インド人作家、アルンダティ・ロイの『帝国を壊すために―戦争と正義をめぐるエッセイ―』(岩波新書、原著2001-03年)を読む。しばらく姿を消していたが、今月復刊されるとのこと。
2001年9月11日の後、帝国=米国とそのフォロワーたちによる暴力が世界を席巻した。ロイが皮肉をもって偽善を暴こうとするのは、しかし、「9・11」後だけではない。太田昌国らによって、チリのアジェンデ民主政権がCIAの支援を受けたピノチェト将軍のクーデターによって転覆されたのも、1973年の同じ9月11日であったことが示されている。ロイはそれを含め、帝国が深く傷痕を残した事件として記憶にとどめるべき「9・11」を列挙している。
1922年9月11日、英国はバルフォア宣言(ユダヤ人のための国家建設)に基づきパレスチナに委任統治を宣言。
1973年9月11日、CIAとピノチェト将軍によるクーデター。
1990年9月11日、米国ブッシュ大統領(父)が、議会演説で、イラクに対する戦争行使決定を発表。
2001年9月11日、米国ワールド・トレード・センターに航空機が突撃。
帝国の暴力的な権力行使は歴史として刻みこまれ、繰り返される。しかし、自分たちは既に、ロイが挙げる問題群をある程度は認識している。これだって、帝国に抗した人たちの共通の記憶に違いない。
米国が、国外で軍事独裁教唆や住民大虐殺を実施してきたことも、
米国がアフガニスタンの麻薬製造の原因となり自国民を苦しめていることも、
米国がタリバンに力をつけたことも、
米国がオサマ・ビン・ラディンという存在を作りだしたことも、
米国が中東にこだわっている大きな理由は石油利権にあることも、
米国のイラク攻撃やアフガニスタン攻撃の大義に論理などなかったことも、
インドがスリランカのLTTEをサポートして事態をより悪化させたことも、
インドのヒンドゥー・ナショナリズムも、
そういったことを大メディアがサポートしてきたことも。
ロイが前提として強く念を押すのは、帝国であろうとも、政府と社会や国民とを同一視してはならないことだ。そして帝国に抗することができるのは、何かビッグ・パワーではなく、ひとりひとりの力であることを、力強くアピールしている。このあたりは、アントニオ・ネグリが<マルチチュード>を標榜しながらも、実はそれは組織化を前提としていることとは性質を異にする。
「指導者たちが市民社会を失望させてきた、それと同じくらい、市民社会も指導者たちを失望させてきたのではないだろうか。わたしたちは認めなくてはならない、自分たちの議会民主主義に危険で組織的な欠陥があるということを。」
「わたしたちの戦略、それはたんに<帝国>に立ち向かうだけでなく、それを包囲してしまうことだ。その酸素を奪うこと。恥をかかせること。馬鹿にしてやること。わたしたちの芸術、わたしたちの音楽、わたしたちの文学、わたしたちの頑固さ、わたしたちの喜び、わたしたちのすばらしさ、わたしたちのけっして諦めないしぶとさ、そして、自分自身の物語を語ることのできるわたしたちの能力でもって。わたしたちが信じるようにと洗脳されているものとは違う、わたしたち自身の物語。」
「むしろわたしたちの戦略は、<帝国>を動かす部品がどこにあるかを見きわめ、それをひとつずつ役に立たなくさせていくことにある。どんな標的も、小さすぎる、ということはない。どんな些細な勝利も、意味を持たない、ということはない。」
●参照
○吉田敏浩氏の著作 『反空爆の思想』『民間人も「戦地」へ』
○戦争被害と相容れない国際政治
○太田昌国『暴力批判論』を読む
○イラクの「石油法」
○中東の今と日本 私たちに何ができるか(2010/11/23)
○ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
○中島岳志『インドの時代』
○アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(上)
○アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(下)