡視船「同が動画6本で約44分間にわたるもの、一部見てみましたが保安庁関係者が本物に近いと証言しているとのこと、まあ本物なのでしょう。

 昨日はそんな話題がニュースは一日中、ワイドショーもこの話題が中心のようでした。見たいものが見れなくていざ見せられると、中国の侵犯問題はどこへやら、流出経路と公務員の守秘義務が問題となり、公務員叩きがまた始まりそうです。

 それにしても動画サイトのYouTube、便利なものがあるものです。聞きたい曲、あの頃あの時の歌、思い出の歌がすぐに聞けます。

 このサイトで一番びっくりしたのが「さすらいの唄」という北原白秋作詞の歌です。私の実父は若い時から満州にわたり青春を謳歌していたようです。その父はすでに亡くなっていますが、テレビに中国語やロシア語が流れると「・・・・・と言っている」と話びっくりしたことがあります。

 実はこの「さすらいの唄」は、森繁久弥さんが歌っていた歌で、

北原白秋 作詞
中山晋平 作曲


行こか戻ろか北極光の下を
ロシアは北国はて知らず
西は夕焼け東は夜明け
鐘が鳴ります中空に

                    
                                 (YouTubeから)

泣くにゃ明るし急げば暗し
遠いあかりもチラチラと
とまれ幌馬車やすめよ黒馬よ
明日の旅路がないじゃなし


燃ゆる思を荒野にさらし
馬は氷の上を踏む
人は冷たしわが身はいとし
町の酒場はまだ遠し


わたしゃ水草風吹くままに
流れ流れて果て知らず
昼は旅して夜は夜で踊り
末はいずくで果てるやら

と何とも寂しくもあり、荒涼としたロシアの大地が目に浮かぶような歌です。

 父がこの歌を私が小さい時からよく歌っていたの思い出すのです。この曲は大正6年の歌で父は大正3年生まれですから。独身時代の若いころに信州の片田舎の家を飛び出すようにして中国大陸に渡ったと話していました。

 その後現地で召集され軍隊に入りその後は満州鉄道に就職、満州国の皇族の警護を担当していたようでした。

 この「さすらいの唄」からすると終戦後のシベリヤ抑留の情景が浮かびそうですが、この歌はそれ以前20年前の曲ですから、悲惨なイメージを受ける曲ではそもそもないのです。

 YouTubeで聞く森繁久弥さんの曲は、シベリヤ抑留のイメージとして囚われますが、少なくとも父のイメージは違ったようでした。

 父は終戦後中国の国民軍に捕まったそうですが、捕虜生活はなく車両の整備ができたそうでその技術を教える仕事で難を逃れたと話していました。

 中国語とロシア語その他に朝鮮語も知っていたように思います。非常に疑問に思ったのはロシア語でどこで覚えたのかが疑問でした。その答えが何のことはない話で、ロシア人の家に下宿していたと話していました。

 かつての満州国は中国人と一部朝鮮人の方々そして日本人だけだったのかというとそうではなく、満州国はロシアとの国境を接する国で不可侵条約も締結されていたこともあり多くのロシア人も生活していました。逆に太平洋戦争が始まる以前は自由にロシアの地を日本人が行くこともできたのです。

 父も若い時はさすらい人ですからロシアの大地を旅したのでしょう。

 そんなことで、夕べは思いがけなく「さすらいの唄」を聴きました。私は勿論言ったことはないのですが、先ほど言いましようになぜか荒涼とした大地が浮かぶのです。

 今は国境が、問題視される世の中、よき時代とは言いませんが国境は重い問題です。、


          森繁久彌 さすらいの唄
   http://nagomi-web.com/senzenkayou/senzenkayou_60.html


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 「国境」という話が出ましたが、過去に「この街とイマジン」という題で「国境」に触れたことを書いたことがありました。今朝はその記事も追加で掲載したいと思います。

 新井満さんの「この街で」という曲とジョンレノンの「イマジン」という曲の話で当然YouTubeで聞くことができます。

                    


 土曜日の午前中にラジオのスイッチを入れると、NHKこころの時代新井満(あらいまん)さんの話が流れていた。
 
 「この街で」 「ジョンレノンのイマジン」そして「千の風になって」翻訳、作詞にいたるお話で、心が温まる放送でした。

 これまでは、新井さんといえば、「自由訳般若心経」と「千の風になって」の著書で知る程度でしたが、今回のこの番組でその声、歌声等を聞き「こころの自由な人だなあ」という直観的な印象を受けた。

 「この街で」という曲は、ペンクラブ「平和の日」が松山市で昨年3月開催され、新井満さんが松山市の『だからことばの大募集』で市長賞を受賞した、桂綾子さんの「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」という詩に感動し、この詩の観念的な部分をベースに作詞し「平和の日」当日、三宮麻由子さんのピアノ伴奏に新井満さんが歌うという、まさに即興で生まれた曲とのことです。

 この街で生まれ、この街で育ち、
 この街で出会いました、
 あなたとこの街で。
 この街で恋し、この街で結ばれ、
 この街でお母さんになりました、この街で。
 あなたのすぐそばに、いつもわたし。
 わたしのすぐそばに、いつもあなた。
 この街でいつか、おばあちゃんになりたい。
 おじいちゃんになったあなたと、歩いてゆきたい。

 そんな内容の詩が続く曲で新井さんの味のある歌声がその詩にマッチしている。
この詩は、松山市で生まれ曲も松山市で生まれたが、松山市の地名等は出てこない。どこの街でも歌われても自由なのである。

 この曲を聴くと自分の好きな情景が浮かぶ、そこには感情までがついて来る。
 求めるものも捨てるものもない。ただ温かい包まれた感覚だけを受ける。
 人間の求めるのはこれだけで、その他には何もいらない。

 長野冬季オリンピックで、新井さんがイメージプロデューサーを務めた際にジョンレノンの「Imagine イマジン」を開会式のコンセプトにふさわしい音楽とし選び自由訳を行なった。それは結局他の者から反対され実現することはなかったが、その後トリノ冬季オリンピックの開会式ではジョン・レノン夫人のオノ・ヨーコが平和のメッセージを読み上げピーター・ガブリエルがイマジンを歌った。

 業縁でしょう全てはそこにある。新井満さんは、自由訳の「イマジン」の出版を決断した。オノ・ヨーコは絶対に許諾しないとの声に、縁は完成される。オノ・ヨーコ感謝の言葉を受けるのである。
新井満訳「イマジン」朝日新聞社発行 ジョン・レノン&オノ・ヨーコ作から

 さあ イメージしてごらん
 心の中で想い描いてみてごらん
 もう誰も欲張ったりしない
 もう誰もうばいあったりしない
 だから もう誰も飢えて死んだりしない
 全ての人々は
 ゆずりあいわかちあい
 兄弟姉妹になる
 ひとつの家族になる

 もしかすると君は言うかもしれない
 そんなの夢さ
 現実はもっときびしいんだぞ
 でもね こんなふうに考える人間は
 ぼくひとりだけじゃないんだ
 ほかにもたくさんいるんだよ
 君も仲間になってくれないかな
 そしてどんどん仲間がふえたなら
 いつかきっと
 世界は
 ひとつになる

 新井さんは、放送の中で一つの家庭、一つの街、一つの国と「この街で」のイメージで成り立てば、それでいいのだという旨のことを言っておられた。安易に妥協ではありませんが私もそう思うのです。
 

 この街のイマジン

 この街に生まれ、この街で育ち、この街で家庭を作り、
 この街でみんなが仲良く暮らす。 
 ただそれだけのことだけ。
 想像してごらん。
 それを作るのは今そこにいる自分がはじめだ。

 宇宙から地球の大地を見ると国境なんかない。
 国さえ存在しない。天国も地獄もない。
 兄弟という仲間が大地に住み、無所有だから欲することもない。
 宗教もない。当然神様もいない。

 本当はそうなんだが、なぜか国境を作り、国家を作り、
 天国、地獄を作り出し、
 仲間はずれをしたり、いじめたり、
 殺し合いをしたり、貪欲に走る。

 そして神さまを創造し助けを求め、宗教を作った。

 自分が今、そこで、
 何を思い何をしようとしているのか、
 それを見つめるだけでいい。

新井さんのイマジンなのですが、心を打つものがあります。

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