埼玉県立近代美術館の『イン・ビトウィーン』展。展覧会が目指すものは「個の身体を拠りどころとして思索を重ねる/重ねた作家たちの複数の声(ポリフォニー)を掬い出し、現代の鑑賞者とともに見直すこと」とある。
シュルレアリスト福沢一郎のもとで学んだ早瀬龍江の作品も興味深く観たのだけれど、自分の目当てはジョナス・メカス。30年ちかく前に六本木にあったシネ・ヴィヴァンで『リトアニアへの旅の追憶』を観たとき、人生が狂うくらい驚いた。それは鈍痛にも似ていて、まだ続いている。
今回の展示(16ミリからのブローアップした版画と写真)でも知識として驚くことはないけれど、感覚としては驚く。16ミリの濁りと滲み、それが彼岸と此岸との境界にある。2005年にメカスが来日したとき絵を描いてくれた。しまい込んでいないで飾ろうかな。
●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォールデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの
ジョナス・メカス(7) 『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』
ジョナス・メカス(8) 『ファクトリーの時代』
ジョナス・メカス(9) 『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』、小口詩子『メカス1991年夏』
ジョナス・メカス(10) 『ウォールデン』
アンディ・ウォーホルのファクトリー跡
チャールズ・ヘンリー・フォード『Johnny Minotaur』をアンソロジー・フィルム・アーカイヴズで観る
ジョルジュ・メリエスの短編集とアンソロジー・フィルム・アーカイヴズの知的スノッブ
鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』
アドルファス・メカス『ハレルヤ・ザ・ヒルズ』
JMシンガーズ『Jonas Song』