Sightsong

自縄自縛日記

G.I.グルジェフ『注目すべき人々との出会い』

2009-07-11 00:35:14 | ヨーロッパ

今回の中国行きのお供は、読みかけの、G.I.グルジェフ『注目すべき人々との出会い』(めるくまーる、原書1974年)とした。カザルスホールの裏あたりにある「かげろう文庫」の店頭で500円だったので、救出しておいた本である。

神秘主義、オカルティズムの文脈で語られがちな怪人グルジェフだが、体感するように読めば、語りかけてくるものはとてもシンプルだ。自分の頭で考え、手と身体を動かすこと。教条的なものを排すること。ゼロからの創出や苦難の克服を、目的ではなく手段として、自分を高めるために敢えて行うこと。印象はそんなところだ。反面、他人の考えを鵜呑みにしている者や、頭と身体を各々の限界に向けて機能させようとしない怠惰な者などに対しては極めて熾烈に攻撃し、騙して大金を巻き上げても平然としている。

本書で語られる体験や冒険譚は、ミュンヒハウゼン男爵かというくらい奇妙奇天烈であり、真偽などどうでもよくて笑い出すほど面白い。いったい何年生きたのかというほど、アルメニアやグルジア、イラン、アフガニスタン、モンゴル、インドなどを歩き、生活している。

ゴビ砂漠を横断する前の検討についてのエピソードは特に傑作である。大量の水や食糧を持って移動することは難しい。砂嵐もある。ではどうするか。3人が検討結果を発表した。

鉱山技師のカルペンコ曰く、砂漠はかつて海底であったから有機物が含まれている。羊と山羊に食べさせてみると元気に行き続けた。だから、砂を食べさせながら、ときどきその羊と山羊を殺して食べ、それらが運んできた水を飲めばよい。オグリ博士曰く、砂嵐は高いところでは吹き荒れないから、高い竹馬に乗って砂漠を歩いていけばよい。言語学者のイエロフ曰く、その竹馬を三列七頭の羊で運べば、普段は寝椅子にもなる。その快適な旅の間にどんな言語も覚えられる。

この愉快さとシンプルさが、グルジェフの死後虚飾にまみれ、欧米からの脱却を夢想する反オリエンタリズムに取り込まれたということではないか。反オリエンタリズムなど、オリエンタリズムの裏返しではなかったか。


上海の麺と小籠包(とリニア)

2009-07-10 01:50:16 | 中国・台湾

所用で上海に1泊した。以前は杭州湾を挟んだ寧波から飛行機が出ていたのだが、湾に橋が架けられてから便がなくなってしまった。寧波から日本への直行便はない。そんなわけで、海上に架かる橋としては世界最長だとかいう杭州湾跨海大橋を高速バスで渡り、3時間で上海に着いた。本来は2時間半なのだが、途中の休憩エリアでなかなか帰ってこない客がいて少し遅れた。15分に1本くらい出ているし、90元(1200円くらい)と安いし、飛行機より便利ではある。

上海では来年の万博を控えてあちこちにキャラクターが飾られている。盛り上がり具合はまったくわからない。それから、NHKで新疆ウイグル自治区のニュースを見ていると、途中で映像がぶちぶち切れた。まさかね、と思っていたら、そのことについて報道されていた(>> リンク)。

独りでもあり、夜も昼も麺を食べた。坂本一敏『誰も知らない中国拉麺之路 日本ラーメンの源流を探る』(小学館、2008年)での推薦に従って、まずは「滄浪亭」に「葱油開洋麺」を目当てに出かけた。細くて柔らかい蘇州式の麺が使われている。このメニューは、その上に甘辛く炒めた葱と干海老が載せられている。8元(110円くらい)、一番安いものだった。随分さっぱりした味だが、上のトッピングが旨く、しつこく食べた。

前書によると、このような蘇州麺が横浜の外国人居留地に渡り、そのひとりが浅草で「来来軒」を開き、東京ラーメンの元祖になったのではないか、ということである。説の妥当性を評価する能力は私にはないのだが、まあ雰囲気は似ていて、ルーツであっても不思議ではない。

南京路沿いにある「沈大成」に入ったところ、蝿叩き専門のような人がいて、皆が食っている横でばしばし叩いている。座ろうとした席でも目の前で蝿を叩き殺されてしまい、ちょっと食欲を失うが、ひるまず「蝦仁両面黄」を注文した(25元、340円くらい)。揚げた麺に海老のあんかけをかけたものだ。麺はふわりとしている。このあたりは、都内某所のラーメン屋には見習ってほしいところだ(ずっと食べていると口の中が痛くなり、顎がひたすら疲れる)。

ただ、これだけでは油っこくて飽きる。皆、独りでも何品も食べているので、昼メシのハシゴについては自分を許すこととする。

という理由で、同じ南京路にある「泰康湯包館」で蟹入りの小籠包を食べた(10個で28元、380円くらい)。こればかりは東京の中華料理屋とは全然違って、スープがたぽたぽ入っている。それを醤油と酢につけて、スープをこぼさないようレンゲにのせて口に入れる。

ところで、空港までリニアモーターカーを使ってみた。地下鉄で龍陽路まで行き、「磁浮 Maglev」の看板に沿って乗り換える。航空券を見せると割引になって40元(540円くらい)。大した揺れもなく、430km/hくらいまでさっと加速し、9分で空港に着いた。これもまた魔都である。

●参照
北京の炸醤麺
中国の麺世界 『誰も知らない中国拉麺之路』


大阪万博の映像、太陽の塔

2009-07-05 13:00:40 | 関西

この間の月曜日に所用で大阪に出向いた。ふだんは梅田かなんばと伊丹空港との間をバスで往復するのだが、今回気が向いて、帰路にモノレールを使ってみた。万博記念公園に近づくと、だだっ広いエリアにぬっと太陽の塔が立っているのが見えてくる。威容である。

岡本太郎自身は、同じように「祭りのあと」の太陽の塔を通りすがりに見て、製作当時の意向を思い出している。

「恐らく全体が進歩主義、モダニズム一色になることは目に見えていた。そこで私は逆に時空を超えた、絶対感。馬鹿みたいに、ただどかんと突っ立った『太陽の塔』を造ったのだ。現代の情性への激しい挑みの象徴として。」 「あれは孤独で、太陽に向かい、台地に向かって挑みつづけるだろう。」岡本太郎『呪術誕生』、みすず書房、1998年)

この、みすず書房からアンソロジーのシリーズが発刊される少し前でも、岡本太郎の著作は書店にまだまだ並んでいなかった。太郎=敏子プロジェクトはそんなに古い話ではない。太郎の反体制精神が再評価されるようになっている、ではなく、おそらく、もはや安全でファッショナブルなものと化しているのだろう。だが、公園に立つ太陽の塔が発散する力は失われていない。

この異様さを、周囲から「圧倒的に浮きまくっている」と評価した、倉林靖『岡本太郎と横尾忠則』(白水社、1996年)では、少なくとも万博が行われた時期においては、太郎の意図などは不発に終わったとしている。万博には、70年安保から国民の目をそらそうとする政治的意図もあった。また、国家による前衛芸術家の囲い込みに対する異議もあった。だが、万博の成功は、反万博運動をなし崩しに崩壊させ、日本の前衛芸術は反近代的な力を消失させていくことにつながった。

「実際には、万博は大阪の経済の活性化という面からみれば予想どおりの結果をもたらさなかったとされている。そして万博開場における連日の過密な混雑ぶり、混乱ぶりは、決して未来都市の理想を人々に示すものではなかった。にもかかわらず、万博史上最大といわれる入場者数6422万人という結果は、万博そのものの大成功を物語るものとして喧伝されていったのである。人々にとっての進歩と未来への信頼はみごとに固められた。」(倉林靖『岡本太郎と横尾忠則』、白水社、1996年)

現在のオリンピック招致狂想曲をかんがみて、この指摘は重要である。

大阪万博の記録映画として、『日本万国博』(谷口千吉、1971年)がある。ずいぶん前にNHKで放送されたものを改めて観ると、ときどきあっと目を惹くシーンがある一方、ひたすら冗長で退屈である。何しろ3時間もあり、各国代表が自国の公用語で挨拶をする開会式などを延々と記録している。そして岡本太郎や倉林靖の指摘にあるような進歩賛歌。

映画の終盤に、タイムカプセルにいろいろのものを詰めて、5000年間埋めておくのだと紹介するシーンがある。ナレーションの石坂浩二が「こんなに戦争ばかりしていて、5000年後に人間はいるのかな」と問うと、女性ナレーションは「民族や言葉もひとつになって、平和な世界が訪れているかもしれない」と応える。民族自決権や多様性のことに思いを馳せることのない、ひとつの世界国家が夢見られた時代だったのだろうか。

面白いのは入場者たちのカメラだ。キヤノネットやコニカ・オートS2などの手軽なレンジファインダー機が多い。キヤノンデミやオリンパスペンも見える。一眼レフはやはりアサヒペンタックスSPが圧倒的に多い。シングル8のムービーカメラもある。ハッセルブラッドSWCという、現在もとても手がでないカメラが一瞬見えた。

この映画では、太陽の塔が、ときどき無言で見つめる役として登場する。国策映画を作らざるを得なかったスタッフのせめてものメッセージか、と考えるのは穿った見方か。

万博の準備段階に焦点を当てた映画もある。日本通運が製作した『花ひらく日本万国博』(1970年)であり、科学映像館で配信している映像を観ることができる(>> リンク)。映画が万博そのもののような全陳列形式の『日本万国博』とは異なり、日本通運が如何に苦労して建築資材を運び、建設したのかといった側面が紹介されており、映画としてはこちらのほうが遥かに面白い(企業の宣伝映画ではあるが)。

モノレールの建設場面もあり、ああ乗ったのはこれだこれだと思っていたら、実は違った。伊丹空港と門真市とを結ぶ現在の大阪モノレール線は1990年開業であり、万博当時に自動化を喧伝したモノレールは、半年で勿体なくも潰されたのだった。


竹内実『中国という世界』

2009-07-04 00:35:23 | 中国・台湾

木曜日、所用で福岡に行ってきたので、往復で読めるかと、竹内実『中国という世界―人・風土・近代』(岩波新書、2009年)を鞄に入れた。往路で半分がた読んだが、福岡で隣に居合わせたおじさんたちに何故かさんざん飲まされ、帰りの飛行機はとても読むどころではなかった。そんなわけで、さっき読み終えた。酔って飛行機に乗るのはやめましょう。

テーマは何なのだろう。家族、地形、天下と皇帝の支配形態、南北問題、上海の近代化。意余ってひたすら散漫という印象だ。読んでいて立地点もしばしば見失い、それは決して知識やテキストの快楽ではない。

とは言え、興味深い内容はそこかしこにある。

○いまだ存在する横穴式住居のことを「窰洞(ヤオトン)」と称する。縦横2-3m、奥行き5-10m。入口は木製の扉。夏は涼しく冬は暖かい。これが発展したのは、積み重なると固く崩れなくなる黄土のおかげである。形のタイプや、ずらりと扉が断崖に並んだ学生寮の写真など吃驚させられる例が示されている。

○「窰洞」は横穴だけでなく、真下に四角く掘るものもあった。中庭を囲んで四方に部屋を配置する、北京の四合院と同じ構成であった。一つの村がそっくり沈下式の「窰洞」だと、平地のあちこちから炊煙があがるのが見えたという。(安部公房はこれを知っていたのだろうか。)

○アヘン戦争後に開かされた上海の近代化は、社交ダンス、集団結婚式など<西洋>とともにあった。ドラマとしては、蒋介石やその諜報機関、汪兆銘、劉少奇、江青、張学良などが夜蠢く魑魅魍魎、百鬼夜行。

第二次天安門事件のあと、中国から派遣されたある代表団が、ベルリンのホテルに宿泊した。市民がそれを知り、抗議のデモをはじめた。やがて抗議の目標はドイツ政府や党に向けられ、ベルリンの壁の打ちこわしが始まったのだ―――という話があった。

○中国は今後どこに向かうのか―――答えは、「歓楽に向かう」である。といっても否定的なそれではなく、旧正月、料理、芝居、賭け事、茶、庭園、信仰、生活など、すべてにおいて共有する享楽。国家を犠牲にすることも時には辞さないほどの底力を持った歓楽。後藤朝太郎という戦前の旅行ライターは、日本が中国に勝てるわけはないと公言し、「酒池肉林」を「忠君愛国」のアンチテーゼにさえした。

理屈で納得できるようなことが書かれているわけではないのだが、「歓楽に向かう」ボトムアップの力を持つ国、という見方はたいへん刺激的である。


『サステイナブル・スイス』

2009-07-03 21:50:18 | 環境・自然

インターネット新聞JanJanに、滝川薫『サステイナブル・スイス』(学芸出版社、2009年)の書評を寄稿した。

>> 『サステイナブル・スイス』の書評

 日本政府は2009年6月、温室効果ガスの排出削減に関する中期目標を公表した。2020年に05年比マイナス15%、90年比で言えばマイナス8%に相当する。もともとの裏付けとなる試算においては、これは「フロー対策」を充分に実施するとした場合の水準に近いものだった。新しく作られるモノの省エネ性能をかなり良いものとする方法である。

 一方、さらに削減を行うためには、「フロー対策」に追加して、「ストック対策」が必要とされている。すなわち、日々エネルギーを消費しているのは、新しいモノよりむしろ古いモノ=「ストック」であるから、「ストック」を省エネタイプに入れ替えることが効果的となる。

 しかし、それは容易なことではない。まだまだ使えるのに、燃費のさほど良くない自動車を買い替えたり、省エネ性能の劣る家電製品を新しいものにしたり、といった行動には、先立つものが必要である。さらに省エネ効果が大きいのは住宅の断熱性能向上だが、やはり簡単にできることではない。わが家でも、リビングの窓ガラスをすべて断熱性能の高いペアガラスにしようと考えたことがあるが、想定外の高さに断念した。

 本書には、そういった視点でのエコ住宅普及の成功例を見ることができる。「ミネルギー」と名付けられた省エネ性、快適性の高い住宅は、新築であればエネルギー費の節約などにより7年間で元が取れる上に、補助金などが得られる。また改修であっても、費用の補助や税控除などが受けられる仕組となっている。さらには、古い住宅をエコ住宅に生まれ変わらせることにより、資産価値が上がるという考え方が注目すべきものに思われる。もちろん日本にも様々な補助制度はある。

 しかし水準が充分でないうえ、「誰も知らずばらばらに存在する」ものであり、本書で示されているような、コンセプト性(少なくともライフスタイルを改善するという前向きな印象を持つことができる)、パッケージ性については学ぶところが大きいだろう。

 本書で示されているのはエコ住宅だけではない。ひとつひとつの規模が小さな太陽光発電をいかに進めてもらうか、マイカー文化から利便性の高い公共交通文化にいかに変身していくか。そして歩行者、自転車と自動車とが共存する街づくりなど、私たちの社会にとってとても重要な課題に関して、「見える形」での具体的な政策が紹介されている。

 読み手にとっての「スイス」は、「何だか環境にやさしいことをしている向こうの国」であるべきではない。その意味では、ヨーロッパ至上主義であってはならない。あくまでも、私たちの社会を良くするために注目すべき、同じような課題に取り組んでいる仲間だと考えるべきだろう。


高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー

2009-07-02 00:13:12 | 沖縄

高嶺剛が『ウンタマギルー』(1989年)の9年後に完成させた映画、『夢幻琉球・つるヘンリー』(1998年)。大城美佐子主演の映画ということで随分観たかったものだが、2005年にジョナス・メカスが来日した際のレセプション・パーティーで高嶺氏の姿を見つけ、この映画を観たいとの話をした。すると、ヴィデオは実はあるのだということで、後日、売っていただいた。

今日、久しぶりに観たが、映画を貫く緊張感が希薄で、ひたすらけだるいことを改めて感じた。とは言っても、それはドラマツルギーという面での緊張感であって、けだるい世界でのアメーバ的な拡がりという面では、得体の知れない際立った力がある。ドラマという形で漲ってはいない、それだけのことだ。

ここに登場する映画監督はメカスならぬメカル。彼がガジュマルの樹に挟んでおいた『ラヴーの恋』という未完の映画の脚本を見つけたつる(大城美佐子)は、メカルのもとを訪れる。つるは民謡歌手、自分のラジオ番組を持っていて、あちこちでゲリラ的に唄を発信する。メカルは台湾へ逃げ、つるは息子ヘンリーとその家で暮らすようになる。そのうちに、つるとヘンリーは台湾のメカルを探しに行く。

ラジオでは、脈絡無く、津波恒徳が「シンガポール小」を唄う。沖縄からの海外移民の唄だ。また、読谷からラジオ番組を放送するとき、つるは、「象のオリ」にアンテナをつなぎ、北京やヴェトナムからの電波を拾う。これに、つるが唄う「白雲節」が重なる。台湾では、地元の流しとつるが「蘇州夜曲」を唄う。台湾で見つけられたメカルは、市場で蟹を食べながら、自分の祖先はペリーの養子や、「頑固党」に属して清国に亡命した者だと独白する。日清戦争の時に、親中国派であった面々である。

そして、『ラヴーの恋』の1シーンとしてコザ暴動の8ミリ映像が流され、ヘンリーが扮するジェームズが言う。

「私は、沖縄を軍事基地として、太平洋のかなめ石としてとらえているアメリカにも、そして祖国と言われている日本にも、心許せる気持にはならない。・・・私は、私のあり方を私抜きで平気で決定した国家というものには、もううんざりだ・・・」

劇中劇において、沖縄の青年ジェームズは、60年代の終わりに米国に留学し、実は父親が反米運動家であったという事実を知ってしまったがために記憶を抹消され、強制送還されるという設定になっている。そしてコザで火炎瓶を投げるのである。

明らかなる挑発的なアナーキズムとけだるいクロスボーダー。沖縄、ヤマトゥ、米国、移民先の南方、台湾、中国、ヴェトナム。この、でろでろと外へ外へと侵食するヴィジョンは極めてアンバランスであり、そのために高嶺剛の映画は広くは評価されていない。