1日の終わりに ~森真理マンドリン教室~

マンドリンと共に暮らす日常のあれこれを、ほぼ毎日綴っています。

腹に力を

2012年05月11日 | Weblog
昨日は雷がすごかったそうです。
私は辻堂(テラスモール湘南)でレッスンをしていました。
レッスン室からは外の様子はわからなかったんですが、突然の停電。
どうやら雷が原因のようでした。

レッスン室の明かりは消えなかったけれど、ドアの外は真っ暗。
防災センターからアナウンスが入り、緊張しました。

が、しかし。

動揺する私とは正反対で、生徒さんは手を休めることなく課題を弾き続けていたのです。
年配の方はさすがに肝が座っている。
停電くらいでは動じないんですねー。すごいな。
館内は部分的にあちこち停電していたようです。5分程度で復旧模様でした。

アナウンスが入った、と書きましたが、その内容が少々謎でした。

「ただいま シュンテイ が起きました」

シュンテイ??
・・・と考えて、やっと「瞬停」だろうとわかりました。
瞬間停電。
実際は瞬間ではなかったですが。

でもアナウンスで省略言葉を使うのはどうかなぁ。
肝心なことが伝わらない。
部内者の呼び方なんだろうし。


さてさて、タイトルはレッスンでのことです。
自分が受けているほう(ほう、という言葉は好きじゃないですが、この使い方は間違ってはいないですよね)のレッスンです。

ものすごい重音や、速弾きのパッセージなど、弾くことに一生懸命なところや派手なところではなく、音符的には単純なところの演奏。
たとえば、全音符のトレモロなどですね。
体力を使うような長い曲の場合は特に、そういうところで「体力温存」、または「しばしリラックス」になってしまうのではないか、ということです。
なんとなく、気が抜けたような、「無」の感じになりがちではないでしょうか。

人の演奏を聴いていてそう思うことがあるので、自分も同様なんだろうと思うのです。
音楽ではどんな音符も手を抜いていいようなものはないはず。
でも、なんだかただ音を伸ばしているように聴こえたら、気持ちが抜けているってことなんですよね。

片岡先生からは、そういう部分では特に腹筋を意識して、と言われました。
私は演奏姿勢がいい(と思う)ので、お腹もだいじょうぶと思っていたんですが、気にしてお腹に力を入れて弾いたら、先生が
「ほら、音が全然違うでしょう」と。
確かにそう思えました。
私のお腹はだらけていたんだなー。

曲の中で、音符数が少ないところほど、本当のところは表現が難しく、演奏者の味が出るところだと思います。
そのへんをより一層意識していこうと思います。


余談ですが、レセプショニストの仕事は、常に「感じのいい笑顔」が基本です。
クローク業務のときなど、お客様からの荷物を持って後ろに下がるときなどに、真顔に戻りがちなんです。
でも、そういう横顔も見られていると意識して、真顔(無表情)にならないように指導を受けています。

聴いている人がなんだか退屈に感じるときは、演奏が無表情になっているんですね。
それだと、音楽ではなくて技巧練習を聴かされてるような感じなんでしょうね。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする