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自縄自縛日記

溝口睦子『アマテラスの誕生』

2015-12-06 15:02:45 | 思想・文学

溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』(岩波新書、2009年)を、香港までの機内で読了。

アマテラス(天照大神)は、言うまでもなく日本神話における皇祖神・最高神として位置づけられ、特に近代日本において、国家の物語として利用されてきた。しかし、本書によれば、それは最初からの物語とは違っていた。

すなわち、
●もとより、弥生以降の日本において形作られてきた神話は、イザナギ・イザナミ~タカミムスヒ(・スサノオ・アマテラス)~オオクニヌシまでのものであった。いまではタカミムスヒという神はほとんど忘れ去られている。
●一方、4世紀末~5世紀初頭に、高句麗など朝鮮半島の日本(倭国)よりも進んだ地域を介して、北ユーラシアにおける、天の思想が流入してきた。つまり天孫降臨の神話は優れた外来の神話であった。高句麗には倭軍も大敗するなど(広開土王の碑)、倭国にとって朝鮮半島は脅威でもあった。
●すなわち、5~7世紀のヤマト王権の時代において、日本神話は上の二元的なものでもあった。
●もともと、日本開闢の主役・最高神は、タカミムスヒであった。しかし、それはヤマト王権のなかのことであり、国の神話を強化するほどの求心力はなかった。
●タカミムスヒに代わるものとして、地方の神にすぎなかった伊勢のアマテラスが抜擢された。記紀においてはアマテラスとタカミムスヒとはほぼ並列、やがてアマテラスが主役の座を奪っていった。
●それは、7世紀のクーデター(645年)以降、中央集権の律令国家を作ろうとする天智・天武の天皇兄弟の意思であった。

といったところ。非常にエキサイティングな展開であり、日本神話を見る眼から鱗が何枚も落ちたような気分。

●参照
「かのように」と反骨
鶴見俊輔『アメノウズメ伝』
三種の神器 好奇心と無自覚とのバランス
仏になりたがる理由
『大本教 民衆は何を求めたのか』
入江曜子『溥儀』


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