大谷能生『<ツイッター>にとって美とはなにか SNS以後に「書く」ということ』(フィルムアート社、2023年)。出版される前に大谷さんに聞かされて笑い、「すごいですね」を連発してしまった。もちろんそのタイトルが吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』のパロディだからである。
吉本は言語のありようを「自己表出」と「指示表出」の二軸で分析してみせたわけだけれど、それはわかりやすくもないし、おそらくは二軸は必ずしも独立していない。ただ「自己表出」として敢えて生み出された書き言葉が「疎外」の対象となることは確かで(日本語の「疎外感」のような、除け者のニュアンスではない)、だからこそ書き言葉は永遠に奇妙なものであり続ける。
本書がおもしろいのは、「自己表出」と「指示表出」の背後に広く深い共同体の歴史、ロゴスのようなもの、動かないもの、ひょっとしたら退行の対象があることを、さまざまな思想を参照しながら想像していること。途中で小林秀雄や本居宣長を持ち出してきたのはどういう回り道なのかと思っていたけれど、じつはそういう意図があった。
そしてSNSは二軸のどちらに位置付けられることもない。
「この場面で重要視されるのは、互いが「コミュニケーションしている」ことを担保するための「リズム的場面」を成立させることである。つまりもうどちらも「言語による表現」なんてメンドくさいことがはじまる以前の、「誰かと親しくしている」ことだけを確認するためのやりとりへ舵を切りつつあるのだ。」
●大谷能生
大谷能生+高橋保行+阿部真武+林頼我@稲毛Candy(2023年)