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自縄自縛日記

山本昭宏『核と日本人』

2015-03-27 23:26:19 | 環境・自然

山本昭宏『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書、2015年)を読む。

戦後、日本では核兵器と原子力発電がどのように受容されてきたのか。本書においては、それを見出す媒体は、漫画や特撮映画といった大衆芸術である。確かに、それらは大衆の欲望や感情を機敏に受け止めて絶えず作りだされる。

1950年代からの「原子力の平和利用」が、多くの者に望ましいものとしてとらえられたことは、今となっては実に奇妙なことだ。その思想的な背景には、「被爆経験があるからこそ、原子力を進めるべきだ」という言説がある。本書によれば、このような一見もっともらしい論理は、対象を変え、正反対の言説がセットとして現われている。すなわち、「被爆経験があるからこそ、原子力を廃絶すべきだ」、「被爆経験があるからこそ、核兵器を廃絶すべきだ」、「被爆経験があるからこそ、核武装する資格を持つ」、「原発事故の経験があるからこそ、原発を廃絶すべきだ」、「原発事故の経験があるからこそ、安全な原発を推進できる」、・・・。

このことは歪ではあるが、市民運動においては一定の力を持っていた。しかし、いまでは、問題を切実にとらえず、他人事のように評論家然としている者が多いという。この理由は、著者のいうように、不条理や矛盾や暴力があまりにも日常の中に入り込んでしまい、過剰に相対化された結果なのかどうか。

●参照
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』
太田昌克『日米<核>同盟』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
前田哲男『フクシマと沖縄』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
マルグリット・デュラス『ヒロシマ・モナムール』
アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』


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