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PARIS (2008/仏)(セドリック・クラピッシュ) 80点

2009-01-21 12:45:23 | 映画遍歴
人生って何なんだろう。別に構えて考えているわけではないが、恐らく人は毎日の生活を通じて少なからずこんなの俺の本当の人生じゃない、とかもっと別の生き方があるはずだとか考えることが多いだろう。

この映画は心臓移植を宣言された若者が今までの人生のすべてのヴェールを剥がし、透明の気持ちで世の中を眺めると、パリという街中の光景がまるで違ったものになり、そこには人間味溢れた生活臭があり、恋があり、哀しみがあり、そしてその営みこそが何より人生の真実だと言うことを知るのである。

映画は過去記憶にないほど膨大な登場人物が出てくる。ほとんどがそこらにいる大衆であり、気取った人はいない。みんな毎日あくせく生活をしている。ほとんど劇的なものは発生しない。ただ普通のパリ人の一般的な日常を切り取ったものである。だから映画的には内容的に退屈でさえある。俳優が演じてはいるが本当に僕たちの過ごしているかのような日常生活が繰り広げられている。

そこには新しい発見もワクワクするような羽ばたきの気持ちもそれほど見られない。生きるってことはまず生活をしなければならない。そのために人は生活の基盤を強固にしようとする。それに追われている間は、人は起きて食べて働いてそして時間が来てただ眠る。その繰り返しである。その合間に何か人生上のプラスアルファがそれぞれに発生するかもしれないが、だいたい人間ってそのように生まれ、そのように老いて死んでゆく。

明日がない若者は医者からの宣言で、今までの怠惰な人生がまさに人生そのものであり、退屈であっても、苦しいばかりであっても、それはそれで明日と言う希望があり、生への営みを続けられるという何よりの幸せが今までそこにあったということに気づく。

だから雑多の大勢の人たちの営みは映像では退屈以外の何者でもないと感じる人もいるだろうが、この退屈な営みが本当は何よりの至福であるということに観客は気づかされる。

ラストの、病院へ行くためにタクシーから見える風景。真横の風景。斜めから見えるパリの街角。知っている人がいる。眺める。自分はもう明日にはいないかもしれない人間だ。見える光景すべてが透けて見える。だんだん身体を崩して斜め前から空が見える。パリの淡い空だ。明日、俺はどこにいるのだろう、、。この高い空にいるのだろうか、、。それともまたみんなと同じような喧騒に満ちた退屈な日常に埋没しているのだろうか、、。青年は手術を受けるために最後になるかもしれない自分ひとりだけの空間をタクシーに見出している、、。見終わってからじんわり来るいい映画です。

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