Sightsong

自縄自縛日記

ジョナス・メカス(10) 『ウォールデン』

2016-11-24 09:21:21 | 小型映画

ジョナス・メカス『ウォールデン(Walden: Diaries, Notes and Sketches)』(1969年)を観る。

この映画は6本のリールから構成されているのだが、ずいぶん前にebayで入手したVHS版はなぜか5本目の途中までしか入っていなかった。従って、最後まで通して観るのははじめてだ。この2枚組DVDを何年も寝かせているうちに日本版も出てしまった。ただ、これにも日本語字幕が入っている。また、英仏2か国語での解説書が付いており、あとで思い出しながら追いかけてゆくことができる。

メカスの映画を観るたびに眼が歓び、わけもなくセンチメンタルになる。これはフィルムの明滅が身体のビートとシンクロし、また突き放されることを繰り返されるからに違いない。鈴木志郎康さんも、これを心臓の鼓動だとしているし(『結局、極私的ラディカリズムなんだ』)、メカス自身も映画の中でそう呟いている。観ていなかった6本目のリールにあった。

「That's what cinema is, single frames. Frames. Cinema is between the frames. Cinema is... Light... Movement... Sun... Light... Heart beating... Breathing... Light... Frames...」

この効果は偶然に得られたものではなく、明らかにメカスが技術的に工夫して狙ったスタイルによるものでもあった。金子遊さんによれば、16ミリのボレックスに付いているゼンマイ式の巻き上げハンドルを固定せず、回転状況を把握するためにあえてハンドルも回転させていたようだ。あの多重露光、ピンボケとブレ、露出過多へのゆらぎ、速度のゆらぎなどは、そういった肉体的な感覚によって得られていた。(『失われた記憶にふれる指』

映画では何も起こらない。ジョンとヨーコのベッドインがある(これも6本目にあった)。スタン・ブラッケージ、シャーリー・クラーク、弟のアドルファス・メカス、アンディ・ウォーホル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなども登場する。友達の結婚パーティにおいて「AND MUSIC PLAYED AND PLAYED」との文字が挿入され、明滅する光の中で踊る人たちの映像も素晴らしい。しかし本質的には何も起こらない。

「He must not then go in search of new things... He must not then go in search of new things that serve only to satisfy the appetite outwardly, although they are not able to satsfy it... and leave the spirit weak and empty, without interior virtue.」(1本目のリールより、十字架のヨハネ、16世紀)

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォールデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの
ジョナス・メカス(7) 『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』
ジョナス・メカス(8) 『ファクトリーの時代』
ジョナス・メカス(9) 『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』、小口詩子『メカス1991年夏』
アンディ・ウォーホルのファクトリー跡
チャールズ・ヘンリー・フォード『Johnny Minotaur』をアンソロジー・フィルム・アーカイヴズで観る
ジョルジュ・メリエスの短編集とアンソロジー・フィルム・アーカイヴズの知的スノッブ
鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』


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