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自縄自縛日記

義江彰夫『神仏習合』、村山修一『本地垂迹』

2024-03-07 07:24:58 | 思想・文学

義江彰夫『神仏習合』(1996年)を再読。出てすぐに読んだ記憶があるから数十年ぶりか。やはり物語のように読めてしまうのは、マルクス主義史観というのか進歩史観というのか、特定の階層が社会的・経済的な要請を受けて行動するという図式化があるからだろう。

たとえば、地域の神々が仏になりたがったのは王権の納税システム機能のためであり、共同体の呪術的な神々では権力を成立させるために役不足であったから。支配の側が仏教を普遍的な力として使うならば、反権力もまた神仏習合を前提とせざるを得ない。巨大な存在から有象無象の存在までをカバーした密教が社会統合に使われ、怨霊信仰もそれなしには力を持たなかった。権力の側からすれば、密教を取り込む一方で、基層信仰たる神祇祭祀を仏教に比すべきものにするため清浄化しなければならなかった、とする指摘もおもしろい。いまにつながるケガレ忌避観念の最大化、「浄」「穢」の価値の絶対化。

そういった運動が、「日本在来の神々が仏教に帰依し、神の姿を残したまま仏の世界に入ろうとする」ヴェクトルだとして、本地垂迹説では仏教の側から逆ヴェクトルで位置づけなおそうとする。すなわち、仏が神の世界に侵入して仏の化身だとみずからを位置付ける。平安末期、武家の台頭に危機感を抱いた王権は、本地垂迹説とケガレ忌避観念を使って事態を打開しようとした。しかし、それは失敗した。逆に、武家は、殺生やケガレを肯定する論理を仏教の力で獲得した。

村山修一『本地垂迹』(1973年)がことし文庫化されたばかりで、義江先生のスタンスとは対照的なように思える。自律的発展のありようではなく、社会における受容もあわせて分析されていておもしろい(けれど長ったらしくて難しい)。たとえば、八幡神について。

「もともと神は天上から下界へ降臨すると考えた素朴な神祇観念のニュアンスが垂迹の語に纏緬しているように思われ、仏陀が権現となって日本各地の村落に天降るようなイメージが本地垂迹説の成長について明確になってゆくのは、それだけこの思想が地域社会に拡がりつつある実情を示すものであろう。とすれば権現の言葉にも同様なことがいえよう。仏陀が権りの姿で化現するとの抽象的な意味よりも現実に人間のすむ世俗社会へ身近く、神祇が慈悲と利益なる仏の本誓を負うて来り臨み、常時そこに現前したまうものと観ずるところに、権現と仰がれるもののイメージがあったのではあるまいか。すなわち神祇はつねに人間の俗社会から遠く離れた清浄な天上の世界に住し、ときあって特定の期間のみ人間社会に訪れ来るとのまれびと神思想は地域社会における神祇常在のイメージをもつ権現思想にとって代られつつあったのである。」


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