今回の中国行きのお供は、読みかけの、G.I.グルジェフ『注目すべき人々との出会い』(めるくまーる、原書1974年)とした。カザルスホールの裏あたりにある「かげろう文庫」の店頭で500円だったので、救出しておいた本である。
神秘主義、オカルティズムの文脈で語られがちな怪人グルジェフだが、体感するように読めば、語りかけてくるものはとてもシンプルだ。自分の頭で考え、手と身体を動かすこと。教条的なものを排すること。ゼロからの創出や苦難の克服を、目的ではなく手段として、自分を高めるために敢えて行うこと。印象はそんなところだ。反面、他人の考えを鵜呑みにしている者や、頭と身体を各々の限界に向けて機能させようとしない怠惰な者などに対しては極めて熾烈に攻撃し、騙して大金を巻き上げても平然としている。
本書で語られる体験や冒険譚は、ミュンヒハウゼン男爵かというくらい奇妙奇天烈であり、真偽などどうでもよくて笑い出すほど面白い。いったい何年生きたのかというほど、アルメニアやグルジア、イラン、アフガニスタン、モンゴル、インドなどを歩き、生活している。
ゴビ砂漠を横断する前の検討についてのエピソードは特に傑作である。大量の水や食糧を持って移動することは難しい。砂嵐もある。ではどうするか。3人が検討結果を発表した。
鉱山技師のカルペンコ曰く、砂漠はかつて海底であったから有機物が含まれている。羊と山羊に食べさせてみると元気に行き続けた。だから、砂を食べさせながら、ときどきその羊と山羊を殺して食べ、それらが運んできた水を飲めばよい。オグリ博士曰く、砂嵐は高いところでは吹き荒れないから、高い竹馬に乗って砂漠を歩いていけばよい。言語学者のイエロフ曰く、その竹馬を三列七頭の羊で運べば、普段は寝椅子にもなる。その快適な旅の間にどんな言語も覚えられる。
この愉快さとシンプルさが、グルジェフの死後虚飾にまみれ、欧米からの脱却を夢想する反オリエンタリズムに取り込まれたということではないか。反オリエンタリズムなど、オリエンタリズムの裏返しではなかったか。
最寄の町の本屋さんには、「神秘主義」のコーナーが不釣合いにあります。たしかグルジェフも置いていたような。それらを売りたい欲求と少なからず求めるプシケーが潜在するのだと見ています。それは不合理だといって解消できない。
「そっち系」は明らかに「たまたま」です(笑)。たとえばエリアーデもカプラもコリン・ウィルソンも嫌いではないですが、あくまで好奇心または文学として・・・といえば割り切りすぎですか。人間の知性拡張や精神世界模索のプロセスの記録として、ですね。そんな前提で、グルジェフの本書には共感するところが少なからずあったのは事実です。