思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

お陰様と仏心

2005年07月12日 | 宗教

 7月10日(日)午前5時のNHK教育こころの時代(宗教・人生)を見た。
 この日のゲストは、曹洞宗無量寺住職愛知専門尼僧堂堂長青山俊董さんで、「今をどう生きるか」というお話であった。
 番組の中で青山さんが語られたお話の中に、京都駅から乗ったタクシーの運転手さんの話があった。(「無相庵」という大谷国彦さんのホームページにも「さいわいに」という題で掲載されています。)

 K寺でお話をするべく京都駅からタクシーに乗った。
 「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と運転手さんが語りかけてきたので、「どうぞ」というと、こんな話をしてくれた。
 「私は高校三年のとき、両親を一緒に亡くしました。町会でフグを食べにゆきその毒に当たって一晩で亡くなりました。
 その朝はお弁当をいただいてゆく日で、いつもなら母が早く起きてお弁当を作って下さるのにその朝はいつまで経っても物音一つしない。
 おかしいなと思い、そっと両親の部屋の戸を開けてみると、さんざん苦しんだあとを残して、二人とも息が絶えておりました。親戚の者が駆けつけ葬式は出してくれました。
 借金こそなかったけれど、一銭の貯えもありませんでした。父が出征していたために、ずっと年の離れて五歳の妹がおりました。
 子供二人では家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出しました。私は妹を連れ、最小限度の荷物を持って、安い六畳一部屋のアパートを借りて出ました。 とにかく両親に代わってこの妹を育てなければならない、と思いまして、私は働きました。さいわい就職が決まっておりましたので、朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトと働き、二十二、三歳のときには、小さなアパートを買うほどの金はつくりました。しかし考えて見ますとこの間私は働くことしか考えず、台所も掃除も洗濯も何もしませんでした。五歳の妹が全部したことになります。
 
「おしん」というドラマがありましたね。おしんさんは別じゃありません。私の妹だってやりました。人間、そういうところにおかれるとやるもんですね。
 
考えて見ますと、私などもし両親が生きていてくれたら、今頃、暴走族か突っ張り族かろくな人間にしかなっていなかったと思います。
 両親が死んでくれても、財産を遺してくれたら、甘えてしまって今の私はなかったと思います。一人ぼっちだったらやはり駄目になっていたでしょう。
 両親が死んだ、金はない、家主が追い出した、幼い妹がいる。私は本気にならざるを得ませんでした。
 私を本気にしてくれ、男にしてくれ、大人にしてくれたのは、両親が一緒に死んでくれたお陰、財産を遺してくれなかったお陰、家主が追い出してくれたお陰、幼い妹をつけてくれたお陰と感謝しております。 妹には勉強机ぐらい買ってやりたいと思いましたが、六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおいては寝る場所がなくなるので、食卓と勉強机を兼ねてもらいました。新聞一枚散らかしておいても寝るところがなくなりますから、妹は整理の名人になりました。今幸いに大きな家に御縁を頂いて嫁いでおりますが、きれいに整頓されております。 妹がよい御縁を頂いて花嫁衣裳を着たときだけは泣けました。両親に見せたかったと思いましてね。何もかもありがたいことであったと、朝晩に両親の位牌にお線香をあげさせてもらっています」


という話である。
 
 自分の人生で遭遇する「不幸」を「お陰さま」で「幸い」に受け止める。  
 不幸の時に幸いと受け止めた訳ではない。今に思うとそのように受け止めることができるという話である。  

 青山さんも語られているが、「一日一日、瞬間瞬間、熱心に生きる。」ことの重要性を教えられる。  そしてその時に強く感じたのは「仏心」である。後付のように「仏心」で済ませてよいのか解からないが、運転手さんの生まれて今日までの内心にある「仏心」を考えないではいられない。  
 誰の心にも「仏心」はあると盤珪和尚はいう。
 はたして私の心の中にも同じようにあるのだろうか。  
 身を整えて一日一日を熱心に生きたいものである。