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自縄自縛日記

『現代沖縄文学作品選』

2014-04-12 10:04:00 | 沖縄

『現代沖縄文学作品選』(川村湊・編、講談社文芸文庫、2011年)を読む。

本書には、10人の沖縄の書き手による短編が収録されている。

安達征一郎「鱶に曳きずられて沖へ」
大城貞俊「K共同墓地死亡者名簿」
大城立裕「棒兵隊」
崎山麻夫「ダバオ巡礼」
崎山多美「見えないマチからションカネーが」
長堂英吉「伊佐浜心中」
又吉栄喜「カーニバル闘牛大会」
目取真俊「軍鶏」
山入端信子「鬼火」
山之口獏「野宿」

解説において編者の川村湊が書いているように、沖縄文学は、地方色を特徴とした位置付けにとどまらない。その異質性は容易に相対化されるべきものではない。

沖縄は、言うまでもなく近代以前は別国家であり、剥き出しの暴力によって日本の支配下に置かれた。「方言札」や沖縄戦でのスパイ扱いに象徴されるように、同質化を強要され、そして、戦後は米国に差し出された。マージナルな場所における多重支配である。そして、それを隠蔽するリゾート化と、オリエンタリズムに満ちた内外からの視線。

これらの作品群を読むと、沖縄が決して望んだわけではない(むしろ激しく拒絶さえしている)生活環境が、沖縄を抱える書き手の内部を経て、文学の中に注入される独特の差し迫った力を生んでいるように感じられてならない。

機能として滅却できない記憶というものについては、大城貞俊「K共同墓地死亡者名簿」や崎山麻夫「ダバオ巡礼」に書かれている。抑圧により絶えず噴出を準備する暴力の衝動については、又吉栄喜「カーニバル闘牛大会」や目取真俊「軍鶏」を読めば、「他人事」(これを認めるところからすべてがはじまる)ながら、激しい痛みと切迫感とが伝わってくる。そして、オリエンタリズムとはまったく異なるローカリズム(イズム、と言うべきではないが)は、鬼才・崎山多美「見えないマチからションカネーが」に垣間見ることができる。

●参照
崎山多美『月や、あらん』
崎山多美『ムイアニ由来記』、『コトバの生まれる場所』
目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』
又吉栄喜『鯨岩』
又吉栄喜『豚の報い』
大城立裕『朝、上海に立ちつくす』
大城立裕『沖縄 「風土とこころ」への旅』
山之口貘のドキュメンタリー
山之口獏の石碑


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ホントに高い (齊藤)
2014-04-21 23:53:45
確かに高いですね。なんで講談社文芸文庫はこんなに高いのか。
崎山多美が入っているだけでも買いではありますが。
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高い (ひまわり博士)
2014-04-21 22:42:52
読んでみたいのですが、文庫とは思えない値段で二の足を踏んでしまいました。
とりあえず、図書館ですね。
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