「他力と自力」というと、そんな題名の五木寛之さんの本があったなあと思う今日この頃。 雨降りが続きジョギングができないでいたが、午後、ジョギングを行なった。
最近は、浄土門に興味をもち関係の書籍を読み漁り、また、とある会にも出席してみた。「仏敵」という伊藤康善師の求道物語からは、「獲信」というものがどのようなものかを知ることができた。
親猫にくわえられた子猫が浄土門に譬えられ、親猿にしがみつく小猿が聖道門に譬えられる。
人間の赤ちゃんは、しっかり母親に抱かれる。
人間には猿と違い母親にはしがみつく長い毛がない。
赤ちゃんは、握る力はあるが、しがみつくほどの力はない。しかし、そのうちに力もつき、母親に抱きつき、抱かれる。
どうも人の世は、他力も自力もなくすべてが一つである。
煩悩がこんこんと湧き出てきて妄想、想念がよぎる時には「南無妙法蓮華経」と称え、現在説法を聞いた時には「南無阿弥陀仏」と称え、あるがままにあるときには、身心脱落に身があったことを後に知る。
急坂で苦しく、雑念がよぎる時には「南無妙法蓮華経」を掛け声に、自然の美しさに感動する時には自然に「南無阿弥陀仏」が気持ちの中から沸き出でて、やがて声に出る。
善智識に頼りきりになると、分別に身を落とす。
お釈迦様は、私に代り修行をされ大きな導きを与えてくれている。
それを智慧で分かれば自灯明。
大きな導きの拠り処の中で、拠り処は自分であると知る。
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