1日の終わりに ~森真理マンドリン教室~

マンドリンと共に暮らす日常のあれこれを、ほぼ毎日綴っています。

演奏のアクションについて考える

2008年01月23日 | Weblog
雪の朝でした。
「雪だよ」
と子供たちを起こしたら、2人とも
「わーい」と言って外を見ました。
身体は大きいけれど、まだかわいいなぁ。

私はヨガの予約をキャンセルし、雨がやむまで外出を控えました。
寒いんだもん。
夕方になってやっと行動した次第です。
仕事がない日でよかった。

さて、友人からこのような質問(意見?)をいただきました。

♪♪♪♪♪

私は、必要以上に演奏中アクションをしているところを見ると、一気に気持ちが萎えてしまいます。
特に右手・・・。
なんであんなふうに振り上げるのか??
そんなことをして、演奏にどんな効果があるんだろう?
ビブラートなら左手の問題だし。
多分、音色が客席に届きますように!
みたいな願い?が、あの右手から発せられるのかもしれませんが、個人的にあまり好みません。

なんか乱暴に見えるから。
もっと音符1つ1つを大事に弾きたいから。
シルベスさんは、どう思う?

♪♪♪♪♪


うーん、そうですね。
あまりに大げさなのは確かに「引く」時があります。
ちなみに私は、「どーだ、参ったか奏法」と名付けています。
流れもなく不自然に右手を振り上げられると、わざとっぽいですね。
「やってます」のアピールかと思うとしらけます。

でも逆に、まったく無表情で飄々とした演奏は、見ていてちょっとつまらないものです。
本番のステージでありながら、まるで自宅の部屋で弾いているかのような様子ってのも・・・。

今、「のだめ」を読み返しているんですが、たまたま千秋がラフマニノフのコンチェルトを弾く練習をしている回を読んだところなんです。

シュトレーゼマンは、千秋に「魅せる演奏をしろ」と指示。
今のままじゃおもしろくない、と。
「もっとくねくねもだえるように」と言われて、自分の中ではじゅうぶんもだえているのに、それが伝わらないもどかしさを感じる千秋・・・。

鶏が先か卵が先か、のような話になってしまいますが

・伝えたい想いがあるからアクションに現れる
・アクションをすることでより伝わる
・アクション無しでは伝わらない

CD等、映像のない演奏でも感動することを考えれば、「アクション無しでは伝わらない」ということはないですね。

やはり、内なる気持ちが溢れ出て見た目の動きに出る、というのが自然のなりゆき(?)かと思います。
はじめにアクションありき、ではないと思います、私は。

でも、マンドリンってほとんど動きがないから、マンドリンオケの映像を遠目に見ていると、盛り上がってないような印象を受けます。
ボレロのときは、「わざとでもいいから大きなアクションで」と指揮者に要求されたっけ。
確かにそのほうが気分も高まって、お互いの相乗効果でいい演奏ができるような気もしました。
そういうのも、ありだな、と。

結論としては、目に余るようにわざとっぽい動きじゃなければ、私はアクション容認です。

「一音一音大切に弾く」様子も、アクションのうちかと思います。
コメント (5)
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