Sightsong

自縄自縛日記

パトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』

2015-10-12 08:18:52 | 中南米

岩波ホールに足を運び、パトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』(2010年)を観る。

パトリシオ・グスマンは、1973年・チリにおけるピノチェト将軍のクーデターの際に拘束され、釈放後すぐに国から逃げた。アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために』太田昌国『暴力批判論』においても強調される「もうひとつの9・11」である。その3年前に民主的選挙によって成立したアジェンデ社会主義政権は崩壊し、アジェンデは殺された。判明しているだけでも、ピノチェト政権は3千人を超える人びとを虐殺した。

このドキュメンタリー映画では、ふたつの視線が提示される。天の視線と、地の視線である。アタカマ砂漠は異常に乾燥し空気が澄み切っており、天文学者たちが、巨大な天体望遠鏡により天を観測し続ける。その光は、気が遠くなるほどの過去から長い時間をかけて宇宙空間を旅し、ようやくアタカマ砂漠に到達したものであり、現在の存在は理論的にひとつもない。

砂漠では、考古学者たちが、過去の人類の遺体や壁画を探っている。乾燥しているために、驚くほど朽ちないのだ。そして地を這う視線は、考古学者たちのものだけではない。ピノチェト政権は、虐殺を隠蔽するために、手にかけた者たちの骨を砂漠や海に棄てた。あまりにも広大な砂漠という宇宙を、いまだ骨を探し歩く遺族たちがいる。

ふたつの視線の時間スケールはあまりにも異なる。かたや10億、100億年単位。かたや千年単位、あるいは数十年。ある天文学者は、遺族が骨を求めて歩く探索行を、望遠鏡で広大な宇宙を彷徨うようなものだと嘆く。ある天文学者は、人間のカルシウムはビッグバン直後に宇宙で生成されたものだと思考を飛翔させる。またある考古学者は、これもチリという国が過去を曖昧にしてきたからだと明言する。ある天文学者は、チリを追われた両親を持ち、故国ということができるかどうかわからないチリに戻って観測の日々を送っている。

直接的なふたつの視線のリンクが重要なのではない。天に向けた長い時間スケールの視線が逆方向の視線となり、地の視線と交錯することが、なにものかの相対化を行い、なにものかの虚飾の衣を剥ぎ取るように感じられる。ちょうど、アボリジニの血をひくジュリー・ドーリングが自らのルーツを辿った映像作品『OOTTHEROONGOO (YOUR COUNTRY)』において、宇宙に浮かぶ地球の姿を繰り返し挿入したように。 

●参照
アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために』
太田昌国『暴力批判論』
G・G・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』、ドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事』
『オーストラリア』と『OOTTHEROONGOO』


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